2014年1月31日金曜日

牡蠣嫌いの牡蠣好き?

早いもので、今日で1月も終わりですね。
昨夜は香味屋さんで牡蠣を食べる会があり参加したのですが、ハルコ、牡蠣は苦手というより、嫌いなのです。
何故そんなハルコが参加出来たかというと、ハルコのみ牡蠣抜きメニューだったのです。それはそれで申し訳なかったのですが。


実はハルコ、牡蠣に対しては非常に矛盾しているのです。
生牡蠣は大好きと言っても良いくらいの好物なのですが、加熱した牡蠣が嫌いなのです。逆にオクサマは、大の牡蠣フライ好きなのです。
最近はオクサマが牡蠣フライを召し上がる時に、1個くらいはご相伴するのですが、もう1個が限界ですね。

牡蠣フライはまだ良いのですが、これが牡蠣を煮たものが出て来るとアウトです。
日本料理で、牡蠣を茹でてみぞれ和えにするのもありますが、これもダメです。
一番ダメなものは牡蠣鍋で、はなから食べないのですが、頻繁に通う冬場の甚六のキムチ鍋にも牡蠣は入っているので、すべての牡蠣の権利はオクサマに譲ります。

自分自身で牡蠣の何が嫌いかと考えると、加熱した時のにおいが絶対にダメなようです。嫌いを通り越して気持ちが悪くなってしまいます。
昨夜もそうですが、皆さん本当に牡蠣が大好きですね。

あぁ、ブロンの生牡蠣が食べたい!

2014年1月30日木曜日

かっぽう着と万能細胞

皆様ご存知かと思いますが、ハルコのトレードマークは「三角巾と割烹着」です。
これに、木のサンダルと買物かごがハルコのキャラクタ−です。

昨日から今日にかけてのニュースで、国内外理化学研究所 発生・再生科学総合研究センターが作製・成功を発表した、新万能細胞「STAP細胞(刺激惹起<じゃっき>性多能性獲得細胞)
人工多能性幹細胞(iPS細胞)を超える可能性を秘めた研究成果だそうです。
ハルコにはいささか難しい内容ですが、なんでもその研究の中心になった方は、小保方(おぼかた)晴子さんという方で、必ず祖母から貰った割烹着に袖を通して、毎日実験に取り組んでいるそうです。

何と、名前が「晴子」さん。そして「割烹着」!
共通点が2つもあるではないですか!(だから何だ、ですね)


いや、素晴らしいですね。
これからハルコもかっぽう着で、毎日「万能だし」(※)で料理を作ります。
※万能だし
昆布と鰹節で取っただしを、だし8:酒あるいは味醂1:醤油1の、8:1:1の割り合で加熱して作る便利なだし。麺つゆからお浸し、煮物と幅広く使えます。

2014年1月29日水曜日

初物を食べると……


昔から、「初物を食べると寿命が75日延びる」という諺がありますように、どうも日本人は初物に弱いようです。
正月の築地のマグロなんてのも、昨年まではずいぶん高価(こうじき)だったようですが今年は落ち着いたようですね。
また色々な季節が巡りますと、初物を喰った人はこれまた自慢する、といういやみな輩も多く。
特に、秋から冬にかけては顕著でございまして、
「ハルコさん。ふぐ食べた?」
「ハルコさん。松茸は?」
今なら、「ハルコさん、白トリュフ食べた?」や「コールヴェール食べた?」……と、うるさいったらありゃしない!

そんな初物好きは、江戸時代から現在まで繋がるDNAなのでしょうか。
今から350年程前の寛文5年(1665年)。将軍様は四代家綱の時代の今日は、府が「蔬菜魚鳥」の出荷を決めた日なのです。

「初物」は「走物(はしりもの)」とも言い、
値段に関わらず人よりも少しでも早く手に入れて、味わうことが江戸っ子の見栄だったのですが、これが物価の高騰を招いたというので、幕府は細かく初物の期日を定めたのです。
鱒、椎茸は1月から4月まで、土筆は2月、山葵・生姜は3月で、鮎・鰹・筍・茄子・枇杷は4月から…………と、こと細かに規定したのです(新暦旧暦は気にしないで)。

