2014年6月30日月曜日

干物好き

6月も強が最終日ですね。何だか今月はあっという間に終わってしまいました。
土日は久しぶりにお休みしていましたが、昨日の夕方の雷雨・大雨はすごかったですね。日本も熱帯気候になったのでしょうか。


さて、昨晩はのんびり自宅で晩ご飯でしたが、頂き物の干物が早速食卓へ登場です。
3種類いただいたのですが、まず鯖の味醂干しをいただきました。
ほこほこしていて中もジュシーで、ほどよく脂ものって酒にもご飯にもよく合います。
大きい声では言えないのですが、ハルコは実は、魚は鮮魚より干物の方が好きなのです。
三陸育ちで新鮮な魚介に溢れている場所で育ったわりには、鮮魚は苦手なんです。
子供の頃は鮮魚よりも干物、特に「さんまの味醂干し」が大好物でした。
長じて酒を嗜むようになり、30歳過ぎた頃から生魚、焼き魚、煮魚も大丈夫になりました。恵比寿にあった「あ・た・ごおる」(現在五反田のヌキテパ)の田辺年男シェフとの出会いから、魚好きになったのです。
田辺さんはご存知の方も多いと思いますが、フレンチで魚を扱わせたら右に出るものはいないという料理人ですね。
そんな田辺さんも「子供の頃は魚が嫌いだった」と、本人がおっしゃっていました。
今度仕事で小田原方面へ行くので、帰りに干物を買って帰ろう!

2014年6月27日金曜日

特別な1日だけのレストラン

携帯も無い、ネットも無い、食べログも無い、グルメガイドも無い。
そんな無い無い尽くしの時代の記憶を思い起こすのは難しいものです。
外の雨を観ながら、記憶は30年前に遡っていました。

時代はやっと街場にフランス料理店がぽつぽつ現れた頃、そんな中で高田馬場に「K」というイタリアンレストランがありました。
まだイタリア料理自体が珍しく、たまに通っていたのです。
ある日曜日、映画を観に行く前にこの「K」でランチをいただきました。
その日はいつもいる店長に替わり、初めてのホールスタッフが一人だけいたのです。昼にもかかわらず、他の客はおりませんでした。
食べたものはほとんど覚えていません。おそらく前菜とパスタに何かメインを頼んだのでしょう。ワインも少し飲んでいるはずです。

食後に、その1日しかいないホールの彼が「エップレッソ(この時代は珍しい)にサンブーカを入れましょうか?」と尋ねてきました。
「エスプレッソ・コン・サンブーカ」との初めての出会いでした。
エップレッソの香りに甘いサンブーカが重なり、午後のけだるさで気持ちが良くなりました。ハルコはすっかりサンブーカが気に入り、お替わりをしたようです。
店を出て、新宿の映画館でウディ・アレンの『カメレオンマン』のモノクロームの画面を、サンブーカの残り香を感じながら半覚半眠で観たのは夢の中のようでした。

その後、その日だけいたホールスタッフは二度と現れず、店も無くなりました。
人生で1回現れた、バッカス神の遣いだったのでしょうか。
記憶の中にある1日だけの特別なレストラン。

2014年6月26日木曜日

スプレーする調味料

2日間釜石へ出張して参りました。
今月は1週おきに釜石へ行っていたのですが、津波の被害を受けた市街地も1週間の間に随分変化がありました。
鉄筋コンクリートの建造物は、被害を受けたままアチコチに放置されていたのですが、その解体工事が始まっているのです。さらに建物が出来て、仮設で商売している方々が元の場所に戻るまでは、随分時間がかかると思います。
また、来月からも毎月釜石を訪問しますが、街の復興が少しずつでも見られるのは嬉しいものです。


今朝のNHKの「あさイチ」で、醤油をスプレー容器に詰め替えてスプレーすることで、減塩になり健康にも良いという特集をしていました。
以前から調味料を霧状にする方法は知られていましたが、NHKが放送したことで全国区になったという事ですね。
ハルコが顧問をしている大阪の松前屋の「昆布の水塩」は、そんな商品の先駆けです。5年前から「アトマイズ方式」で調味料を噴霧することで減塩効果がある、と高い評価を得てました。
松前屋はいち早く、減塩効果が高い「昆布の水塩」を、病院関係にも販路を拡大しようと試みてます。
古いと思われているものを、現在の市場に合わせて活用する。
これからのハルコのひとつのテーマです。

2014年6月23日月曜日

野﨑洋光さんのこと

先週はドンチッヨの石川勉さんのことを書きましたが、今日は分とく山の野﨑洋光さんのことです。
ちょうど土曜日は、朝から分とく山で野﨑さんと撮影の初日だったのです。
秋に発売予定のレシピ本ですが、まだ中身は言えません。


