2013年6月28日金曜日

予約の取れないレストラン

早いもので今年も半分が過ぎ、6月も終わりですね。
この所、伊勢丹キッチンステージに出ていただく料理人さんに交渉をする関係で、随分色々なお店を訪れておりました。
といっても食べに行っているわけではなく、仕事として打合せに行き、撮影立会で余得ですが、試食もさせていただいてます。
店選びの基準は多々ありありますが、その中の一つは「予約の取れないレストラン」というのがありあます。天の邪鬼のハルコとしては「予約が取れないなら、誰も行けないだろう!」と思うのですが。


皆さんは、話題になったレストランに行きたいと思い、何回も予約の電話をしても予約が出来ずに、断念した経験はありますか?
ハルコも過去に何軒か予約を試みても、予約が取れずに諦めた店があります。すると、その店はハルコには縁がないと思い、その後行く気も失せてしまいます。
これがミシュランなどで三つ星になったり、何とか行きたいと考えて予約を試みるも、いつも振られてばかりで、やっと予約が取れても夕方の5時から1時間という条件で食べに行った鮨屋さんもありましたが、もう面倒で2度と行きません。まぁ、1度食べてみたかっただけだ、と自分を納得させるのです。

しかし、世の中にはこの予約の取れないレストランばかり行きたがる方もいるのです。
以前、とある日本料店で定期的に、厳選した食材を食べる会がありました。
グルメ雑誌の編集長が主宰している会なので、評論家、フードライター、雑誌の編集者……と、名前を出すと、「あぁ、あの人!」という、うるさ型ばかりが集まっていたのです。
その中に、日本でも有数の食品会社の創業一族の女性がおりまして、何度か顔を合わせていうちに親しくなり、メールや電話で情報交換をしておりました。
この彼女が大変な「予約の取れないレストランマニア」だったのです。

まず、店選びの基準は美味いとかではなくて、予約困難な店なのです。
最初は「○○レストランに行きたいんだけど、誰か関係者で予約してくれる人は知りませんか?」
その時は、偶然よく知っているレストランだったので予約をしてあげたのですが、その後も順次「△△レストラン」、「□□レストラン」と頻繁に連絡が来るので閉口しました。こうなると、これは一種の病気ですね。

それ以来、ハルコは「予約の取れないレストラン」に対してさほど興味がなくなりましたが、冒頭に書いたように、近頃は予約の取れないレストランへ、仕事で行っているのでした。

2013年6月27日木曜日

メシのタネ?メシのネタ?

普段使っている言葉で、時々「あれ?」と思うことがあります。
例えば寿司を食べる時に、寿司タネ、寿司ネタってどっちが正しいんだろう?
瞬間的に頭の中が空白に……。


ハルコ所有の吉野曻雄著『鮓・鮨・すし』というすしの事典(おそらく日本で一番のすし事典)の、「タネ別に見るすしのすべて」の章では、「にぎりずしのタネ、すしダネ」と書いてあるので、当然「タネ」が正解ですが、得てして“符牒”というものは変転しますね。
寿司職人さんが「ネタ」と言っているのを、半可通が真似しているうちに一般的になってしまったようで、混同しているのが現状でしょうね。


「メシ喰うか」と言うと、随分乱暴な言葉のように聞こえますが、実は“召し上がる物”の意味で、「召す(めす)」の連用形「召し(めし)」が名詞になった敬語なのです。
最初は「召しもの」といった表現がされ、「めし」は食物一般を指していましたが、室町時代には「飯(いい。古くは「いひ」)」を「めし」と読んでおり、この頃から現在と同じような意味を持つようになっていったそうです。

“メシのタネ”と言えば「生計を立てるための手段」で、ハルコにとっては諸々の仕事全般ですね。
“メシのネタ”だと、このブログで生計を立てているのではないので、これは「ブログネタ」で、ブログで生計を立てていれば「ブログのタネ」?
う〜ん、わかんない!
まぁ、こんなことを書いている時は「ブログのネタ」に困っているハルコなのでした。

2013年6月26日水曜日

水臭いぞ!


昔、一度だけですが京都は祇園「一力」へ連れて行かれた事があります。
まぁ、ハルコはかような所は出入りするには分相応ではないのですが、成り行き上、一力のお座敷の客になってしまったのです。
そこに、舞妓さんやら芸妓さんが来て、生まれて初めて「洗杯」というのをしたんですね。
いや、これは本当に憧れの世界どすね!
どちらが先かは忘れましたが、盃を飲み干したら、卓の真ん中にある盃洗(水の入った大きめの器)に盃を潜らせて洗い、水を切り「ご返杯」と盃を交わしたんです。このハルコが!

