2014年5月28日水曜日

夜食は餃子!?

このところ、本業の書籍制作で土日も休まず、毎晩遅くまで仕事をしております。
5月は連休(そんな日もあった!)などもあり、日数が足りなかったせいもありますね。

昨夜も仕事を終えて神保町の「神田餃子房」へ辿り着いたのは、ラストオーダー10分前。最近わが家では餃子は救済食になりつつあります。
そう考えると24時間営業している中華屋さんなど、ともかく餃子がある店に行く機会が(仕方なく)多くなります。
救済食の餃子を、こんなに遅い時間に時間に食べることに関して、栄養面から一考してみました。


餃子は、小麦粉の皮の中に肉と野菜が最高のバランスで入っており、さらにニラとニンニクに含まれている「アリシン」には、殺菌作用があるので多少胃が疲れていても大丈夫なのです。
さらに豚肉の「ビタミンB1」と、このアリシンを一緒に食べると「アリチアミン」という物質に変わり、これが疲労を回復してくれるのです。
疲れると、餃子が食べたくなるのも納得です。
また、餃子には欠かせないラー油の「カプサイシン」も、中枢神経に作用してエネルギー代謝を盛んにするのです。
やはり、疲れている時は餃子ですね!

しかしですよ、大きな問題があるのです。
それは、カロリーです。特に焼き餃子は油を吸うので、カロリーが高くなってしまいます。焼き餃子を二皿食べると約700kcal弱なので、それだけでもう丸々一食分食べたのと同じことになるのです。
カロリーが高い方から並べると、揚げ餃子⇒焼き餃子⇒水餃子の順です。
それに、昨夜もビールを飲んで、麻婆ナスを食べて、チャーハンを食べて……。
一番の問題はハルコの自制心で、餃子には何も罪はありませんね。

2014年5月27日火曜日

黄門様の鮭の皮好き

先週から今週諸々の仕事が重なり、ブログは怠けておりました。
昨夜は荻窪の北京料理店『北京遊膳」で、久しぶりに“北京ダック”をいただき、やはり皮を食べる一番美味しい調理法だと思った次第です。


その時に、確か徳川家康が鮭の皮好きで、厚い鮭の皮があったら万金を出すという、記憶が少し薄い話をFBに投稿したのですが、気になって今朝資料を調べていくと、違う人物だと判明しました。

この話の最初は、出羽国(山形県)の戦国武将、最上義光から始まっているのです。
最上義光は伊達政宗の伯父に当たりますが、別名「鮭様」と呼ばれるくらい、大変鮭が好きだったようです。

そこで、徳川家康と秀忠にも鮭をたびたび送っていたので、ハルコは家康が鮭の皮が好きだと勘違いしていたのですね。

いろいろな逸話がありますが、その中でも一番逸話が残っているのが、水戸黄門こと水戸光圀公です。
水戸で獲れる鮭の一番美味しい所を独占して召し上がっていたそうです。
その当時の鮭は、鰹の15倍の値段で取引されていました。
黄門様は鮭の皮好きが高じて「皮の厚さが1寸ある鮭を持ってきたら、三十五石と取り換える」と言ったそうです。
この辺の記憶が光圀と家康でごっちゃになっていたのですね。
と思っていると、この話は実は伊達政宗だったとか。
どこまで本当かは不明ですが、皆さん鮭の皮好きだったことは間違いないですね。

そんなことを考えていて、「実際に3センチ以上ある鮭の皮を重ねたミルフィーユ」は商品開発して売れるだろうかと、妄想してしまいました。

2014年5月22日木曜日

いちえふ

今日は大気が安定してないせいか、表参道のオフィスまで来たら雷雨の歓迎でした。
今週は『ビックコミックスピリッツ』の「美味しんぼ」の話題で一杯でしたが、関連という訳ではありませんが、もう一つの漫画をご紹介します。