料理関係の仕事において、撮影は先々の物を撮ることが多いのですが、本当に早過ぎて困ることが多々あります。
真夏に青いいが栗、12月に青梅。この二つは成りもので、本当に入手が大変でした。
これは初物以前のものですが、この頃は年中初物が多いような気がしますね。
季節の先取りと言って季節感を壊しているのも事実ですが、困ったことに消費者がその辺を理解していない、知らない、という問題もあります。
その辺をどう折り合い付けるかが今後の課題だと思うハルコでした。

2014年1月28日火曜日

カレー東奔西走


今月は風邪予防も兼ねて、カレーを12回も食べています。
個人的な思い込みですが、カレーは体を暖めて免疫力が強くなると信じております。
今やカレーは日本の国民食で、ハルコは「和食」と言っても良いと考えています。
今日はそのカレーにまつわるお話です。

以前、大阪に仕事で出張した時に、高麗橋のそばに宿泊した事があります。
ガイドブックを見ていると、近所に「少彦名(スクナヒコナ)神社」がありました。
ここの神社は谷崎潤一郎の『春琴抄』、菊田一夫の『がしんたれ』の舞台となった神社なのですが、別名「しんのうさん」と呼ばれているのです。
さっそく、早朝散歩に出かけました。
ビルの間にある本当に小さな神社ですが、朝から参拝の人が多く訪れていました。
ここは、日本の薬祖神である少彦名命(スクナヒコナノミコト)と、古代中国の農耕・医薬の皇帝・神農(しんのう)を祭神とするところから、地元では「しんのうさん」と呼ばれる薬の神様なのです。
このあたりは、江戸時代から350年間続く「薬屋の町」=道修町(どしょうまち)で、現在も、武田長兵衛商店=武田薬品をはじめ、日本を代表する製薬メーカーの本社が軒を連ねているのです。
そして、この当たりの漢方薬種問屋さんが、日本のカレーのルーツであり、ハウスやヱスビーなどを誕生させた「カレーの聖地」でもあるのです。

今日の掲載画像は、ハルコ作の「インドのスパイス料理から日本の国民食になるまでの道・カレー東奔西走」です。

2014年1月27日月曜日

鯨とハラール

ハルコが幼少のみぎりに、食卓に毎週1回はの肉が出ていました。
調理法は主に味噌焼きでしたが、筋張っていてあまり好きな食べ物ではなかった、という記憶があります。
長じて、鯨に関しては反捕鯨運動で捕獲制限されて、希少性ということから“珍味”として扱われ、口にする機会も随分減りましたが、たまに食べる時には小さい頃の食卓を思い出します。

さてその鯨ですが、先週、ムスリム(イスラム教)で「ハラール認証」を受けた、というニュースがありました。
最近ご存知の方も多くなりましたが、ハラールとはアラビア語で「許されたもの」を意味する言葉です。
イスラム神学者らでつくる認証機関が、食品の成分や製造工程を審査しており、認証を得るには、「豚肉やアルコールを含まない」など細かい規定を満たす必要があります。
その、イスラム教の戒律に沿った食べ物であることを証明する「ハラール認証」を取得したのが、日本の調査捕鯨船「日新丸」が、船内で行うクジラ肉の加工処理について、なのです。
これは、快挙といっていい出来事だと思います。


ハルコが長年知りたくて勉強しているジャンルに、「宗教と食のタブー」があります。
それぞれの宗教の戒律により、「これは、ダメ。これは、OK」という根拠が何であるのか?が知りたいのです。
ある民族から見れば普通の事が、他の民族の視点では異常に映る。この宗教や習慣の壁というのは超え難いもので、解決方法など無いと思っているのです。
相手に自己の文化を押し付けるのではなく、目障りでもよほどのこと(資源枯渇や環境破壊など)が無い限り、不干渉であって欲しいものです。
今回、ムスリムが鯨をハラールに認定したという事は、反捕鯨のキリスト教を敵に廻すということでもあるのですが……。
そんなことを思いつつ、「千年の対立ここに始まる」が序章の『アラブが見た十字軍』の再読をしています。

2014年1月24日金曜日

あぁ、スポン地!?

