2013年2月28日木曜日

本日はお休みします

本日は打ち合わせで埼玉県の深谷へ行っています。
そして休む間もなく、次の打ち合わせ!
というわけで、本日はブログはお休みします。
今後ともハルコをよろしくお願いいたします。


近況は随時FBにて発信中です。
ハルコのfacebook

2013年2月27日水曜日

蓮の薬膳カレー

昨晩は、久しぶりに神楽坂「蓮」へ。
料理長の石山さんの料理は、走りの筍から旬の金目鯛、名残りの蕪……と、舌と心を満足させる数々でした。
〆の雑炊もあるのですが、ハルコはいつもカレーを選択するのです。
日本料理店、ミシュランの2つ星でカレーとは、意外に思われる方もいるかもしれませんが、これが絶品なのです。


蓮のカレーは、親方の「神楽坂 石かわ」と兄弟弟子の「虎白」のグループの研修旅行先(この時は虎白は建築中で、小泉料理長は蓮にいました)で出会ったカレーが、石川さんがことのほか気に入り、研究に研究を重ねて出来たカレーなのです。
まぁ、カレー界の三つ星と言っても過言ではありませんね。
薬膳を基本としたカレーで、バナナなどの果物が隠し味で入っているのですが、味のタイプとしては甘口カレーなのです。激辛なものをお好みの方々には、物足りないかもしれませんね。

薬膳とカレーは切っても切れないものなのです。
日本のカレーは、大阪の高麗橋周辺から始まりました。この辺りは江戸時代には「薬種問屋」が集中していたのです。
この薬種問屋の方々は、イギリス経由で来たカレーが、実は自分達が取り扱っている漢方の原材料と同じだと気が付くのです。
薬種問屋の浦上商会はハウス食品に、志賀屋はヱスビー食品になる、という歴史があるのですね。

だからという訳でもないのですが、蓮の薬膳カレーは正しい日本のカレー文化の末裔なのです。

2013年2月26日火曜日

パパ料理

今日のランチは、料理研究家・庄司いずみ先生のご紹介で、パパ料理研究家の滝村雅晴さんとご一緒しました。

滝村さんは「パパが料理することで、家族が幸せになる」をコンセプトに活動されています。
ハルコも以前から、男性に対して家庭料理をもっと積極的にしてもらうプロジェクトを考えておりました。
 表現方法は違いますが、お互いに近い考え方の方だと今日お話していてわかりました。

ハルコの唱えている「料理の出来ない男は仕事も出来ない」と、滝村さんの“「料理」は「仕事」に似ている”は、まさに同じ内容で、マーケティング手法も大変似ていました。3月にはプロジェクトの骨子を固めねば。

写真は滝村さんからいただいた著作本『パパ料理のススメ』(赤ちゃんとママ社)、『パパごはん』(マガジンハウス)です。

滝村雅晴さんのHP
ビストロパパ ~パパ料理のススメ~

2013年2月25日月曜日

おむすびの中心で考えた

2月は本当に駆け足ですね。もう週末には3月です。
このところ、休み無く働いておりますが、時間がもったいないので、たまにコンビニでおむすびなんぞを購入して食べるのですが(お手伝いハルコともあろうものが!)、やはり不満がありますね。


その最大の不満は、おむすびの中心にあるのです。
最初からご飯全体に味と具が入っているのはいいのですが、梅干のように中心に具のあるものが問題なのです。
大体、外側に海苔が巻いてあり、その次はご飯で、中心が梅干し(具)ですよね。
三角にしても丸にしても同様ですが、外から海苔の付いたご飯を食べはじめて、まだ中心まで達しません。
やっと中心に達したかと思うと、もう突き抜けてご飯にぶつかるのです。

問題は、海苔と梅の支配しない、米の部分です。
ハルコが思うに、おむすびと地球の構造は似ていますね(大きく出たなぁ)。
地球の表面をわずかに被っている「地殻」
その下が上部マントルと部マントル。そして外核、内核と続くのですね(今、ニュートンの本を読んでいるので思いついたのです)。
地殻と上部マントルに該当するのは、海苔と米の表面に付いた塩の部分。
梅は中心の内核と梅から若干酸味が周辺に染み込んでいる外核。
そうなると、問題は米だけの下部マントルなのです。

