2014年4月28日月曜日

休日の谷間


明日からGW、もう連休に入っている方も多いようですね。
今年は昨年と比較して暦の配列が悪く、休みが前半と後半に別れています。
ハルコは前半は伊勢丹のセミナー等があり土日は働いてました。明日の休日も仕事で、30日にはまたキッチンステージのセミナーがあります。

後半3日から6日までは一応休みますが、7日にはまたセミナー立ち会いです。
百貨店のような業態は休日稼働が当然で、ある方は入社してから一度も連休は休んだことがないとか。
こちらは逆に暦通りなのですが、小売店関連の仕事をしていると相手に合わせるので、長期の休みが取り難いですね。

今日のように休みと休みの間の平日って微妙な感じですね。
休んでいる方もいて、一応連休進行ということで、締め切り等が前倒しであるのですが、その通りにならないので後での調整が大変です。

何だか気の抜けたビールのような休日の谷間でした。

2014年4月25日金曜日

そばと生卵の微妙な関係

とにかくお腹が空いていたのです。
地下鉄を神保町で乗り換える所を、そのまま降りて立食いそば屋さんへ直行しました。
ともかくお腹が空いていたので、“かき揚げそば”を自販機で買ってカウンターへ行き、“そばで”とお願いしたら、「生卵は?」と聞かれたのです。
そうなんです。この立ち食いそば屋さんは、確か曜日替わりで生卵のサービスがあるのでした。


ハルコは「いりません」と言ったつもりでしたが、出てきたそばには何と生卵が鎮座しているではありませんか!
ハルコは卵かけご飯は大好物ですが、そばに入っている生卵は嫌いなのです。
「何で入れるんだ!」とは思いましたが、今更「卵をどけて」とも言えずに食べることにしました。

普段は、生卵が入っていると直ぐに白身も黄身もそのまま飲み込んで、そばつゆが濁らないようにしますが、運悪くその時携帯に電話が……。
しかたなく、生卵自体をそばつゆに沈めて加熱を試みること電話中の3分!
3分経てば、チキンラーメンのように美味しくなるかと思ったのですが、これが失敗!
そもそもそばのつゆ自体の温度が低いのです。
通常、卵白は80℃、黄身は70℃前後で固まるのですが、最後まで固まらないということはそばつゆの温度は70℃以下で推定60℃。
こりゃ、たまりませんね。
結局は最後に生卵を飲み干して店を出ました。

2014年4月24日木曜日

すきやばし次郎

5日間に渡る門前仲町での撮影が昨晩終了して、機材やらレンタル物などの搬出でくたびれておりました。
ハルコも持ちこんだ食器を、自宅まで地下鉄で運搬していたのですが、大きな荷物だったので途中で尋問されるのでは?と心配しました。
家に帰ってビールを飲みながらテレビを観ていたら、オバマ大統領と安倍総理が銀座の「すきやばし次郎」へ入っている場面が流れていました。

「すきやばし次郎」は、一度だけですがお伺いした事があります。
小野二郎さんは現在88歳なのですが、10年くらい前だったので77歳の頃だと思います。本当にお元気ですね。
その頃「ダンチュウ」の編集長のKさんが、嵐山光三郎『寿司問答』という本をプロデュースし、友人がその写真を撮っていました。
錚々たる18店のすし屋さんが登場してます。
この本をガイドにすし店巡りをして、毎週新しい店に行っておりました。
しかし、なかなか予約が取り難い店もあり、その筆頭が「すきやばし次郎」でした。
そこでK編集長にお願いして一緒に行く事になり、さらにイタリア在住の友人夫婦も帰国してくるので、貸し切りで食べに行きました。
テレビの番組では、すきやばし次郎の予算の目処は“3万円~”と報道していましたが、その頃は“2万円~”だったので、ミシュランの星の分1万円高くなったのでしょうか?

二郎さんは包丁を使う時は右ですが、握る時は左利きになるのです。
これが、すごい早さなのです。
どんどん握られて皆の前にはすしが並んでいますが、ハルコは握られたものをすかさず飲み込むように食べて、無謀にも次郎さんの速度に挑戦していたのです。
途中で二郎さんと眼が合い、ハルコは「勝った!」と思ったのですが、あまりにも早く食べ過ぎて味が全然思いだせないのでした。

嵐山光三郎著「寿司問答」
プレジデント社より

2014年4月23日水曜日

弁当を使う?

