2013年8月30日金曜日

鮨屋のカウンター

もう、8月もお仕舞いですね。暑い暑いとは言っても季節は秋に向っています。
そんな中、毎月一度は鮨「はしぐち」に通っていますが、今月は28日でした。
「月イチはしぐち」とは言いながら、間隔は3週間だったり7週間だったりするのです。

白木の清潔なカウンターはいつ来ても落ち着きます。
特に「はしぐち」は席数が10席にも満たない店です。以前の紀尾井町時代より店の面積は5倍になっているのですが、少ない席数でしっとりと落ち着いた様が良いのです。
カンンターの向こうの小さな葉ものの不思議な盆栽は、ここ3ヶ月ばかりは青々としていたのですが、「枯れてきたの?」と尋ねると、橋口さん「紅葉です」。

「はしぐち」に通い始めて何年経ったのでしょうか。
7年くらいだったような気がしますが、未だに最初の日のことを覚えております。
現在は赤坂の豊川稲荷の近く、赤坂見附の弁慶橋を渡り、右手に今は無き赤坂プリンスホテルを見ながら緩やかな坂を上り切った三叉路にあります。
小さなビルの2階で、元々「鮨青木」があった場所です。
近くに文藝春秋社があるために、編集者が作家さんをよく連れてくる店で、マスコミには一切出ない店でした。
最初の日にハルコ「何でもおまかせで握ってください」と言ったところ、橋口さんは「何がお好きかお嫌いか判らないので、おっしゃってください」
ハルコ自慢じゃありませんが、鮨タネの名前にあまり自身がなく、(えぇ、面倒だなぁ)と心で呟いていました。

すぐに橋口さんの端正で真っ直ぐな鮨のファンになり、相当通うようになりました。
過去に色々な店に行きましたが、「はしぐち」が一番継続的に長い付き合いですね。
一度、橋口さんと「宝くじが当たったらどうする?」という話になり、橋口さんは「鮨屋を辞めます」。ハルコだったら「はしぐちに年間毎日予約シートを作りますよ」と言ったら、橋口さんは「よろしくお願いします」と言ってくれました。

まぁ、元々お互いに宝くじなんか買わないので、無理なく「月イチはしぐち」に通っているのです。
予約して行けずにキャンセルしたのは、2011年3月11日のことでした。

2013年8月29日木曜日

スッカラとチョッカラ

昨日は韓国料理研究家のジョン・キョンファ先生のスタジオで、秋の伊勢丹キッチンステージに登場するメニューの撮影をしておりました。
キョンファ先生には、ハルコの雑誌連載時にも3度も登場していただき、韓国(朝鮮)料理のお師匠さんでもあり、随分と韓国の食文化について学んだのです。


以前から日本、朝鮮半島、中国と東南アジアにおける食文化には、大変興味を持っていました。その中でも、箸、匙、器、膳の立ち位置が気になっているのです。
箸を中心に食べる日本食に対し、韓国では匙を中心にして食べ、匙を「スッカラ」、箸を「チョッカラ」と呼んでいるのです。

現在では椅子にテーブルという食生活が日本でも普通になっていますが、昔はお膳が中心だったのです。
日本の膳の脚は短いので、食事する時に器を手で持たないと食事が出来ません。
当然、汁物も持ち上げて器に口を付けるという形式で、熱くても手で持てるように木製の器が中心になりました。
韓国では膳の脚が高く、30センチもあるので器を持つ必要が無いのでスッカラ(匙)を使い、汁ものでもご飯ものでもスッカラで食べる上に、器が真鍮などの金属なので手で持つには熱く、膳の上に置いて食べるのが普通です。
似たような食文化であるにも関わらず、匙と箸のどちらに比重を置くか、というのは興味を引かれるものですね。

