2014年3月31日月曜日

子どもの仕事

年度末ですね。昨日から今日まで山形で取材撮影の予定がありましたが、諸事情で取り止めになりました。庄内のアルケッチャーノに行けずに残念でした。

毎朝(ほぼ毎年)、NHKの朝の連ドラを視聴しております。
今日から『赤毛のアン』の翻訳者の村岡花子さんがモデルになった「花子とアン」が始まりました。楽しみです。
今日は主人公が幼少時代の設定で、家が貧しく小学校に行けず、子供ながらに家で弟妹の面倒を見ながら、健気に水汲みや炊事をしていました。
NHK朝ドラの伝統的なパターンですね。


観ながら思い出したのは、半世紀の前のNHKの「こどもニュース」という番組です。
その当時、岩手県には貧しい地域が多く、酪農農家の小さな女の子と都会の女の子の、対照的な日常をルポしたものでした。
岩手の子は、まだ薄暗い早朝から起きて、牛の世話や弟妹の世話をしてから、片道1時間の山道を歩いて分校まで通っていました。
一方、都会(世田谷)の女の子は、朝はギリギリまで寝て母親に起こされ、わずか徒歩5分の場所にある小学校へ通っているという比較でした。
その後には、持ちものやら放課後の過ごし方を比較するのですが、都会の女の子は友達と遊んだり、習い事をして夕ご飯まで過ごしているのに対し、田舎の子は、1時間かけて帰って来るなり、家の仕事や家事をお手伝いをしていたのでした。
相当年月が過ぎても、この「こどもニュース」はいまだに忘れられられません。今朝の連ドラを観て思い出したくらいです。

昔は子供も重要な労働力として存在していたのですが、現在子供が家庭でお手伝いするようなことは少なくなっているようですね。
都市部の家庭内では、ますます労働の機械化・省力化が進み、大人すら労働する絶対量が少なくなってますね。

子供に家事の手伝いをさせるということに反対する方々もいるようですが、ハルコは絶対に必要だと思っています。
学習というのは、教科書やネットから判ることばかりではなく、実際に子供にも出来る仕事を通して得られることも多いですよね。
ハルコはそれを10数年前に、中高年のオジさん達向けに「家庭科の勧め」を考えて、雑誌で連載などの運動をしていたのです。
また再開しようかなぁ!

2014年3月28日金曜日

光陰 ”嫌” の如し

速いモノで、3月もあと僅かですね。
と言うよりも、今年も1/4が終わったということですね。

もう22年前の事ですが、中公新書から出版された『ゾウの時間ネズミの時間』が話題になりました。動物生理学を専門とする生物学者・本川達雄さんの著書で、読まれた方も多いかと思います。
内容は生物の分野の、動物の大きさに関する話で、個体によって心臓の脈動(心周期)が違い、これが時間の長さの違いになるというものです(あまり確かではありませんが)。


心臓が1回ドキンと打つ時間を「心周期」と呼びますが、ヒトの場合はおよそ1秒です。ハツカネズミなどはものすごく速くて、1分間に600回から700回です。
びっくりしますね。どうしたらそんなに動くのでしょうか。
1回の「ドキン」に0.1秒しかかからないそうです。ちなみに普通のネズミは0.2秒、ネコで0.3秒、ウマで2秒、そしてゾウだと3秒かかります。
大きな動物はゆっくりで、小さな動物は早い。
これが生物の持っている時間なので、寿命にも関係してくるのです。

そして、時間が体重の4分の1乗に比例する法則により、体重が2倍になると時間が1.2倍長くゆっくりになるそうです。体重が10倍になると時間は1.8倍になる計算ですね。
例えば、体重30gのハツカネズミと3tのゾウでは体重が10万倍違うので、時間は18倍違い、ゾウはネズミに比べ時間が18倍ゆっくり流れる、ということになるのだそうです。
ネズミもゾウも、心臓は15億回打って止まり、生物学的にみると、人間の寿命は26.3年しかないのだそうです。実際には違いますね。
同じ時間だと思っていても、それぞれの生物で元々“所有している時間”が随分違うということですね。

これが同じヒト同士でも、幼年期と成年期では時間が違うのは明白ですね。
朝起きたら、もう夕方・夜……。1日のなんと早いことか。
月曜かと思うと、もう土曜日……。1週間のなんと早いことか。
1日だと思うと、もう月末……。1ヶ月のなんと早いことか。
新年だと思うと、もう年末……。1年のなんと早いことか。
生まれたと思うと、もう……………!