先週から門前仲町の料理研究家さんのスタジオで、料理撮影をしてます。
本日は最終日で、午後から立会に行く予定です。
撮影のラストは、冷凍して作り置きした総菜を弁当に仕立てて活用するのです。
このところ、弁当レシピの企画は出来ないだろうか?と、あの料理人、この料理研究家……とプランを考えています。


現在は「弁当を食べる」という言い方が一般的ですが、昔は「弁当を使う(遣う)」という言い方が普通だと何かの本で読んだ記憶があります。

弁当は、中国南宋時代の俗語で「好都合」「便利なこと」を意味する「便当」が語源だそうで、「便当」が日本に入り「便道」「弁道」などの漢字も当てられ、「弁えて(そなえて)用に当てる」ことから、「弁当」の字が当てられ、弁当箱の意味として使われた、と語源辞典には書かれています。

時代劇小説ファンのハルコは、文章中で「弁当を食べる」と書いている著者の本は読まないことにしてます。
やはり「弁当を使う」の方がしっくりきますね。

さぁ、弁当を食べに……いや、撮りに行こう。

2014年4月22日火曜日

ソース焼きそば

料理の起源を調べていると、判るようで全然判らないものによく出くわします。
先日も、居酒屋さんでソース焼きそばを食べていたのですが、これもお祭りの縁日の屋台から中華料理屋さんまで幅広く、さらにインスタントソース焼きそばなど、たくさんの種類があります。
ハルコはかなり、このソース焼きそばが好きなんです。
縁日のあまり清潔とは思えないものでも、ソースの焦げる匂いに誘われて買い食いしてしまいます。


ソース焼きそばは、母体となる中華焼きそばと西洋のソースが合体して出来た不思議な料理ですね。
このソースはイギリスのウスターソースが原型で、その後どんどん日本化していくのです。以前に書いた大阪の阪急百貨店大食堂の「ソーライス」ではないですが、本当に日本人は好きな味です。
ごはんに、焼そばに、揚物や粉モンにと、このソースが無ければ関西の食文化は成立しませんね。
これは戦前(最近は第二次世界大戦とか、太平洋戦争と書かないと判らない人も多いようで)から「新味醤油」などという名前であったそうで、戦後に関東にのヤミ市で中華そばをキャベツやモヤシで増量し、ソースで調味して売られていたのが広まったのが最初という説があります。
これに、豚肉やらを混ぜて一緒に焼いて、紅生姜を添えて食べるのは、ビールにも合うし旨いものですね。

2014年4月21日月曜日

穴子が好きですが、それが何か?

昨日は上野の東京都美術館で画家バルテュスの回顧展の講座を聴き、千駄木の「乃池」へ行ってまいりました。
寒かったのでぬる燗で1杯飲みながら、最後は名物の穴子の握りをいただきました。
ご存知の方も多いと思いますが、「乃池」は穴子鮨で有名な店なのです。
訪れる客も、穴子を頼まない人はいませんね。
穴子は江戸前のすしダネで大定番で、昔から、玉子焼と同じように「穴子を食べれば、そのすし屋の腕がわかる」と言われています。


現在の東京湾(江戸湾)は最も優秀な穴子の漁場だったのです。
実は日本産の穴子だけでも20種類くらいあるのですが、その中で食用になるのは2、3種類しかなく、その中ですしダネに使えるのは「マアナゴ」だけなのです。
乃池の穴子は煮穴子で、“つめ”でいただき、この甘さが柔らかくなった穴子とすし飯と一体になって旨いのです。

そして、もうひとつ「穴子の白煮(しろに)」はまた別な旨さなのですが、残念ながら乃池ではやっておりません。
六本木の「奈可久」にはこの「白煮」があるのですが、随分食べていないなぁ。
あぁ、また穴子が食べたい!