世間では、ハルコは「食の専門家」(えへん!)ということになっております。
長年料理や食に関する本を作ったりしているので、「門前のハルコ、習わぬ食を覚える」なのです。
ところが、何せハルコ、物事を正確に覚えるのが超苦手ときています。
そんなハルコが馬脚を現した事件がありました(遠い目)。


もう15年前になりますが、「ケーキ教室」という本の制作に関わっていた頃の話です。
総ページ数322頁という厚いムックで、辻口博啓さんや高木康政さんが注目を浴びはじめた頃でした。7人のシェフ・パティシエに多種多様なケーキを作っていただき、撮影したのです。
さて、編集長やらライターさんとハルコがコンテを描きながら、その打ち合わせをしていた時のことです。
ハルコが鉛筆でコンテを書いていたのですが、皆さん「?」という表情なのです。
「何?」と聞くと、「“スポンジ”間違えているよ」
「えっ、“スポン地”のどこが?」

賢明な皆さんはお判りですね。
ハルコはず~っと、「スポンジ」は「スポンという生地」だと思っていたのです。
「生地」と「スポン地」……。
大恥をかいたハルコでした。

2014年1月23日木曜日

キャベツが1位!?

昨晩はやまけんさん「日本の食と農は安すぎる!」セミナーと二次会で盛り上がりました。
セミナーの表題はごもっともな話で、ハルコも以前から唱えていますが、今日のテーマはキャベツなのです。


朝、情報番組を見ていたら「2013年でもっとも多く食べた野菜は?」というアンケートがあり、第1位は「キャベツ」だったそうです。
ハルコとオクサマは、「……!?」「キャベツ!?」
そこで、わが家で多く食べている野菜は何かと話したところ、タマネギ、ジャガイモ、ニンジン……。あれっ、カレーの材料だ!

これは、カゴメ株式会社が全国の主婦4,700名を対象に「家族の食生活と冬の野菜摂取に関する調査」を実施し、発表した結果ですが、実対象者の年齢層は20歳から69歳。調査方法はインターネットによるアンケート回答方式だそうです。
インターネットだと偏りがあるような気がしないでもないですが。
1位は「キャベツ」(25.3%)。
以下は、「玉ねぎ」(17.4%)、「白菜」(8.4%)、「トマト」(6.9%)、「じゃがいも」(6.3%)と続き、緑黄色野菜の順位をみると、1位が「トマト」(6.9%)、2位「にんじん」(4.4%)、3位は「ほうれんそう」と「かぼちゃ」(共に2.5%)、5位「ブロッコリー」(2.2%)だったそうです。

また、冬にどのようにして野菜を摂取しているかを尋ねたところ、「鍋」が88.3%でトップとなり、次いで「スープ・汁物」(68.7%)、「カレー・シチュー」(64.3%)、「煮物」(61.8%)、「炒め物」(46.1%)という順番でした。

わが家の話に戻ります。
キャベツは大好きですが、そんなに食卓へ登る頻度は多くありません。
ただ揚物が好きなので、外ではキャベツの千切りをかなり食べてはいますね。
今年は、旬の野菜をちゃんと料理して食べよう!と思っているハルコでした。

2014年1月22日水曜日

今年は9回も……

ほぼ毎日のことですが、自宅でも外でも食事の写真をスマホで撮っています(撮影禁止の店は除きます)。
その写真をスクロールしながら、今年は何を食べているのかと見ていたのですが、正月明けに1週間で4回もイタリアンを食べていたのは別として、単独で一番多かったのが、何とカレーだったのです。
3週間で9回カレーを食べたということは、ほぼ2日に1回はカレーだったのですね。
とは言っても、その内の2回はカレーそばでしたが。
自宅でもカレーを作り、新潟のダーチャでも東京で食べ、赤坂見附の東洋軒のオープニングレセプションでも“ブラックカレー”を食べていました。
カレーは弾みがつくと習慣性で食べてしまいますね。

伊勢丹のキッチンステージで1時間以上も立会(読んで字の如く)をしていて、お客さんが中で美味しそうに食べているの見ているのですが、何せ百貨店の開店前の早朝から店内にいるので何も食べておらず、空腹に耐え切れずに、セミナーの途中で抜け出して新宿3丁目の立食いそば屋さん(富士そば)に食べに行くのです。
その間わずか5分ですが、外は寒いのでついついカレー付のそばを食べて、暖を取るハルコでした。