最初に野﨑さんにお会いしたのは何時だったのでしょうか。
逆算していくと、2004年に現在の南麻布の「分とく山」、1989年に西麻布の「分とく山」、その前の西麻布「とく山」が1980年。
客としては最初に「とく山」に出入りしていた頃(他のお客はエラい人ばかりで、端っこにいました)、野﨑さんもハルコも20代から30代でした。
そうすると、大体30年くらいの付き合いということでしょうか。
本当に長い付き合いです。

ハルコの料理の師匠は2人いるのですが、一人はフランス料理の酒井一之さん。
酒井さんがフランスから日本に帰国して、渋谷に「ヴァンセーヌ」を開店した年なので、33年ほど前でしょうか。
酒井さんはハルコに「料理の美味しさを教えてくれた師匠」で、酒井さんと知り合ってから、食べ歩きを始めたと言っても過言ではありません。
食後にカルヴァドスを飲みながら、酒井さんのヨーロッパの修業時代の話を聞くのが、フランスまで食べ歩きに行く推進エネルギーになったのです。

そして野﨑さんはハルコにとって「料理そのものに対する師匠」なのです。
野﨑さんはよく、食べている時に「今、食べている食材は何か判りますか?」と質問をします。昔はほとんど正解できませんでした。
それに答えようとして、少しは料理の勉強をするようになりました。自ら野﨑さんへ弟子扱いにしてもらった「押しかけ弟子」なのです。
師匠の教えを守り、だしを引き、和食に邁進したのです(あくまで家庭料理ですが)。
その過程で野崎さんと「だしポット」を開発し、ロングセラー商品が出来たことは弟子冥利に尽きます。
野﨑さんは日本で一番料理本を出した料理人ですが、その仲間に加えてもらいます。

明日から岩手出張で、しばしブログはお休みです。
近況は随時FBで発信しております。
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2014年6月20日金曜日

ドンチッチョの事

長く長く地道な本作りで、平行していた2冊のうちの最後の一冊が昨晩校了しました。
土日も深夜残業と、この所ちゃんとした食事をとっていなかったのですが、夜の10時半にドンチッチョに滑り込みました。
本当に久しぶりで、自宅へ帰りついたのは、もう午前2時!


ドンチッチョの石川勉さんとは思えば長い付き合いで、一番最初は麻布の「クッチーナ・ヒラタ」時代でした。確か25年ほど前に「クッチーナ・ヒラタ」がオープンした頃で、石川さんは当時は最年少でした。その時に岩手出身と聞い親近感を覚えたのです。
その頃「クッチーナ・ヒラタ」にはほぼ毎週食べに行き、年間50回は通ったものです。
ただスタッフが頻繁に変わるので、「あの、石川さんは?」と聞くと、先週辞めて恵比寿の「イル・ボッカローネ」に移ったのだと聞きました。
その当時の「イル・ボッカローネ」と言えば、大人気で評判の店でしたね。
イタリアにもないイタリア以上のリストランテで、スタッフが入口で「ボナセーラ」と出迎えてくれるような店だったのです。
そこでイル・ボッカローネに行って聞くと、3日前に天現寺の「ペーパームーン」に移ったというので、そこからまた天現寺に行くと、辞めたというではありませんか!
こうなるとまるで、粘り強く犯人を追う刑事のような気分です。

その後石川さんが、平田夫妻が経営する表参道の「ダ・トマゾ」のシェフになったと聞いて「ダ・トマゾ」に行きました。
そこから、星条旗通りの「ベンジィーナ」のシェフを経て、イタリアへ修行へ行き、帰国後に外苑「トンマジーノ」から、現在の青学西門「ドンチッチョ」へと、親戚の様な付き合いが続いています。
今年の10月で「ドンチッヨ」も8周年。
石川勉さんと岩手のこともしたいし、これからもよろしくお願いしますね。