しかし、百済などから文化が伝わってきた古代の日本では、膳の脚は高いものが多く、どの段階から脚が短くなり現在の日本の食文化が形作られてきたか、興味があります。
幼少の頃、一度父の生家に行った時の食事はそれぞれが箱膳の形をしており、銘々膳でした。箱膳なので、それぞれの器や箸は箱の中の収納され、さらに大きな箱膳納戸があったことを覚えています。
食べ終わったあと、それぞれがその場で白湯で器をきれいにして、洗わずにそのまま箱の中に納めているのを見て、母親は不潔だと思ったと話してくれたことがありました。
そう考えると、日本の100年の食文化は世界的に見ても異常な変化をしたのだと思わざるをえませんね。

2013年8月28日水曜日

8月の牡蠣フライ

昨夜は、岩手県の「三陸浦嶋」から送っていただいた生牡蠣を甚六に持ち込み、牡蠣フライを作ってもらいました。夏にたまに岩牡蠣は食べるのですが、「真牡蠣」となるとほとんど食べた事はないのです。


「Rのつかない月に牡蠣を食うな」と言われていますがこれは俗説で、牡蠣は夏にもあるのです。そして、この夏の牡蠣は旨いのです。
養殖の牡蠣は「真牡蠣(マガキ)」が中心で、これらは一斉に放精・産卵するため、味の落ちる時期も集中しているのですが、意外にも味はそんなに落ちていないし、実際に旨いのです。

ここで白状しますが、実はハルコは加熱した牡蠣料理が苦手なのです。
生牡蠣なら2ダースくらいペロリと食べるのですが、加熱したものは好きではありませんでした。
牡蠣フライの季節になると、オクサマは連日のように召し上っているのですが、ハルコはオクサマのを1個摘んで食べるのみです。
思えば熱を入れた牡蠣が嫌いになったのは、牡蠣の土手鍋を食べてからではないかと思います。その時に体調が悪かったせいか、どうも牡蠣の生臭い匂いで食べられませんでした。
しかしながら、昨日の夏の牡蠣フライで一気に牡蠣フライ好きに転向したのです。

生牡蠣100グラム中には、1日に必要なタンパク質の3分の2、カルシウムは3分の1が、そしてリンは全量が含まれています。鉄やヨードにいたっては、必要量の4倍も含まれているのです。
夏の牡蠣は旨いと言いましたが、やはり、生牡蠣は10月以降ですね。

10月には三陸で牡蠣の養殖を見学に行きます、
三陸の牡蠣や魚介を応援してください。

2013年8月27日火曜日

夕ご飯と晩ご飯の違いって!?


※写真はイメージです。

朝夕少し凌ぎ易くなってきましたね。もう8月も僅かです。
昨夜は事務所でよしな仕事をして、自宅へ帰ったのが23時近くになり、“適当な食事”で済ませたのですが、ふと「この時間は夕ご飯、晩ご飯、はたまた、夜ご飯?」と考えてしまったのです。
辞書では、夕ご飯と晩ご飯の区別はあまりついてないようですが、今読んでいる本の中におやっ、と思う記述があったのです。

古い時代の韓国(朝鮮李朝時代)では王様の食事は、まず起き抜けの「初朝飯(チョジョバン)」で、6〜7時に粥を食べます。
次が10時くらいに朝ご飯に相当する「朝水刺(アチムスラ)」で、昼ご飯に相当する12〜13時は朝の後のデザートにあたる「点心」で軽いティータイムを取ります。
そして、夕ご飯は午後の17時くらいに「夕水刺(ソクスラ)」なのです。
では「晩ご飯」は?と言うと、「晩」という字は「晩餐」などで使われるように、「ハレの日」の特別な料理が出てくるのです。
それには、お酒が伴う「酒肴膳」になります。

これをハルコ的に勝手に解釈すると、普段のご飯は「夕ご飯」、酒が伴う普段とは違う料理が出てくるのが「晩ご飯」となります。

みなさんは「夕ご飯派」、「晩ご飯派」?