人と人との関係で、よく「水臭い」という表現を使いますね。
ご存知のように、食べ物や飲み物の水分が多く、「味気ない」「まずい」ことを「水臭い」と言うことから、人に対しても比喩的に用いられ、愛情の薄いこと、親しい間柄なのによそよそしいことを「水臭い」と言うようになったらしいのですが、この語源の一つにこの「洗杯」があるそうです。

盃洗で杯を洗ってから相手に差し出し出すのが礼儀なのですが、盃洗で洗った杯で酒を飲むと、酒に微妙に水の味が残り「水臭い酒」になります。
このことから他人行儀なことを「水くさい」と言うようになったと言い、遠慮のない間柄だと、盃洗の水を通さずに杯が行ったり来たりするようになり、この様子が「水入らず」になるというわけですね。

食事中に、違うお酒などを皆で少しづつ味見する事がありますが、ハルコはアルコール消毒しているとお許しを言いながら回し飲みします。
食卓の親和性は、それぞれの民族で随分違います。
この世界は調べていくと面白いですね。

2013年6月25日火曜日

正岡子規は牛乳好きだった!?


皆さんは毎日牛乳を飲んでますか? 相当数の方が毎日牛乳を飲んでいると思いますが、どうして朝牛乳を飲むのでしょうか?

牛乳自体は、大化の改新(645年)の頃に、百済(くだら)から来た帰化人の子孫の善那(ぜんな)が、孝徳天皇に牛乳を献上したのが始まりと言われています。
天皇家から貴族へと飲用が広まったのですが、日本の歴史の中では牛乳の飲用はどこかへ行ってしまうのです。
そして明治維新になり、今度は明治天皇が牛乳を毎日2回ずつ飲んでいることが新聞に載ると、国民の間にも牛乳飲用が次第に広まったのです。
これは明治4年のことですが、天武天皇が出した「殺生肉食禁断の詔勅」を出してから1200年続いた肉食への禁忌も、明治天皇により終わったのも同年のことですね。
文明開化一色となり、東京では大名・旗本の屋敷跡で牛を飼い、牛乳を販売することで、収入を失った武士たちの転換事業となったのが、牛乳普及の始めのようです。

さて、話は“のぼさん”こと正岡子規の登場です。
国策で牛乳を飲むことを奨励されて30年経った頃の、正岡子規の6月25日の日記『病床六尺』 
「警視庁は衛生のためという理由をもって、
 東京の牛乳屋に牛舎の改築または移転を命じたそうな。
 そんなことをして牛乳屋をいじめるよりも、むしろ牛乳屋を保護してやって、
 東京の市民に今より2、3倍の牛乳飲用者が出来るやうにしてやったら、
 大いに衛生のためではあるまいか」
と、牛乳屋を擁護しているのです。
子規は重い肺結核を長い間患い、少しでも栄養価の高い牛乳を愛飲していたのですね。

ハルコも、今朝はコップ一杯の牛乳を飲んで来ました。
牛乳にも色々な歴史があるのですね。

写真/写真素材シアター URL:http://photo-theater.com/

2013年6月24日月曜日

アルミニウム食品の害


「アルミニウムが人体に害を及ぼす」と話題になったのは15年くらい前だったでしょうか。

アルミニウムを多量に摂取にすると神経系に影響がある(アルツハイマー疑惑)、という説が流布したのです。
その当時、料理カメラマンの故・佐伯義勝先生は、スタジオからアルミの鍋やフライパンを全廃したのを覚えています。
そして、金曜(6月21日付)の新聞を読んでいたら、厚生労働省がホットケーキや菓子類などに含まれるアルミニウムの添加物について、使用基準を定めて規制する方針を決めたそうです。この決定が周知されると、食の世界では相当大きな影響が出ると思います。

アルミニウムは元素の中で3番目に多い元素で、土壌・水及び空気中に存在し、包装材料、容器、自動車、航空機等に幅広く使用されているのですが、食品にもたくさん使用されています。
世界保健機関(WHO)では、アルミニウムを一生取り続けても、健康に影響のない1週間の許容量を、体重1キロ当たり2ミリリグラムと定めており、厚労省も様々な食品に含まれているアルミニウムの量を調査しました。
アルミニウムは自然界にも多く存在し、生鮮食品にも含まれていますが、子供の摂取量の4割を(この場合1〜6歳)砂糖類・菓子類から、3割を穀物からと判断したそうです。
一番多いのは、膨らし粉(ベーキングパウダー)に含まれるミョウバンなどが影響していると考えられます。
膨らし粉を使う食品は、一部の菓子パンやドーナツ、蒸しパンなどがありますが、ほぼ日常的に周りにあるものばかりですね。

ここまで書いていて、ハルコは茄子漬けをする時は、色止めにミョウバンをよく使っていたのを思い出しました。
ミョウバンは硫酸カリウムアルミニウム12水和物で、かなり大量に入っています。
そうなると、これからの茄子漬けはどうしたらいいのでしょうか?