本来は塩むすびのように、おむすびの構造は米と塩というシンプルなものです。
米が美味ければ良いのですが、何だか美味くない(それこそ味気ないのです)。
そうなると、梅味はバラけさせて、米全体を支配した方が良いと思うのです(あくまで個人の感想です)。

以前、「ダンチュウ」とセブンイレブンがコラボして、「究極のおむすび」を発売したことがありました。
ハルコも買って食べてみましたが、美味しくない。
最高の米と海苔、塩の組み合わせでしたが、なんと、塩は別に付いていて、自分で付けて食べるのです!
おむすびは本来、熱々の米に手塩で結び(にぎり)、塩梅よく味を馴染ませるのに、冷えた米に塩を付けてもしょっぱいだけで、結構良い値段でしたが、損をした気分でした。
やはり、おむすびは自分でむすんだのが一番良いですね。

2013年2月22日金曜日

杉花粉症50周年

今週はバタバタと忙しい1週間でした。
月曜日の京成線(成田空港近く)や、水・木の大阪出張と出歩いてばかりでした。

月曜の千葉の帰りに、電車の中で“くしゃみ”の連続。大阪では“くしゃみ”の他に“眼がかゆい”……。
うむ、来ましたよ。例のあれが。
そう、花粉症です!


初めて花粉症になったのは、花粉症という名称が(正確にいうと杉花粉症ですが)まだ一般的ではなかった1990年なので、ハルコはもう23年も花粉症なのですね。
ある出版社のスタジオで野菜の撮影立会をしていたら、くしゃみと眼のかゆさでたまらなくなりました。
スタジオにいた他の人を見ていると、皆さん平気なのです。
後から考えると、野菜にたっぷりの杉花粉が付いていたのではないかと思うのです。
それから約4半世紀の年月が経ち……。

戦後の1963年(昭和38年)に、東京医科歯科大学の斎藤洋三教授という方が日本で最初の杉花粉症の症例を発表して、今年で50周年なのです(お祝いしなくては!)。
以前は、杉花粉症は戦中の物資の乏しい時代に、戦死した兵士のための棺桶を増産するために杉の木を大量に伐採し、戦後に禿げ山になった所に杉を大量に植林した木が同時に生育し、杉花粉が大発生したのが原因とよく言われていました(最近この手の話が出てないなぁ)。
1944年(昭和19年)に、国威発揚のために募集されて出来た歌が、唱歌「お山の杉の子」なのですが、もう忘れ去れらてますね。
以下はサトウハチロウが補作した「お山の杉の子」の歌詞で、カッコ内は戦後にさらに改作されたものです。
杉花粉症を恨むなら、戦争を恨め!ですね。

(歌詞の5番目)
大きな杉は何になる 兵隊さんを運ぶ船
(お舟の帆柱 梯子段)
傷痍の勇士の寝るお家 寝るお家
(とんとん大工さんたてる家 たてる家)
本箱 お机 下駄 足駄 おいしいお弁当たべる箸
鉛筆 筆入れ
そのほかに
うれしや まだまだ役に立つ 役に立つ
(たのしや)

2013年2月21日木曜日

大阪2

大阪へ日帰り予定が、一泊に変更になり、ホルモン焼きを食べた後は、7時間打ち合わせでした。


4月に刊行予定の、昆布だしを使ったレシピブックの補足インタビューから、これからの松前屋の商品構成の再編集と論議を交わしましたが、実りのあるものになることを願っております。
写真は松前屋本店のスタッフの方々です。

午後に東京へ戻り、今度は脇雅代先生と次回の伊勢丹キッチンステージの打ち合わせをせねば!
大阪も寒いです。皆様もご自愛ください。

2013年2月20日水曜日

大阪

今日は久しぶりの大阪です。
月曜日に取材撮影で行った、京成本線の酒々井(しすい)の方が遠く感じれられますね。


現在進行中の「和だしスープ」の本は、松前屋の顧問の中村新さんのレシピ本です。松前屋さんにも編集協力をお願いしています。
月に2回、松前屋昆布工場(住吉区)でレッスンがある日で、この日は松前屋の松村社長も一緒です。
塩昆布や昆布の水塩を製造している工場は独特の醗酵の香りがします。
これが、中々楽しいのです。香りだけでご飯が食べられそうです。

今回は、現地滞在3時間ほどで東京へトンボ返りの予定でしたが、急遽1泊することになりました。
と、いう訳で、ブログは短信でした。

2013年2月19日火曜日

ハルコ、レストランで働く!

