2014年11月28日金曜日

和菓子と麦飯


月末でバタバタですね。今年もあと1ヶ月! ふぅ~。

現在幾つかのレシピ本を同時進行で制作中です。
そのひとつが麦飯を中心にしたレシピ本ですが、1882年(明治15年)の11月29日は、その当時の海軍省医務局副長・高木兼寛が明治天皇に「麦食推進」の意見を上奏した日なのです。
高木兼寛はその当時国民病だった「脚気」を防ぐ方法として「麦」に着目したのです。
まだその当時は、脚気はビタミン不足から生じる、という研究も無い時代の話です。
その後高木は男爵になり、国民から「麦飯男爵」と慕われました。
高木は現在の慈恵医大病院を設立したのですが、現在制作中のレシピ本は、その慈恵医大から来年の1月に刊行>されます。

もうひとつ、先月から和菓子の撮影をしていますが、今日から土日を入れて3日間和菓子の撮影です。
こちらはまだ12月にも撮影が残っており、発刊は来年の3月頃でしょうか。

和菓子も麦飯も日本では古くからあるものですが、現在の視点で捉えると新鮮に感じますね。

2014年11月27日木曜日

みそFBオーブンしました。

昨日は大変寒い1日でしたが、その前の連休中日の暖かい日につい薄着で外出し、まんまと風邪を引いてしまったハルコです。本当に油断していたのですね。
事務所の近所の青山通りに国連大学本部があり、休日にファーマーズマーケットが出ていたので、ちょっと冷やかしに行きビールを飲んでいたら、鼻水が出て来て、「?」と思ったのですが時すでに遅く、風邪っぴきになりました。
このところ寒暖の差が激しいので、皆様もご用心ください。


さて、前に告知していた「みそFB」を昨日オープンしました。
おかげさまで1時間もしない内に「100いいね」が集まりました。
今後も、醗酵食品としても素晴らしい「みそ」の世界を発信していきます。
皆様、どうぞご支援をお願いいたします。

みそ健康づくり委員会FBページ

2014年11月21日金曜日

再びバター問題

今朝NHKの「あさイチ」を見ていたら、手作りのバターの作り方を紹介していました。またバターが高騰して、スーパーなどでも品薄で大変だ、ということはハルコも何回かブログで書いています。
番組で紹介していた作り方は、ペットボトルに牛乳(乳脂肪分のあるもの)やヨーグルトを入れて、10分以上ひたすら振り続けるのです。
これは大変な労力で、フードプロセッサーでも簡単に出来ますね。
遠心分離の理屈で、牛乳の脂肪分と水分(ホエー)に分離するだけで、バター作りの原理はそんなに難しいものではありません。


月曜日に釜石で企業の支援相談のアドバイスをしたのですが、その中に洋菓子店があり、やはりバターの話になりました。
年末のケーキ需要の繁忙期に、バターの割当が相当大変だという話を聞きました。
昨年の実績の、大体7〜8割がバターの数量だそうです。
これだとケーキも減産しないとならなくなり、さらにこのバターの品薄が来年まで続くと、同じく今年の実積の割り当てから、7〜8割減らされるというのです。
これは死活問題ですが、かと言ってマーガリンはトランス脂肪酸の問題もあるし、バターとマーガリンの混合(コンパウンドマーガリン)は、比率によってはバターよりも高いのだそうです。

何でもかんでも無闇にバターに依存するものも限界、という話をして、バターを使用しないスイーツ作りにもトライしてもらうことにしました。
以前小麦粉が高騰した時には米粉を使用した物が出てきて、米粉はそれなりに一般市民権を得たと思います。
これからは多面的に考えれらる人が生き残ると思うのです。