2014年3月27日木曜日

別れと出会いの3月

先週木曜日から連休やら岩手出張で、ブログは1週間お休みしておりました。
今回は岩手に4日間の出張でしたが、3月は年度末ということで色々な組織で人事異動があり、この期間は大変なのです。
連綿と続いている仕事も、組織の人事次第では空白が生じる恐れもあります。
それを停滞無く行うのが、結構難しいのです。


安彦さん(左)、熊谷さん(右)ありがとうございました!

昨年もある仕事で、それぞれの組織の内部の人事異動があり、担当不在のままにハルコのような外部の者が仕事を進めるのですが、最終責任を持つ人が不在になるという事もあります。今回は、前任者と後任者の引き継ぎのために(その他にもありますが)、岩手に出張したのです。

思えば昨年の7月からなので9ヶ月という短い期間でしたが、岩手には7回出かけ、多くの生産者の方とお会いしました。
普段、食関連の仕事をしてるわりにあまり現地とは縁が薄かったのですが、こちらも幅広く勉強出来て、考えている事とやりたい事が具体的に見えてきました。
やはり、現地での体験は重要ですね。

そして、多くの機会をハルコに与えてくださった皆様には、感謝の気持ちで一杯です。
引き続き、やるべき事やこれからの新しい事を考え、一度別れる方々とも再度一緒に仕事が出来る日を楽しみにしております。

2014年3月20日木曜日

ハルコ、酒断ち!か!?

今朝は2ヶ月ぶりに日赤で定期検診を受けました。
相も変わらずの、ハイレベルな数値です。

長年の担当の主治医の先生との会話は、
「数値が下がりませんね」
「すみません。やはり、食生活のせいですね」
とは言っていますが、塩分に脂っこい食事……。
その根っこはというと、お酒でしょうね。
味の濃いものに、酒を飲む。さらに濃い味のものを食べる……。
この悪循環が問題ですね。


昨夜は検査前だったので、ビールすら飲まなかったのですが、いや、食事はあっと言う間に終わるし、つまらないですね。
昔に比べると絶対的な酒量は減り、弱くなったのも確かです。
そろそろ、酒を飲む習慣を考え直すかなぁ。
ちなみに、昨日は1939年(昭和14年)に戦時生活婦人団体協議会が、「酒なし日」を実施した日だったのです。

と、言いつつ日曜から岩手方面へ出張です。
飲まないわけはないですね。ほどほどにしようと思います。
出張のため、来週水曜までしばしブログはお休みです。

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2014年3月19日水曜日

電卓

暖かくなったのはいいのですが、毎朝自分のクシャミで目が覚めます。
はい、花粉の季節ですね。
まったく鬱陶しいったらありゃしない!

花粉の話ではなく、今朝の朝刊を読んでいたら「電卓」の記事があったのです。
今や電卓は、携帯やらスマートフォンにまで組み込まれて日常のものになり、100均でも売っているくらい身近な商品ですが、どっこいプロの方々が使用する高額な物から、海外の発展途上国での需要もあり、これから先も何十年も機能としては変わらない、という内容でした。


話は40年程遡ります。
ハルコが就職した先は、雑誌や書籍のデザインを制作するスタジオでした。
ボスのNさんは、当時『家庭画報』のアートディレクターで、ハルコはその下で毎日毎日誌面のレイアウトをしておりました。
何せコンピューターなど無い時代で、紙のレイアウト用紙に鉛筆と三角定規で線を引きながらデザインをしていました。
写真のトリミングは、トレスコープという巨大な暗箱の下に写真を入れて、レンズで透過して拡大縮小しました。さらに拡大する時は、現像用の引き延ばし機に35mmの写真を入れて拡大したものを、鉛筆でなぞるようにスケッチをして、赤と青の鉛筆で印刷屋さんに入れる“指定”を書き込む作業をしていたのです。
当然、コピー機もFAXすら無い時代でしたが、ある日ボスが卓上計算機を買って来たのです。

