2014年2月25日火曜日

クラブ・デ・トラントの時代(再録) 3


2回続けてクラブ・デ・トラントの諸単を書いてみましたが、当然これは当事者が記録(あるいは記憶)したものが前提です。
それに関しては、以前お二人の方から当時の活動状況をお聞きしたことがあります。
一人は北岡尚信さん(プティポアン)です。ハルコ取材の途中で会の話しを聞きながら、当時の生資料も見せていただきました。
もう一人は酒井一之さんです。ここからは、いささか話の筋(かなりクラブ・デ・トラントからはずれて個人的なお話になります)が変わります。
クラブ・デ・トラントの時代、と大げさなタイトルを付けてしまいましたが、ストーリーは3方向あります。

一つは当事者のクラブ・デ・トラントの会員中心のお話
二つ目はそれを取り巻いたフランス料理の動向のお話<
そして、三つ目はレストランの客としてのお話

この3つが折り重なって綴られることが、1970年後半(もっと遡ればそれ以前にシェフたちのヨーロッパでの修行時代、これがまた面白いのです)から、空前のグルメブームが起きる原動力となり、レストランや食が一般性を持ち、それにより料理人がスター化し、その姿を見て多くの若者たちが料理の世界を目指す…という現様が起きました。
美食文化はかつては一部の人々の世界でしたが、その底辺を押し広げ、食産業自体の発展にも少なからず貢献したと思います。
それは80年代をピークにした日本自体の高揚感、と言うと大げさかもしれませんが、あるのです。この30年で食に関して何が起きたのかを、未来のための検証すべきだとハルコは考えています。

ハルコが語るのは当然客としての立場です。その道筋を付けてくれたのが、前出の酒井一之さんなのです。もし、酒井さんと出会わなかったら、食への関心や、ましてやハルコの活動も無かったのでは…と思うのです。

時間を30年ほど巻き戻してみましょう。1980年の渋谷「ヴァンセーヌ」に移ります。
酒井一之さんが14年に渡りヨーロッパで修行を終えて(最後はホテル・メリディアン・パリのスーシェフ)帰国してヴァンセーヌのシェフになった直後に、初めてお店にお伺いしたのです。
それから相当通い続けました。酒井さんからは、フランスの地方料理のことから食材、ワイン、調理法、フランスのシェフたち、修行中のエピソード、旅、カルヴァドスの飲み方、そして食文化……たくさんの話を聞きました。ハルコにとって、“食のマスター”なのです。
酒井さんはまた、クラブ・デ・トラントの事務局を設立当時から、一貫して担当してきたのでした。是非酒井さんにはクラブ・デ・トラントの内情を知る立場から歴史的な記録を残していただきたいものです。


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