2014年11月20日木曜日

仮設食堂


釜石市の鵜住居湾

短い岩手出張から帰ってきました。
今回はこの数ヶ月に渡り、釜石市の加工メーカーや飲食店のコンテストに出展した方々のその後の支援事業のひとつで訪れたのでした。

その中で、飲食部門でコンテスト1位になった「ごはんやなごみ」の三浦さんの所に行きました。場所は釜石市の鵜住居(うのすまい)地区ですが、ここは大多数の家が津波で流された場所なのです。
ハルコの母親の生家のあった土地でもあり、叔母と従兄弟も犠牲になっており、親戚も多数仮設住宅に入居してます。
「ごはんやなごみ」さんも被害に遭われて、海岸から遠い場所の仮設商店として営業しているのですが、経営はなかなか厳しい状況です。
当初は仮設に住居している方々の食堂というスタートでしたが、長い仮設暮らしで生活費を切り詰めるため、安い定食とは言っても家族で来るとなると出費は大きいのです。
美味しい新鮮な帆立が自慢の店ですが、観光客が来るような場所でもなく、地元の方々や復興工事関係者が顧客です。
現在も少し注文でお弁当作りをしているそうですが、やはりなかなか来てもらえないので、こちらからの売り込みが必要だと結論付けましたが、高齢の三浦さんがどのくらいまでがんばれるか。

衆議院が解散選挙になりましたが、まもなく4年を迎える東日本大震災の被災地の片隅にも目配りをして欲しいものです。

2014年11月14日金曜日

昆布


11月15日は「昆布の日」です。
これは、1982年に日本昆布協会が「七五三」の祝いに昆布を食べて元気になって欲しい、と願いをかけて制定したものです。また、この時期はその年に収穫された昆布が、新米や新酒と同じように市場に出回り始めます。

一口に昆布と言っても、日本全体では昆布の消費に随分と差があります。
消費量が最大の県は年間一人当たり847gの富山県で、次いで岩手、高知、山形、青森、福井の順です。
富山が多いのは、江戸時代に昆布を蝦夷(北海道)から大阪に運んで来た北前船の中継地で、大量に昆布が富山に運び込まれていたせいですね。
昆布の食文化と言うと京都や大阪のイメージですが、意外に低く京都17位、大阪27位です。家庭でもじゃんじゃん昆布を使うと思ったのですが、そうでもないのですね。

昆布が採れず産地からも一番遠い沖縄は昆布の消費量が全国で13位と上位で、昆布を使った料理がたくさんあることで有名ですが、これは富山が関係しているのです。
富山と言えば薬売りが有名ですね。その薬売りが西まで販路を広げて薩摩まで商売に行っていますが、その頃沖縄(琉球)は薩摩に支配されており、琉球は中国からの漢方薬の輸入の中継地だっのです。
北前船は琉球に昆布を運び、帰りには漢方薬を持ち帰る、という仕組みでした。
しかし同じ昆布でも、ハルコの故郷岩手は消費量が第2位ですが、だしとしての認識は薄いですね。昆布巻きなど食べものという印象でした。

自分自身で昆布をだしとして使い始めたのは20年程前です。
それもオクサマが昆布の取材で大量にいただき、そのまま放置していたのですが、ある時に昆布でだしを取ってみたら、凄く旨くてびっくりしたのが最初です。
その後、昆布だしに興味が出てきて、日本料理屋さんの食べ歩きから、やがて分とく山の野崎洋光さんと、昆布と鰹節に熱湯を入れて1分でだしが取れる「だしポット」を開発したり、大阪の松前屋で「昆布の水塩」の開発をし、おまけに顧問にまでなったりと、昆布には縁が深いのです。

来週は岩手出張のため、ブログは小休止です。
FBからは毎日発信しております。
ハルコのfacebook

2014年11月12日水曜日

フルーツEXPO

秋は果物の収穫時期ですが、今は1年中世界の果物や保存技術の発達で季節外れの果物もありますね。
このところ、我が家では毎朝が食卓に出ています。
いただきもので、そのまま食べたり生ハムと合わせていますが、やはりこのシーズンじゃないと食べられませんね。

食材の流行も繰り返しありますが、野菜が健康面で注目を浴びると、その反動かどうかはわかりませんが、今度は肉が注目されはじめましたね。
ただ以前と違うのは、さしが入った霜降り肉よりは、赤身のヘルシーなものや熟成したもの、と嗜好の変化は大きいです。


今、ハルコは果物に関心があります。
何でも甘みが強いものが主流になるかと思えば、今度は逆に甘みが少なく酸味の強いものが稀少になり、逆に求められたりしています。
今日はビックサイトでフルーツEXPOを見学して勉強します。

2014年11月11日火曜日

上海蟹到来!

