2015年8月14日金曜日

8月15日のすいとん


毎年815日になると思い出す味があります。
815日、終戦記念日(敗戦が正しいと思ってますが)と言えば、
「すいとん」なのです。

子どもの頃は、毎年815日にはすいとんを必ず食べさせられていたのです。

このすいとんが、本当にだしの味も無く小麦粉を練って入れただけのもので、何でこんな不味いものを食べさせられるのかと、苦痛な1日でした。

すいとんは「水団」とも言い、ひっつみ、はつと、とってなげ、なんて名前で室町時代から庶民の間で食されていたのですね。
それが戦時中には米の代用食として、薄い味の汁に薄いすいとんを入れて、増量出来る素材を加えて食べていたんですね。
その戦時中の苦しい時代を子どもに伝えるために、田舎のわが家では8月15日は「すいとんの日」だったのです。




母はもう43年も前に亡くなり父も昨年末に他界しましたが、父母とも昭和20年は二十歳で、父は福島から満州蒙古青年開拓団で大陸に渡り、満鉄で機関士を目指していまいしたが、現地徴用で兵隊さんへ。
そして、引き上げ船で帰国。
母は戦時下、岩手県の釜石(鵜住居村)で日本が初めて艦砲射撃を受けた時(製鉄所に)に、砲撃の激しい音と振動の中で震えていたそうです。
年代的に戦争の話は廻りに体験者が多く、身近な世界でしたが、その語り部も少なくなりました。
しかし、未だにすいとんは嫌いなハルコです。

写真は戦後まもなく、釜石を訪れたアメリカの進駐軍を慰労する会で舞台での記念撮影。
しかし、母親(前列左)が何をしたかは聞けませんでした。

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