2014年2月7日金曜日

肉食はダメよ1200年!

新聞の記事では、4年ぶりに牛肉の消費が増えたそうです。
景気が上向いてきたのでしょうか?
一昨日も肉食のタブーのことを書きましたが、今度は日本の肉食のタブー史の話です。


日本でも、江戸時代が一番肉食に対する禁忌があったイメージがありますが、正確には天武天皇による「畜生の殺生禁断令」が、天武3年(674年)に発せられたのが、日本の「肉食のタブー史」の始まりです。
さらにその後、聖武天皇が天平13年(741年)の今日、2月7日に牛馬の屠殺を禁止したのです(資料により年度の違いがあります)。
「畜生の殺生禁断令」の後も、農民の間では密かに屠殺が行われていましたが、牛馬は人に代わって働く家畜ということで、露見した場合は百叩きの刑になったのです。
そして明治5年1月24日に、明治天皇が「自ら膳宰に命じて」牛肉を試食するまで1200年間も、公では肉食を禁止されていたのです。

「肉食はダメ」という仏教的思想の考え方から、やがて日本民族の多くに、「けがれ」という意識が広がり、肉食を否定する国になってしまいました。と言っても、本音と建前の民族性で肉食をしていた人々も結構いたようです。
例えばあの水戸黄門も肉食をしていたとの記録があり、徳川御三家の紀伊藩藩邸跡から大量の獣肉の骨が発掘されています。発見されたのはごみ捨て場から鹿、牛、馬、野兎などの骨でした。
どんな理由で食べていたかと言うと、表向きは薬の一つとして食べていたのですね。
それらを買い付けていたのは、「獣店(けだものだな)」や「ももんじ屋」と言われる種類の店です。ちなみに「ももんじ」とは、バケモノと言うような意味があります。

最も古くから食べられていたのは「猪肉」です。
古代では肉の総呼は「しし」と言っていたのですが、区別が付きにくいので「いのしし」とか「かのしし(鹿肉)」と称したのです。猪肉は別名で「山鯨」とも言います。
鯨は魚の種類と思われていて、猪肉の味が鯨に似ていることから「やまくじら」と隠語で表されています。
また、「牡丹」と植物の名前で呼ばれているのは皆様ご存じだと思います。
馬肉は「桜」、鶏は「柏」、鹿肉は「紅葉」などで現在も名前として残っていますね。

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