昨日は今季初めての上海蟹を神保町の「新世界菜館」で堪能しました。
以下はハルコが中国で上海蟹を食べに行った時の再録です。


上海に上海蟹を食べに行ったのは年末でした。上海から蘇州の太湖方面へのツアーに参加したのです。この年は30数年ぶりの大寒波とやらで、普段は積雪の少ない地方ですが雪は降るは寒さも凄く、往生してしまいした。道路の方々でスリップした車があっちこちに転倒してました。

上海蟹は正確には「中国藻屑蟹」と呼ぶそうで、以前は「支那藻屑蟹」とも言われていました。淡水棲なので中国では「河蟹」や「清水蟹」とも呼ばれていますが、養殖の場所を見学すると、清水より泥水ですね。
上海で毎日料理を食べていると、水のせいか段々お腹が緩くなります。ハルコは淡水や田で養殖されている魚介類には、ちょっと弱いようです。

とても寒かったのですが、料理店へ行くと客が入った段階で暖房を入れるので、中々効かないのです。やっと暖房が効いて来た頃には、食事は終わり出て行く、という感じでフル厚着で食事をしていました。
また、紹興酒は普段から常温で飲んでいるので常温で頼むと、な…なんと! キンキンに冷えていました。
これは思わず笑ってしまいました。主義を変えて熱燗に!

まず、上海蟹自体は体を冷やすので、生姜や紹興酒と組み合わせて食べますが、中々体が温まらずに難儀しました(どうも、良い印象がないなぁ)。
まぁ、逆に思い出深い上海蟹探訪でした。

2014年11月10日月曜日

みそのFB、近日開店!

大分朝晩は寒くなってきましたね。温かな鍋ものや汁物が恋しい季節です。
そんな時に味付けには「みそ」をお使いになる方々も多いでしょう。
みそ汁、豚汁、みそ田楽、みそ漬け、みそ煮込みうどん、みそ鍋……と、みそを使った料理もたくさんありますね。
ところが、みそは塩分が多いというイメージで敬遠されがちですが、これは大きな誤解なのです。最近の色々な機関の研究でも、みその塩分は正しく使うと、免疫力を高めるというデータもあります。

このところ醗酵食品ブームですが、みそは発酵食品としてもベーシックな存在です。
今年の6月30日から試験的に「みそ健康づくり委員会」というFBグループを発信してきました。全国味噌工業協同組合連合会(なんだか固い名称ですが)の全国8ブロック・48組合(参加企業958社)も参加しています。
今月近々に全面オープンにしますので、ご覧になった方はぜひ「いいね」をポチしてご参加お願いたします。

2014年11月7日金曜日

TERIYAKI


 昨夜、11月6日に「TERIYAKI1周年&『ばかウマ』出版記念イベント」に参加しました。ハルコは後期メンバーからの参加で、残念ながら本には関わっておりません。

「TERIYAKI」は、堀江貴文さんプロデュースの、旨い店がわかるグルメアプリです。さまざまなジャンルの著名人がお勧めの店を紹介しています。
ハルコも参加しております。
なかなかこの手で利益を上げることは難しいとは思いますが、やはり情報発信としては重要ですね。
しかし、このところイベントやら地方での撮影等で投稿発信していませんでしたが、やっと少し時間が取れそうなので、書き溜めしようと思います。
みなさんも、TERIYAKIをよろしくお願いします。

旨い店が分かるグルメアプリ【テリヤキ】
http://teriyaki.me/

2014年11月6日木曜日

カスレ

以前、伊勢丹のキッチンステージで、ブラジル料理を提供しました。
そのメニューの中に、ブラジルの国民食と呼ばれる「フェジョアーダ」という料理があります。
「完全なフェジョアーダ」という意味のフェジョアーダ・コンプレタ(feijoada completa)とも称され、黒いフェイジャオン(隠元豆)と豚の脂身、豚や牛の干し肉または燻製肉、リングイッサという生ソーセージ、豚の耳や鼻、足、尾、皮などを、ニンニクと岩塩の塩味でじっくり煮込んだ料理です。
この料理をブラジル大使公邸で撮影していた時に、どこかで見たような料理だと思いました。豆と色々な肉やソーセージを煮込んだもの……「そうだ、カスレだ!」