2013年8月26日月曜日

あまちゃんの旅


先週の金曜日は、盛岡から一路、久慈行ってきました。
名目は岩手の食材の現地視察でしたが、確かに地元で直接見なければ判らない事が多いですね。
「道の駅」も5カ所廻りましたが、想像以上に地元産の野菜の豊富なことに驚きました。昔はなかった、トマトの品種で「シシリアンルージュ」などもありました。聞くと3年前から栽培を始めていたとのこと。これは、震災をまたいでいたのですね。

盛岡から久慈まで、途中道の駅も見学しながら3時間半。やはり、岩手は広い!
今回の視察はオクサマと一緒だったのですが、オクサマは毎朝NHKの連続テレビ小説「あまちゃん」を2度見るくらいのあまちゃんファンなのです。
移動は岩手県庁から車を出していただきました。
そのアテンドの県庁のAさんは以前は久慈に勤務しており、現地でのドラマの進行にも関わっていた由で、車内ではあまちゃんの裏話で盛り上がったのです。

久慈の小袖海女センターで本物の海女さん達の雲丹取りの実演を見て、まめぶ汁に舌皷を打ち、ドラマの北鉄のモデルになった三陸鉄道北リアス線で久慈駅から普代村まで、お盆前から予約していただいていた1日20個限定の「雲丹弁」をいただきながら、北リアスの風景を楽しみました。
しかし現在、三陸海岸の鉄道はメインの宮古・釜石のJR山田線が、震災から2年半も経とうとしているのに、未だに“復旧”のメドすら立っていないのが実情です。
この大きなライフラインが通るまで、あとどのくらいの歳月が必要かと思うと暗澹たる思いになります。

10月には再度岩手を訪問し、東京から3人の料理人と3日間かけて現地視察をしながら縦断する予定です。
もうこの頃には秋になり、ドラマのあまちゃんも終了していますが、何とか岩手を盛り上げたいと考えていたあまちゃんの旅でした。

2013年8月21日水曜日

明日から、あまちゃん視察だよ!


連日、猛暑・酷暑・炎熱の日々が続いております。
8月に夏休みも取らずに働いているハルコでございますが、22、23日と岩手に出張いたします。
6月に岩手県の産業創造アドバイザーに就任してから、2度目の岩手入りです。
23日には盛岡で「いわての食の大商談会」の視察と交流会に出席、翌日はあまちゃんの古郷、久慈の袖ヶ浜まで「じぇじぇじぇ視察」をしに参ります。
今回はオクサマも同伴での視察です。
22~26日まではブログはお休みいたしますが、FBでは引き続き発信いたします。

夏の疲れが出て来る時期ですが、まだまだ暑い日が続きますので、皆様どうぞご自愛くださいませ。
ハルコ

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2013年8月20日火曜日

湯(スープ)

昔、中国(この場合は香港)のホテルでルームサービスに「お湯」を貰おうとして、筆談で“湯”を下さい」とお願いして出てきたのが「中華スープ」という笑い話をよく聞かされたものです。


昨夜は赤坂の「トゥーランドット臥龍居」で、脇屋友詞さんの料理をいただく会食があり、堪能しました。
やはり、その中でも「湯(タン)の重要性と旨さを再認識した次第です。
「湯」は日本のだし汁、西洋のスープに当たりますが、「湯」は料理の基本なので、湯の出来次第で大きく味が変わりますね。
昨夜は、洋食で言えばコンソメスープに該当する「清湯(チンタン)」自体も良い味でいしたが、フカヒレに入っている「上湯(シャンタン)」が旨く、ご飯を混ぜて食べるのは最高の食べ方ですね。
フカヒレ自体は味のあるものではないので、これも丁寧な下処理と上湯が命です。

だしに関しては、日本のだしや西洋料理のだしは何となく理解はしているのですが、中国料理のだしは、いわゆる四大料理の中でも違うし、材料なども多様で複雑ですね。
中国料理をルーツとしている、日本のラーメン屋さんのニューウェーブ系で、たまにとんでもなく不味いスープに出会う時がありますが、どうしたらこんなにひどい味になるのかと思うのです。一口スープを啜って、すぐ店を出たことが何度かありました。
ぜひ美味しい湯(タン)を飲んで、研鑽して欲しいですね。