「美味しんぼ」は小学館ですが、こちらは講談社の週刊『モーニング』(毎週木曜発売)の漫画で「いちえふ」(連載ではなく漫画が上がり次第の掲載です)。
「いちえふ」なんて言葉は知らないという方も多いでしょうね。
「いちえふ(=1F)」とは福島第一原子力発電所の通称です。「F」は福島、「1」は第一の意味で、現場の作業員や地元住人は「フクイチ」ではなく「いちえふ」と呼ぶ―そうです。


この作者の竜田一人(たつたかずと)さんは、色々な職を転々とした後に、福島第一原発作業員として働いた経験を持ち、その様子を描いた『いちえふ~福島第一原子力発電所案内記~』が第34回MANGA OPENの大賞を受賞しました。
それが「モーニング」に掲載された、作者が実体験した話題の原発ルポルタージュ漫画なのです。

今日発売の号で、第8話ですが、なぜ原発作業員になったのか、そこでの作業や生活と現場の出来事が細かく描写されています。原発の賛否とは別に廃炉に向けての労働者の日常がテーマなのです。
第8話では、主人公の竜田さんが、より高線量の危険な地域に入ります。
廃炉の作業はこれからどのくらい続くのかも、実際には見当もつきません。

この漫画は多くの方々に読んでいただきたいですね。
自分たちが今「不都合の真実」の中で生活していることが体感されるでしょう。

2014年5月21日水曜日

ジャンクフードは煙草より危険!?

この2日間、自宅マンションの水道管工事で軟禁状態でした。
水は出ないわ、トイレも制限があるわ……大変でした。
仕事にならないのでネットのニュースを見ていたら、国連のオリビエ・デシューター特別報告官(食料問題担当)は19日、「肥満は喫煙よりも恐ろしい健康への世界的脅威であり、課税するなど早急に対策を取るべきと提言したニュースが目に止まりました。


デシュター氏は2012年にも同様の警告を発していたのですが、全く進展せず、過去の警告は無視されていたのでした。
そこで、不健康な食品への課税や脂肪と砂糖の制限、ジャンクフードに関する広告の取り締まり、ジャンクフードの原料価格を下げることに繋がるような農業への補助金について再検討することなどを挙げたのです。
煙草の税金が高いのは、喫煙による疾病の増加を抑止する意味もあり、ジャンクフードに対する課税も同様に、肥満や生活習慣病の予防の意味で、医療費の増加を防ぐという所に繋がりますね。

これに先立ちWHO(世界保健機関)は、3月に砂糖の摂取量に対する上限目標をさらに半分にする新指針案を発表しているのです。
2002年に食物から取り込む熱量(カロリー)のうち、砂糖の割合を10%以下に抑える目標を設定していましたが、さらにこれを5%以下とすることを求めたのです。
これにより成人では1日に摂取できる砂糖の適量がこれまでの「50グラムまで」から「25グラムまで」に減ったのです。
砂糖25グラムは紅茶用スプーン6~7杯。炭酸飲料1缶には砂糖が約40グラム含まれ、これだけで1日の上限をオーバしますね。
その他にケーキやら菓子やらをパクつくと、どれだけ砂糖を取っているのかと思ってしまいますね。

塩分の制限は、ずいぶん以前から1日の摂取量は市民権を得るようになりましたが、今度は砂糖です。
ジャンクフードは確かに習慣性を伴う味ですね。
 昔、分とく山の野崎洋光さんと“だし”を食卓に広める話をしていた時に、「昆布が高いと言っても、昆布のだし1杯は清涼飲料水1本より安いんだよ」とおっしゃっていました。
砂糖が悪いのではなく、糖分も体には必要なものでどう摂取するかということで、過ぎたるは……ですね。

