2017年10月3日火曜日

酸っぱいは正攻のもと





日頃から嫌いない物はと、訊ねられると、
「酸っぱいもの」と「蓴菜(じゅんさい)」と答えるハルコ。
”蓴菜の酢の物”にいたっては最悪の組み合わせなのだ。
蓴菜は床下のカビ臭い(コンクリートの生乾き)
で灰色はハルコのイメージでこれに、酢が加わると‥‥‥。

雑誌でハルコのレストラン修行の連載時にも、
2度ほど「酢を克服:しようとしたが、ダメだった。

じゃ、酸っぱいものは嫌いかというと、鮨は好きだし、
トコロテンも大丈夫なのだ。

そうそう、柑橘系のポン酢は好物なのだが、原因を考えると
和食の三杯酢のようなのだ。


合わせ酢の二杯酢は、酢と醤油が基本で、子どもの頃は母親の実家に行くと
刺身はこの二杯酢(酢醤油)でよく食べていた。

問題は三杯酢の酢。醤油に味醂(あるいは砂糖)だが、この若干入る甘味がダメで
甘味が酸味を増すような気がして、むせ返るのだ。
どうも、こんな影響から酢全体が嫌いになったように思うのだが、
最近、長年忌避していた酢が(たぶん)大丈夫になってきたような。
やはり、根本の酢自体の好みが関係すると思うのだ。

日本のハーブ料理の先駆者、北村光世先生から、京都の「玉姫」酢に
タラゴンを入れたものをいただいたが、これが美味しいと思うようになった。

これから、酸味の勉強をしようと思うハルコなのだ!

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2017年9月19日火曜日

顔色をうかがう


パスポートが切れるので
更新手続きをしなくてはならず、
取りあえず駅にある
証明写真ボックスへ。

スマホの写真アプリと同じ様に
最近の証明写真も画像調整が出来るんだ。

何々、頭の上の赤いラインと下の緑のラインを合わせる、ちょっと面倒だ。

顔の中心に線を合わせる、うむ、少しずれているが仕方がないか。

さて、これに顔色の調整、顔の肌色が5段階で、白っぽくも出来るし、
赤っぽくも出来る。

夏の日焼けはだいぶ落ちたが、この所睡眠不足で、目の下にはクマも。
まぁ、普段は口角を下げているので、今回は口角を上げてみたしどうだ。

初めてパスポート取ったのは35年前でずいぶん顔も劣化したもんだ。
顔色だけは、一番健康そうな色合いにしよう。

昨日地下鉄は、休日で遅い時間のせいか混んではいなかった。
真向かいには30~40代の男性ばかりが6人並んでいた。

ふと、目の前の眼鏡の男性の顔色がすごく気になる。
大きな顔で、全体が灰色がかって青みがある。
他にももう一人眼鏡の男性ほどではないが、くすんだ少し赤がかった灰色だった。
他の4人は、色白1人、小麦色系、ピンクがかって赤み系が2人で
健康そうな色だった。

過去に友人知人でに顔色を見て、「ちょっとおかしいよ!」と、
何人かに言ったことがあった。

普段に比べて,顔が異常に黄色い!素人目にも黄疸が出ているのがわかる。
3日後近所の医院から、大病院へ救急搬送されたが、
異常な数値の激症肝炎で、何とかこと無きを得た。

もう一人は、昨晩の眼鏡の男性のように顔色が、
灰色がかった土気色で顔色が良くないので、ちゃんと病院で見てもらったらと、
言ったが彼は「検査でなにも悪くはないと」。
数年後に腎臓の疾患で亡くなってしまった。

顔色は身体と心がの変化が直接でてくるもので、
自分の普段の顔色の見て異変に気がつかないといけないと思うのだ。

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2017年9月16日土曜日

始末におえないカレー






金曜日の海軍カレーじゃないけど、
わが家では月に2回ほどカレーを作っているのだ。

カレーの材料も冷蔵庫にある中途半端な
食材を投入するが、カレーのベースのだしは、
ニンジン、タマネギ、ジャガイモの皮にセロリの葉っぱやトマトのヘタに、今日はバナナの皮まで鍋に入れて水から加熱したものを使っているのだ。
これは、以前タカコナカムラさんに
教わった考え方なのだ。