2013年8月19日月曜日

適量、適当……。

何だかんだと言って8月も残り1/3になってしまいましたね。
毎日バタバタしている夏真っただ中です。

先日、初心者向けの「男の料理」に関する面白い新聞記事を見つけました。
料理を習う時、例えば「大根は、長さ3~4センチの細切りに」とあると、大根に定規を当てて、3センチか4センチなのか判らないので腹を立てながら、律儀に3.5センチにしたのだそうです。
まぁ、判らない訳ではないですが、生真面目に生きてきた方々なのでしょうね。

よく料理人と仕事をしていて、レシピを書いてもらう時に同様なことがよくあります。
読者を設定して本を作るのですが、初心者向けでは「どこまで理解してもらえるか」が問題になります。
○○を適量に、○○を少々、○○をお好みで……。
料理のレシピに、本当の意味での「解」はないのです。
素材ひとつにしても、季節でも、産地でも、色々な条件で下ごしらえや調理法が違ってくるのが当たり前ですが、レシピは想定される60点くらい(これでもハイレベル)を目指すつもりで書きます。
大根を切るのだって、よく切れる包丁と切れない包丁では味が変わってきますね。
道具だって重要なのです。


まず、レシピでは「適当にに切って」は絶対に書けないのですが、実は適当という大ききがあるのを皆さん知っていましたか?
適当というのは口の左端から右端までで、一口で食べられるサイズのことなのです。
日本料理は食卓では箸で食べることを前提にしているので、ナイフ等は出ませんよね。
面白いと思いませんか?

2013年8月16日金曜日

ロッパの8月15日


昨日の終戦記念日の続きです。
ハルコは昔から、俳優にして洒脱なエッセイを書いていた古川緑波(ロッパ)のファンで、何回かブログにも書きました。
そのロッパ先生は膨大な日記を残していて、『古川ロッパ昭和日記』(全4冊、戦前編昭和9〜15年、戦中編昭和16〜20年、戦後編昭和20〜27年、晩年編昭和28〜35年)を愛読しているのです。
昨日の終戦記念日で改めて確認しようとしたら、昭和20年7月5日から9月3日までが欠損していました。
この約2ヶ月の間に敗戦を迎え新たな日本になり、消失した部分で特に8月15日前後にロッパ先生は何を考え、そして何を食べていたか……。

この戦中にはずいぶん色々な方が日記を残しています。
ロッパ先生の畏友だった俳優でエッセイストの徳川夢声の『無声戦争日記』の終戦の日の記述には、

十五日(晴 暑)正午、玉音放送。

「朕深ク世界ノ体勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ」の大詔に涙した彼は、自室にこもってひたすら眠る。空襲警報のサイレンが鳴ると原爆の放射能よけにレイン・コートを慌てて羽織り、焼夷弾と機銃掃射におびえる日はついに去ったのだ。

翌日の16日には、
午後二階で昼寝、トロリトロリと異様なる眠り。
省電は常の如く通り、郵便もつつがなく配達サル。
十三日発の葉書が今日着くなど案外に速し
と、あるのでロッパ先生も同様かなぁ?と思う次第です。

さらに、作家の内田百閒の日記『東京焼盡』の8月15日には、
八月十五日水曜日七夜。朝曇り。午後から晴れ。
温度は三十一度半止りにF九十度には達せず。
から始まる長い文章が綴られています。

空襲警報が出ているけれど、ラヂオでは聞き取れず情況がわからない……。
昨夜より(14日)に今日正午重大放送がありと予告されており、百鬼園先生は、暑いのにラヂオの前で上着を羽織って、玉音放送を聞き「熱涙滂沱として止まず」とあります。
翌日の日記には「新しい日本がはじまる」