今日は、食事を摂取しない人達の単行本の打ち合わせしておりました。
これはこれで極端な本ですが、中々バランス良くというのは難しいのですね(ハルコ大いに反省)。

2014年5月19日月曜日

美味しんぼ 始末

ハルコは小さい頃、頻繁に鼻血を出す子供でした。生まれた年に「第五福竜丸」がアメリカ軍の水素爆弾実験により、大量の放射能を浴びた(死の灰)事件があり、これから映画「ゴジラ」も誕生したのです。


漫画「美味しんぼ」が掲載されている、本日発売の「ビッグコミックスピリッツ」を読んでみました。
漫画自体は何だか「チャンチャン!」という感じで過去のエクスキューズですが、後半に10ページほどの非難や擁護のコメントが掲載されてました。
最終ページには「編集部の見解」として編集長が総括していますが、「だから、どうすれば良いの?」という、まったく出口の無い話ばかりです。
それぞれの立場から見解は、一見真っ当なように思えますが、全体を見ていくと当然整合性はありませんし、出来事自体もこれからどうなるの?といった、誰も回答の出せない問題です。

3年前の東日本大震災の翌々日に、日本橋の百貨店の屋上で数時間撮影をしておりました。中止しようとも思いましたが、結局撮影を決行し空を見て不安になっていました。
それから3年過ぎても、何も解決されてない現状。
ある意味で今回の「美味しんぼ」は、記憶のかさぶたを引っ掻いた問題提起だとは思います。しかし、これから完全に放射能が除去されるまでには、気が遠くなるほどの年月がかかります。
福島ばかりではなく、東京も日本も同じです。
こらからもここに住んでいく自分たちのためにも、根拠の無い「風評被害」だけは避けたいと思います。

2014年5月16日金曜日

日本の食の大転換の年

昨年、和食が世界文化遺産に登録されましたが、かつて日本の食生活の危機の時代があったというお話です。


1983年(昭和58年)にある諮問が提言されました。
その内容は、「私たちの望ましい食生活・日本型食生活のあり方を求めて」という、識者が厚生省(当時)に出したもので、「1日30食品を目標に」「食塩は1日10g以下を目標に」と「食育」から和食の文化遺産登録まで繋がっていく岐路となりました。
単なる食生活の見直しばかりでなく、遠因は年々増加する医療費の抑制のため食習慣から変えていく、という意味があったのです。
それと同時に、消費者の米離れを食い止めるために「米食」が推奨されたのです。


そして、この諮問を元に1985年5月16日に厚生省から「健康づくりのための食生活指針」が発表されました。
欧米型の脂質やカロリー過多の食事から、「日本型食生活」の一汁三菜をモデルにしたスタイルへ、約30年かかって見直しされてきたのです。
その頃、ハルコは女子栄養大学の『栄養と料理』という雑誌の制作にも関わっておりましたが、丁度1985年は『栄養と料理』の創刊50周年でした。雑誌が発行されてからの50年の日本人の食生活の変遷年表を作成したのです。

そういう意味では、日本での食に対する意識向上には目を見張るものがありますね。
しかし、日本で作り上げている食のルールが、TPPなどで安易に海外のルールが入ってくるのは問題です。
逆に日本のルールを海外に当てはめる運動も必要ではないかと思うのです。
和食の文化遺産は味やスタイルだけではなく、そのルールも一緒に発信していくべきだと思うのです。
「日本型食生活提言」から30年、また2度目の日本の食文化の大転換の年になりそうな気がしています。

2014年5月15日木曜日

初鰹

季節が変わると、その季節にふさわしいものを食べたくなるのは人情ですね。
今週は何度かをいただきました。
甚六の黒板に「初鰹のたたき」とあり、前日も鰹を食べたせいか、あまり「初鰹」という意識はありませんでしたね。


江戸っ子の初鰹好きは「女房を質に置いても……」というくらい有名ですが、『徒然草』には、「鎌倉の年寄りの申し侍りしは、この魚おのれの等若かりし世までは、はかばしき人の前に出づることを侍らざりき」とあります。
鰹は下魚で珍重するほどの魚ではなかったようです。
何故、鰹がこれほど喜ばれるようになったのか、その理由は鰹自体の食べ方の変化にあったのです。