2014年4月18日金曜日

門仲居酒屋生活

2日続けて、門前仲町の料理研究家のクッキングスタジオで撮影しておりました。
門前仲町にはたまに遊びに行くのですが、深川不動や富岡八幡宮などがあり、現在でも江戸情緒が残っている町です。


昨晩は撮影後のミーティングが終了したのが、もう22時も過ぎた時刻でしたが、門仲の居酒屋さんは方々で活況を呈しておりました。
終電間際まで、居酒屋さんで朝10時から10時間連続の撮影の疲労をほぐしておりましたが、門仲の居酒屋さんは夕方の4時くらいから始まるんですね。
その理由は、築地市場方面の人たちが仕事を終えて、こちらまで来るというので、店の開店時間が早いのだそうです。
普段のハルコなら夕方の4時なんてこれからひと仕事という時間帯ですね。

来週も撮影がまだ3日残っているので、門仲居酒屋生活を楽しみたいと思っているハルコでした。
しかし、撮影は終わるのか!?

2014年4月16日水曜日

豆ごはん

春になると色々なが出回りますね。
この先もえんどう豆、そら豆、枝豆……と続きます。
ハルコはかなりの豆好きなのです。
1年中通してわが家では豆が食卓に上らないことはありませんね。


ここ1ヶ月くらいの間に、オクサマからのオーダーで豆ごはんを何回か作りました。
さやのえんどう豆が手に入る季節は、超かんたんな豆ごはんがオクサマのお気に入りなのです。
昆布を水出しして昆布だしを取り、さやえんどうのさやから豆を取り、塩と酒を入れて土鍋で炊くだけで、何だか(少しですが)春の息吹を感じます。
ただ、いつも同じレシピだと飽きるので変えようとすると、オクサマが「ハルコ、余計なことはしないで!」とピシャリとおっしゃるのです。
また、今週末もわが家は豆尽くしになると思います。
しかし、クックパッドの豆ごはんレシピを検索すると、67万件も出てくるのですね。

さて、午後から撮影に行かねば。
明日も撮影でブログはお休みします。

近況は随時FBで発信しております。
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2014年4月15日火曜日

ソースかけライス

昨晩は伊勢丹新宿店で1夜限りのイベント、会食会がありました。
青森県弘前市にあるイタリアン「オステリア エノテカ ダ・サスィーノ」の笹森シェフが来て、ほぼ全部が店の手作りの食材を使用した料理の数々を堪能しました。
ひとつのレストランでチーズからワインまで作っているのは、日本でもこの店だけだそうです。


さて、ハルコはこれまで三越や伊勢丹の仕事をして来たのですが、百貨店の歴史には大変興味があります。
1929年(昭和4年)の4月15日に大阪の梅田阪急百貨店が開業したのですが、今日はそこの大食堂でのお話です。
ここの食堂の目玉料理は“カレーライス”だったのですが、創業者の小林一三が渡欧する船中でカレーを食べてひらめいたそうです。
このカレーライスに、客はウスターソースをたっぷりかけて食べたのですが、ハルコも幼少の頃のカレーにはソースをかけて食べるのが好きでした。その頃母親のカレーは小麦粉とカレー粉のみでルーを作っていたので、今思うとあまりスパイシーじゃないのでソースをかけていたんでしょうね。

しかし昭和恐慌のあおりで、ライスカレー(25銭)ではなくライス(その当時5銭)だけを注文して、テーブル据え付けのウスターソースをかけて食べる客が増えたことが問題になりました。
ところが阪急社長の小林一三はこれを歓迎する姿勢を打ち出し、「ライスだけのお客様を歓迎します」という貼り紙まで出させたのです。客はライスのみ注文して、ウスターソースをたっぷりかけて、福神漬け(これも無料)を食べたそうです。
小林一三は「確かに彼らは今は貧乏だ。しかしやがて結婚して子どもを産む。そのときここで楽しく食事をしたことを思い出し、家族を連れてまた来てくれるだろう」と言ってそのまま実行したそうです。
小林一三はエラいですね!