タカコナカムラさんは、「ベジブロス」という考え方を提唱しており、その理論を実践するために「日本ホールフード協会」を設立した。
この「ベジブロス」や「ホールフード」という考え方は、実は「始末」にも繫がっていて、「ベジ」はベジタブルのベジ。
そして「ブロス」とは「だし」という意味があるのだ。

つまりベジブロスとは簡単に言うと「野菜のだし」のことなのだ。
野菜の今まで捨てていた部分皮や種やヘタなどをグツグツ煮込んで作る、「野菜のだし」なのだが、野菜の抗酸化成分の「フィトケミカル」がたっぷり含まれて、
「ホールフード」とは、まるごとの食べ物という意味なのである。
 野菜であれば、皮や種、葉っぱ、根っこまで、魚であれば、頭から尻尾まで、「素材まるごと」どこも捨てることなく食べるということで、 英国では「自然食品」という意味でも使われている。

消費者庁の「食べ物のムダをなくそうプロジェクト調査(2013年)によると、
家庭における食品ロスの内訳は、1人1日当たりの食品ロス量(41g)のうちに
過剰除去(55%)、直接廃棄(18%),食べ残し(27%)なのである。

食べ残しは、料理を作っても食べられないで廃棄されたもので、直接廃棄は、賞味期限等が過ぎたりして捨てられている食品なのであり、
半分以上占めている「過剰除去」という、、調理途中で食品を加工している際に出る廃棄品なのだ。

皆さんの台所はどうですか?

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2017年9月13日水曜日

俺のティラミス


ちょっと昔ばなし。

27年前、1990年にイタめしブームがあり、
その中でイタリアのデザート「テラミス」が
大流行したことを覚えているだろうか?

この「テラミスブーム」には仕掛人がいたのだ。

イタめしブームの以前は、グルメブームがはじまりで
街場のフレンチレストランが牽引していた。
その頃、恵比寿に田辺年男シェフの「あ・た・ごおる」という小さなレストランが連日大盛況で、
食関係の編集者が多く集う情報の交換場所だった。

ここの一番人気のデザートは”クレーム・ブリュレ”で、
ある時に友人の編集者 N・Fさん と”クレーム・ブリュレ”は人気だね、
と話していたら「イタリアンはこれから、ティラミスが来るよ」と。

しばらくして雑誌『Hanako』が「ティラミス特集」を組んであっと言う間に
日本全国でティラミスが大ブームとなったのだった。
このN・Fさんこそブームの仕掛人だったのだ。
『Hanako』は、ティラミスを「イタリアンデザートの新しい女王」と銘打ち、
「いま都会的な女性はおいしいティラミスを食べさせる店すべてを知らなければならない」という発信をしていたのだ。

ちなみに、『Hanako』は翌年に「91年のデザートの女王はクレーム・ブリュレ」というキャッチコピーを用いて、「女王」の座を新たに作り上げていた。

そんなティラミスブームにでも老舗のイタリアンレストランではメニューに入れて無い店もあり、ある時にアルポルトで食後に「ティラミスブーム」の話を片岡護シェフとしていたら。「ティラミス」なんか簡単に作れるんだよと、テーブルの皿の上にマスカルポーネとグラニュー糖を混ぜて仕上げにエスプレッソの粉を振りかけて即席で作り、食べて見てと。確かに、ティラミスだ。

そして、月日は流れて今。

イタリアでは、ティラミス」の発祥地を巡り、国内で論争が過熱しているそうだ。
ローマの農業省がイタリアの伝統的名産品リストの中にティラミスを加えたが、その本場をフリウリ・ヴェネツァ・ジュリア州ウーディネ県にある基礎自治体トルメッツォ(コムーネ)と説明し、「1950年代に生まれた」と紹介したそうだ。

ところが、北東部ヴェネト州のルカ・ザイア知事は「トレヴィ―ゾこそティラミスの本場」と以前から主張してきており、「ティラミスは1960年代に、トレヴィーゾにあるレストラン『Alle Beccherie』において、店の女主人アーダ・カンペオルと、料理人ロベルト・リングアノットによって考案された」と農業省に抗議したのだ。

物の本ではティラミスの起源は『Alle Beccherie』だと今まで思ったいたので、農業省は何を考えて発表したのだろうか。

さて、この本家起源争いの行方は‥‥‥。

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(写真のティラミスはドンチッチョ)

2017年9月12日火曜日

鮒鮨はバーボンに限る!?

