2013年12月27日金曜日

明日から引き蘢り生活!

2013年も残すところあと4日ですね。ハルコの事務所でも今日は仕事納めです。
今年は12月28日から1月5日まで、9日間のお休みになります。
百貨店関連の仕事をしていることもあり、関係者は年末年始は元旦のみの休日で、大変だと思います。ハルコも、キッチンステージのセミナーがどうしても土日に入ることが多く、今年はあまり休んでいません。
「バリ島式」に仕事・生活・趣味と、1日の中で3つの区分を実行しているので、さほど休みたいとは考えていないのです。まぁ、強がりはこれくらいにして、今年1年「日々是ハルコ哉。」を読んでくださった方々に御礼申し上げます。


元々ブログを始めた動機は、あの2011年の東日本大震災が契機でした。
311以降に何かをやる気も起こらず、かと言って自分に何が出来るかも判らず、呆然としていた時にオクサマから「ハルコ。ブログでも書きなさい」との叱咤。
そんなの“しった”ことじゃない!と思いつつ、渋々書き始めたのです。
そこからFBも始めて、自分の狭い場所から他の方々と知り合いになることができて、今年の7月からは岩手県のお手伝いもすることになり、徐々に自分の成すべき事が判ってきました。

明日からは新潟のダーチャへ引き蘢り、今年の大いなる反省と来年への活動の充電(えっ、放電じゃないかって?)する予定です。
皆様良いお年をお迎えください。

年末年始も、近況は随時FBで発信しております。
ハルコのfacebook

2013年12月26日木曜日

木を植えた男

クリスマスも終わり、もう幾つ寝るとお正月ですね。
ハルコブログも年内は明日までで、正月休みに入ります。

去る24日にアニメーション作家のフレデリック・バック(Frédéric Back)さんが、カナダのモントリオールで89歳でお亡くなりになったそうです。
代表作は、5年の歳月をかけて制作された『木を植えた男』で、色鉛筆やフェルトペンで描くので大変時間がかかるものです。
今年公開された高畑勲さんの『竹取物語』同様に絵の輪郭線が無く、非常に芸術的な作品です。


今から25年前に、ハルコが初めて編集長として関わった、保険会社の定期刊行物がありました。夫婦と子供の情報誌で『WHa(ワハァ)というタイトルです。
若く小さな子供がいる世帯向けの内容でしたが、この情報誌にはハルコの現在に繋がる萌芽があったのです。
夫婦共々分担して家事を行い、新しいライフスタイルを築く、という内容でしたが、現在は普通のことでも、四半世紀前はまだ社会的に抵抗がある時代だったのです。

その中で、良質な絵本やアニメを紹介するコーナーを作り、そこでフレデリック・パックのアニメ『CRAC!』を取り上げて、読者プレゼントにしたのでした。
当時はまだ『木を植える男』はビデオ化(ビデオですぞ!)されていなかったので、『CRAC!』を掲載したのでした。

『木を植える男』は1987年にアカデミー短編賞を受賞し、「私の作品を通じて、日々の忙しさに忘れがちな身の廻りの動植物、自然、そして子供たちの尊さに気を留め、将来の幸福な人生をつかんでもらえば……」と語っていました。
お正月には、たまにこんな作品も鑑賞されてはいかがでしょうか。

2013年12月25日水曜日

昔の料理は茶色だった!

この季節は、緑と赤のいわゆる「クリスマスカラー」が街に溢れています。
そして、料理もカラフルな料理のなんと多いことでしょうか。
これらは昔なら“ハレの料理”なのでしょうが、今や1年中色とりどりですね。
雑誌やレシピ本の仕事を長く続けておりますが、ある時期を境に料理がカラフルになったと確信しています。
それは「料理の三原色」と(一部で)言われるものでした。
何か撮影のために料理を作る場合、ベースの料理に色数が少なければ色のあるものを追加で入れる(のせる)ことです。

その「料理の三原色」を最初に作り上げたのは、熊谷喜八さんではないでしょうか。35年前の家庭画報の料理は、まさに「3原色」なのです。
喜八さんが唱えて一世風靡した「無国籍料理」は、フレンチをベースにして各国料理をフュージョンさせて作られましたが、また同時にヌーベルキュイジーヌの影響も多分にあるでしょう。韓国や中国、東南アジアの色彩も加わってきましたね。
料理で絵を描くような感覚で、足りない色を素材の赤、黄、緑、白……と加えていくのです。
これはひとつの発見で、非常に写真映えするので、模倣されるようになりました。


元々の日本料理は色彩感覚に富んでいたのも事実です。
しかし昔の一般家庭では料理屋さんの料理ではないので、食卓に乗るのはくすんだ茶系の料理が当たり前でした。
味噌汁、煮物、焼魚……。煮たり焼いたり炊いたりする過程で、茶色になるのです。
昆布や鰹節等でだしを引き、干し椎茸や干し大根、ひじき、豆等の乾物で調理する古くさい料理だけど、しみじみとした味付け。
写真は今から14年前に、今は亡き編集者と企画した「粗食のメニュー」というムックです。
その頃、病気で入院するはめになったハルコが、病室で「日本の病人食と言えばお粥だけど、世界中で病人は何を食べているのだろう?」と考えていたことから発想し、企画したものです。シンプルで体に良い「粗食」をシリーズにしたかったのですが、この1冊のみで終了。
今読み直すと、現在出ていてもおかしくない良い内容ですね(自画自賛)。
来年は「茶色」の普通の料理の復権がある、と思うハルコなのだ!


2013年12月24日火曜日

聖夜だけど(ぶつぶつ)。

今日はクリスマスイヴで、明日がクリスマス。
今更ながらの話ですが、日本でのクリスマスは安土桃山時代の宣教師から始まり、キリスト教が禁教となり明治に復活し、戦後に進駐軍の政策から一般化されてそれを商業化したというのが現在のクリスマスの発達史ですね(ぶつぶつ)。

11月から方々でクリスマスツリーが飾られ、12月25日を過ぎると、あっという間に門松に替わります(ぶつぶつ)。
別にクリスマスに文句はないのですが、現在の日本では、宗教とはまったく関係ないイベントとして成立していますね。
ミサに出たり、キリストの生誕を祝う信者の方々は別として、大多数の日本人にとってはご馳走やケーキを食べて、プレゼントを貰う日でしかないのでしょうか(ぶつぶつ)。
そうでなくとも、忘年会シーズンの流れの中での最大のイベントではありますね。
と、朝からぶつぶつ言っていたら、オクサマが「今日はクリスマスイブのパーティがあるから」と告げたのでした。

2011年の年末に、百貨店の大きなクリスマスツリーを見た時は、今年はクリスマスどころではないのにと思っておりましたが、毎年見ているツリーは日常の普通の幸せを感じて涙が出てきました。
まだ被災地の復興は中々進んでいませんが、来年はより良い年になりますように。
"メリークリスマス!”