というわけで、今日は「カレーの日」なのです。
1982年(昭和57年)の1月22日に「学校給食設立35周年」を記念して、当時の文部省が後援し、全国の小中学生約800万人に「一斉カレー給食」が実地され、これが記念日になったそうです。
しかし、全国の約300の市町村は「給食の管理化」として反対したのだそうです。
賛成するのも反対するのも、根拠は希薄ですね。

この頃の小中学生が好きな給食メニューのトップ5は、カレーライス、焼そば、ハンバーグ、スパゲッティ、カレーシチューでした。
S&Bの調査によると、日本人は1年間に平均84回カレーを食べていますが、これが多いのか少ないのかは分かりません。
ハルコは、1ヶ月足らずでもう9回も食べていますが、今年はあと75回食べないと平均にはなりませんね。
集中して食べると、しばらく食べたくなる性格のハルコですが、そろそろカレーはいいかなぁ、と思っている「カレーの日」でした。

2014年1月21日火曜日

料理番組の日

今週前半は、久しぶりに事務所でじっくり仕事をしています。
寒いので外へ出るのも面倒だし、そんな時に1年前にハルコブログで何を書いていたかをチェックしていると、今日は「料理番組の日」でした。
すっかり忘れていましたね。
思わず、自分のブログを読んで「ふむ、ふむ」と感心したハルコです。
今日のブログは“大テヌキ”で、1年前の再録です。


最初はNHKの『今日の料理』が料理番組の始まりだと思っていましたが、『今日の料理』は1957年11月4日に放送開始なので違いました。
意外な事に、イギリスが発祥だったんですね。
1937年1月21日にBBC放送で始まった『夕べの料理』という番組が、テレビを通して初めての料理番組だそうです。
1937年!? この頃にテレビ番組があったんだ!

さらに調べてみると、BBCが試験放送を経て本格的にテレビ放送を始めたのが、前年の1936年11月2日で、ほぼテレビの創世記から料理番組はあったようですね。
そして、しばらくしてから第二次世界大戦が勃発して中断し、終戦後の1947年6月7日に再開されたのです。

最初の「料理番組」の料理って何だったと思いますか?
答えは「オムレツ」です。
確かに「料理は卵に始まり、卵に終わる」という格言(?)があるように、相性は良いと思いますが……。
その時の番組の料理人はマルセル・ブルースタン(Marcel Boulstin)で(ハルコも知りませんでした)、フランス料理の料理人でした。
このマルセルさんは1878年生まれで、番組に出た時は59歳、1911年にロンドンのコヴェント・ガーデンでレストランを開店し、大変人気の店だったようです。
戦争中の1943年に65歳で亡くなっております。
マルセルさんのモットーは「シンプルフレンチ」だそうで、現在にも繋がるフランス料理の先駆者ですね。
ちなみに1963年の今日は、日テレの『3分クッキング』が開始された日です。
さらに古くは、1954年に宝酒造が『タカラお料理帖』という番組を提供しており、これが日本での最初の料理番組だそうです。

今ではテレビをつけると、どのチャンネルでも料理番組を見ない日はありません。
いかにテレビと料理は相性が良いか、ということなのでしょうか。
ネットも含めて料理情報は溢れていますが、いささか情報疲れしてしまいますね。

2014年1月20日月曜日

ララ物資


今日は大寒、さすがに暦通りの寒い1日なりそうですね。
土日も働いていたので、何だか今日は休みたい気分です。

毎日ブログを書いていると、まず手元にある「食の366日話題事典(東京堂出版)」で、今日の項を確認するのが日課となっています。
今日1月20日の項に「ララ物資による学校給食が再開される」とありました。
“ララ物資”?? ほとんどの方はご存知ないでしょうね。
太平洋戦争後に極度の食糧難で日本が困窮してた時の話です。
「ララ」は、「LARA」の呼称で、正確には“License Agency for Relief in Asia(「アジア救済連盟」)”の頭文字です。
太平洋戦争終結直後、日本人の約六人に一人はこの「ララ物資」の恩恵に浴しました。
キリスト教徒により結成された民間組織で、救援を主に活動している団体が物資を送ったのだそうです。