ご興味のある方は捜してご一読を。
今では日記も写真入りのブログなどになり、膨大な方々が書いていますが、これらを後世の人が見たらどう思うのでしょうね。

2013年8月15日木曜日

8月15日のすいとん

♫夏がく~れば~思い出す〜♫
……ではないのですが、8月15日、終戦記念日(敗戦が正しいと思ってますが)と言えば、「すいとん」なのです。
子どもの頃は、毎年8月15日にはすいとんを必ず食べさせられていたのです。
このすいとんが、本当にだしの味も無く小麦粉を練って入れただけのもので、何でこんな不味いものを食べさせられるのかと、苦痛な1日でした。

すいとんは「水団」とも言い、ひっつみ、はつと、とってなげ、なんて名前で室町時代から庶民の間で食されていたのですね。
それが戦時中には米の代用食として、薄い味の汁に薄いすいとんを入れて、増量出来る素材を加えて食べていたんですね。
その戦時中の苦しい時代を子どもに伝えるために、田舎のわが家では8月15日は「すいとんの日」だったのです。

母はもう40年も前に亡くなりましたが、父母とも昭和20年は二十歳で、父は福島から満州蒙古青年開拓団で大陸に渡り、満鉄で機関士を目指していまいしたが、現地徴用で兵隊さんへ。そして、引き上げ船で帰国。
母は戦時下、岩手県の釜石(鵜住居村)で日本が初めて艦砲射撃を受けた時(製鉄所に)に、砲撃の激しい音と振動の中で震えていたそうです。
年代的に戦争の話は廻りに体験者が多く、身近な世界でしたが、未だにすいとんは嫌いなハルコです。


戦後の進駐軍の慰問の演芸会にて。手前の列左がハルコの母。

2013年8月14日水曜日

フランス人と生卵

暑い中連日の撮影の中休みです。
世の中お盆・夏休みモード全開ですが、ハルコには今年の夏休みは無いのです。
てなことをぼんやりと考えていたら、10年も前に南仏を旅した時のことを思い出しました。それも、生卵のイメージが同時に浮かんできたのです。

エクサンプロヴァンスの周辺から東側のマルセイユやアルルまで、休暇を満喫していました。そしてエクサンプロヴァンスでランチを食べようと、何故か和食屋さんへ行ったのです。
和食屋さんと言っても、鮨、天ぷら、すき焼きはあるのですが、何故かプルコギなどの韓国料理もあり、日韓合体のレストランだったのです。
ハルコはプルコギを頼みましたが、隣の席のフランス人はすき焼きを食べていました。
これって、とても気になりませんか?
だってすき焼きと言ったら「生卵」でしょう!

生卵を食す文化圏は、日本や韓国、台湾(日本の統治時代があった影響ですね)など限られています。
卵のサルモネラ菌処理をしていない国では、生卵をそのまま食べる風習はないのです。
しかし、そのフランス人はひたすら器の生卵を10分以上もかき混ぜていたのですが、ソース・オランディースでも作るつもりだったのでしょうか?

2013年8月13日火曜日

今日も撮影だ!


昨日は終日豊村薫先生と薬膳撮影をしていましたが、夕方からの激しい雷雨でびっくりしました。
撮影のストロボが雷光と反応して突然“ボッ”と光ったのです。
よく電線に雷が侵入して、パソコンなどを破壊する事もがりますね。
電車は止まる、停電になる。本当に日本の気象はどうなってしまうのか不安です。

本日も、終日豊村先生のスタジオへ撮影に出かけます。
あぁ、本日はオクサマの誕生日でもあります。
早く撮影を終えて、今晩はドンチッチョです。
またゲリラ豪雨にならなければいいのですが。

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2013年8月12日月曜日

本日終日撮影中ハルコ!


今週はお盆休み、夏休みのピークですね。
そんな方々を横目に見ながら、ハルコは終日撮影でございます。

今週月火と金曜日は、豊村薫先生の薬膳レシピの本のために、撮影で事務所を留守にしております。
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2013年8月9日金曜日

キッチンステージのセミナーって?