またアルミニウムは、調理器具やアルミホイル、アルミ容器から食品に移行することもあるのです。
例えば、トマト・ルバーブ・キャベツ・柔らかい果物のような酸性の強い食品を、アルミニウム製品で調理したり貯蔵したりすると、酸性の強い食品で溶解されて食品に入り込んでしまうのです。
ハルコが連載時には、食材の一部で適していないと思うものは、料理人さんに言って除外してもらっていました。
特に、ショートニング等に含まれているトランス飽和脂肪酸は、一切無しのレシピにしていただきました。
アルミニウムは本当に難しい問題ですね。

2013年6月21日金曜日

醤油差し、使ってますか?


問題は醤油差しなのです。
今、ハルコの机の上には、chef'n(貝印)のSOY misterという醤油差しがあり、上部をプッシュすると下から噴霧状の醤油が均等に出てくる優れものなのです。
貝印に聞いたら、かなり売れていて在庫も少ないとか。

醤油を始め色々な調味料には、キッチンで調理中に使い、卓上で仕上げに使う、と2つの段階があります。
日本の家庭ではかなり食卓で使う調味料の数が多いと考えております。和食のみではなく、中華や洋食が混在する日本の食卓は、さながら調味料の見本市です。
また、わが家では置きませんが、1年中食卓に定番の調味料が置かれていることもありますね。

卓上の醤油差しは、使用する時に醤油差し本体やテーブルを醤油で汚す「液だれ」が起こりやすいため、かつては醤油差しには受け皿が添えられていることが多かったのですが、わが家では受皿付や液だれしないものも幾つか用途で使い分けています。
液だれを解決した醤油差しとして先駆的なものとしては1961年にキッコーマンが発売した「キッコーマンしょうゆ卓上びん」があります。
これが元になり、現在まで半世紀に渡り主流になってゆきました。
最近はメーカーの小型の醤油ボトル自体が食卓へ登場したり、醤油自体を酸化させないような密封容器も普及してますね。

調理中も便利に使えて、卓上に置いても違和感のないデザインで機能的な醤油差し。
さらに、減塩になり健康志向も満足させる。
そんな醤油差しで唸っているハルコですが、皆さんのご家庭ではどんな醤油差しを使っているのでしょうか。

2013年6月20日木曜日

夏のおでん

このごろは特に蒸し暑いですね。梅雨前線やら台風で不快な日が続いてますが、
夏本番はこれからです。


暑いとつい、冷たい物を食べたくなりますが、こんな時こそ熱い物を!と昨夜は銀座「やす幸」へ出かけました。
久しぶりに行きましたが、やす幸は6月で創業80周年だったんですね。
お土産に山葵漬けをいただきました。

銀座のおでんの双璧と言えば、「おた幸」と「やす幸」ですが、ハルコは断然やす幸派なのです。
関西風の薄いお出汁ですが、これが京都へ行くと、逆においとで関東炊きの煮しまった味を楽しんでいるのです。
ご存知の方も多いと思いますが、関東大震災の際に関西から支援に来た方々が関西風の薄味おでんをもたらして、一部関東に定着し、逆に関西に味の濃い関東炊きを持ち帰ったという歴史的背景があるのです。
大根からいただき、いつも〆は出汁かけご飯がハルコのコースです。

暑い日には熱燗で、涼を求めるハルコでした。

2013年6月19日水曜日

居酒る

昨日は夕方から錦糸町の巨大なスタジオで打ち合せがあり、地元で飲もうかと、結局スカイツリーの灯りに誘き寄せられ、押上まで出張ることになりました。
ハルコ・小旦那・マッコリ大王の、それは非常に酒には卑しいメンバーで、酒場放浪記を始めたのです。
酒場放浪記というよりは、晩ご飯居酒屋難民探検隊でしたが。

これが、入りたくなる店が難しい!
入りたいのは、スカイツリー目当てに開業したようなシャレこいた店ではなく、地元に長年あるような雰囲気の店であること。
酒は、何とかの何とかと珍しい希少なものではなく、どこでにでもあるもの。
料理も凝ったものではないが、普通にあるもの。
そして、家族経営していそうな小さな店であること。



良いなぁと想う処は満杯で、30分程難民して入ったのが、10人くらい座れるカウンターに小上がりがあり、母と息子(多分)二人で営んでいる店に突入。
まず、キンキンに冷えた生ビールから始め、枝豆、モツ鍋、なめろう、玉子焼、ハムカツ、アジフライを頼んで3人で乾杯!
ところが、隣に座っているほぼ出来上がっているオジさん(いや、おじいさん)がしきりに話しかけてきて、自分の長イモの梅酢漬けを盛んに勧めるのです。
相当酩酊しており、大丈夫かなぁと思っていたら、明日が早いと大千鳥足でご帰還。
小旦那がお店の人に「何者なんですか?」と尋ねると、彼は通称「おとうさん」と呼ばれていて、店の常連さんにして豆腐屋さんだったのです。
そうか、さっきのもつ鍋の豆腐はおとうさんが作ったんですね。