はじめて、鮒鮨を食べたのはいつの頃だろうか。
こんな強烈な匂いの食べ物なので覚えているはずだが記憶が曖昧なのだ。

先日、鮒鮨を食べる会に誘われたが、主催者の菊地一弘さんが、この数ヶ月ではじめて、鮒鮨を食べた衝撃から会を催したとか。

実際に会に参加された1/3ほどは、鮒鮨初心者で、皆さん興味津々。
4種類の鮒鮨の食べ比べで、それぞれ雄雌の対になっていて、大津市「至誠庵」高津市「湖里庵」「喜多品老舗と、野州市の今江さんという家庭自家製だ。


紙皿に鮒鮨が放射線状に並べられていて、それぞれ番号が付されて、
恐る恐る鼻を近づけてクンクンしている。まず、自分自身の嗅覚の真っ当性を証明したいのか。
もし、絶えられない臭いならどうしたもんだろか。
いや、皆さんの顔に安堵の表情が現れて、箸でつまみながらさらにクンクンしている。
そして、意を決して口に運ぶが、最初は前歯で少しずつ齧り、口の中にさらに鼻孔に鮒鮨の臭いを送り込む。
大丈夫だった!
そして、この会のために主催者が選んだ滋賀県の日本酒を口に含みながら味わう。
鮒鮨には絶対に酒が必要だと思う、水や茶では楽しみが半減すると、いうより酒が無いとつまらない。

鮒鮨は滋賀県の琵琶湖の名物だが歴史は古く、1千年以上前からある日本の鮨のルーツとも言われている、
作るのに大層手間と時間がかかるのだが、簡単に説明すると、早春に捕獲した鮒の鱗を取り除き、口から針金を入れて内臓を取り出し(雌の場合は子は残す)口から大量の塩を入れて、塩を敷いた桶に鮒を並べて、その上にさらに塩と鮒を重ねて蓋をして重石をおき冷暗所で保管するが、これを「塩切り」と呼ぶ。
夏の土用の頃まで塩漬けし、鮒を取り出して水で洗い塩抜きをする。
この鮒の中に飯を入れて、さらに鮒と飯を交互に敷き詰めて、落とし蓋と重石をして冷暗所に保存し、空気を遮断し乳酸醗酵をさせる。
ての込んだものになると、飯(いい)がとけてきたらまた,新しい飯で付け込みという非常に手間がかかるのだ。
早い物なら早春に漬け込んだ鮒寿しは晩秋には食べられるようになるが、2〜3年漬け込む場合もあるのだ。

鮒鮨の初めての体験は京都だった。

ひとつは、その年に作られた若い鮒鮨で、臭いはさほど無かったが、
まだ、十分に飯が残ってい強力な酸味でむせるほどだった。
割烹のご主人は笑いながら「この飯ですがなぁ、小さなお結び状にして焼いたら旨いですよ」と、ゆっくり焼いたのを食べると、酸味がまだ残るがチーズのような味になるではないか。
そして、15年ものの鮒鮨をいただく機会があり、そこのご主人は「こんなの、もう二度と手に入らないでしよう」と。
飴色になった鮒鮨は、一口食べてびっくり、どう表現すれば良いのだろうか。酸味はほとんど無く、醗酵も止まり、硬くはなく本当に極上の唐墨をさらに何十倍も旨くした、うま味の固まりだった。

ご主人に、バーボンに合いますよね、と言ったら嬉しそうに、
「じゃ、バーボン出してあげましょう」と。
「鮒鮨は、バーボンに限る」と、いう訳で鮒鮨を食べる会に
バーボンを持ち込んだハルコだった。

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参考資料『すしの本』篠田統(柴田書店)

2017年9月1日金曜日

ハルコ。八幡平の高原のそば畑に行くの巻

ず~っと、ブログをお休みしてました。
9月になったので、また、そろそろ再開します。

この3ヶ月毎月、岩手県八幡平市へ出かけてました。
10月18日に東京・岩本町カイハウスで、八幡平の生産者さん15組が集結して、
首都圏のシェフや料理研究家さんと食の交流会を行います。

