2016年3月10日木曜日

平田勝さんのこと

ブログをずいぶんさぼってました、

3月9日に平田勝さんの訃報が届きました。
お具合はあまり良くなかったようですが、まだ、享年65歳とお若く残念です。
1988年に麻布に「クッチーナヒラタ」がオープンした週から1年で50回ほど通いました。
ハルコにとって料理の世界を導いてくださった方が幾人かおります。
これは、まだ料理の世界をよく知らない時に、教えていただいたということもありますが、より深く興味を持ちその世界に没頭したということです。

フランス料理は「ヴァンセーヌ」の酒井一之さん、日本料理は「分とく山」の野崎洋光さん、中国料理は「メゾン・ド・ユーロン」の鈴木訓さん、そして、イタリア料理が「クッチーナヒラタ」の平田勝さんなのです。
1988年というと昭和から平成に変わる前年で、この年に「日本イタリア協会」が設立されているのです。
1980年から東京のイタリアンシーンを見ると、平田さんがシェフを勤めていた「ラ・パタータ」がオープンし、以降「ジーノ」「グラナータ」「アル・ポルト」「リストランテ山崎」「トゥリオ」と現在に繫がる名店が誕生してイタリア料理ブームが起きた時代だったのです。
ハルコはイタリアの宗教美術に興味がありイタリアに行き始めた頃で、行くなら美味しいイタリア料理も食べてみたいと思い、「クッチーナヒラタ」に行くたびに平田さんから、イタリア料理のメニューの読み方や、食べ方を教わっていたのです。
ある時はパスタばかりを5種類コースにして食べさせてもらったり、ビフテッカ・アラ・フィオレンティーナを骨付きで3キロ焼いてもらったり、オーヴォリ(きのこ)を初めて食べさせてもらったのも平田さんの所でした。
そしてマダムの千恵子さんが、今日こんなワインがあるのよと「サッシカイヤってワイン知ってる?」と飲ませていただいたのが82年物で8千円ほどでしたが、今やこんな値段では飲む事は不可能ですね。
平田さんの凄いのは、多くの優秀な料理人を育てて輩出したことでもあります。
鈴木弥平さん、石川勉さん、岡村光晃さん、野田武十さん‥‥‥。
みなさん実力も人気のあるシェフ達です。

一度引退した後に広尾の「ちいさな台所ひらた」を開かれて、幾度か訪れました。
平田さんはお元気そうでしたが、マダムの方が身体が辛そうでした。
ハルコの「青唐辛子パスタ」好きのルーツは平田さんのパスタが原点なのです。
一時代を築いた名シェフ平田勝さんの意志は多くの後輩が繋ぐと思います。


心よりご冥福をお祈りします。
ハルコ

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