奈良や京都では新鮮な鰹は手に入らないので、鰹は一度蒸して干し固め、現在の鰹節に近いものに加工して都に運んだのです。蒸した鰹は旨味が抜け出た搾りかすのようなもので、美味しいわけではないのです。
蒸した時に出る汁は調味料として珍重され、この汁は「いろり」と呼ばれていました。
これが鎌倉時代になると、鎌倉は海の前なので新鮮な獲れたての鰹が賞味されるようになり、人気になったのです。
それを兼好法師はまた、『徒然草』で「かようの物も、世の末になれば、上さままでも入りたつわざこそ侍れ」と言って、上流階級の人達が鰹をもてはやすのを非難しているのです。
兼好法師って鰹嫌い!?

さらに鰹は武家社会に浸透してゆき、「勝負に勝つ魚」としてよく酒の肴として食べられたのでした。
武士は鰹のある季節には、出陣の際に必ず食べるようになりました。
江戸時代に入ると喧嘩に勝つ、博打に勝つ、相場に勝つ……と庶民にも人気になり、特に初もの好きな江戸っ子は、初鰹に法外な値段を付けたのです。

今年は、ニュースによると近年にないくらい鰹が不漁だそうです。
原因は日本近海の黒潮の温度が低いことで、鰹が上がってこないそうですが、水温が上がれば鰹は獲れるのでしょうか?
早く、気安く鰹が食べたいですね。

2014年5月14日水曜日

ギーガーズ・バー

映画「エイリアン」のデザイナーのH・R・ギーガーさんが、自宅に階段からて転落して亡くなったというニュースに接し、四半世紀前の事をを思い出しました。


その当時は“バブル”のど真ん中で、世の中はイケイケの時代。
思えばハルコも若く遊びたい盛りで、夜な夜な色々な場所に出没しておりました。
その当時は、現在の恵比寿のガーデンプレイスの裏手に住んでおり、白金台は直ぐ側でした。今も当時もあまり交通の便の良くない場所ですが、高級住宅地として閑静な所でした。
そこに突然登場したのが「GIGER BAR(ギーガーズ・バー)で、1988年10月19日にオープンしたのです。
記憶は曖昧ですが、確かここのオープニングレセプションに参加していたはずです。
映画の「エイリアン」その物を再現した店で、ファサードから中まで異生物の体内に侵入していく感覚を味わえました。
内部はメタルっぽいブラックで統一された禍々しい内装で、バーカウンターも異生物の形で座るのもためらう感じでしたね。

家の近所だったので、日曜日には近所の杉の木やスーパーで買物した後、スーパーの袋を持ってギーガーズ・バーの前を通っていましたが、これが夜になるとオドロオドロしい照明になるのです。
はっきり言って一度見れば良いという感じでしたが、友人のイラストレータに頼まれて連れていくことにしたのです。
ところがですよ。入口に屈強な黒服がいて入店を拒まれたのです!
服装チェックがあり、ハルコは問題は無かったのですが、友人はジャンパーにサンダル履き!
そんなことを思い出したギーガーの訃報でした。

※写真は「な、何なのコレ…?スイスの不気味過ぎる店『ギーガー・バー』に行ってみたい」より引用

2014年5月13日火曜日

「美味しんぼ」問題

『ビックコミックスピリッツ』で長期連載中の「美味しんぼ」の、福島での放射線被ばくによる“鼻血”から始まる内容が物議をかもしていますね。
普段ハルコのブログは、あまり賛否の出るニュースは意図的に書かないようにしていますが、今回の「事件」に関しては少し感想を述べたいと思います。

内容は皆様もニュースで充分理解していると思うので省きますが、原作者の雁屋哲さんは「美味しんぼ」の作中表現で「鼻血は被曝のせい」と言い切り、「福島にはもう除染しても人は住めない」と、描いています。
それに対して、多くの方々が非難の声を上げています。
これに関しては今後の推移を見ていきたいと思います。