カスレ(cassoulet)フランス南西部の豆料理で、やはり豚肉ソーセージや羊肉、ガチョウ肉、アヒル肉等と白インゲンマメを、料理の名前の由来にもなったカソール(cassole)と呼ばれる深い土鍋に入れ、長時間煮込んで作る豆のシチュー(キャセロール)なのですが、スペインやポルトガル(当然ブラジルはポルトガルから)、イタリアなどでも昔からありますね。


これも以前の話ですが、パリの5区にある「ラ・トリュフィエール(La Truffiere)に、パリで働いている修行中の料理人達と食べに行ったのです。
ムスタール街近くのトリュフが売りの店で、トリュフ料理を中心に頼み、メインに「カスレ」にしたのですが、まぁ、量が多い多い!
鍋からてんこ盛りに、これでもか!と乗っけて、少しでも皿に隙間が出来ると、更に盛ってくるのです。
「カスレのわんこそば状態や!」

その時に思ったのは、これは肉類の味を豆に移した料理なのだということです。
カスレは随分食べましたが、ここのカスレに比較出来る味には出会っていません。
今なら他の料理は食べず、カスレだけにするでしょう。

2014年11月5日水曜日

麦飯


こんな話をすると、ハルコはいったいいつの時代の人なの?と聞かれそうですが、「救荒食物」という言葉はご存知でしょうか?

これは、天候不順で作物が育たず飢饉になると、過酷な条件でも作物の生育が可能な物を代替とすることですが、日本の場合は、主食としての「米」があるからですね。
その代替作物は時代でも変わりますが、栗、稗、麦、蕎麦、黍の雑穀(本来は麦は主穀)から、海藻類等広範囲に渡ります。
以前話題になった昆虫類もある意味で救荒食ですね。

話は変わりますが、昨日11月4日は平民宰相と呼ばれた原敬が、東京駅で刺殺された日だったのです(1920年の出来事です)。
原敬は、前年に米不足を解消するために、米に麦を混ぜて食べることを奨励したのですが、第1次世界大戦で後の世界恐慌で、米価が下落して麦飯推進は後退したのです。

そんな麦ですが、現在この麦を中心にしたレシピ本を制作中なのです。
明治期に国民病とまで言われた「脚気」を麦飯で克服し、後に「麦飯男爵」と呼ばれた高木兼寛が創立した東京慈恵医大病院から、来年1月に発刊予定です。

2014年11月4日火曜日

一区切り

今年は何だか3連休が多いような気がしますが、どうでしょうか?
このところ、大阪で3連休を利用して撮影したり、3連休に伊勢丹や岩手関連のイベントセミナーがあったりと、ず~っと3連休は何かの仕事でちゃんと休んでいませんね。
この3連休も初日は上野の東博で国宝展を観ましたが、翌日月は伊勢丹のセミナーで立ち会いで休んではいませんね。


この3連休で長いプロジェクトは「一区切り」つきましたが、今月も月末を利用して撮影はあるし……と愚痴を言っていたら、「休もうと思えばいつでも休めるでしょう」と言われてしまいました。
まぁ、そうなんですけどね。
フリーになって独立して、自分で仕事をしだした頃からですが、自分に律していたことがあります。
それは、ちゃんと曜日を意識して規則正しい生活を心がけることでした。
確かに、勤め人ではないので自分で時間をやりくりすることは可能ですが、仕事は相手があることで、先方の予定に合わせることでもあるのです。

現在事務所は土日・祝日は休みですが、以前は忙しい時は、金曜日の夕方にデザイン用の原稿を持って来て、「これ、月曜の朝までにね。」と言って自分は呑みに行く、という編集者もおりました。
そんな生活を40年近くしておりましたが、そろそろ色々な意味で「一区切り」つける時が来たのかもしれませんね。