1946年年11月、横浜の港ヘアメリカから援助物資を満載した船が到着し、「ララ物資」は当時の金額にして400億円にものぼりました。この膨大な量の援助物資が、すべて「日本の子供達を救おうではないか」との思いを込められたもので、世界各地から送られたのです。しかも、それがすべて民間のボランティア組織で行われたのです。
この活動の中心になったのが、日系アメリカ人で岩手県盛岡出身の浅野七之助さん(1900~1998年)という方なのです。
浅野七之助さんは、太平洋戦争中に日系人が強制疎開や財産没収された中、アメリカ政府に掛け合って、ようやく日系人の名誉回復させた人物です。
食料品や医薬品、さらには日用品などの膨大な救援物資が、「ララ物資」あるいは「ケア物資」として海外のNGOの手により届けられ、1946年から1952年までの間に、1,400万人以上が恩恵を受けたと言われています。

戦後70年近く過ぎて戦争や戦後の記憶が薄れ、歴史的な相違から多くの問題が溢れています。
ここでは事の是非は言いませんが、どんどん埋没していくように感じています。
先日、いわての銀河プラザへ伺った時に、津波で家が無くなり、現在盛岡在住の釜石のわかめ業者の女性の言葉が忘れられません。
「東京に来て、オリンピックで盛り上がっているのを見ていると、これで被災地は人も(工事の)物(資材)もお金も、東京で止まってしまいますね」

こんなことを考えている大寒の日です。

2014年1月17日金曜日

紅茶

考えてみると、ブログで紅茶の事を書いた記憶がありませんね。
ハルコは自宅では、毎朝紅茶をいただいています。しかし、何故か新潟のダーチャでは朝はコーヒーなのです。


わが家で長年愛飲している紅茶は、Fortnum & Mason(フォートナム・アンド・メイソン)で、幾つかの種類を楽しんでおります。
購入している店は日本橋三越で、ここにフォートナム・アンド・メイソンの売場があるのです。
もう20年以上のヘビーユーザーですが、たまさか日本橋三越の仕事をする機会があり、打ち合わせのついでに買っていました。
三越の仕事を離れた後も、三越と伊勢丹が事業統合したため日本橋へも行く時は、オクサマから「ハルコ、紅茶買ってきて」とご下命を拝しています。

朝の紅茶はミルクティにして飲むのが好きなのですが、今日1月17日は日本の紅茶にとって意味深い日なので、1杯目はストレートでいただきました。
1878年(明治11年)のこの日に、明治政府は「紅茶製法伝習規則」を制定したのです。
当時の勧業寮(現在の農水省)は殖産振興の一環として、多田元吉を1875年に清国へ、翌年はインドへ派遣しました。
現地での技術を習得し、帰国後、東京・静岡・鹿児島で伝習所の開設に至ったのです。
しかし、日本の風土は紅茶の栽培には適していなかったので、紅茶栽培が根付かなかったのです。
同じお茶でも難しいのでしょうね。

現在、静岡市丸子の長源寺には、多田元吉がインドのアッサム地方から持ち帰った、樹齢130年の4本の茶の木があるそうです。
うむ、やはり紅茶はフォートナム・アンド・メイソンに限るなぁ(※ハルコ個人の感想です)。

2014年1月16日木曜日

和食はガラパゴスか?

ハルコの今年の年頭テーマは和食と決めて、ポチポチ考えております。
昨晩は辻調グループの総帥・辻芳樹さんの「和食」セミナーを聴きに行きました。
参加者からの最後の質問は「和食の範囲は?」という、誰もが聞きたいものでした。
学校教育者である辻さんとしては、卒業生が多方面のジャンルで活躍していることもあるのか、ラーメンやナポリタンなども含めての和食だと言っておりました。
この辺は解釈やスタンスの違いで随分様相が変わります。

ハルコとしては、これらは「日本の食文化の中で変容され、パーマネント化した」という位置付けで、以前からやっていたことを再整理したいと考えております。
和食が世界無形文化遺産に登録されてグローバル化し、日本の農産物を海外へ輸出しようとする動きの中では、大変象徴的でフラグを立てやすいですね。