ハルコは食べるばかりではなく、レストランの仕事にも興味がありました。
もし、自分がレストランで働くとしたら……てな想像をしていた頃の話です。


ここに、2枚の写真があります。ハルコ非常に若いですね(凛々しいし)。
上の写真の場所は恵比寿の「あ・た・ごおる」です。
何かの会があり、ハルコ自分で望んでサービス係をしていたのです。
まぁ、当然お遊びですけどね。



もう1枚の写真は西麻布の「ダノイ」です。
ここでも、サービスを係をしてますね(後ろにはマダム真理さんが)。
昔、ダノイがオープンした頃の話です。
お店には、シェフとマダムともうひとりのスタッフしかいませんでした。
その日、スタッフの父親が危篤になり、彼は郷里に帰りました。
その晩は、ほぼ満席の混み様でした。
ハルコ達も友人の結婚披露宴が西麻布でありましたが、食べ足りないのでダノイへ。
もう、店は混乱の極みでしたが、ハルコは急遽サービス係に変身!
オードブルを盛付けたり、テーブルに運んだりと、大活躍!(実は大迷惑!)
それ以来ダノイでは、ハルコはサービスをしてもいい客になりました(意味がわかりませんね)。

レストランのサービスは、実は面白い仕事です(毎日だと大変ですが)。
オクサマにお仕えするお手伝いも、レストランのホールの仕事も根本は一緒ですね。

2013年2月18日月曜日

あぁ、ナポリタン!

どうしても、無性に食べたくなるものに「ナポリタン」があります。
土曜日は「香味屋」さんであれこれ食べて、さらに「ナポリタン」を追加注文しました。思わず「ナポリタンは別腹!」と言ったんですが、やはり食べ過ぎたようです。


ここ数年、ナポリタンの人気が高くなってきたようですね。
長いイタリア料理ブームでしたが、もう、本格的なパスタは飽きてしまったのか、それとも……?
ちょっと甘めのケチャップソースに、ハムとタマネギ、ピーマン、マッシュルームのシンプルなパスタ料理。
確かにイタリア料理でも“アマトリチャーナ”はありますが、近くて遠い味覚ですね。
“スパゲッテイ・アッラ・アマトリチャーナ”が正式な名前ですが、パンチェッタ(豚の塩漬けベーコン)にタマネギ、トマト、唐辛子のソースにペコリーノ・ロマーノを、トマトケチャップにハム、タバスコ、粉チーズを合わせると似た味にはなります。
が、やはり大いに違うのです!

海外から日本に伝来して、いつの間にか日本に根付いた食文化が沢山あります。
今更天ぷらの例を出すと古過ぎますが、伝来した時のオリジナルからどんどん変容してゆくのが大きな特徴ですね。カレーライスだってラーメンだって渡来した料理ですが、日本食の一部になっており、ナポリタンももう一息の所まで来ているでしょうね。

ハルコ的には「甚六」の超裏メニューのナポリタンが一番旨いと思ってます。
ただし、全部材料は持ち込みです。

2013年2月15日金曜日

脇屋友詞さんのこと

13日の夕方に、赤坂の「一笑美茶樓」脇屋友詞さんと貝印の商品開発の打合せ後に、脇屋さんが主宰している“食材研究会”に参加しました。
今回で109回という長い会で、以前に「トゥーランドット遊仙境」(赤坂)に参加したことがありますが、季節的に“春節”を祝うおめでたいメニュー構成でした。
一帆風順、萬事如意、身壮力健、恭喜発財、一團和気、歩歩高陸、招財進寳、福星高照。どうです、縁起が良いですね。

脇屋さんとの最初の出会いは、もう20年前でしょうか。
立川のリーゼントパークホテルの料理長の時代です。立川に凄い中国料理の料理人がいると話題になり、食べに行ったのが最初です。
その後の活躍は、ご存知のように1996年に「トゥーランドット遊仙境」を始めとして、「Wakiya-一笑美茶樓」「臥龍居」と素晴らしい店を展開しております。
ハルコの本業でも、脇屋さんには連載に登場してもらったり、雑誌などの企画で料理を作ってもらいました。
さらに、NHKの朝の情報番組を冠した料理本の企画編集で、脇屋さんの本の制作もしました。




でも、ハルコにとっての一番のお付き合いは、調理道具開発です。
貝印で最初に調理道具開発を手がけたのは「分とく山」の野崎洋光さんですが、プロの料理人シリーズとして、ハルコは中国料理なら脇屋友詞さんしかいないだろうと考えて、脇屋さんと貝印を説得して開発を開始したのです。
中華包丁から蒸器などを開発し、現在も中華鍋で面白い構成の器物を検討中で、何とか年内には商品化までこぎ付けたいと思ってます。

フジテレビのアイアンシェフでも登場していますが、今日の山田宏巳さんとの対決は…………?