〆にラーメン2人前を3つに分けてもらってお腹パンパン!
昔は、居酒屋は敬遠していた時期もありまいしたが、マニュアル通りの店に行くよりも地元の人との会話が愉しい一夜でした。
これから、「居酒る(いざかる)を流行らせよう。

2013年6月18日火曜日

おにぎり

平日の朝は、情報番組ではNHKの「あさイチ」TBS系の「はなまるマーケット」を視聴していることが多いのです。興味の無い時はどちらも見ずに仕事へ行きますが、今日は両方ともザッピングしながら見ていて仕事に遅れました。
NHKは冷凍シーフードミックスで、明日からキッチンステージに登場していただく日本料理「一凛」の橋本幹造さんが登場するので必見!
明日、橋本さんの元へ打ち合わせに行くのと、木曜日にはセミナーもあるのです。


TBSの「ななまる」はというと、これが「おにぎり」の特集だったのです。
おにぎり好きのハルコとしてはこちらも必見ですね(朝から忙しいですね)。
そして、今日は「おにぎりの日」なのだそうです(以下ネットから引用)。

●おにぎりの日
「石川県旧鹿西町の竪穴式住居跡の遺跡から、日本最古のおにぎりの化石が発見された事で、鹿西町が「おにぎりの里」としての町興しの為に制定し、2002年に日本記念日協会認定の記念日となった。
鹿西の「ろく(6)」と、毎月18日の「米食の日」から6月18日が選ばれた。」
だ、そうな。そして「おむすびの日」もあるのです(これも、引用)。

●おむすびの日
「米に関係する民間企業やJA等でつくる「ごはんを食べよう国民運動推進協議会」が2000年11月に制定し、2001年から実施。
日附は公募で選ばれ、阪神大震災ではボランティアの炊き出しで被災者が励まされたことから、いつまでもこの善意を忘れない為、1月17日を記念日とした。」

何だか似たような記念日が2回あるのは不思議な気がしますがね。
では「おにぎり」と「おむすび」の違いは? というと、諸説あります。
まず、おにぎりはご飯を「にぎる」という片手の動作で、おむすびの「むすび」という動作は両手を使うのです。
そう考えると「おむすび」の方が正確だと思うのです。
さらに、「むすび」は「産霊(むすび)」や「産霊日」とも書き、むすぶ時に両手を合わせる敬虔な合掌に繋がる、という宗教的な意味合いもあります。
子供の頃、母親が夕食で余ったご飯で、醤油や味噌を付けて小さく作ってくれました。今でもその味は記憶にしっかりと残っています。

※写真はデザインを担当した1978年5月号の家庭画報「おにぎり特集」です。

2013年6月17日月曜日

俺はまだ本気出してないだけ


少し前のことですが、ある方から「ハルコさんの夢は何ですか?」と尋ねられたことがありました。
夢と言っても寝ている間の夢ではなく、これから(将来)の夢の事ですね。
でも、今更この歳で夢は?と言われても……困ってしまいました。
まぁ、夢は無い事はないのですが、兼業お手伝いから専業お手伝いになり、毎日のんべんだらりと過ごすことですが、オクサマからは鼻であしらわれました。

今週から封切られる『俺はまだ本気出してないだけ』という映画の宣伝が、頻繁に眼や耳に入ってきて、見た方は瞬間的に一度は「俺は(私は)まだ本気出していないだけ」と思った方も多いと思うのです。
これは元々は青野春秋さんの作品で、『月刊IKKI』(小学館)誌上で連載され(2012年8月号で連載は終了)、今回映画化されたのです。

あらすじは、子持ちで離婚歴がある大黒シズオ(42歳)が、ある日「本当の自分を探す」と何も考えずに会社を辞めてしまところから始まるのですが、、ゲームばかりの毎日を送り、同居する父からも怒鳴られてばかり。
そんな中、本屋で立ち読みをしていたシズオは漫画家になろうと決意し、父親と娘に熱く夢を語り、出版社に原稿も持ち込むのですが……。

現実に「本気出していないだけ」と、どのくらい考えているのでしょうか?
本気出したら、こんなもんじゃないぞ!まだ、本気だしていないだけだ!と。
「本気」の反対語は「本気でない」?
大人の会話だと「本気」いや、「遊び」「浮気」となると、別な世界に飛んで行きそうですが。

ハルコのモットーは「テキトー」「テヌキ」「テニアマル」の3T主義でして、本当に困ったもんです。
ただひとつ、17歳の頃にあるデザインのコンクールに応募するために、1週間ほとんど寝ないで作品を作り上げたことがあります。
身体を心配した親には怒られて電気を消され、灯油ストーブの灯りで作品を作り上げたのです。
この作品が最高賞になり、親からはデザイナーへなるために勉強をする事が許されて、現在へ続く道筋が出来たのです。
この17歳の少年は本気出していたと、現在のハルコは思うのです。
さて、あなたは、本気出してますか?