先月盛岡駅へ着いた瞬間、大雨の歓迎を受けてしまったのですが、
その激しい雨の中、商工会議所の滝沢さんと一路、高原にある
そば畑にで出かけたのです。
農事組合法人「わんだい高原農場」の小笠原さんの出迎いを受けて
山道を車で辿り着いた先は
標高650mの高原のそば畑のはずでしたが、雨と濃霧で一面真っ白な世界!
それでも、高原の木製の展望台に上がりましたが、小笠原さん曰く、
「晴れていれば、左に雄大な岩手山、右に安比高原が一望出来ると。
うむ、こんど天気のいい日に再訪したい。

その後に、町中のバス停留所に付属(?)している待合室で、
小笠原さんが朝に打ったそばの試食を。
ハルコはネギを切ったりして、そばも茹でますか?と聞いたら、
小笠原がこのそばの茹で時間は短く手早くやらないと、と茹ではじめてたのです。
商工会の滝沢さんが、5秒ごとに「5、10、15‥‥‥」と数えて30秒茹でて冷水に。
生産者さんが栽培したそばをご自身が作り食べさせていただいたのは初めての体験でした。
こうして、ほぼ生産者さんの元を訪れて、
食材を確認しながら秋の交流会の打ち合わせを真面目にしています。

セミナーは、銀座レカン六代目総料理長の高良康之さんにお願いしてます。
高良さんは8月末で銀座レカンを卒業し、新たにご自身のレストランの準備をはじめるそうです。
また、この話はまた、別の機会に。

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2017年5月22日月曜日

餃子の満足度を考える










銀座「天龍」が新しい場所に移転したと聞いて
日曜日に出かけました。
「天龍」で餃子をはじめて食べたのは、
もう30年以上前のことか。
今まで路面店でしたが、ビルの4階となり、
どうなっているか興味津々。





時間的に2時を廻ってましたが、エレベーターホールには長い列があり
さすがに人気店ですね。
今まで、レジでチケットを購入していたののがテーブル席での
オーダーになっていました。
餃子にビールの黄金の組み合わせで満足でしたが、
ふと、餃子の満足度は何かと考えたハルコ。

天龍の餃子は8個で1.100円、1個当たり137円ですが、
餃子は一般的に庶民の食べ物で、安価であるというイメージが強い。

そんなに餃子を食べ歩いているのではないですが、
ここで餃子と言うのは焼餃子のことです。

通っている数少ない店で一番好きなのは、麻布の「登龍」の餃子で、
これが、1人前5個で2,000円、1個当たり400円と高い。
よく、こんな高いのは餃子の値段ではないという人もおり、
浅草の「餃子の王さま」なら6個420円と登龍の1個も値段で一皿食べられるのです。

そう考えると餃子の値段が気になってしまいました。
大きさと個数と餃子のクォリティーは違うので
比較自体が間違いかもしれませんが、幡ヶ谷でよく行く、
ミシュランのビブグルマンに選ばれた「您好 」の焼餃子は
9個で900円と1個100円と安い。
個人的に、登龍、天龍と”龍”尽くしで行くと、上野アメ横の「昇龍」は4個で460円。

チエーン系では、「餃子の王様」6個で240円、「日高屋」6個で210円、
「幸楽」に至っては、6個で200円なのです。
「幸楽」の1個33円ほどと「登龍」の1個の400円の値段の差は約12倍。

もし「幸楽」で「天龍」の値段で餃子を食べるなら60個も食べられる計算に。
ただ、「登龍」の餃子を食べると、暫し餃子は食べなくても良いと思い、
他の店の餃子だとまた、餃子が食べたくなるのです。(食べ足りない)

しかし、餃子の満足でで考えると、ハルコ的にはどちらの餃子も好きなのですがね。

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2017年5月9日火曜日

江戸時代の出版とDTP

本を作るという仕事について、かれこれ40年。
仕事を始めた頃には、まだ文字組は「活版」がありましたが、
段々「写植」に代わりました。
写植も最初は,「手動写植機」でしたが、「電算写植」にあっという間になったのです。
ある時に、アメリカから「DTP」という考え方が導入され、
それまで、ライター、編集者、デザイナー、文字のオペレーターと分業されていた仕事が、
「デスクの上で」ひとりで全部こなせる時代になったのです。