弁当箱サイズと大きく、電源は電池ではなくコード!
その当時は、原稿はすべて原稿用紙で来るのですが、きちんとマスに書いている人は稀だったので、原稿用紙からはみ出した文字は、その分の「字数」を数えないと全体の文字分量が出ず、レイアウト出来ませんでした。
これがまた大変で、“字詰め”と言って、1行に何文字入れるかを数えます。「1、2、3、4、5……21」と数え、これが何行、何段になるかを計算するのです。
このスペースを出してから写真やイラストのスペースを決めるのですが、文字を数えているだけで疲れます。
その当時、写真のような「数取器」という新兵器が登場するのです。
よく、駅の構内や交差点で交通量を数えているときに使っている、あれです。
これでカチカチすると、間違いが少なくなりますが、非常にアナログですね。

そして、最終兵器・電卓です!
書籍のデザインになると、何百ページもの原稿を数えて、本全体のボリュームを決めます。1行の字数、1ページの行数、章立て……と、1行の字数や1ページの行数が違うだけで、本の原価や定価が変わるのです。
電卓はこの面倒な計算を早く出来たので、凄い!と思いました。
まだ1台の価格が数万円(四則計算しか出来ないもので)の時代の話です。
しかし、電源コードが災いしてよく机から落下し、電卓さまは1ヶ月の短い生涯を終えたのでした。

2014年3月18日火曜日

麦飯・ビタミン・アリナミン

先日、打ち合わせのため御成門の東京慈恵医大病院へ出向きました。
ある企画が進行中で、その一環として慈恵医大の創立者の高木兼寛資料室の見学をしたのです。
高木兼寛をご存知ない方も多いかと思いますが、海軍軍医として脚気の原因が食べ物の差であることを発見して麦飯を奨励し、後に爵位を授けられ“麦飯男爵”と評された人なのです。

高木氏は臨床主体のイギリス医学に学びました。
軍艦によって脚気の発生に差があること、また患者が下士官以下の兵員や囚人に多く、士官に少ないことに気づき、患者数の多少は食物の違いによること、具体的にはたんぱく質と炭水化物の割合の違いによることを発見したのです。
その時点では、脚気の原因はたんぱく質の不足にあり、洋食によってたんぱく質を多くすれば脚気を予防できると判断したのです。


明治13年当時の海軍のたんぱく質の摂取量の資料を見ると、タンパク質:糖質の割合は、健康食では1:4に対して囚人は1:11、水兵は1:9、そして士官は1:6の割合だったのです。
ちなみに、高木資料室にあったその当時の料理再現写真を見ると、1食(1食ですよ!)のカロリーが何と4520kcalなんです。
最初はハルコの目がおかしいか、数字が間違っていないかと疑い、ご担当の管理栄養士さんに聞いたのですが、間違いはないとのことでした。

最初は写真のように、イギリス海軍を見習ってパン食にしたのですが、下士官以下にパンが極めて不評であったため、1885年(明治18年)にパン食がなくなり、麦飯(5割の挽割麦)が給与されることになったのです。
その後に病人食の試食もしましたが、やはり麦飯でした。

そして今日1954年の(昭和29年)3月18日は、武田薬品工業が“アリナミン”を発売した日なのです。
これも太平洋戦争末期の1944年(昭和19年)、ビタミン生産が思いどおりにならない中、「ビタミンB1連合研究会」という国家総動員的な組織が誕生したのです。
かつての臨時脚気病調査会(陸軍大臣所管の国家機関)・脚気病研究会(学術研究機関)とよく似た組織で、3回の開催で敗戦となりました。しかし解散を命じられることなく、改名しながら1954年以降も「ビタミンB研究委員会」として続いたのです。
この研究会でニンニクとビタミンB1が反応すると「ニンニクB1」という特殊な物質ができると報告され、アリナミンの誕生に繋がるのです。
歴史は調べて行くと面白いですね。

2014年3月17日月曜日

漫画週刊誌

先週は、撮影やら何やでブログをあまり発信しておりませんでしたが、今週後半から来週にかけても、また休みやら出張やらでブログの回数は少なくなりそうです。

今日3月17日は「漫画週刊誌の日」だそうです。
1959年のこの日、「週刊少年サンデー」と「週刊少年マガジン」が同時に創刊されたからなのです。
思えば、ハルコは半世紀飽きもせず、漫画を読んできましたね。


ハルコの知識の9割は漫画だと公言してますが、いまだに通勤の途中の地下鉄の中で漫画を読み耽ってるのです。
以前、地下鉄で漫画を読んでいた姿を、その当時教えていたスクールの学生に目撃されていたらしく、後で「先生に声をかけようとしましたが、真剣に漫画をお読みになっていたので、声をかけかられませんでした」と言われたこともありました。
おぉ、チョーカッコワリー!