2013年6月14日金曜日

なぜ、トルコ料理は世界三大料理なのか?

昨夜の晩餐は遅い時間だったのですが、偶然開いていたので市ヶ谷のトルコ料理店に入りました。
トルコ料理は、たまに阿佐ヶ谷の「イズミル」には行っており、昨夜の店も美味しいくいただきました。


料理を食べながら、「何故トルコ料理は世界三大料理なのだろう?」と考えていたのです。
世界三大料理の謂れを調べていくと、トルコ料理はどうも美味しいから選ばれた、というわけではないようですね。
トルコ料理には世界の食文化に対して、影響をおよぼした原型があるらしいのです。色々な料理のルーツを探っていくと、トルコ料理に辿りつくのです。
 トルコ料理は、ビザンチン・オスマントルコ帝国など東西にまたがり広大で、
中東は元よりシルクロードを通ってアジア、ヨーロッパにも大きな影響を与えたのです。
同様にフランス料理や中華料理も、広い範囲に影響を与えた、という理由で選ばれているそうですが、こちらは美味しい料理が沢山ありますね。

ではトルコ料理の影響はどんなものがあるかと考えると、まず羊肉が主体で、オリーブ油を多用し、ヨーグルト、チーズの発祥地ということですね。
かつて19世紀後半から20世紀初頭にかけ、ヨーロッパではオリエントブームを背景にトルコ料理が流行し、コーヒーを飲む習慣など、ヨーロッパの食文化に与えた影響は多大にありますね。
しかし現在では、人口比率でいくとインド料理の方が三大料理に適しているような気もしますが。

世界中で広く愛される料理が三大料理なら、中国料理、イタリア料理、インド料理が世界三大料理に合致しているとハルコは思います。
フランス料理が、ユネスコより世界料理遺産に認定されましたが(メキシコ料理も)、日本でもそうですが、世界各国では世界料理遺産登録を目論んでいますね。
ハルコはトルコ料理の方が料理遺産向きだと思うのですが、どう思われますか?

2013年6月13日木曜日

塩辛食おうとて水を飲む


皆さんは「塩辛食おうとて水を飲む」と言うことわざをご存知でしょうか?
これは「塩辛を食べると当然のどがが渇くので、食べる前に事前に水を飲んでおく」という意味で、何事につけて手回しがよいことの例えなのです。

しかし塩辛を食べるからといって、事前にどのくらいの水を飲めば良いのでしょう。
確かに、「調整」というのは日常的にありますね。
今晩はご馳走を沢山食べるので、昼ご飯は軽くするとか、抜くとか。ところが、逆に食べられなくなってしまうと、いうケースもありますね。用心し過ぎてダメになる。
これとは逆に、本番で食べたり飲んだりするために、「練習」と称して食前に飲食する強者もおります。

落語の「試し酒」の中にも、ある商人の家に大酒飲みの奉公人がおりまして、 この男がどれくらい飲めるか? という話になり、 「五升は飲めるか」「いや、飲めないでしょう」と、 二人のヒマな旦那が賭けをする噺がありますね。
旦那に「今ここで五升の酒が飲めるか?」と言われた奉公人が、 「ちょっと考えさせてくれ」と外に出て行く。 そして戻ってくると、一気に五升を飲み干したのです。 

呆れた二人の旦那が外で何を考えていたのかと訊ねると、 「五升と決まった酒が飲めるかどうかわからねえから、 さっき表の酒屋で試しに五升飲んできた」という噺は大好きですね。

現在のハルコはもうダメダメですが、これでも若い頃はかなりの大食いで、鮨屋さんへ行く時なぞ、あまり食べ過ぎると勘定が心配になるので、事前にカツカレーを食べてから出かけたものです(実話)。
鮨屋のご主人にも、「今日はカツカレー召しあがって来ましたか?」とよく聞かれたものです。
また別な鮨屋さんでは、ハルコが店内に入るなり「おーい、暖簾を下げろ」と、まだ宵の口なのに貸し切り状態になることもままありましたが、最近はもうそんなことは不可能ですね。

今は事前に消化剤を飲んで食べに行くと、堕落してしまったハルコでした。

2013年6月12日水曜日

エスプレッソはいかが?