以下引用

です。
小学館広報室は、産経新聞の取材に対し、「(現在連載中の)『美味しんぼ』の『福島の真実』編は復興を応援したいという目的で始めた。次週(19日)発売号で特集記事を掲載するので、これを見てもらいたい」と話している。

何だか「?」と思う言い訳ではないか、とハルコは思います。
ハルコは『ビッグコミックスピリッツ』を創刊号から読んでいるヘビーユーザーです。
「美味しんぼ」も第1回から毎週読んでいます。最初の頃は凄く面白く、かつ、ためになると思っていたのですが、途中から漫画自体がつまらなくなったと感じました。
何が面白くないのかと考えると、原作者が上から目線で「読者を啓蒙」しているんだという雰囲気が鼻につくようになったのです。
娯楽としての漫画というよりは、教養主義的で説教臭いのがつまらない原因です。
読者に感心しろというのが、誌面全体から出てくるのです。

食をテーマにした漫画はたくさんありますが、連載が長期になってくると、当初のドラマとしての面白みが薄れて、段々ただ連載が続いているという状態になります。
同じ小学館の『ビッグコミックオリジナル』の「味いちもんめ」も、原作者が急逝した後のストーリー展開にドラマ性が弱くなり、漫画自体がつまらなくなったと感じています。
ハルコの知識の九割は漫画だと豪語してますが、最近の漫画がつまらなく感じているのは歳のせいでしょうか。

冒頭の「美味しんぼ」問題に戻ります。
現在ハルコは岩手の食を発信する仕事をしていますが、岩手ばかりではなく、宮城に父親の実家があり、福島も含めて被災地の復興を心より願っています。
風評被害だけは絶対にご免です!

2014年5月12日月曜日

乳の博覧会

昨年10月に3日間、岩手県の生産者の方々を訪ねて廻った時に、乳牛の牧場にも行きました。この数十年日本の酪農農家は色々とご苦労されているようです。生産コストや国内消費など、たくさんの問題を抱えてますね。


1924年(大正13)の5月11日(昨日ですが)に文部省主宰で、東京・お茶の水の東京博物館で「乳の博覧会」が催されました。
渋谷の常盤松御料牧場(渋谷に牧場があったんですね)から送られてきた牛乳を使って調理法の実習や牛乳の実費試飲が行なわれたのです。
その当時の牛乳の需要規模は、1920年(大正9)に年66万t、1921年に85万tと急増し、それ以降は100万tを超えて、日本でも牛乳を飲む(あるいは乳製品を食べる)習慣が定着してきたのです。
ちなみに、その頃の日本人一人一日当たりの乳製品の消費量は33gでした。
2010年は大体86kg(資料の読み方によって違いが出ますが)、飲用牛乳は32.7kgと随分摂取量は増えています。
しかし、欧米と比較すると、イギリス、デンマーク、オーストラリアの1/3、アメリカの1/2以下と低いのです。

新潟のある地域の学校給食で、米飯と牛乳は合わないので牛乳を出すのを止めたというニュースもあり、そんなに日本人がこれから牛乳をさらに飲むかというのは頭打ちになるのでしょうか。
元々小規模な酪農農家が多く、生産量自体も消費と同じで頭打ちですが、食料自給率の観点からも消費は伸びて欲しい所です。
世界中での生産量は、EUが全体の31%で1億3千6百万t、全然桁が違い過ぎます(日本は7百55万t)。順次アメリカ20%、インド12%、ウルグアイ・ブラジル・中国がそれぞれ、7% を占めています。
ちなみに逆に消費が一番多いのはインドで31%、EUは27%、アメリカは16%です。
アメリカの生産と消費の4%の差は輸出したくなるはずですね。