最近は週刊漫画誌は週に4冊程度しか読んでおりませんが、最盛期(?)は週に20冊近く読んでいたはずです。
昔は悪書追放というのがあり「漫画を読むなんて!」と言われていましたが、今では「最近の若いもんは漫画すらも読めない!」になってきていますね。
これも時代でしょうか。

2014年3月12日水曜日

二日酔いの弁明

今日は16℃で暖かくなりましたが、ハルコは二日酔いです。
自宅で風呂に文庫本を持ち込み、アルコールを絞り出すこと1時間。
何とか人間らしくなりました。
1時間も入っていると体重が600gも落ち、ダイエットには良いですね。

昨夜は自宅で晩ご飯を食べる予定でしたが、仕事が終わったのは22時過ぎで、やむなく神保町の居酒屋さんへ。
オクサマ曰く「ハルコは初めての店だと、必ずお酒を飲み過ぎてしまうのよ」と大予言の通り、朝から自業自得の二日酔いです。


ふと、「人を区分する時には『酒を飲む人、飲まぬ人』の2種類があるのでは?」と、つまらないことを考えてしまいました。
そして、酒を飲まぬ人には、「飲めるけど、飲まない人」と「絶対に飲めない人」の
2つに分類されるのではないでしょうか。

友人にまったく1滴も酒の飲めない男がおります。顔だけ見ているとテキーラ1ダースくらい飲めそうなのですが、体質的に下戸。
この男と二人だけでフレンチを食べに行ったことがあります。
店自体は初めてで、他の客もいない。ここで、オクサマの「ハルコは初めての店では飲み過ぎる」法則が発動!
友人は飲めないので、一人でシャンパン、白、赤ワインをボトルで飲み干して、さらに食後酒でマールまで飲み、店を出た時は完全にフラフラ。そして、仲のいいバーテンさんがいるバーへ繰り出して、さらにカクテルを数杯。
今思い出してもよくも飲んだものだと思います。
しかしその後、バーのカウンターとトイレを往復しながら、大変な二日酔い(時間は零時を廻っるので二日酔い?)になってしまいました。
未だに思い出すのは(酔っぱらうと、大抵覚えていません)、バーのトイレで覚醒したせいですね。店には大変迷惑かけました。
その後は大量のジンジャーエールと昆布茶を飲んでおりました。
一方、その友人は水とソーダを飲んでおりました。

あぁ、てなことを考えていたら、今晩も会食で飲まないといけない約束を思い出しました。今夜は摂生します。
明日は終日撮影のため、ブログはお休みします。

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2014年3月11日火曜日

ホワイトアスパラガス

今日は311ですが、昨日のブログで書いたので、心の中で亡くなられた方々のご冥福を祈ってます(ハルコの伯母と従兄弟も亡くなってます)。


 春先になると、楽しみの一つと言えば筍もありますが、ホワイトアスパラガスも良いですね。
レストランで見かけると、必ずと言って良いくらいオーダーします。
自分でアスパラガスを調理する時は、三角形の鱗状の部分を取り除きます。この部分は葉が退化したものだということはご存知ですか?
食べている部分は茎なのですが、普段はそんなに意識しませんね。

この数十年で、ホワイトアスパラガスは普通に手に入るようになりましたが、初めてホワイトアスパラガスを見たり食べたりしたのは缶詰でした。
子ども心には、あまり美味しいものだと思ったことはありませんでしたね。。
それからグリーンアスパラガスが沢山出回り、今では普通にスーパーで買える素材になりましたが、ホワイトアスパラガスは別格ですね。

ホワイトアスパラガスは、生育の過程で伸びてきたアスパラガスに土寄せして軟白栽培したもので、土をかけないでそのまま育てればグリーンアスパラガスになるのですが、ハルコはホワイトアスパラガス好きなのです。
まぁ、栄養価の点ではグリーンアスパラガスの方が高いのですが。
ご存知の方も多いと思いますが、アスパラガスを保存する時は、乾燥しないように袋をかぶせて立てて保存します。
ゆでる時も同様で、アスパラガスを縱にしたまま茹でられるような専用鍋もありますが、わざわざパスタロボなど出すのは面倒なので、そのまま茹でています。