これが、阪急百貨店の「ソーライス」(ソース・ライス略で、ウスターソースを米飯にかけた食べ物)で「ソーライス」は阪急百貨店大食堂の堂々たる「裏メニュー」となり、広く知られるようになり、後年、関西の財界人のあいだでは「阪急食堂でよくソーライス食ったな!」というのが共通の昔話となったということです。

ソースかけごはん、醤油かけごはん、ケチャップごはん、ネコマンマ、人前では食べるの躊躇しますが、これらは無条件に旨いと思うハルコでした。

2014年4月14日月曜日

周富徳さんのこと。

周富徳さんがお亡くなりになったのを知り、ビックリしました。
周さんとは30年ほど前から、聘珍楼時代からのお付き合いでした。


家庭画報でも随分周富徳さんのページを作りました。
掲載の写真は20年前に制作した『周富徳の元気な中国料理』です。
周さんのチャーハンは旨かったなぁ、と今でも写真を見ながら味を思い出します。
周さんに旅のコーディネートをお願いして、香港のグルメツアーに行ったのも、楽しい思い出です。
わが家のオクサマは周さんに大変かわいがられて、周さんとよく海外の取材へも行っておりました。
檀太郎さん(檀一雄の長男)が企画した麺ロード取材でヨーロッパへ出かけ、最後の国のローマで初めてバチカン市国に着いた周さんが、
「ここは凄く人が多いね。ここでラーメン屋したら儲かるね」
どうも、周さんはバチカンを知らなかったようです。

この他にも、盛り沢山の話がありますが、とても人間的にも料理人としてもユニークな人でした。
合掌。

2014年4月11日金曜日

パン

今日は朝から体調がイマイチでした。昨日は1日の温度差が10℃以上あり、体が気温変動に付いていけなかったのでしょうね。
ともかくオフィスに出て来て、午後から撮影立ち会いですが、取りあえずブログを書こうと思います。
ハルコブログは基本的に平日なので土日祭日はお休みしてます。
ところが、休みの日に「○○の日」がある時は書き逃しているので、これは明日12日の話なのです。


1840年(天保11年)、中国でアヘン戦争が起こりました。
徳川幕府は、日本にも外国軍が攻めてくることを恐れ、その備えとしてパン作りを命じました。炊くときの煙で、敵に居場所が分かってしまう米飯に比べて、固いパンは保存性、携帯性がすぐれていると考えられたからです。
その後、1842年(天保13年)4月12日、江川太郎左衛門という代官が、「兵糧パン」と呼ばれるパンを日本で初めて本格的に製造しました。パンの日は、この日を記念して作られました。
以上、出展:食品科学広報センター 『パンのはなし』より。

と言うわけで、パンの日なのですが、普通は最初に自分がパンを食べた時の事など覚えてませんよね。
ところがハルコは、初めてパンを食べた時の事を覚えているのです。
田舎では米食が当たり前で、パンが食卓に上る事は皆無だった頃です。
4歳位の時に、親戚の家で晩ご飯をご馳走になったのですが、食後に“パン”が出てきたのです!
それは食パンに砂糖を塗ったもので、今思えばデザート替わりだったのでしょうか?
食パンを二つに折って、口に頬張ると、砂糖のジャリジャリした味が口一杯に広がったのを、今でも覚えています。

2014年4月10日木曜日

駅弁は愉し!

昨年の7月16日のハルコブログは、「駅弁記念日」というタイトルで駅弁の事を書いたのですが、今日は今日で「駅弁の日」なのです。
何だか似たような日があって、ややこしいですね。

まず7月16日の「駅弁記念日」は、1885年のこの日に開業した日本鉄道の宇都宮駅で、日本初の駅弁が発売された、ということが根拠らしいです(ただし、これより早く他の駅で駅弁が販売されていたとする異論もあります)。
宇都宮市で旅館業を営んでいた白木屋嘉平が、たまたまその旅館に宿泊していた日本鉄道の重役の薦めで販売したとのこと。握り飯2個とたくあんを竹の皮に包んだもので、値段は5銭だったそうです。

そして、「駅弁の日」は、洋数字の「4」と漢数字の「十」を合成すると「弁」の字に見えることから、日本鉄道構内営業中央会が1993(平成5)年に制定されたのですが、7月16日は先の宇都宮駅の駅弁があるのと、夏は弁当が傷みやすいため、行楽シーズンの4月が選ばれたのだそうです。