2013年12月20日金曜日

冬至とかぼちゃ

今年の冬至は12月22日ですが、ハルコブログは土日と休日は基本的にお休みなので、ちょっと早めの冬至の話です。
この所、午後から打ち合わせした後に外に出ると、もう暗くなっています。
びっくりするという程ではないのですが、何だか早く暗くなると損した気分ですね。

冬至は、北半球において太陽の位置が1年で最も低くなり、日照時間が最も短くなる日です。1年で最も日が短いということは、「翌日から日が長くなっていく」ということなので、世界中で古くから太陽が生まれ変わる日とされ、冬至の祝祭が盛大に行われていますね。
中国や日本では、冬至は太陽の力が一番弱まる日であり、この日を境に再び力が甦ってくることから、陰が極まり再び陽にかえる日という意の一陽来復(いちようらいふく)と言われ、冬至を境に運が向いてくるとしています。
ハルコも毎朝テレビの星占いを見ているのですが、「占いで今日最低だったら、明日からは運気が上がる」とポジティブに考えているのです(違うか!)。


また、冬至には「ん」のつくものを食べると「運」が呼び込めると言われています。
にんじん、だいこん、れんこん、うどん、ぎんなん、きんかん……などを「運盛り」と言って縁起を担いだのです。

しかしやはり、冬至と言えばかぼちゃですね。
えっ、かぼちゃは「ん」がついてないだろうって?
かぼちゃを漢字で書くと南瓜(なんきん)です。つまり陰(北)から陽(南)へ向かうことを意味しているのです。ご存知でしたか?
でも、ハルコはかぼちゃがあまり好きではないのです。

さぁ、冬至の日には「ん」の付くものを食べましょう!
ハルコは「わんたん」でビールでも飲みましょうかね。

2013年12月19日木曜日

日々土鍋

我が家では、ご飯は土鍋で炊いています。
もう何年になるのでしょう。我が家の土鍋は三重の長谷陶園製で、現在4代目です。
まぁ、壊れたので4回買い替えたということです。

最初に土鍋で炊飯をした動機は、エッセイストの平松洋子さんのご自宅で撮影した時のひと言でした。
平松さんが「土鍋にして、電気炊飯器を捨てた」とおっしゃったのです。
その後、分とく山の野崎さんからも土鍋で炊くご飯の美味しさを伝授され、「もう土鍋しかない!」と思い、わが家も電気炊飯器を追放して土鍋派になったのです。


土鍋でご飯を炊く最大のメリットは、炊きあがるのが早いことです。
晩酌しながら晩ご飯を食べ始めて、途中で「そろそろ良いかなぁ」とガスで加熱するのですが、僅か13分で炊きあがり、5分蒸らして炊きたてのご飯をいただけるのです。これは土鍋でないと難しいですね。
しかし、この土鍋で幾度も失敗をしました。
熱いままの土鍋を水で濡らして本体にヒビを入れて壊したり、米だけを入れて水を入れ忘れて加熱して焦がしてしまったこともあります。
それでも、土鍋が良いのです。
写真はハルコが雑誌で土鍋指南したページです(自慢!)。

野崎さんと有田の福泉窯と共同で開発した土鍋も作りましたが、今一番作りたいのは、完全にIH対応の出来る土鍋です。新潟の“ダーチャ”はオール電化でIHしか使えないので、どうしてもIH土鍋が欲しいのです。
現在来年へ向けて、IH土鍋の開発を始めています。
来年の秋には発売したいと考えております。

2013年12月18日水曜日

12月のレストラン

12月も残り少なくなってきました。仕事もあと正味10日ほどですね。

今日は東京も雪が降るらしいのですが、ふた昔前の12月のことを思い出しました。
時代はバブル景気の真っただ中。世の中のカップルが赤プリだとか何とかの高級ホテルやレストランの予約が困難な時代でした。
そんな年末の12月、フランス料理店でご飯を食べて店の外に出ると、想定していなかった雪、雪、雪……!
時間は23時近くで、タクシーを拾おうとしても乗車拒否されるわ、タクシーを捜している人の数が尋常じゃないのです。
その晩は、結局明け方の4時近くまでタクシーが拾えず、深夜も空いているバーを捜して大変な目にあったのです。


そのバブルも弾けて、12月のレストランも予約が取れにくい所はまだたくさんありますが、当時のような熱気はあまり感じられませんね。
その時代を謳歌していた団塊の世代が現役を引退して、レストランで騒いでいるよりも静かに家で過ごしているのでしょうか。
マスの年代がごっそり抜けて、ここ数年レストランへの需要と供給のバランスが崩れてきたという実感はあります。
外食産業自体の底辺の広がりと層の厚さも加わり、客の立場からすると良いのですが、お店を経営している方々は大変だろうと思います。

12月は1年の中でも、レストランの一番の稼ぎ時です。
皆さんもどんどんレストランへ行きましょう!

2013年12月17日火曜日

岩手県のプライベートブランド!

本日17日は、岩手県のプライベートブランド(以下PB)の発売日です。
今から50年前、岩手県が第三セクター方式で会社を始めました。県知事が会長という、その当時としては珍しい組織でした。
今年はその会社「岩手県産株式会社」が創業50周年に向けて、地元の各メーカーさんとコラボして、岩手県のPBを開発する事業を始めたのです。
中心メンバーは全員女性で、「岩娘會(がんこかい)」というチームを発足して「pecco(ぺっこ)という名称のPBが誕生したのです。


第1弾は岩手県のお菓子をテーマにしました。
全国区にするには味はともかく、形状などが垢抜けしなく量も多いので、形を小さく食べ切りサイズにして、「少し」という意味の岩手の方言から「pecco」という名称になったのです。
本日から、東京では東銀座の「いわて銀河プラザ」で販売されます。
お目に止りましたら、「pecco」をよろしくお願いたします。
ちなみにハルコは、全種類購入しました。
来年のハルコの野望は、PBで岩手のソースを作ることです。

2013年12月16日月曜日

体の栄養、心の栄養

先週の金曜日は、保険の書き換え更新でした。10年単位での保険見直しですが、だんだん自分の余命が残り少なくなるのを実感しますね。
12月も後残り2週間、年が明けると「元旦や冥土の旅のへの一里塚、めでたくもあり めでたくもなし」という一休禅師の言葉を毎年思いだします。
人生はすべてまぼろしの連続であり、皆、夢に酔いしれているだけだと……。

そして保険の健康診断で10年前より身長は縮んだのに、体重が5キロも増加しておりました。体重は頻繁に計っているのですが、この10年で比較するとまさに「何ということでしょう」ですね。
経年によって体の代謝機能が落ちて、体の中に余分なカロリーがジワジワと蓄積されているのです。体の栄養は充分ということですが、もう一つの重要な心の栄養はどうでしょうか?

年々物覚えが悪くなり、自分の間違っている考え方に固執しがちになっている、という自覚はあります。
それが間違ったまま更新されずに、周囲を困らせる原因にもなるのです。
まだそれが間違っているという自覚があるだけマシですが、周りでも幾人か老害化している人を見るにつけ考えてしまいます。

この所、以前買ったまま読んでいない本を引っ張り出して読むようにしています。
今は読んでいると内容が頭にスーッと入ってくるのですが、買った当時の10年前やら20年前に読んでも、内容は理解していないだろうと思いました。
また過去に読んだ本も、再読すると以前読んだ時とは違う感想を持ちます。


来年は体の栄養は減らし、心の栄養をもっと増やさねば、と年末に殊勝にも思うハルコなのでした。

2013年12月13日金曜日

おでん種到来!