しかし、「和食のグローバル化って何?」と言うと、ここからが意見の別れるところです。
その前提として、冒頭に書いた「和食の範囲」にかかってきます。
今や鮨やラーメンは、日本食として海外でも大変人気なジャンルですが、現在進められている動きは、日本食をそのまま食文化として海外に発信するような感じです。
面倒くさい話ですが、海外にある和食の多様性の中で「これからの海外での和食」とどう折り合うのか、ということです。

日本で生活していて、どのくらいの日本人が文化としての和食、はっきり言うと京料理を中心とした茶懐石や会席の料理を食べた事があるか、と疑問に思うのです。
昔、何かの本で「フランスでは、オートキュィジーヌ(高級フランス料理)を、一生の中で1度食べる機会があるかどうか」と書かれていたのを思い出しました。
世間一般に普及されるものと、普及されないもの。二つの方向があって良いとハルコは思います。
フランス料理が好きになり、それを丸ごとフランス文化として体験してみたいと思い、30代の頃に随分通ったのは、その場で感じ取りたい事があったからです。

それと同じで、日本でしか丸ごと味わうことの出来ないから、京都へ出かけるのです。
ガラパゴス化すべきだと思うのです。
(この項続く)

2014年1月15日水曜日

ハルコ霍乱す!


江戸時代に霍乱と言えば夏の病気で、嘔吐や下痢を伴う症状が出るものですが、昨夜はフランス大使館で、ガレット・デ・ロワの会に参加している内に、熱気に当てられて非常に具合が悪くなってしまいました。
ガレット・デ・ロワも食べらず、その後オクサマのお供で入ったラーメン屋さんでも
一口食べたら気持ちが悪くなって、家に帰ったら寒気が酷くなり、早々に就寝しました。
思えば正月以来、胃腸も酷使していましたね。
思えば我が家では、昨年の今頃も二人ともインフルエンザに罹り大変でした。
大寒と言って一年中で一番寒い時期です。
皆様もご自愛ください。

2014年1月14日火曜日

料理人年齢当てクイズ

先週は4回もイタリアンを食べましたが、今週は今週で「ガレット・デ・ロワ」の会やらで予定が埋まっています。


明日の夕方から代官山の蔦屋書店で、辻芳樹が語る「和食の真実」のトークイベントがあるので、「和食の真実」を拾い読みしておりました。
その中で「料理人の年齢当てクイズ」という小見出しが目に入りました。
辻芳樹さんの父・辻静雄さんは、ご存知のように日本の食文化に大変な影響と貢献をした方ですね。
その辻静雄さんがお子さん達と食事に行く際に、「この料理を作った料理人の年齢は何歳ぐらいだろう?」と、クイズを出されていたそうです。
そうしているうちに、メニュー構成、味付け、肉や魚等の食材の使い方、包丁の入れ方、盛りつけ方、お皿の選び方、等々から、大体5歳の誤差で判るようになった、と書いてありました。

ハルコも以前から、「客と料理人の年齢がプラスマイナス5歳」の幅が相性が良い、と考えておりました。
最初に料理を食べ始めた頃は、当然料理人は随分と年上なので、そんなものかと思って気にせずに食べていました。
そのうちに同年齢の料理人達が第一線に登場し、あれよあれよと言う間に随分と年下の料理人も活躍するようになり、年代によって随分と料理に関しての考え方が違うのだ、と実感しています。

ハルコもこれは大体どのくらいの歳の料理人が作ったか、が判るようになりました。
料理人の系譜で、弟子たちがどんどん独立していく過程の中、客が親方のこの料理が好きで、弟子にも同じ料理をリクエストすることもあります。
まったく別の料理になるのなら違いますが、 同じ料理でありなががら、アプローチや解釈の違いで味が変わるのを、結構楽しみにしているのです。