同じ様な事で年に2回あるのは何とも納得いきませんが、ハルコは
列車に乗る最大の楽しみは駅弁にビールなのです。これからの連休を控えて、列車で駅弁を愉しむ機会も多くなりますね(最近は空弁も人気ですが)。
あぁ。駅弁にビール!(現実逃避ハルコ)
※写真は最近ハルコが食べた駅弁です。

2014年4月9日水曜日

コロッケそば

ハルコは普段、随分グルメなものを食べているようなイメージがあるそうですが、実は立ち食いそばが大好きなんです。大体、伊勢丹キッチンステージセミナー立ち会いの際、よく抜け出して食べに行きます。
その中でも一番好きなのが“コロッケそば”なのです。


ハルコ流のコロッケそばの食べ方の流儀は、以下の通りです。
コロッケはたいてい固くて冷めているので(一部お店で揚げたてのものもありますが)、迷わずそばの下に沈めます。
そしておもむろにそばを一口すすり、七味唐辛子をかけて好みの辛さにして…あぁ、そうそう、若布が入っていることが多いのですが、邪魔なので直ぐ食べ切るべし!
そばを食べ、汁を飲み、そして底のコロッケを箸で小さくしながら食べる。この繰り返しですが、いよいよそばも無くなり、底に沈んだコロッケも半分となりました。
箸でゆるくなったコロッケを潰して、汁と混ぜて一体化!! 最後にドロドロに溶けた汁を飲み干します。ハルコは「コロッケのポタージュ」と呼んでおりますのよ。ホホホ。
まぁ、あまり褒められた(誰も褒めませんが)食べ方ではないですね。

コロッケそばは立ち食いの店に多いのですが、普通の蕎麦屋さんでもコロッケそばを出している店があるのです(有名な話ですね)。銀座七丁目にある「よし田」です。
よし田は明治38年(1898年)に日本で初めてコロッケそばを出したお店なのです(その当時は日本橋浜町で「吉田」)。
明治38年は進歩党と自由党が合同した憲政党が出来て、大隈重信首相に板垣退助内相の、初めての政党内閣の誕生した年でもあります。

そのよし田にコロッケそばを食べに行ったのですが、コロッケといっても鶏のひき肉に山芋や卵、ネギを混ぜた塩味の唐揚げです。肉団子というかつみれという感じで、コロッケというイメージではないですね。
フランス料理のクロケット(croquttes)が和食のそばと出会った、フュージョン料理のひとつだと思います。
ただ、現在のようなコロッケが一般化して、家庭でのお惣菜になるのは大正9年(1917年)頃でしょうか。この年に浅草の日本館(浅草オペラ)で紅華作「カフェーの夜」が上演されて、劇中歌「コロッケの歌」が大流行したのです。

まだコロッケそばを食してない方は、100年以上の歴史を持つコロッケそばを是非お試しあれ!

2014年4月8日火曜日

本日は撮影


今日は、午前中から東中野のスタジオで撮影立ち会いで、オフィスに戻ったのは夕方。
ブログを書こうと思いながら、雑多な仕事をしている内にもう夜ですね。
先月本庄の「三之助豆富」(もぎ豆腐)の工場で撮影した分の再撮や、新規撮影だったのですが、実はこの「三之助豆腐」はわが家でなんと25年に渡り愛顧している豆腐なのです。
不思議な縁もあるのですね。
短い期間ですが、近々キッチンステージでもこの「三之助」メニューが登場します。
また、ご案内いたします。
短信でした。

2014年4月7日月曜日

三鉄開通!

桜が満開で春めいたと思ったら、冬に戻ったような気温で花冷えな週末でしたね。
土日は今年最後の花見を楽しみました。


東日本大震災後に不通になっていた三陸リアス鉄道の、南リアス線が土曜日に、そして“あまちゃん”でブームになった北リアス線が日曜日に全面開通しました。
3年もかかったというのが地元の実情ですが、開通して以来一度も黒字になったことがない路線でした。
元々第3セクターで出発したのですが、三陸海岸は険しい地形で、線路を通しても相当トンネルを掘らないと難しいのでした。
岩手の北の久慈まで行くには、海路船で行った方が早い、と言われていたのです。