2013年2月14日木曜日

煮干しの日


今日、2月14日は煮干しの日です。
またまた、語呂合わせで「2(煮)1(棒)4(し)」らしいですが、1994年に日本煮干協会が設立しました。

昨年末に「和だしスープ」の本の制作のために、神戸で撮影をしました。だしの取れる素材の中には当然、煮干しも登場します。
しかし、昆布や鰹節に比べて、煮干しって「次善の策」的な位置付けですね。
関西の昆布に関東の鰹節という東西比較ですが、実は煮干しだしこそ、日本人のだし文化に貢献しているのです。

主な原材料のイワシ自体は、縄文時代以前から食されており、飛鳥時代には朝廷への献上品として、生乾きの「いわし煮」の名称で登場します。
このイワシは直ぐに鮮度が落ちるので、下魚として庶民の食材になるのですが、煮干しだし自体は室町時代から使われ始め、西日本を中心に流通・消費されて、「いりこ」の名称で広まりました。「いりこ」は「煎り煮干」からの変化ですね。
東日本で煮干しが消費されるよになったのは、何と明治になってからです。
それまで、東北ではだしを取る食文化が無かったんですね。

小さい頃、母親が作る味噌汁は煮干しだしでしたが、煮干し自体も具として残していて、さらに味噌が全部溶けずに、まだ豆の原型が残っていて、はっきり言って大嫌いでした。
そんなハルコが、長じてだしやら煮干しのことを仕事で考えているなんて、子ども時代のハルコには思いもよらないことでしょうね。
あともうひとつ、若い頃安ウィスキーのつまみに煮干ししかなくて、フライパンで炒って食べて凄い二日酔いになり、酷い目にあったことを思い出しました。あぁ~~。

2013年2月13日水曜日

ピーラーマジック!

昨日は、料理研究家の松田美智子先生と制作中の「ピーラーマジック!」の最終撮影日でした。
貝印のSELECT100“T型ピーラー”と、“I(アイ)型ピーラー”を使ったレシピブックです。版元は世界文化社で、貝印も編集協力しており、4月5日発売の予定です。


ピーラーはどのくら家庭に普及しているのでしょうか。
包丁と同様に「皮引き」として、1個は大体あるような気がします。
しかし、包丁よりも簡単なピーラーすら使えない人もいると聞いており、本当のところはどうなんでしょうね。

ハルコはこのピーラーの開発にも関わっておりました。
もう10年も前ですが、貝印で開発を進めたもので、SELECTO100シリーズでは一番売れた商品です。
日本で一番のピーラーを造ろうとして、各社のサンプルを買い集めて、色々な野菜の皮を引いてみました。
元々貝印はカミソリメーカーでもあるのですが、カミソリの持つ強靭さやしなやかさが、対象物に動きがよりフィットする考え方を人間工学的に活かして、刃を斜めにしたり、ハンドル部分を手に馴染む構造にしました。
 撮影中に松田先生に使用感の感想をお伺いしたのですが、これからの開発の参考になることばかりでした。

ハルコ的には、“I(アイ)型ピーラー”をもっと普及させたいと考えています。ペティナイフ感覚でも使えて便利なのです。
今晩はこのピーラーの開発者の方達と会食会ですが、さらに改良を加えたいですね。

2013年2月12日火曜日

鮨 三谷

この3連休はすべて仕事でした。
2月は短い上に、1月はインフルエンザやらでほぼ半月休んでしまい、仕事のしわ寄せが今来てます。3~4月に刊行する書籍が重なって、てんてこ舞いです。


さて、日曜日に昨年11月3日以来の四谷「鮨 三谷」へ行きました。
何でも予約が超取れにくく、予約できるのは1年後、とか色々と言われているようですが、何というか、幸いに「●▼■~」とご一緒(書けない)で「鮨 三谷」へ馳せ参じたのです。
色々な方がこの店の事や鮨、酒肴に関してお書きになっているので、細かい事は書きませんが、やはり予約が取れない理由はよくわかります。
極論すると、「鮨 三谷」は既存の鮨店の流れとは、一筋違う道を行っているということでしょうか。
自分で書いていても分かり難いとは思いますが、それは食べてみて初めて理解の出来ることだからです。