昨日はキッチンステージのエスプレッソマシーンを新しく替えるために、ネスプレッソさんに行きました。
デザインも性能も素晴らしく、おまけに価格も安いのにびっくりしました。

ハルコの記憶では、初めてエスプレッソを飲んだのは、35年以上も昔だったと思います。コーヒーはミルで挽いてドリップで入れていたのですが、濃いエスプレッソは家庭では難しい上に、エスプレッソ用の焙煎の強いコーヒー豆(粉)も簡単には入手で来ませんでした。
しかしエスプレッソに憧れて、最初は直火式のマキネッタという専用の器具を買って飲んでいたのですが、面倒な上に上手くいかないので止めてしましいました。

それからしばらくして、家庭画報通販の仕事をしている時、“カッケー”エスプレッソマシーンに出会ったのです。
イタリアのメーカー、ラ・パボーニ製で、電気式ですが抽出する時はハンドルを押しながらする方式で、ミルクもカプチーノに出来るタイプです。撮影した後のものを頼み込んで買い取ったのですが、30年前で18万くらいと高価でした。
その後に、ネスプレッソの電動でコーヒーの粉はカプセル状になったものを入手して、随分楽しんだものです。

昨日のネスプレッソでのデモンストレーションで、あまりの簡単さと価格の安さに驚きました。なんと言っても家庭用で1万円足らずで買えるのですから。
本当にこの数十年で進歩したのですね。

写真はわが家の玄関に置いている、30数年前に購入したエスプレッソマシーンです。
錆も浮いてきて現在は使用されてない上に、2年前の東日本大震災の時に自宅へ急いで帰ってきたら、玄関でこのエスプレッソマシーンが落ちていて、レバーの部分からポキっと折れていました。
でも、捨てられないので接着剤で補強して、オブジェとして生き残ってます。
事務所にも1台欲しいものだ、と思った次第です。

2013年6月11日火曜日

昆布の水塩

今日は梅雨らしい天気ですね。
昨夜の日テレ「人生が変わる1分間の深イイ話」には、伊勢丹キッチンステージでもお馴染みの「調味料マニア」の松田智華さんが出演しました。
その他にも、キッチンステージでも縁の深い脇屋さんや笠原さんも登場されて、楽しい番組でした。

番組内で、松田智華さんが紹介してくださったものの一つが、大阪松前屋の「昆布の水塩」だったのです。
この「昆布の水塩」はハルコも商品開発に関わった商品なのです。
今から5年前程に、友人の中村新さんが松前屋の顧問をしており、開発と販促の協力をしてくれないかと大阪に呼ばれたのが最初でした。

この調味料の特性は何か?と考えると、ジャンルとしては日本で一番ポピュラーな醤油が重なるのですが、まず醤油の替わりにどう使えるかを検討したのです。
古い資料を調べていくと、醤油の発生する以前の調味料として「水塩」が四条流の本の中にありました。
「これだ!」とピンと来て、ネーミングが「昆布の水塩」に決定したのです。

その後に、松前屋の松村社長と中村新さんとハルコで、伊勢丹のバイヤーさんに売り込みに行ったのですが、その時の反応はイマイチでした。
しかしその後、伊勢丹(その当時は三越と合併していない時代)の「オンリーアイ商品」にも選定されたのです。
その当時によもや、ハルコが伊勢丹のキッチンステージに関わるとは夢にも思っていませんでした。
縁というのは面白いですね。

2013年6月10日月曜日

残心

ご飯を食べていて、オクサマからいつも叱られることがあります。
例えば、お酒を注いでいてこぼしたり、皿から料理を取り分ける時にこぼしたり、と誰でもあることだと思うのですが、、オクサマ曰く昔はそうではなかったと。
歳のせいでしょうか?と言ってもダメなのです。
要するに注意力散漫になってきているのですね。

武道には、“残心(ざんしん)と言う言葉があります。
技を決めた後も心身ともに油断をしないことで、たとえ相手が完全に戦闘力を失ったかのように見えても、それは擬態である可能性もあり、油断した隙を突いて反撃が来ることもあり得るのです。それを防ぎ、完全なる勝利へと導くのが残心だそうです。
ハルコは時代劇小説マニアなので、この言葉は頻繁に出会います。

プロのゴルファーが、ドライバーでゴルフボールをショットした後に、暫し打った後の姿勢を保っているのも残心とも言えなくもありませんね。
料理もセカセカして作るよりも、形を決めたら暫し間をおいてから次の作業にかかる方が、ケガをしたりせずに確実に上手に料理ができるのかもしれません。


長年、色々な料理人さんの調理中の仕草を見てきておりますが、やはり名人、上手と言われる方々は動きに無駄無く、間合いも良いし、形を決める時は武道ではなくとも残心を会得しているのだと思います。