元々、釜石から宮古経由で山田線という路線が通っていて、その山田線を南北で補完するのが、北リアス・南リアス線なのです。これがやっと開通はしたのですが、釜石と宮古を繋ぐ山田線は未だにどうするかの見通しすら立っていないのです。
この路線がこれからの三陸復興の一番重要なポイントになりますが、ずっと赤字路線で営業するのも無理なことは承知ですが、沿線の住民の足であることと、これからの観光誘致では絶対に必要な路線です。
JRは復旧後に三鉄に譲渡するという試案を出しましたが、これも提案の選択肢として山田線の復活を心より祈ってます。

震災復興で一番遅れている三陸町、大槌町、山田町……と沢山の地域がありますが、ハルコ的にはこの地域の特産物を活かした、オーベルジュをビューポイントに立地出来ないかと考えています。
岩手に縁のあるシェフや、この地域でレストランを開きたい方々を集めて、三陸レストラン巡りが出来たらと思うのです。
震災から3年。後5年で復興しないとこの地域の未来はありません。
今年は沿岸地域の復興のお手伝いに尽力したいハルコです。

2014年4月4日金曜日

続・生(なま)か、生(き)か、それが問題だった!

昨日のブログ「生(なま)か生(き)か、それが問題だ!」で問題がありました。
オクサマから根本的に間違っているのよ!とお叱りをいただいたのです。
まず、「生くらげ」という文字が目に入りました。
これは、実際は「生きくらげ」で、ハルコの発言は
「オクサマ、“イキクラゲ”がありますよ」「イキクラゲの刺身って珍しい」
ここでオクサマのツボに入り爆笑!
以下はオクサマがFBでのコメントしたものです。

オクサマ: 皆様、この投稿自体がずれています。食堂の本日のオススメ黒板に書いてあったのは「生きくらげの刺身」です。生の(乾物ではない)木耳(きくらげ)を刺身風にと言いたかったメニューでしょうね。紛らわしくも刺身メニューの隣に書かれていたのですが、まんまとはまったハルコは「イキクラゲの刺身って珍しいねえ」とボソリ。オクサマの笑い袋のスイッチON!

と、生(なま)返事しかしていない、ハルコの適当さが露見したのですが、やはり「生」は難しいと思う次第です。


「生」には、いろんな読み方がありますね。
「生(せい)」だと、生きる、生まれるなど、主に「生命」に関する言葉になり、「生(き)」だと、生地、生糸、生真面目、日本酒の生一本、生そばなどのように、「純粋」「混ざり気がない」といった「完全」を表す言葉になります。
そして「生(なま)」となると、生兵法、生返事など、「未熟」「未完成」「十分ではない」といった「不完全」を表す言葉になってしまいます。
同じ「生」なのに、「生(き)」と「生(なま)」では正反対の意味のはずですが、普段はごちゃ混ぜにして使ってますね。
じゃ、「生(なま)」は不完全だから悪いのかというと、生ビールに代表されるようにフレッシュで美味しいという意味にもなり、生酒、生茶、生パスタ、生クリーム、生菓子、生米・生麦・生脚(これは違う!)と、皆さん好きですよね。

昨年の食品偽装問題でも、例えば、「生クリーム」ではない「ホイップクリーム」を「生クリーム」と表示したりしては行けないというガイドラインが出来ましたが、いまだに混乱しているような気がします。
この分野はもう少し勉強してみたいですね。

2014年4月3日木曜日

生(なま)か、生(き)か、それが問題だ!

昨夜は地元・巣鴨の「ときわ食堂」で晩ご飯をいただきました。
ここのアジフライは絶品なので必ず頼みますが、定食の前にビールを飲みながら、タコブツやらマグロなんかを頼もうとメニューの黒板を見ていたら、

「生くらげ」
という文字が目に入りました。

一瞬へぇ、変わった物があるなぁと思い、
「オクサマ、“なまくらげ”がありますよ!」

オクサマ、黒板をじっと見て
「ハルコ、それは、“きくらげ”よ!」と爆笑!