年末になると、さる方から“おでん種”が送られてくるのです。今年も届きました。
冷蔵庫を見て確認です。大根が無いと始まりません。おでん種の旨味が大根に染み込んだのが一番です(ハルコの感想ですが)。ただ、仕込みに時間がかかるのです。早朝仕込んで夕方に間に合わせるのです。急がねば!
と、言うわけで今日は珍しくハルコのおでんレシピです。

昆布は大鍋で前夜から浸透させています。これを弱火で沸騰させないようにして、昆布だしを取ります。ちなみに、ハルコにはおでん作りのお師匠さんがいるのです。「銀座とよだ」の岡本圭一さん仕込みです。
お師匠さんから教わった“おでんのだしのキモは、
(1)醤油を使わない。
(2)だしに鶏ガラスープを使う。の2点でした。
これをさらに進化(実は手抜き)をして、「ハルコ的おでん」にしたのです。
当然練り物は既製品なのですが、大根は絶対必需品なので外せません。あとはジャガイモがあれば入れる程度でしょうか。
一度タマネギを入れたのですが、旨味が強すぎてポトフに転んでしまいました。

ハルコのおでんの味付けは超シンプルです。
以前は(昆布+カツオ節)で取っただしを昆布のみに変えて、チキンブイヨン(無添加もの)と酒を合わせるだけで、塩すら入れません。
おでん種は沸騰した湯にくぐらせて、必ず油抜きをします。充分に油を抜かないとダメですね。

鍋に大根を沈めて、おでん種を投入してだしを張り、加熱します。その時に上にキッチンペーパーを落としぶたの代わりにして、さらに上に浮いてくる余分な油を吸収させます。
ここで、だしの味見をして塩気が足りなければ足しますが、何せ極上のおでん種なので、極力他の味は入れません。飲んで旨いくらいがベストですね。
これを何度か加熱して火を止め(実際には一定温度でおくと味が染みてくる)、温度が下がったらまた加熱し、火を止めて……を4回ほど繰り返します。





わが家では大鍋で作って土鍋に移し、そのまま食卓で加熱します。
はんぺんは食べる直前に投入するのですが、まぁ、だしを吸うこと吸うこと。余分にだしを用意して、足していくのが肝心ですね。
どうですか? おでんが食べたくなったでしょう。

2013年12月12日木曜日

小津安二郎

朝からキッチンステージセミナーの立ち会いでしたが、通常より15分長く、終了後は笠原さんや桝谷さんと一緒に写真を撮りたいお客様の写メを随分撮りました。
とりあえず2回のセミナーも終了し、人気盛況で安心してます。

今日は映画監督の小津安二郎の生誕110年にして没後50年の日なのです(1903-1963年)。生没日が同じって凄いですね。
小津さんの映画には実によく飲食シーンが出てきますが、彼自身が大変な食いしん坊だったのです。
小津さんは生前、2冊の手帖(鎌倉文学館寄託)を残しており、これ自体がその当時のグルメガイドにもなっているのです。
今日はこの小津安二郎の食卓や外食を描いた3冊の本のご紹介します。
そういえば、ハルコがブログを始めた当初は、「食に関する本」を紹介するのが目的だったんですが、本人がすっかり忘れてました(いやはや)。


3冊とも(と言っても現在手元にあるもので)貴田庄氏の『小津安二郎の食卓(ちくま文庫)』、『小津安二郎美食三昧(関東編)』、『小津安二郎美食三昧(関西編)』です。
いくつかはハルコも行った事のある店で、竹葉亭銀座店(鰻)、新宿中村屋(カレー)、いせ源(あんこう)、レバンテ(洋食)、総本家長坂更科布屋太兵衛(そば)、笹乃雪(豆富)、銀乃塔(シチュー)、みの屋(桜なべ)、お多幸(おでん)、ぼたん(鳥すきやき)……。
以上は東京ですが、再読してみると関西も瓢亭始めいくつもありますね。
どうも、この辺の店はハルコも大好きな店が多いようです。
週末は小津安二郎の店回り散歩も良いかもしれませんね。
※写真は鳥すきやきの「ぼたん」

2013年12月11日水曜日

和食とだしの関係

和食が世界無形文化遺産に登録され、京都でそれを推進してきた方々が「和食で一番重要なものは“だし”である」とメッセージしているのを見て違和感を感じていたのです。

元々は“日本料理”、さらに言うなら“京料理”を世界無形文化遺産に登録させようと運動していたところ、韓国の“宮廷料理”が登録出来なかった事例を踏まえ、“和食”と大きな括りにして登録が実現したと聞いてます。
また、京都の中でも「和食=日本料理=京料理」を世界にグローバル化して発信したい人も、「京料理はドメステックな料理で、広げる必要はない」と言っている人もおります。これはそれぞれの考え方なので、とやかく言うつもりはありません。

冒頭の「和食=だし」という方程式は、元々の発信者が京料理の重鎮で、それゆえに発信していることに非常に違和感を感じているのです。
これが、「日本料理=京料理=だしが重要」なら理解出来るのですが、「だし=うまみ」を押し出されると、「ちょっと待ってよ。それは料理屋さんの発想で「和食=家庭料理」ではないでしょう」と考えるのです。
この辺の間口を広げながら、果たして日本と日本人の和食と合致するのだろうか?と思うのです。

だしに関しては、以前から深い関心を持っていたので、あまりにも安直に言い切られると「どうなの?」と思うのです。
例えば「フレンチのシェフがだしを使った料理を提供している、これでだしはグローバル化しているのだ」という意見があるとします。
それはそれで良いのですが、だしと水の関係を考慮しないと、とんでもないことになります。


ここに掲載している写真は16年も前に企画した一般向けの日本料理(和食じゃありませんよ)の見開きです。
左は京都の村田さん右は東京の野崎さん。この二人(他に5人)に依頼して、基本のだしの引き方を撮影したものです。
水の良い京都では、昆布と鰹節を連続して使用しており、野崎さんは昆布を引いた後に、一度沸騰させてから差し水をして温度を下げて、鰹節を入れています。
日本のだしは完全にインスタントですが、良質の水があってこその“だし”なのです。
まず、家庭で毎日こんな面倒なことはしませんよね。

そんな経緯で野崎さんと一緒に、家庭で簡単にだしの取れる「だしポット」を考案し、これがまた随分と売れたのですが、野崎さんは以前から「家庭で取るだしと料理屋さんのだしは違う」と言ってます。
味噌汁だって、中に入れる野菜や具材からだしが取れるし、良い味噌ならだしなんか無くても良いということです。
逆に素材から良いだしが取れるのに、だしを入れて料理自体を台無しにしているのも多いとのこと。(続く)

2013年12月10日火曜日

和食って、今更何?

昨日は終日撮影で、事務所へ一時帰還したのはわずか10分という慌しさでした。
このところ土日も仕事で、完全にくたびれモードなハルコです。


和食が世界無形文化遺産に登録され、にわかに話題となっていますが、ハルコは逆に和食って何だろう?と、考えました。
日本の食卓から基本となる一汁三菜が消えかかっている危機感から、それを本来の形に戻す・啓蒙する、と言う運動の成果ですが、日本の歴史の中で、和食という概念はそんなに昔から続いているわけではなかった、とハルコは考えているのです。

ずーっと昔からそんな食生活が存在していたというのは、共同幻想ではないかとハルコは考えました。
以前、米の事をブログでも書きましたが、米が主食であると言うのも半分は正しく、半分は違うと思うのです。それは、こう在りたいと思うという事で、そのことに最近何か違和感を感じてしまうのです。
また、だしもひとつの流行ですがこれもこの10年くらいの話で、昔からだし文化があったのかというのも同様です。

現在目の前にある事が昔から続いていたような錯覚は、もう一度歴史から再検討すべきではないでしょうか。
時間を作り、レシピの考古学を考えよう。

2013年12月9日月曜日

本日は終日撮影!