老舗や有名な鮨店では、予定調和というか「出てくる鮨のネタの善し悪し」で安心して食べることが出来る、ということです。
ところが、「鮨 三谷」は、出てくるまで「解らない」。
出ても「解らない」、食べても「解らない」
そして、三谷さんから説明を聞いてやっと「!」と理解して、今の「解らない」を最初まで遡り、やっと全体を理解するのですが、やはり「解らない」。
推理小説の断片をバラバラにして、目の前で読まされている感じなのです。
こちらが、お酒を飲みながらぼ~っとしていると、さらに解らなくなり、再度説明を聞くはめになったりするのです。
くどくど書いてますが、それは驚きと意外性の連続で、「どうして、これとこれを組み合わせて味を造り出すのだろう?」と、三谷さんの頭の中を覗きたくなるのです。

昆布のグルタミン酸鰹節のイノシン酸のだしの組み合わせは、うま味が7倍以上になりますが、「鮨 三谷」の酒肴や鮨の味の方程式はまさに、この化学的変化を体験と思考から紡ぎ出されているのです。
元々、新宿伊勢丹本店の「鮨 魯山」の店長から独立したと聞いてますが、それは伊勢丹の持つ冒険的な先鋭性からなのか、今度お伺いしたいと思います。
また、5月の「鮨 三谷」が楽しみになったハルコでした。

2013年2月8日金曜日

お弁当の中のプチトマトの地位

毎日FBを見ていると、お弁当作りをしている方々のなんと多いこと。
それも、男性が子供のために作っているケースも沢山あります。
そう言うハルコは、お弁当と言えば「花見弁当」を作るくらいですね。
お弁当は、毎日ほぼ決まったスケジュールの方なら良いのですが、毎日その日暮らしのハルコ向きではありませんね。
でも、お弁当関連の本は作ったことはあるのです。

ちょいと、一般的なお弁当のおかずを調べてみました。
以下は、少し前の「MARUHA NICHIRO 2011年5月」の調査結果です。読んでみると、「お弁当によく入れるおかず」のランキングがありました。
複数回答で、お弁当には大体4品くらいのおかずが入りますが、第1位はやはりと言うか、「卵焼き」ですね。調査対象の20、30、40、50代満遍なくトップですが、40代以降は9割以上の支持率でした。
以下、順番に鶏の唐揚げ、ウィンナーソーセージ、ハンバーグ、プチトマト、煮物、きんぴらごぼう、ブロッコリー、コロッケ、ミートボール、野菜炒め、ひじきの煮物、シュウマイ、梅干、鮭の塩焼が上位15位です。
ただ、年代別ではありますが自分の弁当なのか、家族の誰かの弁当かは不明です。
年代別で明らかに差があるのは、50代では煮物、きんぴらごぼう、鮭の塩焼きがずば抜けて多く、年齢が上がるとともに和食が好まれているのがわかります。


さて、ハルコが気になっていたのは、堂々第5位にランクされている「プチトマト」なのです。
確かに、卵焼きの黄色に赤のプチトマトは彩りもよく、これにブロッコリーの緑が入れば「まぁ、何ということでしょう、愛情のこもった三色の色の完璧な組み合せに、匠の技が!」(違うか)
ハルコは彩りで入れられているプチトマトは好きではないのですよ。
プチトマトには申し訳ないのですが、「色もの」として存在しているような気がするのです(プチトマト好きな方ごめんなさい)。
料理の撮影をしていて、何だかさびしいな、と思うと「あぁ、プチトマト」「あぁ、スペースが空いたのでプチトマト」……。
プチトマトだってもっと主役に躍り出て、社会的な地位を上げたいと思っているはず……。

2013年2月7日木曜日

卵かけごはん

このところ遅くまで仕事をしていて、晩ご飯が10時くらいになってしまいます。
開いている店を捜して行くのですが、選択肢は限られてきますね。

昨夜は神保町の初めての焼鳥屋さんへ駆け込み、ラストオーダー間際でした。
最後の〆に親子丼(大好きです)にしようと思ってメニューを見ていると、「名古屋コーチンの生卵かけごはん(300円)が目に入り、迷わずいただきました。
いや、これが当たりでした。
ごはんはもう随分炊いて時間が経っていてイマイチでしたが、やはり卵の実力で、ちょっと醤油をたらして、かき混ぜて一気呵成に食べてしまいました。

