2015年5月8日金曜日

鉄の町の子




連休後半のニュースで、明治日本の産業革命遺産に多くの
製鉄、炭坑、造船などがユネスコへ登録されるようですね。
その中で岩手県の釜石市にある橋野高炉跡も入ったのはご存知だと思います。
昨年から何度か釜石へ幾つ度に、町には「橋野高炉跡を世界遺産に!」
と看板やポスターが張られてました。
内心大丈夫かなぁと、心配していましたが、うれしい限りです。

橋野高炉跡は、幕末に欧米のような鉄製の大砲を作ろうと、佐賀藩を先駆けとして日本各地に反射炉が作られていたのです。
しかし、日本古来からの「たたら製鉄」法により砂鉄を原料として作られた大砲では、性能の優れた欧米の大砲には太刀打ちできなかったのです。

話すと長くなるので端折りますが、盛岡藩士の大島高任(おおしまたかとう)は、大砲の素材には良質な鉄鉱石を原料とした銑鉄が必要と考え、盛岡藩大槌通甲子村大橋(現岩手県釜石市甲子町大橋)に洋式高炉を建設し、安政4年12月1日(1858年1月15日)、日本初の連続出銑に成功したのです。

釜石地域では明治初期までに7か所13基の高炉が建設されましたが、橋野は当時国内最大の鉄鉱山だったのです。
 1957(昭和32)年6月3日には、我が国に現存する最古の洋式高炉跡として、国史跡に指定されています。
今回は産業の世界遺産に認定されれば、東日本大震災の復興の一助になると期待してます。

小学校の遠足の場所が「橋野高炉跡」だったことがあります。
まぁ、子ども自分なので、草がボウボウで、何やら石積みの跡を見せられて何が面白いのかはその頃は理解できませんでしたね。

鉄の町の子として生まれ育ち、親や親戚や友達の親達も製鉄所の仕事をしている地域だったので、鉄は幼い頃から身の回りにありました。
いまだに、調理道具で包丁などの鉄製品にも関わってますが、地元の金属加工の支援もしたいと考えてます。

やはりハルコは「鉄の町の子」ですね。

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