2014年6月19日木曜日

生活習慣病統一基準指針

今日のハルコブログは、ちょっと真面目で堅い内容です。
現在では「生活習慣病」という名称は一般化していますが、その昔は「成人病」と呼ばれていたのはご存知のことと思います。
1957年の「第一回成人病予防対策協議連絡会」において、成人病という言葉が初めて公に用いられました。しかし成人病の発症の原因は、加齢だけではなく生活習慣が深く関与していることが判ってきたのです。
さらに、「成人病」という言葉は英語で「adulthood disease」となり、海外では一般的に「性病」を表すことになり誤解を生むということ、成人病を防ぐには生活習慣の認識と改善が必要ということから、1996年以降は「成人病」を「生活習慣病」と名称変更して呼ぶようになったのです。
確かに18年以前は、雑誌や書籍の制作では「成人病」という名称を使っておりました。
がんや脳血管疾患、高血圧など、若いうちから生活習慣に気をつけることで予防が可能な疾病に関して、国民に広く理解してもらうための「キャッチフレーズ」が必要となり、「生活習慣病」という言葉が生まれたのです。
疾病構造が、感染症から生活習慣病(高血圧、脳卒中、糖尿病、心臓病など)に移行して行く過程で、これまで3度、10年毎に国民の健康増進に関する対策(国民健康づくり対策)が行われてきたのですが、もう20年近くになるのですね。


さて、ここからは昨日のニュース「日経プラス10」からのの引用です。
日本内科学会など10の学会が来年4月をめどに脳梗塞などの
生活習慣病について共通の治療指針を作ると決めた。
対象となる病気は、脳梗塞・脳出血・心筋梗塞・狭心症となる見込み。
現在診断の基準となる血圧や血糖値など基準値や治療の進め方を統一する。
統一指針の作成は、かかりつけの医師でも判断しやすく、迅速な診断につなげる狙い。
「LDL(悪玉)コレステロールの治療目標」は

脳卒中学会、動脈硬化学会、糖尿病学会でそれぞれ異なる。
統一されれば生活者がセルフコントロールするなかで非常に分かりやすくなる。
町医者は、風邪、インフルエンザ、うつ病、終末医療といったかたちで

多様な患者に接している。
町医者にとっても基準が統一されるのは診療がしやすくなる。
今回は、医師向けの治療指針も見直すことになる。
日本の国民医療は年間で1兆円単位ずつ増えている。
政府は、開業医に家庭医、かかりつけ医としての役割を担ってもらって

軽症の患者がいきなり大きな病院に来ることを改善したいと考えている。
それを通じて医療費の効率化を図りたいと考えている。


2ヶ月事に通院して色々な検査をを受けている、生活習慣病で一杯のハルコですが、先日も長年の主治医の先生からこの基準の話を聞きましたが、それぞれの専門分野でガイドラインはあるけれど、それは個々の医師の判断のようです。
検査の結果は数値で出てきますが、その幅によって投薬の種類も変わります。
その辺を納得できる形で知りたいですね。
さらにこの統一基準が出来ると、それまでの医療用等での書籍や関連本も改訂したりする必要があります。
個人的には、かなり気になるニュースでした。

2014年6月18日水曜日

レモン水


暑くなると、冷たくて清涼感のある飲み物が欲しくなりますね。
手元の資料を読んでいたら、1877年の6月18日に「岸田吟香が『東京日日新聞』にレモン水の広告を掲載」とありました。
1877年は明治10年で、この年の2月には西郷隆盛の「西南の役」が勃発したのです。

この岸田吟香は大変面白い人で、ジャーナリストや実業家と多方面に活躍していました。ちなみに息子は洋画家の岸田劉生です。
私たちがローマ字を書く時には“ヘボン式”という表記法がありすね。このヘボン氏が『和英語林集成』の編集をするのを、岸田吟香さんが手伝っていたのです。
その辞典が上海で完成(印刷)して、吟香はヘボン氏から製法を伝授された目薬「精錡水」の販売を始めたのです。
そして、1973年に冒頭の『東京日日新聞』に主筆として迎えられ、ジャーナリストとしても活躍するのですが、自分の「精錡水」を誌面で広告したりと、新聞広告の商業活用の初期に成功させた人なのです。

その吟香の広告はレモン水の広告で、
「私方にて精製のレモン水は此れまで世間にありふれた粗品にあらず、
 専ら西洋の法に従がひ味の清涼甘味なることは申すに及ばす、
 養生の為を第一としたる良品なり(以下略)」

これで大瓶五合五勺入りで代金35銭、小瓶は20銭で、コップ一杯の水に少し入れて飲むそうです。今の貨幣に換算すると、大瓶は大体3000円、小瓶1800円。いわば濃縮レモン液ですね。
今売っているレモン液(例えばポッカレモン)は450mlで500円。
そう考えると、明治10年のレモン水は高価だったのですね。

レモン水はレモンと水、レモネードはレモンと水に甘味(蜂蜜やシロップ、砂糖)を加えて作りますが、このレモン水を甘くしたかどうかは判りませんでした。
ちなみに明治元年にはレモネードの製造は開始されてます。
あぁ、喉が渇いた!