わが家では土鍋でご飯を炊いているのですが、食べる直前に蒸らし上がるようにしています。これを生卵かけごはんにしていただくのですが、これがまた大好きなのです。
炊きたてご飯に生卵、醤油。この組み合わせは、どんな高級な料理よりも好きなのです。


考えてみると『料理王国』での連載第1回目「温かい卵かけごはん」で、生卵ではなく“落とし卵”にしたのですが、この頃は料理本のレシピにないものを取り上げようとしていました。
これは「分とく山」の野崎さんが、「美味しい卵かけごはんを食べさせてあげる」と言っていただいてからです。
炊きたての土鍋ご飯に、生卵をかけ回して、米粒に卵がからみ合い、ご飯のカルボナーラ状態なのです。
ハルコはそれまで、生卵かけご飯はチープで料理とも思えない、と考えていたのですが目からウロコで、調理の奥深さを感じたのです。

その後に、料理レシピ本でも「卵かけご飯」が紹介されるようになりましたが、ついに時代がハルコに追いついて来たのか(傲慢ハルコ!)。
まぁ、そんなことありませんね。

2013年2月6日水曜日

海苔の日


今日、2月6日は「海苔の日」です。
確か昨年のブログでも取り上げました。
967年(昭和42年)に1全国海苔貝類漁業組合連合会が制定したそうです。

何故この日かと言うと、701年(大宝1年)に大宝律令が制定施行された日(太陽暦換算)で、海苔が「調(年貢)のひとつになったのです。
普段何気なく食べている海苔は、「調」の中の藻類(紫菜・むらさきな)の中でも貴重なものでした。庶民の口には入らないくらい高価な、当時の高級食品だったのです。

庶民の口に入るようになるのは、江戸時代の浅草海苔の登場からです。
江戸初期では、海苔は精進料理に親しむ寺院を除けば、一般的ではないですね。
寛永20年(1643年)の『料理物語』には「浅草のり」という名前が見られますが、この当時は醤油ではなく、溜(たまり)で味付けされていたようです。 江戸名物になる「浅草海苔」は、亨保年間(1751年)頃に現在の乾海苔の原型きのり」が発明されて以降ですね。多くの専門問屋出来て、全国へ浅草海苔が広まったのです。
こうして日本全国で海苔の採取加工が行われて、現在の海苔産地が形成されるようになりました。

日本人の年間平均の海苔消費量は82枚だそうです。82枚が多いか少ないかは微妙ですが、韓国人は年間180枚も食べていると聞くと、少ないかなぁと思いますね。
日本も韓国も非常に似ていながら違う食文化をもっていますが、海苔巻きはその良い例ですね。日本からから朝鮮半島へ渡った海苔巻のご飯が、いつの間にか酢飯から酢がなくなったのか。
韓国の海苔巻は、日本でもポピュラーになりましたが、「キムパプ」というのは、“キム=海苔”、“パフ=ご飯”で、ご飯と海苔ならおにぎりも「キムパプ」ですが、形状は海苔巻そのものです。
酢飯を使うこともない訳ではないですが、ご飯は胡麻風味ですね。
同じ海苔文化でもその違いに思いを馳せて、今晩は焼き肉(?)でも行こうかなぁ。

2013年2月5日火曜日

見田盛夫さんのこと

2月3日の節分はハルコの誕生日でしたが、もう一人忘れられない方の命日でした。
3年前の2月3日に、料理評論家の見田盛夫さんが76歳でお亡くなりになったのです。本当に早いものです。


1984年から13年間発刊された『グルマン』は、その当時の美食ガイド(フランス料理)の絶対的なご宣託の書でした。この本をパイロットに色々な店を廻ったものです。
いつから見田さんと親しくなったかは思い出せませんが、1990年前後だと思います。
ハルコもフランスへ食べ歩きに行きはじめ、その経緯を絵日記にして見田さんに見せたら、「素人はいいねぇ。お気楽で……」というお言葉。
その頃は(今でも変わりませんが)、料理を食べること自体に情熱を燃やしていたので、見田盛夫さんというのは、ある意味で目標だったんです。

