2013年7月9日火曜日

森鴎外と脚気

森 鷗外こと森 林太郎(もり りんたろう)は、今日7月9日が命日です。
夏目漱石と並ぶ文豪ですが、森鴎外のもう一つの顔は軍医(陸軍お医者さん)でもあったのです。その中でも軍医総監という軍医の最高位で、中将クラスに相当しました。

昔、司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読んでいて、明治時代の軍隊での近代栄養学のことをはじめて知ったのです。
それは「脚気」の原因を巡る陸軍と海軍の対立でした。
森鴎外をはじめとする陸軍のドイツ留学派は、「脚気」を伝染病の細菌由来と考えていたのです。それに対し海軍(一部陸軍も)では、脚気の治癒予防に麦飯が有効であると唱えていました。

しかし、ビタミンの存在が知られていなかった当時、麦飯と脚気改善の相関関係は(ドイツ医学的に)証明されていなかったため、科学的根拠がないとして否定的な態度をとり、麦飯を禁止する通達を出したこともあったのです。
当時の栄養学が未発達だったことと、陸軍と海軍の対立がそのまま栄養学への進展を阻んでいたのですね。

その森鴎外と対立していたのは、海軍軍医の高木兼寛なのですが、彼はイギリスで医学を学んでいました。
高木はヨーロッパに脚気がないことから、脚気の原因を蛋白質の不足と考え、肉食すれば脚気を防げるのではないかと推測し、訓練航海のときに2隻の船の食事内容をそれぞれ片方は和食、もう片方は洋食にしました。
すると和食の方には脚気が発生し、洋食の方には発生しなかったのです。
以後、海軍では洋食を取り入れ、やがて肉ではなく麦飯がよいことも判明し、その後は脚気に悩まされることがほとんどなくなりました。日清戦争の前のことでした。

しかし、細菌説に固執する森鴎外などは、海軍が兵食改革によって脚気が激減した結果を無視したのです。
戦死者よりも脚気による死亡のほうが多かったという統計もあるくらいです。海軍ではほぼ撲滅された脚気が、陸軍では日露戦争時に至っても改善されませんでした。
森鴎外は、脚気の原因が栄養説にほぼ決しても死ぬまでこれを認めず、細菌説を主張し続けました。
鴎外の陸軍軍医総監は中将に相当する地位で、本来ならば華族に列せられるのですが、鴎外はついに叙爵されませんでした(これには、脚気問題が問われたのだろうという説もあります)。
しかし、一方の論争相手だった海軍の高木兼寛は男爵に叙され、麦飯をさかんに奨励したことから「麦飯男爵」という名で慕われたのです。
かなり頑固な森鴎外ですね。

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