2014年1月10日金曜日

鴨肉

正月休みが終わったと思ったら、3連休! 1月は使えませんね。
どちらにしても、ハルコは3連休は仕事です。

今日は朝から撮影をしていたのですが、メニューに鴨のオレンジ煮がありました。
昨日は鹿肉のことを書きましたが、今日は鴨肉の話です。
考えてみると鴨肉は非常によく食べています。
ジビエの季節の青首でなくても、そば屋さんで鴨をつまみに鴨南そばを食べているし、和食やフレンチやイタリアンでもいただいてますね。
特にこの季節の脂肪の付いた皮目との境目は、甘くて旨いのです。
ああ、思いだすだけで涎が……。


トゥールダルジャンの鴨番号カード

鴨と言えば、やはりパリのトゥールダルジャンが有名ですね。
24年前に鴨を食べに行きました。
「鴨胸肉の薄切りマルコポーロ風」というのをいただいて、鴨ナンバー(客が食べた鴨の数の番号)が729397番!
日本のトゥールダルジャンは、1921年に昭和天皇が皇太子の時代にパリで食べた番号53211から、順次客に鴨番号カードを渡しています。

高級フランス料理の鴨も良いのですが、ハルコは昨晩いただいた「鴨鍋」の方が好きですね。
あぁ、今晩も鴨肉が食べたくなった!

2014年1月9日木曜日

鹿肉


神宮前「poco a poco」の仔鹿肉


昨夜は誘われて、2月に閉店になる神宮前のスペインバル「poco a poco」へ出かけました。席は6席はしかないのですが、30年の重みを感じさせる良い店です。
以前来たのはもう3年前でしたが、閉店は残念ですね。
名物のトルティージャからはじまり、スペインの味を堪能しました。
肉は仔鹿と仔羊のダブルでしたが、このところ鹿を食べる機会が増えています。
昨年末も銀座の「マルディグラ」で仔鹿を食べたし、この所鹿はブームとまでは言えませんが、随分市民権を得てきましたね。


銀座「マルディグラ」の仔鹿肉


元々、ジビエの季節には猟の解禁で、高級食材として食べられていたし、ハルコも鹿肉は20年以上前から国内やフランスへも随分と食べに行っておりました。
最近では日本で野生の鹿が増え過ぎて、害獣(人間の勝手な言い方ですね)として駆除される対象になり、今では食べやすいヒレやロースの他にも、工夫して食べられるようになりましたね。

最初に食べた時は、味が淡白で物足りなく思ったのですが、長年かけて少しは鹿肉の旨さが判ってきたのではないかと思います。
鹿肉は牛肉と比較して、タンパク質が3倍もありながら脂肪は1/10という低脂肪で、ヘルシーさが売りです。牛肉もサシが入ったものより赤身が人気のようで、消費者の健康志向にも沿っていますね。

昨年、伊勢丹のキッチンステージでも「オギノ」で鹿肉料理を提供しましたが、今年になって更にに鹿肉の人気が高くなってきたようです。
その内、鹿肉レシピの本でも企画しようかなぁ。

2014年1月8日水曜日

ハルコ味覚の退行か?

朝、歯磨きをしていると必ず「オエッ!」となります。
毎朝の事で嫌になります。
お医者さんで風等の診察で喉の奥を器具で押さえられる時も「オエッ!」となります。
これは病気ではなく、咽頭反射(いんとうはんしゃ)または、絞扼反射(こうやくはんしゃ)と呼ぶそうです。
煙草を吸っている人に多いそうですが、ハルコは禁煙してから10年以上経っています。


てなことを考えて歯を磨いていたら、加齢で「味覚が退行」するのだろうか?と考えたのでした。
「味覚の退行」とは違いますが、「味覚の幅」が狭くなったという自覚はあります。
元々酸味に弱いのですが、これも前にも増して酸味に弱くなり、苦み、辛みとも強いものは、だんだん苦手になってきました。
しかし、苦手だった甘味は以前より好きになり、デザートを好んで食べるようになりました。もしかしたらこれは、「味覚の退行」の兆候ではないだろうかと思っています。

子供が一番最初に好きになる味覚は甘味で、その後成長とともに複雑な味わいが“理解”出来るようになり、加齢と共に味覚が幼児期に退行していくそうです。
そう考えるとハルコの味覚は退行(お子ちゃま化)しているのでしょう。