2014年6月17日火曜日

らっきょう


今朝NHKの「あさイチ」を観ていたら、“らっきょう”の特集をしていました。
らっきょうって、主役という柄ではありませんね。
カレーを食べる時も福神漬けの脇にあって、まず福神漬けに名前負けしていますね。

漢字で書くと「薤」「辣韮」で、何だか攻撃的な印象です。
まず、“辣”という字は辛そうで刺激があります。
確かにらっきょうは中国原産で、平安時代に日本へ渡来し、「於保美良(おおみら)」の名前で薬用として使われていたそうです。
らっきょう独特の強い匂いと辛みは、ニンニクやニラと同じアリル硫化物と呼ばれる成分なので、効能としては便秘解消や血液をサラサラにするのに良いのだそうです。
また豚肉とも相性がよく、ビタミンB1の吸収を高めるそうです。
つまり、ポークカレーにはらっきょうを付けて食べると、疲労回復にバツグンということですね。

まぁ、ハルコ的は焼酎の当てにらっきょうをポリポリ食べるのが好きなんですが、しかしと言うか、やはりと言うか、らっきょうって本当に地味ですね。

※写真写真素材データベースさんよりお借りしました。

2014年6月16日月曜日

おいしい釜石


先週後半は岩手県釜石市へ出張していたため、ブログはお休みしておりました。
また来週の前半にも釜石へ行きます。
今年の後半のスケジュールでは、ほぼ毎月岩手に行くのですが、月によっては2~3回行く予定もあります。

今回は4つの用件で出張しましたが、メインは「おいしい釜石コレクション~夏」というイベント絡みの相談だったのです。
釜石の食ブランドを開発・発信するために、市内の飲食関係者に募集をお願いして、コンテストを行い、8月9日の「釜石よいさ」(祭)に発表会を行いないます。
これは昨年度も行われたイベントで、今年の冬にもコンテストを開催します。

釜石を離れて40年ですが、震災後にこの様な形でなんらかの貢献が出来る事はありがたいと思う気持ちで一杯です。
しかし、ハルコが審査委員長という事が一番の心配です。

2014年6月10日火曜日

その名は、文化!?

この仕事(いったい何?)を始めた頃に、よくベテラン編集者の人に連れられて飲みに行っていた時の話です。
たいてい昔の編集者は、酔うと説教を始めます。
「編集の編(旧字)は、車に口に耳から成り立っているんだから、足で歩いて、聴いて、話すのが基本だ!」と、新宿ゴールデン街などで水割りを飲みながら、イヤイヤ拝聴したのです。何せ、同じ事を何度もいうので、耳タコなのです。
同じ様に「文化を英語で言うと“culture”になり、これは“耕す”を意味するラテン語“colere”から来ているんだ!さらに「だから、文化を出版する人間は“心を耕さないと”いけないんだ」と複数の方から、たいてい酒を飲んでいる時に拝聴したのです。
今思えば、牧歌的で懐かしい時代ですね。携帯もネットもないアナログな昭和です。


さてその文化ですが、頭に「文化」が付く時でも「文化勲章」「文化干し」では随分違います。
付くべき所に付く「文化」と、何故付くのかわからないという「文化」がありますね。
前出の「文化干し」は、1950年に東京仙印商店が「文化干し」という名所の干物を発売して人気になったそうなのです。
魚の干物を、まだ発泡スチロールのトレイも真空パックも無い時代に、セロハンで包んだところオシャレな感じだったので「文化」を冠したとか。
その後に水産加工業界が「冷風乾燥」したものを「文化干し」としたのですが、まぁ逆ですね。
この「文化干し」の後にも、文化住宅、文化包丁、文化鍋、文化○○……と、沢山出て来ました。その中でも「文化人」と意味不明な物が排出されていますね。

その「文化」も、長い漢字文化の中で生まれてきたものだとハルコは思っているのですが、最近、韓国や中国との関係が良くない事の意味を考えていました。
元々、中国の漢字圏文化として、微妙にズレている文化を共有している訳ですが、韓国の場合は漢字を捨て去った時から、もう引き返せない所まで来てしまったのではないのでしょうか。
文化の継承は過去の歴史を遡ることですが、ハングルだけだと過去の歴史の大元に辿りつけないのです。その大きな原因は、漢字文化を捨てたことにあります。
日本は明治維新後に海外の書物を“翻訳”してそれを書物という形で広めました。その中には現在私たちが使用している“新しい造語としての漢字”があるのです。これが、本当の文化遺産で継承なのだと思います。