以前あるシェフに、「茹でる時は剝いた皮も一緒に茹でると良い」と聞いたので、その通り実践してます。
塩を入れるかどうかはその時の気分ですが、茹でたての熱々に塩とオリーブオイルをかけて食べるのは旨いですね。
そして、外で食べる時は絶対に目玉焼きをのっけたものオーダーします。お馴染みビスマルク風ですね(ドイツの鉄血宰相の好物)。
※写真は西荻の「29」のホワイトアスパラガスビスマルク風

そして、ハルコが思う一番美味しい食べ方は、味噌汁の具にすることです。ダマされたと思って一度お試しください。
アスパラガスの和名が「松葉独活」だというのを理解できますよ。

2014年3月10日月曜日

311の前日

今年は3月になっても寒い日が続いてますね。
昨日は久しぶりに散歩したりとゆっくり休日を過ごしました。


明日は東日本大震災から3年目ですが、これも早いものです。
311の日は今でも克明に思い出せますが、日常から非日常に変わる前日は思い出せないですね。
3年前のスケジュールノートを見ていると、ハルコは3月に入ってから体調が悪く、風邪で寝込んでいたんですね。
そして3日連続でスタジオで撮影して、また風邪がぶり返し自宅休養していました。
3月7日(夜)自宅そばで焼肉、3月8日 市ヶ谷で中華、3月9日 新丸ビルで鮨、3月10日は自宅でご飯……。
その翌日の3月11日は月イチ「はしぐち」の予約を入れていたので、前日は自宅でご飯を食べようと思っていたんですね。
そして、3月11日の午後2時46分まではいつもと変わらない、日常だったのですが、日常から非日常へと大転換でしたね。

3年も経つと当事者以外では記憶も薄れて風化しまいがちです。
この10日と11日の間に、多くの人は環境や人生が変わってしまいました。
第二次世界大戦・太平洋戦争では、本当の復興には8年かかっています。
その伝で行くと3年経た今、あと5年で何とかしないと先は無い、と考えているので、これからが一番大変で、多くの人が忘れてしまいがちな段階に入ってきます。
今月も釜石に帰ります。

※写真は津波の被害を受けてそのままの状態の、港近くの本屋さんです。高校生の頃までよく通っていました。

2014年3月7日金曜日

三谷幸喜・国民の映画

パルコ劇場で三谷幸喜作・演出の『国民の映画』を観てきました。
3時間の長丁場でしたがたっぷり堪能しました。
この劇は3年前の3.11の頃に上演していたものの再演です。
はじめのコミカルな内容が、最後にユダヤ人の殲滅という歴史の闇に繋がるのですが、個人的に16歳の頃を思い出しておりました。


この頃のハルコは、漠然と「イラストレーターになりたいなぁ」と思っていました。
当時、伊坂芳太郎さんというイラストレーターに憧れ、その精密な描写に惹かれていました。
伊坂芳太郎さんの線は、細い面相筆描かれているのですが、未熟なハルコはかぶらペンでマネをしながら描いてました。
それをB全のパネルに描こうとして選んだテーマが「ドイツ第三帝国」だったのです。
この作品を描くために、『ドイツ第三帝国興亡史』(全5巻)を始めとして、ヒットラーの『マインカンプ(わが闘争)』や第一世界大戦後のワイマール共和国の歴史、ユダヤ人迫害の歴史等々を読みあさりました。
そして描き上げたのが今日のブログの画像です。

この所、『アンネの日記』を図書館で破いた事件から、ユダヤ人迫害の歴史などニュースでよく登場してますが、このあたりの歴史をどの程度理解しているのでしょうか。
アーリア人種の優位をはかる政策で、ホロコーストという歴史上でも最悪の出来事は、言葉では知ってはいても日本人にはわかりにくい問題ですね。
ユダヤ教の選民思想、キリスト教のユダヤ人に対する棄民の問題の本質は、歴史でどんどんねじ曲げられて今日まで続く災禍です。
そんな事を16歳のハルコ少年は考えていたのです。

真ん中の空白は、最後のワイマール共和国大統領ヒンデンブルクで、舞台に登場する“あのお方(ヒットラー)の右が宣伝相ゲッペルス、ヒットラーの後ろがナチス親衛隊ヒムラー長官。そして、ヒンデンブルクの後ろが空軍元帥ゲーリンク。
中に描き込んでいるのは、その時代に関係している人物です。
しかし今から考えると、16歳のハルコは相当オタクですね(笑)。