あぁ、大恥です。
ときわ食堂にくらげの刺身があったと勘違いしたのでした。


「きくらげ」を「生くらげ」と書くと「き」「なま」で、普通は間違いますよね。
大体、漢字を当てたら「木耳」だし、ラテン語の「耳介」に由来し、「ユダの耳」で、ユダが首を吊った木からこのキノコが生えたという伝承に基づくのです。
生の状態では脆く破れやすく、火を通すと名前の通りクラゲを思わせる歯ごたえになるのですが、それならわざわざ「生くらげ」と書くのしょうか?
もしかしたら、ときは食堂は本当に海に中の生(なま)くらげ!?
それに、同じ「生」の字を「なま」と「き」で読み違いさせるのが判りにくいですね。

例えば、生醤油(なましょうゆ)と生醤油(きじょうゆ)の違いは?
「なましょうゆ」というのは加熱殺菌していない醤油のことで、「きじょうゆ」というのは本来は料理用語で、市販の醤油そのものを意味するのです。
ダシなどを加えた「合わせ醤油」に対して、調合していないという意味で「きじょうゆ」という言葉が使われるようで、加熱殺菌のあるなしには全く関係ないのです。

それに生そばですが、これも「きそば」「なまそば」がありますね。
「なまそば」と読む場合は、いわゆるゆで麺(工場で茹でた状態で袋に入っているもの)で、立ち食いそば屋などでよく使われます。それに、打ち粉が付いた状態の未加熱のそばも「なまそば」ですね。
「きそば」と発音する場合は“十割そば”を意味し、つなぎを加えずそば粉だけで作ったそばのことです。

よく判っているような判らない話ですね。
そうだ、今晩は”生(き)ビール”を飲みに行こう!
えっ、違ってるって?

2014年4月2日水曜日

思い出せん!

今日は朝から伊勢丹キッチンステージで立ち会いをして、セミナー後にキッチンステージ「レストランビオス」メニューを食べたり、伊勢丹の5階リビングでは知人の「オカズデザイン」が展示販売会をしているのを観たりしているうちに遅い出社になりました。
溜まっているメールなどの雑用をこなしてからブログを書こうとしたのですが、はて、何を書くのだったか!
「思い出せん!」

あぁ、これも花粉症のせいでしょうか?
このシーズンになると、普段から集中力の無いハルコが、さらにダメダメハルコになるのです。

昔は(遠い目で)もっと記憶力が良かった(はず)ですが、最近はダメですね。
思い出せない内容はきっと素晴らしいネタだったはず(願望)。
朝風呂に入って、朝刊読んで、テレビ観て、今日はこれで行こう!と思っていたのに。
あぁ、今日のブログは思い出せん!
明日は今日の続きなのです!


写真上/キッチンステージ松本一浩さんとスタッフ
写真左下/キッチンステージ「レストランビオスメニュー」前菜
写真右下/伊勢丹5階リビング、「オカズデザイン」展示即売会

2014年4月1日火曜日

うそつきな魚

新年度の火曜日。通勤の地下鉄の中にも新入学、新入社であろう方を見かけました。
今日は言わずもがな「エイプリルフール」ですね。ハルコはこの日くらいは“うそ”はつかないようにと思うのですが……。
これは、毎年の定番ブログネタですね。

四月馬鹿の起源は諸説ありますが、ハルコは「1564年にフランスのシャルル9世が、従来のユリウス暦からグレゴリオ暦を採用し、それまでの新年を3月25日(だいたい)から1月1日に変えた事に反発した市民が抗議して始まった」という説を推しております。


フランスでは、3月末に魚の産卵期に入って4月からは禁漁になり、魚が釣れなかった漁師をからかうために、絵に描いたニセの魚を背中に貼付ける悪戯が「プアソン・ダウリル(Poisson D'avril=4月の魚)」の由来になったとも言われています。
そんな故事も、現在では魚の形をした菓子を食べる日に変わっているのは、スイーツ業界の陰謀でしょうか(笑)。

それとはまた違いますが、カソリックの「小斉」の金曜日は、キリストが十字架に張り付けにされた曜日なので、獣肉を避けて魚を食べるという習慣もありますね。
以前パリの魚専門のレストランへ、金曜日にワザワザ予約して行ったら満席だったのを覚えています。

昨年は、食品偽装や誤表示が話題になりましたが、この4月1日の魚こそ疑惑の魚だったのでしょうか?