2013年6月25日火曜日

正岡子規は牛乳好きだった!?


皆さんは毎日牛乳を飲んでますか? 相当数の方が毎日牛乳を飲んでいると思いますが、どうして朝牛乳を飲むのでしょうか?

牛乳自体は、大化の改新(645年)の頃に、百済(くだら)から来た帰化人の子孫の善那(ぜんな)が、孝徳天皇に牛乳を献上したのが始まりと言われています。
天皇家から貴族へと飲用が広まったのですが、日本の歴史の中では牛乳の飲用はどこかへ行ってしまうのです。
そして明治維新になり、今度は明治天皇が牛乳を毎日2回ずつ飲んでいることが新聞に載ると、国民の間にも牛乳飲用が次第に広まったのです。
これは明治4年のことですが、天武天皇が出した「殺生肉食禁断の詔勅」を出してから1200年続いた肉食への禁忌も、明治天皇により終わったのも同年のことですね。
文明開化一色となり、東京では大名・旗本の屋敷跡で牛を飼い、牛乳を販売することで、収入を失った武士たちの転換事業となったのが、牛乳普及の始めのようです。

さて、話は“のぼさん”こと正岡子規の登場です。
国策で牛乳を飲むことを奨励されて30年経った頃の、正岡子規の6月25日の日記『病床六尺』 
「警視庁は衛生のためという理由をもって、
 東京の牛乳屋に牛舎の改築または移転を命じたそうな。
 そんなことをして牛乳屋をいじめるよりも、むしろ牛乳屋を保護してやって、
 東京の市民に今より2、3倍の牛乳飲用者が出来るやうにしてやったら、
 大いに衛生のためではあるまいか」
と、牛乳屋を擁護しているのです。
子規は重い肺結核を長い間患い、少しでも栄養価の高い牛乳を愛飲していたのですね。

ハルコも、今朝はコップ一杯の牛乳を飲んで来ました。
牛乳にも色々な歴史があるのですね。

写真/写真素材シアター URL:http://photo-theater.com/

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