2014年5月9日金曜日

菓子と伝導

今日はとても暑いですね。連休が終わり、すっかり初夏の陽気ですが、途中で梅雨入りもありそうですね。

ハルコはヨーロッパに旅行に行くと、必ず教会に行きます。
カソリック、プロテスタント等、宗派に関係なく行くのですが、ハルコは信仰心があるわではありあません。教会の中の雰囲気が好きなのです。また、時間が許せばミサ(カソリック)にも参列します。
最後まで信徒の中に紛れて、寄進したり、十字を切ったり、聖体拝領のパンを神父さんからいただいたりとハルコは成り切って楽しんでおります。
キリスト教ばかりではなく、宗教儀式やお祝いなどの場では、お菓子がたくさん登場しますね。今日はそんなお菓子と伝導の話です。


森永製菓の創始者森永太一郎氏(1865-1937)は佐賀に生まれ、19歳で上京し、陶器商に勤めていました。なかなか上手くいかずに悩んで公園のベンチに座っていると、60歳ぐらいの婦人が彼の隣に座ってハンドバッグからキャンデーを取り出し、その一つを彼に勧めてくれたそうです。
キャンデーをほおばった太一郎氏は、思わず「うまい!」と叫んでしまい、その瞬間に洋菓子職人になろうと決心したのだそうです。
アメリカに渡った太一郎氏は、苦労して修行をしている頃、オークランドである老夫妻に出会い、彼らの信仰心に触れてオークランドの日本人教会で求道し、ついに洗礼を受けました。

一度、日本に帰ってきて伝導者として活動しようと思いましたが、これも上手くいきませんでした。
再度製菓技術を学ぶために渡米して苦労の末に帰国し、赤坂の溜池に二坪の小屋を借りると「森永西洋菓子製造所」の看板を掲げ、開業したのでした。
太一郎は、宣伝販売をするためにガラス張りの屋台式箱車を作らせ、その中にお菓子を積んで町を歩きまわりました。
屋台の屋根には「キリスト・イエス罪人を救わんために世に来たりたまえり。義は国を高くし罪は民をはずかしむ」という聖句を書いた看板が打ち付けられていたため、「ヤソの菓子屋さん」と呼ばれ有名になったのです。
そして、森永の大ヒット商品のミルクキャラメルが生まれ、お馴染みの「エンゼルマーク」が誕生したのです。
1905年の5月9日は、森永製菓(当時は森永西洋菓子製造所)がエンゼルマークを商標等登録して、初めて新聞広告を出した日なのでした。

2014年5月8日木曜日

酸っぱいか、甘いか、レモン?

 連休でブログは暫しお休みしておりました。
わずか4日間の休みなのであまり休んだという気分はなく、休み明けもバタバタしていましたね。


爽やかな五月晴れといったら、「レモン」ではないでしょうか?
これは無理くりな引用ですが、昭和39(1964)年5月8日はレモンの輸入が自由化になった日です。
この年は丁度、東京オリンピックの開催の年ですね。
オリンピック選手→運動する→疲れる→レモンで疲労回復?
こんな連想をしたハルコは変でしょうか。
現在、TPPのニュースを見ない日はありませんね。
以下は農水省からの引用です。日本の農産物の自由化の流れを見てみましょう。

