2013年8月16日金曜日

ロッパの8月15日


昨日の終戦記念日の続きです。
ハルコは昔から、俳優にして洒脱なエッセイを書いていた古川緑波(ロッパ)のファンで、何回かブログにも書きました。
そのロッパ先生は膨大な日記を残していて、『古川ロッパ昭和日記』(全4冊、戦前編昭和9〜15年、戦中編昭和16〜20年、戦後編昭和20〜27年、晩年編昭和28〜35年)を愛読しているのです。
昨日の終戦記念日で改めて確認しようとしたら、昭和20年7月5日から9月3日までが欠損していました。
この約2ヶ月の間に敗戦を迎え新たな日本になり、消失した部分で特に8月15日前後にロッパ先生は何を考え、そして何を食べていたか……。

この戦中にはずいぶん色々な方が日記を残しています。
ロッパ先生の畏友だった俳優でエッセイストの徳川夢声の『無声戦争日記』の終戦の日の記述には、

十五日(晴 暑)正午、玉音放送。

「朕深ク世界ノ体勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ」の大詔に涙した彼は、自室にこもってひたすら眠る。空襲警報のサイレンが鳴ると原爆の放射能よけにレイン・コートを慌てて羽織り、焼夷弾と機銃掃射におびえる日はついに去ったのだ。

翌日の16日には、
午後二階で昼寝、トロリトロリと異様なる眠り。
省電は常の如く通り、郵便もつつがなく配達サル。
十三日発の葉書が今日着くなど案外に速し
と、あるのでロッパ先生も同様かなぁ?と思う次第です。

さらに、作家の内田百閒の日記『東京焼盡』の8月15日には、
八月十五日水曜日七夜。朝曇り。午後から晴れ。
温度は三十一度半止りにF九十度には達せず。
から始まる長い文章が綴られています。

空襲警報が出ているけれど、ラヂオでは聞き取れず情況がわからない……。
昨夜より(14日)に今日正午重大放送がありと予告されており、百鬼園先生は、暑いのにラヂオの前で上着を羽織って、玉音放送を聞き「熱涙滂沱として止まず」とあります。
翌日の日記には「新しい日本がはじまる」

ご興味のある方は捜してご一読を。
今では日記も写真入りのブログなどになり、膨大な方々が書いていますが、これらを後世の人が見たらどう思うのでしょうね。

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