2014年3月18日火曜日

麦飯・ビタミン・アリナミン

先日、打ち合わせのため御成門の東京慈恵医大病院へ出向きました。
ある企画が進行中で、その一環として慈恵医大の創立者の高木兼寛資料室の見学をしたのです。
高木兼寛をご存知ない方も多いかと思いますが、海軍軍医として脚気の原因が食べ物の差であることを発見して麦飯を奨励し、後に爵位を授けられ“麦飯男爵”と評された人なのです。

高木氏は臨床主体のイギリス医学に学びました。
軍艦によって脚気の発生に差があること、また患者が下士官以下の兵員や囚人に多く、士官に少ないことに気づき、患者数の多少は食物の違いによること、具体的にはたんぱく質と炭水化物の割合の違いによることを発見したのです。
その時点では、脚気の原因はたんぱく質の不足にあり、洋食によってたんぱく質を多くすれば脚気を予防できると判断したのです。


明治13年当時の海軍のたんぱく質の摂取量の資料を見ると、タンパク質:糖質の割合は、健康食では1:4に対して囚人は1:11、水兵は1:9、そして士官は1:6の割合だったのです。
ちなみに、高木資料室にあったその当時の料理再現写真を見ると、1食(1食ですよ!)のカロリーが何と4520kcalなんです。
最初はハルコの目がおかしいか、数字が間違っていないかと疑い、ご担当の管理栄養士さんに聞いたのですが、間違いはないとのことでした。

最初は写真のように、イギリス海軍を見習ってパン食にしたのですが、下士官以下にパンが極めて不評であったため、1885年(明治18年)にパン食がなくなり、麦飯(5割の挽割麦)が給与されることになったのです。
その後に病人食の試食もしましたが、やはり麦飯でした。

そして今日1954年の(昭和29年)3月18日は、武田薬品工業が“アリナミン”を発売した日なのです。
これも太平洋戦争末期の1944年(昭和19年)、ビタミン生産が思いどおりにならない中、「ビタミンB1連合研究会」という国家総動員的な組織が誕生したのです。
かつての臨時脚気病調査会(陸軍大臣所管の国家機関)・脚気病研究会(学術研究機関)とよく似た組織で、3回の開催で敗戦となりました。しかし解散を命じられることなく、改名しながら1954年以降も「ビタミンB研究委員会」として続いたのです。
この研究会でニンニクとビタミンB1が反応すると「ニンニクB1」という特殊な物質ができると報告され、アリナミンの誕生に繋がるのです。
歴史は調べて行くと面白いですね。

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