本日は終日撮影のため、ブログはお休みです。
撮影現場からのお届けでした。

近況はFBで発信しております。
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2013年12月6日金曜日

お手伝いハルコ生誕15年物語


今から15年前、1998年年12月にお手伝いハルコは誕生しました。
その頃はオクサマが家庭画報の編集長になり、毎日毎日遅くまで仕事をするか、明け方帰って来て着替えてまた仕事に行く、というハードな日々だったのです。
あまりにもヨレヨレで“不憫に思い”、私(まだ、ハルコではない)は朝ご飯を作ったり、家事をする“主夫(ハウスハズバンド)になったのです。
それなら楽しく家事をしよう、と自分の名前の“晴彦”をカタカナの“ハルコ”に改めて、さらに冠に“お手伝い”を付け、三角巾と割烹着をトレードマークに遊んでいました。
そして妻の事を“オクサマ”と呼び、妻も私の事を“ハルコ”と呼ぶようになったのです。

あれから15年の月日が流れ、もはや私は>身も心も“ハルコ”になってしまいました。
話は15年前に戻ります。
年末年始をフランスで過ごすためにバタバタしていましたが、毎回旅行に行くときはグルメガイドのパロディーで「GOetMIYO」という絵日記を描いていたのです。
これが初めて「お手伝いハルコ」のキャラクタ-が誕生した最初の絵です。
変な絵ですね!

2013年12月5日木曜日

禁酒法の時代

昨夜は「油断大敵教会」の年に1度のミサ(?)に出席し、思い切り「脂」の恩恵を受けるため絶食して出向いたのですが、体重は高値安定でした。
本当に、“マジ”ダイエットしないと!

ハルコは20年程前に、『ワトソン』という雑誌の編集をしていたことがあります。
テーマはずばり“法律”です。
えっ、ハルコにそんな堅い雑誌が作れるのかって?
いや、内容は法律をベースに笑える雑誌、という方針だったのです。


まず誌名の『ワトソン』は、お馴染みシャーロック・ホームズの相棒のワトソン君です。マークは、ワトソンがあまりにくだらないことを言うので、ホームズが笑い過ぎてパイプを落とす、というものです。
おまけに、その頃は誌名に“JAPAN"を付けるのが流行っていたので、それに便乗して『ワトソンJAPAN』と名付けました。
さらにさらに、この『ワトソンJAPAN』は、実はイギリスにある雑師の日本版という仕掛けにしたのです。
UK版の編集長はオーモンド・サッカーという名前にしたのですが、これはワトソン君が通っていた歯科医の名前で、日本版刊行の辞をそれっぽくでっち上げ、それを英語に翻訳して冒頭に載せ、ハルコがオーモンド・サッカーの偽サインを書いて入れたのです。

そんな経緯の雑誌でしたが、その当時の『朝日ジャーナル』には「うさんくさい雑誌」と非難され、逆に『噂の真相』からは「素晴らしい雑誌だ」とお褒めの言葉をいただいたのです。
都合、大判で4冊、小型判で4冊。合計8冊を出して廃刊になりました、その最終号を朝日新聞の日曜の読書欄で、コラムニストの山崎浩一さん「この雑誌の廃刊は残念だ、もっと早く支援しておくべきだった」と書いてくださったのです。

えっ、タイトルの「禁酒法の時代」はどうしたって?
「ワトソン」の第2号でハルコが考えた企画が「悪法の研究」で、その当時ですが、リゾート法、国籍法・戸籍法、生類の哀れみの令、それにアメリカの「禁酒法」だったのです。
今日12月5日は、世紀の悪法と呼ばれていた「アメリカ禁酒法」が14年ぶりに廃止になった日です。
今、話題の「秘密保護法案」はハルコが「ワトソン」の編集をしていたら、どう解釈しているでしょうか。

2013年12月4日水曜日

危険な深夜のラーメン!

伊勢丹キッチンステージで、いよいよ本日から笠原将弘さんと桝谷周一郎さんによる岩手県のコラボ「自然と食への感謝」がスタートします。

今年の7月に、岩手県の産業創造アドバイザーという、いささかハルコの身に余る肩書きを頂戴してから、まず岩手と料理人さんのコラボを絶対に実現しようと、5ヶ月間、企画を考え、関係者を説得し、10月に笠原さん桝谷さんよ一緒に岩手を廻り……。
思えばあっと言う間でした。
ハルコとしては、これが今年力を入れた〆の仕事になります。

平行して他の仕事も進めているので、昨日は午後からは来年のキッチンステージで開催する、銀座カンセイの坂田幹靖さんの撮影をしておりました。
朝から蕎麦におにぎりを食べて、撮影後に料理の試食をし、さらにその後の打ち合わせにビールを飲んで、その後に4日に移転オープンしたオステリアルッカの桝谷周一郎さんのお店に、貝印関係者と出かけてディナー。
ルッカに着いた時には既にお腹が一杯の状態でしたが、料理が美味しくワインもガバガバ飲んでしまいました。

さらに満腹になってお店を後にしたのですが、ルッカの隣がラーメン屋さん。
やはりお酒を飲み過ぎた後には汁物が欲しくなり、いけないと思いつつ男性4名でラーメンを食べてしまいました。
キッチンステージの小山シェフが、何だか判らないトンコツ系のラーメンに、大量のパルメザンチーズ(写真)を注文。
ハルコは比較的普通のラーメン(でも脂っこい)を食べながら、またビールを飲んだのでした。

案の定、今朝は若干二日酔い+体重が3キロ増加!
あぁ、なんということでししょうか。

おまけに、昨夜のラーメン屋さんは外で食べていたので、ルッカから出て来た桝谷さんと笠原さんに見つかり、指をさされて笑われる始末。
今晩は今晩で「油断大敵教会」のイベントがあり、また体重増加の恐れ。
この12月はハルコの体重と健康は一体どうなることやら。

2013年12月3日火曜日

肉を焼くのは難しい!