2014年3月6日木曜日

味坊・羊、大いに喰らう

今週初めてお誘いを受けて、神田「味坊」へ出かけました。
中国東北地域の料理を出す、ガード下にある人気の店なのですが、普通の中国料理とは随分違っていました。


味坊の料理は少数民族の満州族の料理で、中国の北方に住んだ祖先の満州族は清王朝を築き上げ、北京に遷都した後も、その食文化の習慣を色濃く残しているのです。
そしてメインの食材は「羊」ですが、中国の飲食理論では、羊肉は季節の変化に体を適応させる効果があるため、羊肉をたくさん食べるのが多くの中国の人たちの食習慣なのです。
一緒に食卓を囲んだ方々は、羊の効果か体温が上昇し、服を脱ぎ出す始末でした。
いやはや、羊の蓄熱効果恐るべし!

中国料理で普段食べる肉と言えば豚や牛が中心で、喰わず嫌いではありませんが羊肉を食べる機会は滅多にないのです。
フレンチやイタリアンでは羊肉は随分食べているのですが、クミンたっぷりの羊焼は「う〜ん!」とうなる旨さだったのです(未訪で随分損をしていたと思いました)。

中国料理で羊が何時頃から食べられてきたかは不明ですが、多く食べられるようになったのは六朝(りくちょう)の頃なので1800年くらい前だと考えられます(三国時代の呉、東晋、南朝の宋・斉・梁・陳)。
北の遊牧民族の南下で羊肉食が広まり、最初に書いた清朝に繋がるのですが、匈奴族が南下し、牧畜が盛んな各種族が領土を広げて行きました。契丹国、遼、と契丹族の食文化の浸透はまさに、中国の歴史そのものですね。

また味坊に行きたいのですが、ある程度人数がいないと沢山の種類は食べられませんね(ちなみに今回は11人でした)。
再訪の日を楽しみにしているハルコでした。

2014年3月5日水曜日

本日もハルコ撮影哉。

朝から冷たい雨が止みませんね。
昨日は幕張メッセのFOODEX見学後、神田の「味坊」をメインにした中国東北地方の料理を食べる会に参加しました。
羊の旨さを心ゆくまで堪能しましたが、これは後日ブログに書こうと思います。


今日はまた撮影で、雨の中出掛けて参ります。
この所自分のデスクにいる時間が短いので、ゆっくりブログを書けないのが残念です。
と、いう短信ブログでした。

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2014年3月4日火曜日

本日FOODEX JAPANです


今日4日から7日まで開催の「FOODEX JAPAN2014」見学のために幕張メッセに来ております。
ハルコは目当てのイタリア館記者発表会に参加します。
ほぼ1日、会場で楽しんでおります。
そんなわけで、本日のブログはお休みです。
皆様よい1日をお過ごしください。

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2014年3月3日月曜日

大きい本、小さい本

今日3月3日は雛祭りですが、ブログで雛祭りの事は書いたことがありませんでしたね。
雛祭りは、五節句の一つで本来は「上巳(じょうし)」といい、古来中国で3月3日を上巳として川で身を清め不浄を祓う習慣が日本へ来て、平安時代に宮中で曲水の宴を張り祓を行うようになりました。「上巳の祓(はらえ)」として形代(かたしろ)の紙の人形を作り、それに穢れを移し川や海に流したのが、現在の雛祭りの原型なのです。


思えば雛祭りに関しては、ずいぶん雑誌等で料理の仕事はしていたのですが、何か一番思い出に残る本は?と捜していたら、ありました。
もう35年前に制作した『決定版/料理の神髄 会席料理』という本で、表紙が東京の「新喜楽」で雛祭りの御膳を取り上げました。
吉兆を始め日本全国の一流会席料理店を取り上げた豪華本なのです。
この本がでかい!
片面A3で見開きにするとA2にもなり、もうポスター並みのサイズで、企画から完成まで2年かかったのです。
後にも先にもハルコはこのサイズ以上の本を制作したことはありまでんでした。

逆に小さい本(冊子ですが)は、片面B8というサイズで手掛けたもので、包丁に付属する冊子です。これが最小ですね。
写真をご覧ください。