色々なレストランで見田さんとご一緒させていただき、随分お話を聞かせていただきました。
「フランスでは毎日食前食後に胃薬を飲んでいた」(何でこんなつまらないことしか覚えていないんだろう)とか、レストランの評価というよりも、これからフランスへ食べに行くハルコに、「どこで何を食べると、その料理の流れは○○から続いているのが分かるから行きなさい」などのアドヴァイスしてもらいました。
見田さんの北軽井沢の別荘が出来たお披露目に伺い(今、考えるとこの時のケータリングはパリに発つ前の吉野さんが作っていたのです)、書庫を見ていたら、1冊の地方の地誌的な本を指差して「たった1行の確認のために、この本を買って読んだんだ」と、事実関係の正確さを、ハルコにご指導くださいました。

ハルコが初めて雑誌連載した『正しい食卓』を見田さんは読んでくださっていて、料理研究家の木村伸子さんに「ハルコさんとういう面白い人がこんなのを書いているよ」と紹介してくれました。
その縁で伸子さんの料理教室のセミナーに呼ばれて話すはめに……。
その時、見田さんは一番前でニコニコして聞いていてくれました。

写真は22年前の「ひらまつ」のガラディナーです。
中央はその当時の河田シェフで、見田さんの前がハルコ、隣にオクサマが。……古き良き時代の一コマでした。

2013年2月4日月曜日

料理を作る男たち


先週の「女が料理を作らない!」の続きです。
昔々、と言っても1975年の話ですが、ハウス食品のインスタントラーメンのTVコマーシャルで「わたし作る人、ぼく食べる人」というフレーズがありました。これが女性にだけ料理作りを強いる上に男女差別だ、と女性グループから抗議があり、CMが放映中止になった事件(10月27日)がありました。
今から38年も前のことですが、今の方は「なぜ?」と思うでしょうね。
この年は人間国宝の歌舞伎役者、坂東三津五郎が河豚にあたって亡くなったことも、記憶されていますね。

本当に隔世の感がありますね。この頃が“男子厨房に入らず”と、男は台所になんか入るもんじゃない!と、言うのが崩壊した年だと思うのです。
それから16年後の1991年に、“男子厨房に入る”のコンセプトで『ダンチュウ』が創刊されて、今年で22年経ちます。
今や、テレビでは男子が料理を作るのは当たり前の時代になり、逆に料理をしない・出来ない女子の方が増えているのでは?と、思う事も多々あります。

ハルコ自身も雑誌の連載などを通じて、男性が料理を作る運動をしてきました。
元々料理は“理科”だと考えているのです。
「繊維に縱に切るのと横に切るにのはどう違うのか」とか、「料理に味が染み込むための温度は』とか、調理科学の分野は男性に向いていると思うのです。

今日は立春ですが、今年は<以前から温めていた企画を実行する年にしたいと考えております。 料理する男子達で、調理師道具をベースにして料理を作り、道具を使い、食べて、セミナーを開き、イベントもして、さらに本も作る。 これから賛同していただける方を結集して、「貝印男子道具プロジェクト」(仮称)を発足します。
皆様、どうぞよろしくお願いいたします。

2013年2月1日金曜日

女が料理をしない!


ブログのタイトルには「悪意はありませんが、他意はあります」
「女が料理をしない」には、続きがあるのです。
「だから、道具が売れへんのや!」

これは今から12年ほど前に、ハルコが貝印のマーケティングプロジェクトに参加して、最初は社員の方々に取材をし、最後は部門の一番エラい方に話を聞いた時のことです。
調理用品の売れ行きが悪くなり、マーケティングの手法で打開するというプロジェクトが発足したのです。
「女が料理をしなくなったので、道具が売れなくなった!」

この話を、RF1を始めデパ地下の大手中食のロックフィールドの岩田社長にお話したら、手を打って喜んでました。
「僕が中食を始めたのは、主婦の方々に家庭での料理を作る面倒から
 解放してあげることだったんだよ!」
続けて
「家庭で料理を作っても、生産活動にならない。
 外で家庭で行っている技術を活用して、雇用が生まれて、経済も活性化する」

この二つの話はハルコのその後の考え方に強い影響があったのです。

社会的に忙しく活動すると、当然家庭内での家事の度合いは低下します。
元々、その役割を女性ばかりが担うのはおかしいので、男性も積極的に役割分担すべきだという考えです。
現在ハルコは男性向けの料理を考えておりますが、来週に続きます。