肉が好きです。
しかし肉を焼くのは難しい、と最近とみに思うのです。
このところ岩手へ短角牛の牧場を訪れたり、肉について考えたり賞味したりする機会が多いせいもありますが、まず肉の基本がよく判っていないと改めてわかりました。

奈良時代、675年に天武天皇が肉食を禁止してから1000年以上も日本では禁忌食でした。
明治天皇が明治5年(1872年)に禁忌を解くという公布をするまで、表向きは非肉食民族だったので、一般庶民の肉の食文化は低いレベルだったのは当然ですね。
昔は、肉はご馳走という感覚だったのが、現在では日常食へと広がってきました。
ハルコも数週間に一度は焼肉屋さんで肉を焼き、自宅でもよく肉料理をします。

ところが、です。やはり、肉に対しての知識が無いので、焼き過ぎて固くなり、オクサマに「本当にハルコは肉を焼くのがヘタ!」と言われる始末なのです。
一番の悪いところは、肉を頻繁に返す癖です。
過去にハルコの雑誌連載で肉は、北島亭、ヌキテパ、ひらまつ、Wakiya……と修行したのに、どうしてでしょうか。

それ以上に判らないのが肉の分別です。
最近は赤身肉の評価が高いようですが、赤身肉の“赤”が何故赤いかご存知でしようか?
えっ、血の色? 屠畜する際に血抜きはしているので、血の色ではないようなのです。
肉=筋肉の中にはミオシン分子アクチン分子があり、これらが働く時にも酸素を使いますが、血管の運ぶ酸素ではとても足りないのです。
そこで筋肉は、ミオグロビンという専用のたんぱく質に酸素を与えていて、酸素を取り込めば赤く、失えば紫色になるのです。スーパーの肉売場でも見かけますね。簡単に言うと肉の酸欠状態です。
また、必要なミオグロビンは筋肉の種類でも違い、よく使う筋肉はミオグロビンが多いので赤黒く、あまり使わない筋肉は淡い色なのです。

肉の色ひとつ取っても、こんなにたくさん勉強してやっとわかるのです。
難しいことは考えず、美味しく食べられれば良いと思っているハルコなのでした。

2013年12月2日月曜日

味覚よりも嗅覚か?

先週末のNHKBSの番組で、世界のドキュメンタリー・シリーズ「育てる・食べる・味わう」をご覧になった方もいるのではないでしょうか。
いや、非常に興味深い内容でした。
これはイギリスのBBCが今年制作したものでしたが、味覚がテーマで、研究の最前線を取材し、私たちはどのように「おいしさ」を感じているのかを解説。さらに、そのメカニズムを利用して「“おいしいけど不健康”な現代の食べ物を、“健康的でおいしく感じる”食べ物に変える」という試みを探るという内容でした。


そして今回の話の中心は「嗅覚」です。
先週、電車の中で不快な匂いに遭遇したことをブログに書きましたが、ハルコは以前から、食における「嗅覚」には並々ならぬ興味があるのです。
番組では、嗅覚障害があり「味がわからない」状態になった女性が登場しました。甘味や酸味などを感じることはできても、チョコレートアイスとバニラアイスの味の違いがわからなくなったという症例を出して、匂いの本質は何なのかを掘り下げていました。

嗅覚は、まず「揮発性物質(volatiles)」が鼻から入る気体中の物質を関知して、嗅覚器を刺激して生じます。これを「オルソネーザル(鼻腔香気)」と呼びます。
もう一つ、味わいの決め手になるのが「レトロネーザル(口腔香気)」です。
これは、食べ物を口に含んで咀嚼しているときに揮発する物質と、喉の奥から鼻に回って嗅覚を刺激するもの、この二つが味覚と嗅覚刺激が脳に到達して、総合的に「味わい」を形成するのだそうです。
例えば自分自身でも、料理屋さんで初めて飲んだ銘柄のワインのようでも、口に含んでその「鼻腔香気」と「口腔香気」を感じることによって、「あれ、これ前にどこかで飲んだ?」と、思い出す事がよくあります。
そうすると、そのときのレストランや何を食べていたかも一緒に思い出すのです。

番組の後半は、トマトの味を探求していた学者さんがトマトの味を分析した結果、甘味だけではおいしさを説明できないことを見いだし、やはり揮発性物質の「ゲラニアール」と「イソ吉草酸」が決め手であると突き止めたそうです。
番組ではこの二つの匂いを、ゲラニアールは花あるいは香水の匂い、イソ吉草酸は不快なニオイで汗のしみこんだ靴下のニオイ・更衣室のニオイだと分析し、これはそれぞれ単体では甘味もトマトの風味もない物質なのだそうです。
人間の脳って随分ダマされているんですね。こうなると、食品偽装なんかカワイイものです。

化学的な組み合せで、どんな味覚も「匂い」だけで作れてしまうのですね。
自然と科学でのせめぎ合いの世界ですが、やはり本物を知らないとダメだ、と思うハルコでした。
※写真はハルコ所有のソムリエ養成用の「匂い」のキットです。

2013年11月29日金曜日

臭いぞ!

毎日自宅から事務所まで、地下鉄を乗り継いで通勤しているハルコです。ちゃんと定期券も買っているんですよ。

今朝は伊勢丹キッチンステージのセミナーのために、早めに地下鉄に乗り込みました。これは仕方がないのですが、混雑タイムなのです。

冬になると、皆さんコートやらダウンジャケットで厚着になる上に暖房も入り、かなり不快指数が高くなります
今朝も入口近くのつり革に掴まっていたら、停車駅から入ってきた男性(老年)が縱のバーに掴まるために、ハルコの顔の前に手をにゅーと延ばしたのです。
すると、鎮痛効果の貼り薬のニオイが……。
顔をその男性の方に向けるとさらに強い匂いがしたので、あぁ、これは、肩に張っているんだと確認しましたが、これが、ニオイから逃れられない!
顔を左にそらすと、今度は左の男性に方からは、煙草となにやら物が腐敗してるような酸味のあるニオイが……。
車内は暖房が効いており、左の男性の汗臭いニオイが……。

人間の嗅覚は、犬などに比べるとかなり低いレベルですが、人間の五感の中では一番能力が高いそうです。
ハルコは(多分)嗅覚能力が高いと自負しております。それゆえに匂いには大変敏感なのです。
あるレシピ本を制作していた時、諸事情があり某料理屋さんの厨房で3日間撮影することになったのですが、この厨房が広いわりに何だか生臭いニオイと腐臭がしたのです。
他のカメラマンやライターさんは気にならないようでしたが、こんな場所で3日間も居られない!
3日間は厨房には最低限しか入らず、客席の方で待機していました。
案の定、この店は半年後に閉店しました。
本当に匂いは重要ですね。クンクン!

2013年11月28日木曜日

米について考えています。

長年、料理の本を制作したり食関連の仕事をしてきて、一度たりとも疑問に思わなかったことが、このところ本当にそうだろうか? と疑問に思えてきました。
それは、ずばり「米」問題なのです。


政府が減反政策を止めるとか、TPPの聖域だとか、毎日米を巡るニュースで溢れています。長年日本人の主食は「米」であり、その米を中心にした食事が正しい食生活である、という考え方です。
1985年に、当時の厚生省が提唱した「日本型生活=米を中心にした健康的な食生活」の時は、欧米型の脂質など高カロリーな食生活から、ヘルシーな日本型食生活への転換を促すため、ハルコも出版社などの本を制作した事もあります。

ハルコ自身は「米」大好き派で、米を食べない日は考えられません。
しかし、本当に米は日本の食の中心だったのでしょうか?
百姓という名称は、農業(特に米作り)をする人々だと考えていましたが、以前方関心を持って読んでいた網野善彦氏の著作物で、「百姓はいくつもある職業の一つで、米を作る農民とは限らない」という説がありました。
確かに、日本は四方海に囲まれていてる上に山々が多く、平地での米の耕作面積は限られています。
この所、仕事で岩手へ出かけていますが、海や山での食糧生産者さんの場所にも随分行ってきました。
そうすると、農民の他に山民、海民と多くの食糧の生産者がいるのです。
この人達も古来より生産者の子孫として生活を営んできていますが、昔は貧しいというよりも米の栽培が出来ないので、粟や稗などの雑穀を主食にして生活してきたのです。

米が主食であるなら米の供給は必須条件ですが、日本の歴史上で完全に米の絶対供給が出来ていたことは無いのです。
明治になって台湾を統治し、そこで米を生産し、国内に流通させていたくらいなのです。米の生産は国是で、戦後の高度成長以降に日本人の食生活の多様化により、米の需要が落ち、米余りで減反……。

米は神事とも深い関係もあり、単なる一つの食糧でないことも確かですが、一度ちゃんと日本人と米との関係を深く考えてみたいと思っています。
写真は30年も前に米に深く考えていたハルコの幻の『米の博物誌』のコンテです。

2013年11月27日水曜日

仕事の時間…農耕型?狩猟型?