韓国は日本が併合していた時期の「日本の造語の漢字」をそのままハングルに置き換えてしまい、その元々の意味すら不明になってしまうのです。
中国の「簡体字」も同様に、非常に記号化されていて本来の表意文字が表音文字になってきていますが、ハングル程ではありません。
もし日本語がハングル(発音記号)的なものとは別にして、ひらがな表記だけになったら本なんか読めませんね。

明日から金曜まで岩手へ 出張のため、ブログはお休みします。
来週からまたよろしくお願いします。

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2014年6月9日月曜日

再びカレーの効用

日本では今年の始めはかなり寒い日が続き、大雪も随分降りましたね。
えっ、もう忘れたですって?
連日蒸し暑いのに、半年前のことなんか覚えてませんよね。


1月は風邪予防のために、2~3日ごとにカレーを食べていたのですが、5月に入って何だか色々な締め切りが重なり、晩ご飯が深夜に及ぶ日が続きました。
オクサマに至っては、夜、頻繁に足がツる現象が続いたりと、かなり疲れております。

そんな中、深夜まで営業しているインドカレーの店で食事をしたのですが、その晩はオクサマも体がホカホカで、足もツりませんでした。
ハルコも朝まで、胃袋を中心に体が温かくなり、一晩中代謝が良い感じでした。
改めて、カレーのスパイスの持つ免疫効果はすごい!と思いましたね。
香辛料の効いたインドや東南アジア発祥のカレーの、体に対しての効能を実感した次第です。

これから暑くなるにつれて、カレーなど香辛料の効いた食べ物は代謝も上がるのはもちろんですが、殺菌効果による胃の整腸作用もあります。
適度な辛みのもので充分なので、やはり週1イチはカレーにしようと思いました。
ちなみに今日の昼はグリル満天星で、カツカレーをいただいたハルコでした。

2014年6月6日金曜日

代用食


※黒ハルコはハルコの“代用品”ではありません!


梅雨に入り雨続きで鬱陶しいですね。
今日のテーマは「代用食」です。1919年6月6日の今日に、石川陸軍少将という方が岡山市で代用食の講話をした日なのです。
政府は高騰する米価を押さえるため代用食運動を推進し、各地で政府主導の講習会などを実施しました。
代用食は玄米粉、メリケン粉、馬鈴薯を混和し、水で練り植物脂肪を塗布して団子形に切って焼いたものなどがあります。
以前放送していたNHKの朝の連ドラ「ごちそうさん」でも、主人公の“め以子”が大阪で戦時中に代用食のレシピを作るシーンがありました。食糧難の中いかにして本物の替わりの代用品を使うか、という工夫がされているのです。

子供の頃、わが家には母親が戦後に読んでいた雑誌があり、何故だかハルコは興味を持って見ておりました。
国民服を背広に仕立てる方法や、米の中に入手できる色々な食材を入れて増量する方法などが載っていました。ほとんどの代用食のレシピは本来の料理の疑似料理で、栄養価としては大分低下します。
しかし現在の視点で考えると、これらは見事なくらいの「ダイエットレシピ」なのです。
ダイエットレシピは、やせるために脂質や糖質の高い物を、食物繊維やカロリーの低いものに替えていますが、これがまさに食糧難の時代と同じなのです。
おからやコンニャク、大根の葉っぱを食べていると確かにカロリーは抑えられますね。

ちなみにハルコが子供の頃、毎年8月15日は実家では必ず“すいとん”を食べさせられておりました。
やっぱり、代用食の必要のない世の中の方がいいですね。

2014年6月4日水曜日

忙中暑在り

 この所書籍の制作がテンパっており、先週からブログはお休み状態でした。
幾冊か平行して作業を事務所で行っているので、ハルコブログ担当M嬢も、ブログどころではないと……。


先週から今週にかけての異常な暑さには参りましたね。
日曜は本当に1ヶ月ぶりに休み、終了間際の古河庭園の薔薇を観に自宅から散歩したのですが、もう30℃を越す暑さで、薔薇園に辿り着い頃には汗まみれでした。
帰りは「しもふり商店街」を抜けて自宅まで歩いて帰ったのですが、途中の大きな魚屋さんで、鰹のたたきと蛸を買いました。
既にこの段階で35℃を超えている中を、生ものを持って帰るのに躊躇しましたが、さすがしもふり商店街が出来る前からの魚屋さん、とても美味しかったです。

あんなこんなで連日終電近くまで仕事をして、晩ご飯も深夜の零時を回ってます。
しばし、ブログは休み休みになります。

そろそろ梅雨に入るようですね。
また来週は岩手へ出張もありますが、こちらは天気だと良いのですが。