これからはハルコも残心を持とうと思うのですが、オクサマからはきっと「何をモタモタしているの!」と言われそうですね。
うむ、残心は難しい。

2013年6月7日金曜日

馬刺の裏面史

昨夜は渋谷「銀座ほんじん」で晩ご飯でした。
一昨日は体調不良で休んでいたのですが、「元気の出るホルモン鍋」で復活です。
最初に馬刺を出していただいいて、芋焼酎との相性もよく満足でした。


さて、馬肉をいただきながら、日本で馬肉がどのくらい普及していたのだろうかと考えたのです。
馬肉は別名「桜肉」とも「蹴飛ばし」とも言いますが、馬刺は熊本県の郷土料理で、古来より馬の産地と深い繋がりがありました。
ただ、日本では表向きには獣肉は禁食なので、「桜鍋」などと称して「薬食喰い」されていましたが一般的ではなく、明治になっても馬肉に対してのタブーは残っていたのです。
しかし、馬肉は脂の融点も低く、生肉でも口で溶けるのと今や人気の食材となっていますね。

さて、ここからが本題です。
馬肉料理を食べる文化の根付いていた場所は、馬の産地の他にもあるのです。
それは、鉱山のある地域なのです。過酷で多湿な劣悪な労働環境で、「よろけ」という鉱山病の予防のために馬肉(内蔵)を食べていたのです。
炭坑として発達した地域には「ナンコウ(馬肉)」を料理供する居酒屋や料理が多く出現したのです。
「ナンコウ」とは、馬肉と言うのを嫌がった人々が、江戸時代の方位で「午は昼九つ南向(ナンコウ)」と名付けたそうです。
これが秋田から北海道の鉱山のある地域に伝播していくのですが、近代になって朝鮮半島から使役として来た朝鮮人が、過酷な労働の中で午の内蔵や骨すら食べて生きながらえてきた貴重な栄養源でもあったのです。

単なるグルメや美味しいという観点を離れてみると、食文化には複合的な歴史の裏に真実が見えてくるのではないでしょうか。

2013年6月6日木曜日

梅雨と梅

昨日は朝から体調不良で、1日中自宅におりました。メールやら電話での連絡はず〜っとしていたので、半分仕事・半分休養という感じですね。
今年になって、仕事抜きで完全に休んだのは、1月のインフルエンザも入れて10日ちょっとでした。バリ島的生活を考えれば、休みのための休みは必要はないのですが。


さて、今日6月6日は「梅の日」ということで、梅の話です。
まず、故事から(大体こじつけですね)、そういえば“こじつけ”は「故事付ける」が大元なので正しい表現ですね(笑)。
天文14年(1545年)の6月6日(旧暦は4月17日)に、後奈良天皇が京都の賀茂神社に詣で、梅を奉納して祈ったところ、たちまち雷鳴とともに雨が降り始め、五穀豊穣をもたらしました。人々はその天恵の雨を「梅雨」とよび、梅に感謝すると共に、災いや疫病を除き福を招く梅を「梅法師」と呼んで贈り物にするようになったんだとか〈宮中日記「御湯殿 上の日記」〉。
さらに薬膳としても貴重な梅は、宮中での天皇等への献上品として地元の賀茂茄子と共に献上され、お中元の品として重宝されたと言われています。
これが、お中元の始まりだとか。

この「故事」から、梅の産地・紀州梅の会では6月6日を「梅の日」と制定し、毎年宮中と賀茂神社・熊野本宮大社をはじめ、地元須賀神社に梅を献上しているそうです。
以上「故事」でした。


ハルコも本当は、毎年梅干ではなく、「梅酒」を漬け込んでいるのですが、東日本大震災以降は漬けておりません。梅酒も残り少なくなってきたので、今年は漬けようと思っています。
梅酒が無くなって、残った梅は「ハルコ特製の梅ジャム」にしているのですが、冷蔵庫を見たら、まだ随分残っているなぁ。
ちゃんと加熱して煮沸消毒して瓶詰めにしているので大丈夫だとは思うのですが、どうなのでしょうか。

2013年6月5日水曜日

バリ島的な思考

今日はこのところの疲れが出たのか、自宅でボーッとしております。
どうして1週間単位で行動しているのだろうか?と、漠然と思いました。
明治維新後に西洋のシステムを取り入れてから、現在では何の疑問も無く受け入れられていますが、疑問に思う方はいないのでしょうか。
人によっては時間の概念は随分違うと思うのですが、それをすると社会的には適さないと烙印が押されるのですね。

現在の仕事は、独立して事務所を抱えて随分経ちましたが、仕事の忙しい時と暇な時の差は大きいのです。
昔は編集者が金曜日の夕方に原稿を持って来て、月曜までにデザインを上げるようにという事は日常茶飯事でした。
不規則が規則正しく行われているという生活でしたが、30年数ほど前に初めてバリ島を訪れて、意識が変わったのです。