昨日は朝から会議・午後から撮影と、ブログを書く時間もありませんでした。
仕事の仕方や時間の使い方は個々で違いますが、ハルコの場合は日によって随分違うスケジュールになります。
しかし、世の中には「判を押したような生活」の方々も沢山おります。
毎日決まった時間から仕事を始めて、決まった時間に終了する。
昨日も撮影の帰りにカメラマンの方と話していて、ハルコは「今日は仕事にならない」と言ってしまいました。
撮影の立ち会いも仕事ですが、これが3日連続で終日だと「仕事」という意識が出ますが、僅か3~4時間程度だと半分は遊びの感覚……と言ったら、カメラマンに叱られるでしょうか。
「面倒度数」が高いのは「仕事」で、「面倒度数」が低いのは「遊び」と、どうもハルコは考えているようです。


話は変わり、よく「農耕民族タイプ」「狩猟民族タイプ」という職業(?)の区分法がありますね。
元々の仕事は、エディトリアルデザイナーとしてスタートしたので、終日机の上で格闘しておりました。本当に1日16時間くらい働いていたのです。
これが仕事の幅が変化し、アートディレクターとして仕事をするようになると、会議を始め撮影の立ち会いやら、机以外での仕事も多くなります。
しかし外で仕事をしていても、仕事の基本は机の上なので、戻って仕事をして「仕事をした気」になるのです。

さらに仕事が変化して、対外的な仕事が多くなり、机の仕事はだんだんスタッフにまかせて、自分自身の「クリエイティブな仕事」が減ってきます。
それはそれでも良いのですが、段々仕事をしている感覚が減ってくるのです。

仕舞いには、企画(と言うと聞こえは良いですが、単なる思いつき)なんてことを仕事にし始めると、仕事と遊び区別はほとんど無くなります。
そして、楽しいのは企画とういうプランニングをしている時で、それが実行段階に来て、工程が見えてくると飽きてしまい、「おまかせ!」と言って他の事を探す始末で、よく「詰めが甘い」と言われる原因はこの辺にあります。

過去を考えてみると、「農耕型」から出発した仕事が途中から「狩猟型」に変化したのですが、元々「農耕型」のハルコは「狩猟型」へ完璧に移行出来ない中途半端な「半農半猟型」な仕事ですね。
いつかは落ち着いて、完全な「農耕型」に戻りたいと考えているハルコなのです。

2013年11月25日月曜日

燻製調理はいかが?

人類学者レヴィ=ストロースによる『料理の三角形』という概念をご存知でしょうか?
レヴィ=ストロースは「料理の三角形」の中で、
「料理というものは人間の文明に必然であって、いかなる社会においても『料理』のない人間生活はありえず、ゆえに『料理』という営為は言語や婚姻とともに、人間生活の普遍的要素と言える」
こういった視点で、まず料理の三角形における「生のもの」「火にかけたもの」「腐ったもの」の三つの頂点を設定したのです。
この理論を解説すると膨大な話になるので割愛しますが、ある意味で料理の技術的な区分を示す貴重な考え方なのです。
「生の物(生食)」「火にかけたもの(加熱)」「腐ったもの(発酵)」と、調理法の大雑把な概念を表現していると同時に、食物の保存にも繋がる概念でもあるのです。

何故こんな面倒な話をするのかって?
本題はここからなのです。
火にかけたものでも、焼く、煮る、茹でる……と、いろいろありますが、焼く時に煙が出ますよね。この時に食材が燻されて化学的な変化が起きるのです。
燻製するためにスモークチップを燃やして、そのスモークを食材に当てることによって、風味付けしながら保存に適した状態にする。ベーコンなどがその例ですね。

10年前から、この燻製を家庭で簡単に出来る器具が作れないか、と考えていました。
そして、苦節5年でやっと中華鍋をベースにした製品開発と発売にこぎ着けたのです。
それが脇屋友詞さんの「脇屋匠鍋」なのです。

2013年11月22日金曜日

50年前の宇宙中継


1963年11月23日午前8時58分。
小学生4年生だったハルコは、家のテレビの前で父親と正座をしておりました。
この日は勤労感謝の日の土曜日で、学校はお休みでした。
アメリカからの初めての「宇宙中継(この時代はそう言っていた)を待っていたのです。
正確に言えば、その日の午前5時27分からの宇宙中継が最初なのですが、さすがにまだ寝ている時間なので、2回目の宇宙中継をワクワクしながら待っていたのでした。

そして、8時58分の宇宙中継はアメリカ大統領ジョン・F・ケネディの暗殺のニュースになりました。
子供心にも大衝撃のニュースでした。

えっ、子供だからそんなことよく判らないだろうって?
そんなことはありません。ちゃんと毎日朝刊を読む様な子供だったのです。
小学校では、学級会で毎日各班の持ち回りで、その日(または前日)の気になるニュースの要点を発表するため、日頃からニュースはよく見て(読んで)いました。
そして、日本でも人気のケネディ大統領の暗殺はもの凄いショックでした。
ハルコは望月三起也のマンガ「ケネディ騎士団」の愛読者でもあったのです。
あれから半世紀。ついこの間のような感覚ですが、あっと言う間です。

2013年11月21日木曜日

ファイトケミカル

昨夜は関西の桂米朝門下の、桂雀松改め桂松之助の襲名披露東京公演へ出かけました。
関西からはざこば、南光、鶴瓶と、東京からは円楽の客演という華やかなメンバーでした。個人的には関西の落語も嫌いではありませんが、やはり江戸言葉の落語の方が聴きやすかったですね。鶴瓶師匠は何を言っているのか、半分以上聴き取りにくかったのです。
落語は今年の1月にイイノホールに行って以来で僅か2度ですが、昔は定席や紀伊國屋寄席によく通ったものです。

さて、今朝TBSの「はなまるマーケット」を見ていたら、先月ハルコの事務所でも制作に関与した本の著者が登場してるではありませんか!
『ハーバード式「野菜スープ」で
 やせる!若返る!病気が治る!』
ちょっとエグいタイトルですが、元ハーバード大学準教授で現在麻布医院院長の高橋弘先生の監修なのです。