昭和30(1955)年にガットに加入し、昭和35(1960)年に農産品121品目の輸入自由化。
以降、昭和36(1961)年大豆等、昭和38(1963)年バナナ、粗糖等の自由化。
植物性油脂、チョコレート、ビスケット類、グレープフルーツ、
豚肉、配合飼料等の自由化。
昭和47(1972)年、農林水産物のうち50%強(270品目)の関税引き下げ等。
ガット・東京ラウンド妥結(昭和53(1978)年)を受け、牛肉・かんきつの輸入枠を拡大。
日米農産物交渉(昭和63(1988)年)において、
牛肉・かんきつの輸入枠の順次拡大、輸入数量制限を撤廃等合意。
平成5(1993)年、ガット・ウルグアイ・ラウンド農業交渉合意。
農産品についてすべて関税化。
米に関しては関税化の代わりにミニマム・アクセス機会の提供等。
平成7(1995)年に WTO(世界貿易機関)が発足し、
平成13(2001)年、WTOドーハ・ラウンド交渉開始。
平成 11(1999)年、ウルグアイ・ラウンド農業合意に基づき
適用してきた米の関税化の特例措置について、関税化措置へ切換え。
平成14(2002)年、シンガポールとの間で EPA(経済連携協定)が初めて発効。
以降、平成 23(2011)年2月までにメキシコ、マレーシア、フィリピン、タイ、
インド、ペルー等13の国・地域との EPAが発効・署名・交渉完了。

国内の食料自給率の問題から、国内の農産物の保護、あるいは国際的に対抗出来る産業の育成……。手をこまねいている場合ではないですね。

今日発行の「モーニング」(講談社)に連載されている「会長 島耕作」(弘兼賢治)には島耕作が尋ねるオランダの最先端の農業が紹介されています。中々興味深いですよ。

2014年5月2日金曜日

緑茶を一杯

今日5月2日は“八十八夜”です(閏年の年は5月1日です)。
これは立春から数えて88日目で、この日を目安にして田の苗代を作ったり,畑作物の種まきや野菜の移植をするという所は多いのです。
丁度連休の中日で、郊外や地方ばかりではなく都心でも緑が濃く感じられますね。
また茶摘みの適期でもあるので、今日は「緑茶の日」なのだそうです。


調べてみると、お茶に関連した記念日の多いこと!
「緑茶の日」は日本茶業中央会という組織が記念日として制定したもので、このGWは4月29日から5月5日までが「緑茶の週間」だそうです。
昔の天皇誕生日(29日)が“緑の日”だった時に決めたそうですが、これが“昭和の日”になり、緑の日は5月4日にずれましたね。
そこでお茶関係の記念日を列挙すると、抹茶の日、麦茶の日、コーヒーの日、日本茶の日、お茶の日、紅茶の日、玄米茶の日、お茶一杯の日……。
なんだか区別が付き難いですね。

緑茶購入量の推移を調べてみると、昭和40年代には一人当たりの年間購入量が大体500gだったのに対して、平成24年の統計では300gを切っています。
半世紀で200gも減っていますが、その減った分はペットボトルで消費されているのではないでしょうか。
また調べてみると、平成17年までは茶のペットボトルの消費は増えていたのですが、翌年から減少横ばい状態のようです。それでメーカーさんは、現在では健康飲料としてのペットボトル緑茶に力を入れているのですね。
また世界的な和食のブームで、茶の輸出量がアメリカを中心に増えているようです。

明日から新潟のダーチャに行きますが、残りの連休はお茶でも飲んでのんびりいたします。
ブログは7日までお休みです。
FBでは引き続き発信いたします。

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2014年5月1日木曜日

銀二貫

5月になりましたね。
連休中の方も仕事中の方も全国的に5月です。


現在、NHKの木曜時代劇で『銀二貫』の連続ドラマが放送されていますが、録画はしているのですがまだ観ておりません。
『みをつくし料理帖』で人気の高田 郁さんの原作ですが、4年前に出た時にあまりの面白さに一気読みしました。
『銀二貫』は、食材としての寒天開発を表面から描いている話なのですが、寒天だけでここまで感動的に書けるのか!と、非常に関心しました。

内容は、読んでいただいた方が良いのであらすじは書きませんが、日本の寒天は江戸時代の初期から考えられていたのですね。
寒天は、天草(テングサ)やオゴノリなどの紅藻類の粘液質を凍結乾燥したもので、食材同士を固めたりくっつけたりする、日本料理には無くてはならない上に、ほとんどカロリーが無いという非常にヘルシーな食材ですね。