バリ島の一日は、朝から午前中は農作業、午後からは手工芸などの芸術家活動、夜は集まって唄や踊りの芸能活動と、三つに分かれているのでした。
「1週間」というキリスト教的な時間の組み合わせに対して、ヒンズー教をベースにしながら独自の時間概念を持つバリのライフスタイルに、ハルコは感心したのです。
それ以来、ハルコも一日を三つに分けて、仕事、家事、自分の興味のある事、としているのですが、“お手伝いハルコ”を名乗ると公私の区別が無くなってしまったのです。
もう一度バリスタイルを考え直そうと思うハルコでした。

写真はバリ島で購入した、バリの生活を描いたミニアチュールです。

2013年6月4日火曜日

ビーフボウルの謎

ビーフボウルと聞いてピンと来る人は、アメリカのB級グルメに通じている方ですね。
ハルコは最初、“ビーフボウル”と聞いても、何だろう?と考えてしまったのです。
まず、勘違い。「”ビーフボール”? ビーフをボール状態にするって肉団子!?」と思いきや、それは“ボウル(BOWL)"“ボール(BALL)の大きな間違いでした。
料理のレシピでは、よく間違われるのですが。

材料を“ボウル”に入れてかき混ぜ……
材料を“ボール”の形にして……

発音も文字も大変紛らわしいのです。「材料をボールの形にし、ボウルの中に入れて……」なんて書いたら、本当に面倒ですね。

というわけで、“ビーフボウル”“BEEF BOWL”なのですが、判りますか?
答えは「牛丼」だったんですね。

1979年の6月4日に、牛丼チェーン吉野屋がロスアンジェルス市内に、アメリカ西海岸第1号店「ビーフボウル」レストランを開店した日なのです。確かに、どんぶりはボウルの形状ですね。

そう言えば10年も前に、山中伊知郎さん『新国民食 吉野家』なんて本も造りました。
カバーの牛丼のイラストはハルコの作です。

2013年6月3日月曜日

学校給食


ハルコのシンボルは割烹着と三角巾ですが、現イメージは小学校の給食当番スタイルなのです。
今から60年前の1954年の今日、6月3日に「学校給食法」が公布れました。
ちょっと固い内容ですが、学校給食法では給食により、4つの目標を決めたのです。

1. 日常生活における食事について正しい理解と望ましい習慣をやしなうこと。
2. 学校生活を豊かにし、明るい社交性を養うこと。
3. 食生活の合理化、栄養の改善及び、健康の増進を図ること。
4. 食糧の生産、配分及び消費について、正しい理解に導くこと。

現在の「食育」の原点が、この学校給食法だと思うのです。
あまり考えもしなかったのですが、世界の学校給食はどうなんだろうとネットで調べてみたら、気になる記事がありました。

アメリカの「ワシントンポスト紙」(2013.1.27)では
「日本の学童は学校給食からたくさんのことを学んでいる!」
日本の学校給食は国が設置した制度により、安価で健康・美味しくバランスの取れた食事内容を実現することができ、学校に配置された栄養士が献立を作成している。
人件費は各自治体負担、300円程度のの材料費を保護者が負担し、給食の時間は白衣と帽子を着た児童生徒が自分たちで配膳し、用意が整って全員揃ったところで、この日の献立について栄養士が食事の前に講義する。
このような取組のお陰で、日本の子どもの肥満率は常に世界最低レベルで、6年間減少し続けている。
日本の学校給食は学校教育の一環として実施されている。

そして、日本政府として、文科省スポーツ・青少年局学校健康教育課長の談話で、
「このような取組がなぜ他国でできないのか説明は難しいが、昨年モスクワで開催されたアジア太平洋経済協力(APEC)の学校給食ワークショップに、日本は文部科学省の職員を派遣したが、殆どの国は農産業関連省から派遣されていた。つまり、日本の学校給食は単なる昼休みの食事として位置づけられてはおらず、教育・授業の一環として取組まれていることから、他国の現行制度では難しいと言える」と言っています。

あぁ、ここがポイントだったんですね。
日本は文科省で他国は農業関係省!
大元の発想が違うのです。
そして、世界各国は日本の学校給食が「教育の一環としての授業」であることに、高い評価を寄せているということです。

色々な評価はあるでしょうが、ハルコも不味いと思いつつ、学校給食で育ちました。
最低限飢えることのない素晴らしいシステムだと思い直しました(問題はたくさんあるようですが)。
もう一度学校給食を考えてみようと思うハルコでした。

※このブログの記事は学校給食の研究開発をしている大阪「株式会社SN食品研究所」のHP( http://www.snfoods.co.jp/)から一部を引用いたしました。