「ファイトケミカル」という言葉は聞いたことがある方も多いかもしれません。
高橋先生がハーバード大学在学中に、免疫とがん、免疫と食事の関係を研究していたもので、植物や果物、キノコが作り出す天然成分が「ファイトケミカル」なのです。
生活習慣病の大部分が間違った食生活からおこる「食源病」だとして、高橋先生はキャベツ、タマネギ、ニンジン、カボチャの4つの野菜をから取ったスープを患者さんに勧めたところ、めざましい効果があったのです。
色々な生活習慣病の気になる方はご一読・実践を。
マキノ出版から発行されています。




ハーバード式「野菜スープ」でやせる!若返る!病気が治る!
高橋弘(医学博士) 監修
定価:780円(本体743円)/マキノ出版

2013年11月20日水曜日

あまロスツアー後日談

岩手へあまロスツアーに行ってまいりました。
今更ながらですが、岩手に行く(帰る)と癒されますね。
今回も、山形町(旧山形村)の柿木牧場の自然の中で、ひと時を過ごしているだけでほっとしました。

東京駅から出て丸ビル方向へ向かうと、まるでよその惑星に来たように感じました。
盛岡から新幹線で二戸へ行く車窓からの風景を見ていたら、以前見たベルリンからプラハへ行く途中の風景に似ているのです。
その時に、頭の中ではドボルザークの「チェロ協奏曲」が鳴り響いていました。

そう、岩手の北は東欧・ボヘミアン的な世界なのです。
ドボルザークの曲を昔から聞いていると「秋」「祭囃子」「郷愁」を連想していましたが、自分自身の原風景だったんですね。
チェコならスメタナの「モルダウ」でも、同じように繋がる心象がありますね。

故郷を離れて40年の年月が過ぎましたが、現在縁があり、岩手に行く(帰る)機会が増えたのは幸いでした。
やはり、ちょっと冬の始まる前のこの季節は好きだな、と思った「あまロスツアー」でした。

2013年11月15日金曜日

昆布の日だけど……。

昨日は(今日も)岩手県関係のお手伝いでバタバタしております。
昨日の「いわて食の大商談会iin東京」は大盛況でした。
多くのバイヤーさんや関係者の方々がご来場されました。
今日の写真は、会場でも展示されていたサバ缶「Çava?」ですが、これが美味しいのです。
このサバ缶は、岩手県の岩手県産株式会社(知事が会長です)の商品で、人気のため入手が困難と聞いています。さて話は変わり、今日は「昆布の日」です。


ハルコにとって、昆布は仕事でも大阪の昆布屋の松前屋さんの顧問もしている関係もあり、日常的な存在ですが、やはり面倒だと思っている方も多いみたいですね。
昆布のさらなる発信や普及活動はこれからも推進して行きます。
ハルコが昆布に興味を持った一番のきっかけは、分とく山の野崎洋光さんと組んで「だしポツト」を造ったことでした。
昆布と鰹節をだしポツトに入れて、熱湯を注いで1分で美味しいだしになる。
本当に盲点の企画でした。後日、菊乃井の村田さんが「おれも同じこと考えていたんや」と言ったとか言わないとか。
昆布は日本が誇る「UMAMI」文化です。
もっと大事にしましょう。

今週末から岩手県の二戸市へ、マルディグラの和知シェフとセミナーの旅に行ってきます。どうも、現地は雪でたいへん寒いそうです。
短角牛の牧場まで行き視察し、その後二戸で「雑穀セミナー」を開きます。
しばしブログはお休みですが、またセミナーのご報告をしますね。

近況はFBで発信しております。
ハルコのfacebook

2013年11月14日木曜日

本日、いわての食の商談会in東京

朝7時から日赤での定期検診後、事務所でミーティングをしてから、九段下のグランパレスで「いわての食の商談会」に終日出かけて会場におります。
色々なバイヤーさんから料理人さんたちが来ます。
夜は産地の方々との懇親会1日中岩手漬けです。


今年は岩手県産株式会社(岩手県の第3セクター)が創立50周年を迎え、岩手のPB(プライベートブランド)の発信もいたします。
東日本大震災からの確実な復興の兆しは「食」からです。
皆様よろしくお願いいたします。

facebookも随時発信いたします。
ハルコのfacebook

2013年11月13日水曜日

あぁ、揚物の誘惑断ち難し!


昨夜は、マルディグラの和知シェフのハムをこともあろうに甚六へ持ち込み、ハムカツしてもらい、“非常に美味しく”いただきました。
ハムカツとは言っても、揚げ物ゆえにカロリーは高いですね。

そして今日の昼食は「とんかつ まい泉」でロースカツを食べたのです。
普段、FBでハルコが投稿している料理は、やはりというか揚物が多いようで、最近お気に入りの巣鴨の「ときわ食堂」でも、揚物の盛り合わせにビールという“最強(最低)”のオーダーをしてしまうハルコなのです。

大体ロースカツが500kcalで、これにごはんの定食にすると700~750kcalはいくでしょうね。これじゃ痩せられるわけがありません。

「揚げ物の誘惑にどうしたら勝てるのか」がハルコの目下の課題です。
明日は朝から日赤で定期検診ですが、明日の昼までは絶食しなくては。

2013年11月12日火曜日

上海蟹だ!

1ヶ月少し前、東京は30℃を超えておりましたが、この所急に寒くなりましたね。
寒くなると食べたくなるものの一つに河豚がありますが、上海蟹もその一つです。


実は、大体シーズンの最初に上海蟹をいただく日は、毎年同じように10月末辺りですが(2年続けて10月28日だった、今年は2週間も遅い!)、今年は寒くならないのでイマイチ上海蟹モードではなかったのです。
昨夜は、口切りで神保町の新世界菜館でいただきました。

上海蟹は年中ありますが、なぜ秋からの食材なのかと調べてみました。
上海蟹は夏に活動が盛んで、寒くなると急に動かなくなり、蟹味噌や蟹肉が一気に蓄積されるそうです。ハルコのお腹と一緒ですね。
また10月の雌、11月の雄と言われるように、微妙な味比べが出来るのです。
昨晩は雄をいただきました。


上海蟹を最初にいただいたのは、まだ上海蟹が一般的ではない時代で、26年くらい前でしょうか。上海蟹の輸入元締め、神保町の「新世界菜館」の傅健興さんの上海蟹を食べる会に参加したのが最初だったと思います。
目の前に生きた上海蟹がタコ糸で縛られて、付いている札に自分の名前を書いて蒸してもらうのですが、途中で蟹が逃げて、テーブルの下で捜索して大騒ぎになったことを思い出しました。

シーズンの開始は、まずは新世界菜館からというハルコでした。

2013年11月11日月曜日

大人のお子様ランチ

今日はぞろ目で、麺の日、ピーナッツの日、チーズの日と盛り沢山ですが、まったく関係の無い「大人のお子様ランチ」の話です。


まず、ハルコは小さい頃にお子様ランチなるものを食した体験がありません。
田舎ゆえに、そんな物が存在していたかどうかは今となって判りませんが、少なくとも市内に小さな百貨店が2つあり、そこには大食堂もあったので、絶対にお子様ランチはあるはずです。
ついでに言うと七五三も(5歳時)経験はありません。何故かハルコの妹はちゃんと七五三を3回もしているのです!