昨日・今日と、新宿伊勢丹キッチンステージで分とく山の野崎洋光さんのセミナーがありました。
ご存知ない方のために説明すると、キッチンステージとは伊勢丹本館の地下グロッサリーと生鮮売場の一角にある17席の小さなイートインレストランで、2週間毎に色々なジャンルの料理人とレシピの相談をして、そのレシピを専属のキッチンスタッフが再現する場なのです。
その2週間の間にお客様に食事をしていただきながら、料理人が1時間程その料理の作り方を見せながら、トークも楽しんでいただくのです。
ハルコの仕事としては、料理人の出店依頼から、どんな内容のメニューで展開するのかを決め、持ち帰りレシピの撮影からレシピ制作、セミナーの立会と、連綿と続くのですが、これが2週間ごとなので、いつもバタバタしております。

昨日も今日もセミナーの立会があり、文字通り立っているだけなのですが、この暑さでバテバテです。
野崎さんを開店前の伊勢丹の従業員通路でお待ちして、打ち合せをし、FB用に写真を撮って投稿して、あとは本当に1時間立っているだけです。
今回は平日のセミナーですが、普段は土日もあるのです。
なので、土日の朝早くから新宿へ、休みの日なのに早起きして行くのです。
ハルコはセミナーのお客様が楽しい話(あまり面白くない時もありますが)を聞きながら、食事をしているのを指をくわえて見ているだけなのです。

たまに途中で抜け出して食事をするので、伊勢丹のすぐ側にある「富士そば」でハルコを見かけたら、今日のセミナーはあまり面白くないのだな、と思ってください(冗談ですよ!)。
何せ抜け出してそばを食べて持ってくるまで、僅か5分なのです。ちなみに、今日は野崎さんをお迎えする前に食べていました。
このセミナーは、基本的に伊勢丹カード会員から募集をかけるのですが、人気で倍率が3倍以上になり、後は抽選だそうです。
昨日は2日間申し込んで外れて、外でセミナーを聞きながらメモを取る、という熱心なファンもいるのです。
最後に料理人さんと記念撮影をしたり、著作物を持っていればサインを入れてもらうこともできます。
これが毎週あるのですが、今年の夏は辛いですね。

2013年8月8日木曜日

炭酸が好き!

新聞を読んでいたら、最近は炭酸水をそのまま水替わりに飲むのが流行っているという記事が目に入りました。
普通、炭酸水と言えばアルコールを割ったりしますが、そのままで飲むのです。
清涼飲料などの糖分過多の飲み物のに比べるとカロリーが無く、すっきりした喉ごしが良いんだとか。

かく言うハルコも、実は炭酸水好きなのです。
以前は、好きな順番にシャンパン(3位)、ビール(2位)で、1位は三ツ矢サイダー、と言っていたのですが、三ツ矢サイダーを飲むのを止めて、単なる炭酸水に変えてから2年程でしょうか。
昔から、レストランでも水は炭酸入りのミネラルウォーターしか頼まないし、30年以上炭酸水一筋のハルコなのです。

しかし、初めて炭酸に出会った時は閉口したものです。
初めて仕事で海外に出かけた20代の後半のことで、これが炭酸水事始めだったのです。
マレーシアの北のクアンタンという地方都市から、車で延々3時間ほどのゴムのジャングルの中に「地中海クラブ」というリゾート施設があり、ここでモデルさん2名を連れて、1週間撮影をしていたのです。
その食卓の上には、必ず炭酸水が置いてあったのです(写真)。
元々「地中海クラブ」の母体はフランスだったので、施設内での食の基本はマレーシア+フランス風で、水も炭酸だったのです。

初めて飲んだ時は「えへ!」と思い、普通の水は無いのかと言ったのですが、元々水道のインフラが無い場所で、水はミネラルウォーターを飲むしかないのです。
喉にグァッとくる炭酸水(相当炭酸が強い)には困りました。
ところが、ですよ。3日ほどしたら、平気になるから不思議ですね。あれほどイヤだった炭酸水が平気になったのです。
それ以来、ハルコ炭酸水一筋でございます。ゲフゥ。……失礼!

