2013年11月28日木曜日

米について考えています。

長年、料理の本を制作したり食関連の仕事をしてきて、一度たりとも疑問に思わなかったことが、このところ本当にそうだろうか? と疑問に思えてきました。
それは、ずばり「米」問題なのです。


政府が減反政策を止めるとか、TPPの聖域だとか、毎日米を巡るニュースで溢れています。長年日本人の主食は「米」であり、その米を中心にした食事が正しい食生活である、という考え方です。
1985年に、当時の厚生省が提唱した「日本型生活=米を中心にした健康的な食生活」の時は、欧米型の脂質など高カロリーな食生活から、ヘルシーな日本型食生活への転換を促すため、ハルコも出版社などの本を制作した事もあります。

ハルコ自身は「米」大好き派で、米を食べない日は考えられません。
しかし、本当に米は日本の食の中心だったのでしょうか?
百姓という名称は、農業(特に米作り)をする人々だと考えていましたが、以前方関心を持って読んでいた網野善彦氏の著作物で、「百姓はいくつもある職業の一つで、米を作る農民とは限らない」という説がありました。
確かに、日本は四方海に囲まれていてる上に山々が多く、平地での米の耕作面積は限られています。
この所、仕事で岩手へ出かけていますが、海や山での食糧生産者さんの場所にも随分行ってきました。
そうすると、農民の他に山民、海民と多くの食糧の生産者がいるのです。
この人達も古来より生産者の子孫として生活を営んできていますが、昔は貧しいというよりも米の栽培が出来ないので、粟や稗などの雑穀を主食にして生活してきたのです。

米が主食であるなら米の供給は必須条件ですが、日本の歴史上で完全に米の絶対供給が出来ていたことは無いのです。
明治になって台湾を統治し、そこで米を生産し、国内に流通させていたくらいなのです。米の生産は国是で、戦後の高度成長以降に日本人の食生活の多様化により、米の需要が落ち、米余りで減反……。

米は神事とも深い関係もあり、単なる一つの食糧でないことも確かですが、一度ちゃんと日本人と米との関係を深く考えてみたいと思っています。
写真は30年も前に米に深く考えていたハルコの幻の『米の博物誌』のコンテです。

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