そんな不遇な(?)幼少時代を過ごしていたハルコは、長じて「お子様ランチ」に異常に執着しています。
以前、三越の『お帳場通信』の編集長をしていた時に、過去の三越のアーカイブのページに「三越のお子様ランチ」を再現して収録したのです。
「お子様ランチ」は、昭和5年に日本橋三越本店から始まりました。
その当時の食堂部の主任の安藤太郎さんが、食器メーカーが持ってきた絵皿を見て、子供向けのメニューとして作った「御子様洋食」が始めなのです。
ケチャップライス、サンドイッチ、ハム、カニクリームコロッケ、スパゲッティ、ボンボンと子供の喜ぶメニューが満載です。
そして山登りが趣味だった安藤主任は、ケチャップライスを富士山の形に盛り付け、その頂上に旗を立てたのです。
この旗は、その後のお子様ランチには欠かせないシンボルになりました。
このハルコのお子様ランチ好き企画は、その後三越のレストランで期間限定で提供されたのです。

そして現在、新宿伊勢丹キッチンステージでは、銀座マルディグラ和知徹シェフによる「大人のお子様ランチ」を提供しております。これは、ハルコが幼少時代に食べられなかった、お子様ランチへのオマージュなのです。

2013年11月8日金曜日

最近ボケが……!?


これは、昨日今日ではなく随分前からなのですが、物忘れというよりもちゃんと確認すればいいことなのです。
何の事かと言うと、スケジュールをちゃんと認識していないんですね。
打ち合わせや締め切りをきちんとスケジュールノートに記載せず、うろ覚えで行動しているハルコです。

昨日も、知人のイラストレーターの展覧会のレセプションがあると“思い込み”、出かけて行っても誰もいない……と思ったら今日だった!
ちゃんと案内状を観ていないんですね。
それに、今日は昨日のブログの「刃物の日」ですが、昨日と間違えて書いて、ブログ担当のM嬢に「これは、明日では?」と言われて気づいたのです!
最近、日にちも曜日も混乱気味です。
これは土日関係なく仕事をしていて、曜日感覚が失せてきたせいでしょうか?

今日も早朝にゴミが沢山あったので、5時頃にマンションのゴミ集積場へ出しに行ったのです。
マンションは玄関と裏のゴミ集積場のオートロックで、鍵が無いと出入り出来ません(ゴミ置き場は暗証番号があるが忘れていました)。
ゴミを持ちながら、鍵の替わりに間違って携帯を持って出たのですが、オートロックで入れなくなり、携帯でオクサマへ電話しても、まだ日の出前で起きてくれずに、玄関で30分待っていました。
ゴミ集積所から新聞配達の人が来たので、手を振り「開けて!」とお願いして、ようやく中に入れました。

部屋に戻り、オクサマに事の顛末を話すと一言。
「ボケたんじゃない?」

2013年11月7日木曜日

11月8日は刃物の日

記念日ものですが、ハルコは絶対外せない日です。
明日は11月8日は「イイハ」で「刃物の日」なのです。

ハルコが商品開発やキッチンステージでお手伝いをしている貝印は、岐阜県関市が本拠なのですが、この時期に鍛冶屋の催事“ふいご祭”が全国的に行われるので、1996年(平成8年)に、全国の主要刃物産地が協力して「刃物の日」として登録されたのです。

関市といえば、近くにあるのが合戦場で有名な“関ヶ原”ですが、関は鎌倉時代から刀鍛冶が沢山いた場所なのです。
刀の大業物で有名な「関孫六」も、この関の良質な土と炭を求めて関孫六兼元が定住したのが最初なのです。
やがて、江戸時代に刀の需要が落ち込んでくると、関は刀造りの技術を活かして包丁、小刀、鋏などの家庭用の刃物を作り、明治になってはポケットナイフも輸出し、やがてカミソリの刃も造るようになったのが貝印なのです。
貝印は今年創業103年を迎えますが、日本の刃物産業のトップとして、現在は海外でも展開する企業にまで成長したのです。
うむ、なんだかパンフレットのような内容になってしまいました。

良い料理は良い包丁から。貝印をご贔屓にお願いいたします。

2013年11月6日水曜日

朝からビール!


今日は伊勢丹キッチンステージのセミナーがありました。
いつも運営している立場として開店前に伊勢丹へ行き、当日のセミナーへ登場のシェフをお迎えして、約2時間程立会をしています。
この立会と言うのは、文字通りず~っと立っているのです。それも、お客様が食事をしながら話を聞いているのを、ただず~~っと立っているのです。
お腹は空くし、足も痛くなります。まぁ、たまにちょっと抜けて、外に出て立ち食いそばなど食べに行く時もありますね。
でも、その時間は僅か5分なのです。

そんなセミナーですが、本日キャンセルが出たため、ハルコは初めてセミナーを客席から拝聴する立場になりました。
えっ、役得だろうって? そんな事はありません。すべて自腹で客になるのです。
このセミナーは、入店が10時半で開始が10時45分なのですが、事前に生ビールオーダしておきました。
昼からビールを飲む人間のクズが「ビールクズ」ですが、10時台だとまだ朝なので「スーパービールクズ」と言うそうです。

今日はビールからスパークリングワイン、白、赤と60分1本勝負で(そんな勝負するなって)4杯も飲んでしまいました。
いや、昼酒は効くと言いますが、朝から飲んでいたハルコは半日役に立ちません。
もう夕方で、やっと酔いが醒めてこのブログを書いている所です。

2013年11月5日火曜日

イタリアンレストランウィーク

さすがに秋も深まって来ましたね。
この3連休は仕事もしていましたが、わが家の結婚記念日(11月3日)もあり、盛り沢山な日々でした。


その連休初日に、南青山(事務所のそばです)の“フェリチタ(Ristorante Felicita)へ出かけました。
ブログのタイトルに「イタリアンレストランウィーク」としていますが、これはダイナースクラブが11月2日から17日まで開催しているキャンペーンで、多くのイタリアンレストランから、ブログやFBで発信してくれそうな方々へレストラン情報をお送りしているのです。
イタリアンレストランのさらなる拡大キャンペーンですね。
これを手掛けている友人から、電話(最初はメール)で勧誘されて出かけたのです。
ある意味で、無駄な広告費をかけるより有効ですね。ディナー券付きですがワイン等は別口で、それなりにお金は使いました。結婚記念日のプレもあり、楽しかったです。

そしてフェリチタですが、今年で14年だそうです。確かオープンした当初に何回か行きました。現在の武井祐一シェフは昨年の8月からの就任で、「サバティーニ」や「ダノイ」を歴任していたのです。
この所で通っているイタリアンは、割とカジュアルで男性的な店が多かったのですが、フェリチタはエレガンスですね。
「真珠に見立てた小さな帆立」で、帆立に小さなパールオニオンを詰めたアミューズから始まり、毛蟹とカリフラワーのチェルキオ、モンタルチーの風のピーチ、黒トリュフかけのトルテッリーニ。そして、アクアパッツァが絶品!
調理法の途中で水分を抜いて旨味を凝縮し、それをアサリのソースでいただく、久しぶりにイタリアンで瞠目しました。こりゃ、旨い!
赤ワイン煮込みの和牛のほほ肉と、フェリチタの記念デザートをそれぞれワインを合わせていただきました。
食後はロマーノ・レヴィのグラッパ!

最近はグランメゾンでの食事は避ける傾向でしたが、やはりレストランの王道ですね。
良い一夜でした(あと、ランチも行かねば)。