今日8月8日はハルコが2年前にブログを始めた日です。
東日本大震災の年に虚脱感のおそわれて、やる気がおきませんでしたが、ブログを契機に心のリハビリを図ったのです。
新たな3年目に入ります。今後もご贔屓にお願いいたします。
お手伝いハルコ

2013年8月7日水曜日

バナナ


今日は「8」と「7」の語呂合わせで「バナナの日」だとか。
日本に初めてバナナが入ってきたのは、明治36年(1903年)のことです。
日清戦争(1894~1895年)後、台湾が日本に割譲されたことにより、台湾バナナが「移入」されるようになったのです(台湾は日本の統治下にあったので、「輸入」ではなく「移入」と言いました)。
台湾から約70kgのバナナが神戸港に到着した、4月10日が始まりです。
初めてバナナを食べた人達はどんな感想を持ったのでしょうね?

小さい頃に東京の叔父さんが、房になったバナナをお土産に持ってきてくれたことがありました。昔は、上野駅周辺では露天商によるバナナの叩き売りが沢山あったのです。
夜行の列車に乗る前に、お土産にとバナナを買ってくれたのですが、それは現在では「東京ばな奈」というスイーツに変化しているな、と前から思っていました。

この10数年、バナナの健康食品としての地位は高いようです。
特に「バナナは食物繊維も多く便秘解消に効く」と言われていますが、逆になる人もいるのをご存知でしょうか?
体に熱を溜め込む人には有効なのですが、バナナは南国の食材で体を冷やす「寒性」の食べものなので、冷え性で便秘症の人がバナナを食べると逆効果なのです。

ハルコは朝ご飯に、バナナを適当に切って器に入れ、牛乳と蜂蜜をかけて食べるのが好きなのです。
昔の食卓では、フォークとナイフでバナナの皮を剝いて食べる、というマナーがあったと思いますが、イマドキ、そんなバナナが出て来るシーンがあったら、まさに“そんなバナナ”ですね。

2013年8月6日火曜日

つまらないものですが。

「田中部長、つまらないものですが」と、品物を差し出す。
「何、ワシにつまらないものを? ワシゃつまらないものなんぞ、いらん!」
いやいや、部長。ほんの気持ち、粗品でございます。
「粗品だって? そんなものはいらん! 持って帰りたまえ!」


実際にこんな会話があるかは謎ですが、最近は「つまらないものですが」と、モノを頂くことが少なくなったようですね。昔はずいぶん使用されていた言葉なのでした。
送る側が謙遜し、貰う側の負担を和らげる、というニュアンスがあったようですが、最近は「これは、絶対に美味しいよ!お勧めだよ!」的な形で頂くことが多いような気がします。
ハルコが思うにこの「つまらないものですが」は、絶対に国際化はしないでしょうね。

辞書を引くと、《動詞「つまる」の未然形+打消しの助動詞「ない」》
1. おもしろくない。興味をひかない。
「―ない映画」
2. とりあげる価値がない。大したものではない。
「―ないものですが、お収めください」
3. 意味がない。ばかげている。
「―ないうわさ話で時間をつぶす」
4. それだけのかいがない。ひきあわない。
「ここでやめたらそれこそ―ない」

昔の人は謙虚で、「本当につまらないもの”なんぞは贈らない」という矜持があったのでしょうね。

どうも日常の仕事で、「このモノは、いかに優れていて素晴らしいか」的なことばかり考えていると、「つまらないものですが」は新鮮に聞こえてくるのです。

2013年8月5日月曜日

「鮨三谷」4度目の至福


昨日の日曜に「鮨三谷」に行って来ました。

この1年間で4度目なので、四季全てを堪能しました。
 

この「鮨三谷」は本当に予約困難店らしく、昨日は同席した方が予約をしてくれましたが、来年の9月にならないと予約が取れないとか。
そんな店に1年間の間に4度も来れたことは、奇跡としか言いようが無いですね(UK様のおかげです)。