味覚の中でも「うまみ」はちゃんと判るのですが、これはある臨床実験によると、脳の退行を予防したり改善する働きがあるらしいのです。
だしのうまみ成分は昆布や鰹節の他に、野菜などにも含まれいます。
「味覚の退行」に“対抗”するのは、やはり自然界の素材が一番なのですね。

2014年1月7日火曜日

美味しさを伝える仕事

松の内まではお正月ですが、地域によってはこれから節分の前までの旧正月が本番ですね。新潟のダーチャに引き蘢りながら、自分の仕事を考えておりました。ハルコの場合は仕事がボーダレスなので、これは食や料理に限定した話です。
目の前の料理は、それを食べた人のみが体感出来る、非常に個人的なものです。
その体験を食べていない人と共有するためには、それを伝える方法が重要になります。


この10数年で増えたネットを通しての発信ですが、毎日毎日膨大な食の情報を見ていると凄い時代に生きているんだ、と思わずにはいられません。
写真を撮って、コメントを書いて、ネット上に投稿する、という行為が簡単にできることによって、誰でも料理評論家になれる時代です。
でも、それが旨かった、不味かった、サービスが良かった悪かった……と、数の集計によってランキングが出来、「最大公約数」の料理や店がもてはやされる反面、逆にマスコミ取材拒否の店が噂や口伝で語られるという世界もあります。

一時期ハルコも、その片棒を担ごうとしていた事もありましたが、現在は誰それの「美味しい情報」を聞いたり見たりしながら、楽しむ方に廻っております。
また、それとは別の「美味しさを伝える仕事」が、ハルコの本来の仕事となるのです。

食関連の商品開発は、最終的に購買してくださった消費者の方々がどういうシーンでそれを食べるか、ということを想定しながらレシピを作成したり、写真を撮ったり、コピーやデザインの力を活かしながら構成していくのです。
また、現在運営に関わっている伊勢丹のキッチンステージの様に、季節性やその時の行事内容などを加味しながらメニューを作り写真を撮ったりもします。
写真撮影はカメラマンの仕事ですが、「その美味しさをどのようにお客様に伝えるか」がハルコの重要な仕事になるのです。
本業の料理本の制作は、まさにこれらの集大成で、基本は「美味しさを伝える」ことにあります。

こんな仕事を、かれこれ40年近くも続けてまいりましたが、時代時代で「美味しさを伝える」イメージが変化しているのも感じています。
これに関しては、改めて一度書いてみたいと思っています。

2014年1月6日月曜日

ハルコ、年頭に思うこと

新年あけましておめでとうございます。
本日よりブログを再開いたします。

昨年の28日から今年の4日まで、新潟のダーチャで引き蘢り生活をしておりました。
今年は例年よりも雪が少なく雪かきも1回だけという、いさかさか物足りない思い出でしたが、長年雪国で生活されている方からはお叱りを受けそうですね。
ほとんど毎日引きこもりしながらの3食自炊生活で、その上に正月ということで朝から随分お酒も飲んで、運動不足で体重ばかりが増加しただけでした。

ハルコのモットーは
「てきとう、てぬき、てにあまる」の3T主義で、その上にライフスタイルは「のんべんだらり」という情けないものです。
この引き蘢りはまさに、「3T+のんべんだらり」と過ごしてしまいました。

「一年の計は元旦にあり」と言いますが、そんなことは思わず惰眠を貪る日々でした。
昨日5日より事務所へ出社して、郵便物などの整理と雑用をしていたのですが、そろそろ仕事モードに切り替えないと、と思いつつハルコの原点を考えておりました。
「3T主義」とは真逆の「不便って美味しい」が本来のハルコのテーマでもあるのです。

正月にテレビを観ていると、「和食」が随分クローズアップされていましたが、世界無形遺産に登録されたおかげですね。
これも一つの「不便って美味しい」というテーマに繋がります。
今年は初心にもどり「不便って美味しい」を考えたいと思うのでした。

2014年1月1日水曜日

謹賀新年


新年明けましておめでとうございます。
2014年もお手伝いハルコをよろしくお願い致します。
皆様よいお正月をお過ごし下さい。

年末年始も、近況は随時FBで発信しております。
ブログは1/6より再開します。
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