連休中に『一九戯作旅』(野口卓・講談社文庫)を読みました。
一九(いっく)というのは『東海道中膝栗毛』の作者、十返舎一九のことです。
この一九先生、仕事は戯作を書くばかりではなく、読本のデザインまでするのです。
当然活字など無い時代ゆえに、手書きの文字と挿絵まで描いて、「版下」を作るのです。
その版下を、ほり師が版下から版木を作り、
それをすり師が刷り、和綴じ製本して読者(貸本)に行くのです。
一九先生は大阪から、江戸時代最大の出版プロデューサー"蔦屋重三郎”の食客となり、
まだ、戯作を書く前は、山東京伝の草紙本の挿絵を描いたり、
浮世絵の紙に礬砂引き(刷色がのりやすいように加工)もしていたのです。

作家が一人で原稿から版下まで作るまさに、江戸時代のDTPなのです。
時代は変わり、印刷技術も発達しましたが、
今も昔も、どうしたら売れる、読んでもらえる本の企画を作り、それをどう広めるか。
本が売れなくなった昨今も、やっていることはそんなに変わっていないのだと
考えてしまいました。

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2017年1月22日日曜日

今日はカレーだよ!



ブログさぼってました。
今年初ブログです。

今日は「カレーの日」なのですよ。
1982年(昭和57年)の1月22日に「学校給食設立35周年」を記念して、当時の文部省が後援し、全国の小中学生約800万人に「一斉カレー給食」が実地されてこれが記念日になったそうです。
しかし、全国の約300の市町村は「給食の管理化」として反対したそうな。まぁ、賛成するのも反対するのも、根拠は希薄ですね。

この頃の小中学生が好きな給食メニューのトップ5は、カレーライス、焼そば、ハンバーグ、スパゲッティ、カレーシチューだそうです。
以前の事務所のスタッフの一人は、この年に小学生だったというので聞いたのですが、覚えていないという答え。
うむ、たぶん君の学校は「給食の管理化」に反対していたのだろう!

とここまで書いて、この話は「カレー」なのか「給食」なのか、迷ってしまいました。
S&Bの調査によると、日本人は1年間に平均84回カレーを食べているそうな。
これが多いのか少ないのかは分かりませんが、確かに自宅で1食分のカレーを作るのではなく、多めに作ると何回かはカレーになってしまいますね。
でも、カレー商品(ルーやレトルトパック)の売り上げは減少している、というデータもあるのです。
カレーはある程度量を多く作り家族で食べる、というイメージがありますが、個食が進んでバラバラになると、皆でカレーを食べるというのではなくなるやもしれませんね。
それでも、カレーは日本人の国民食であることは確かですね。
あぁ、段々カレーが食べたくなってきたー!

風邪予防も兼ねて、カレーをは良く作り食べています。
個人的な思い込みですが、カレーは体を暖めて免疫力が強くなると信じております。
今やカレーは日本の国民食で、ハルコは「和食」と言っても良いと考えています。
今日はそのカレーにまつわるお話です。

以前、大阪に仕事で出張した時に、高麗橋のそばに宿泊した事があります。
ガイドブックを見ていると、近所に「少彦名(スクナヒコナ)神社」がありました。
ここの神社は谷崎潤一郎の『春琴抄』、菊田一夫の『がしんたれ』の舞台となった神社なのですが、別名「しんのうさん」と呼ばれているのです。
さっそく、早朝散歩に出かけました。
ビルの間にある本当に小さな神社ですが、朝から参拝の人が多く訪れていました。
ここは、日本の薬祖神である少彦名命(スクナヒコナノミコト)と、古代中国の農耕・医薬の皇帝・神農(しんのう)氏を祭神とするところから、地元では「しんのうさん」と呼ばれる薬の神様なのです。
このあたりは、江戸時代から350年間続く「薬屋の町」=道修町(どしょうまち)で、現在も、武田長兵衛商店=武田薬品をはじめ、日本を代表する製薬メーカーの本社が軒を連ねているのです。
そして、この当たりの漢方薬種問屋さんが、日本のカレーのルーツであり、ハウスやヱスビーなどを誕生させた「カレーの聖地」でもあるのです。

今日の掲載画像は、ハルコ作の「インドのスパイス料理から日本の国民食になるまでの道・カレー東奔西走」です。

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