三谷さんのお話を聞いていると、鮨などの定番は産地やその時々の処理法を一番適したものに変えているそうですが、酒の肴に関しては、同じお客様には同じものは出さないようにしているとか。
これは年に一度ではなく、毎月いらしているお客様もいるので、とのことです(うらやましい)。


前回は魚の中の油の使い方、昨日は味の重ね合わせで、雲丹で炊いた酢飯に別の種類の雲丹を重ねたものをいただきました。
一歩間違うとくどい味になりますが、不思議と二つ合わせても通奏低音ともうひとつの音階のような、いわば対位法を感じる組合わせなのです。



次回は11月3日に行く予定ですが、行けば行く程奥深い「鮨三谷」ワールドに引き込まれるのが楽しみになりました。

2013年8月2日金曜日

あぁ、時間の勘違い! それはボケか?

昨日のブログは「八朔」を書いたのですが、書き終わり担当のM嬢にブログアップしてね。と言っていたら別のスタッフが、「今日はもう出かけるのでは?」
一瞬、まだ30分余裕があると言っていたのですが、約束の時間は……。

「じぇ、じぇ、じぇ!」

12時から門前仲町で撮影があるのに、現在の時間は12時!
12時に撮影があるのを判っていたのに、頭の中では「13時から撮影」に変換されていたのです。
いや、もう焦ること焦ること!
カメラマンさんには電話をしたのですが、担当者からも電話が!
立ち会い総人数がハルコも入れて8人と大所帯で、門前仲町に行く地下鉄大江戸線では車内を走ってました。


よく、5分前行動と言いますが、ハルコは30分前行動なのです。
12時なら11時30分には現地に着いています。
そんなハルコの普段の行動を知っている人は、2~3分遅れるだけで携帯に電話がかかってきます。
その位時間には厳密なのですが、昨日は本当に参りました。
遅れて大汗をかいて到着すると、皆さんはよほどの事が生じて遅れたんだと思ったようですが、ブログを書いていて時間を間違えた、なんて言えやしませんね。
あぁ、これアップしてね(M嬢に)。

……「あれ、今日は打ち打合せで、もう、外出では?」

「じぇ、じぇ、じぇ、じぇ~~~~~~」

2013年8月1日木曜日

八朔(はつさく)


今日は新暦の8月1日ですが、旧暦の8月1日(新暦ではでは8月30日)「八朔」と言い、この頃に早稲の稲穂が実るので初穂を贈る習慣があり、別名「田の身の節句」なので、「頼み」に掛けて、日頃お世話になっている人に感謝する意味で贈り物をする中元の起源でもあるのです。

実はこの八朔は、江戸(東京)でも需要な日なのです。 知ってましたか?
この日(あくまで旧暦陰暦ですが)は、徳川家康が江戸に入った日なのです。
天正18年(1590)8月朔日、東照神君初めて武蔵国千代田城に御入りの当日で、これを関東御入国の日と一般に唱えたのです。
この日から今日まで423年間、江戸・東京が日本の首都になった日なのです。

この「八朔の祝い」は江戸っ子にとっては五節句よりも重要な日で、武家も庶民も1日中祝っていたそうです。
時代劇、時代小説などでもこの八朔をのシーンは多く描かれていて、特に「吉原」では遊女が全員白装束で練り歩いたりと、派手に祝っていたらしいのです。
全国各地にも、八朔を祝う行事はずいぶんと残ってますが、東京では別な祭に転化していますね。

今日はこれから門前仲町まで撮影に行きますが、ひとり江戸情緒に浸りましょうか。
それにしても蒸し暑い八朔です。