2012年12月28日金曜日

神戸短信……3

今朝の神戸は昨日と違い、天気がよくありません。
だんだん雨になるよし。


昨日は撮影後に、カメラマンさんらと遅い時間(また、ラストオーダ)に、元町で中華。
久しぶりに車海老の老酒蒸しをいだだきました。
いや、本当にヘトヘトです。
今日も残りの撮影ですが、戻って年内の雑用をこなすために、午後には東京へ戻ります。今日は松前屋の社長も来るのに、残念ですが。
年明けに大阪で取材します。

ハルコのブログは年内は本日で終了です。
皆様年末年始は楽しく過ごせますように。
よいお年を。

ハルコ
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2012年12月27日木曜日

神戸短信……2

昨日も朝から夜まで、終日スタジオで撮影立会。
せっかく久しぶりに神戸に来たのに、ホテルとキッチンスタジオのある地下鉄だけの移動です。

昆布を中心にしたスープ本の企画で、ハルコも顧問をしている大阪の松前屋さんからも編集協力していだだいております。
初日はだしや料理の素材撮影で、予定より多くの時間がかかってしまい、料理自体の撮影は夜にずれ込んでしましました。
でも、いくつか調理の撮影をしているうちに、「これはいい!(ちょっと、孤独のグルメの重松清風ナレーション)と、心が高揚してくるのです。
あぁ、やはり撮影の現場は面白いですね。

長年、撮影には数え切れないくらい立ち会っておりますが、現場の雰囲気はいつも好きです(じゃないのもありますが)。
料理人が料理を作り、スタイリストさんが器を選び、カメラマンがシャッターを押し、編集者やアートディレクターが画面(昔はポラでしたね)を確認して進行する。
きっと良い本になるはず。あとはいかに売れるか、売るかということを考えねば!

撮影は次の日も続くので、切りの良い所で終了してホテルに戻り、ラストオーダーギリギリの鮨店で晩ご飯。なぜ今日は街場ではなくホテルにしたのかというと、この鮨店は年内に閉店との情報ゆえ。
明石の本店がある鮨店でしたが、瞠目しました。
普段から馴染みのある“江戸前”ではない、ひとつの鮨の味は新鮮で目ウロコでした。
いや、鮨はまだまだ面白いぞ(あぁ、また孤独のグルメのナレーションになった)。

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2012年12月26日水曜日

神戸短信……1


ホテルから見た神戸の朝

クリスマスの晩に神戸です。
3年ぶりの神戸ですが、クリスマスは初めてでした。
ホテルにチェックインして、三宮に晩ご飯を食べに行く途中で、サンタ帽を被ったオネエサンがたくさん客引きをしていました(ハルコどこ歩いているんだ?)。
 遅い時間だったので、ラストオーダーが遅めの店を選んで晩ご飯。
「鶴屋」という肉専門店へ。さすがに神戸の肉は旨し。

今回の神戸は、来春発刊する料理本の撮影のために来ております。
年来の友人のスタジオで、今日から3日間お籠りです。

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2012年12月25日火曜日

1979 ジャパン・アズ・ナンバー・ワンのクリスマス


33年前に『ジャパン・アズ・ナンバー・ワン』(エズラ・ヴォーゲル著)が出版されて、一大ベストセラーになったことがありました。
昨日の朝日新聞を読んでいたらこの『ジャパン・アズ・ナンバー・ワン』を、二人の識者が両論を取り上げている記事が目に入りました。

1979年第2次オイルショックがあり、イラン革命、イギリスでサッチャー首相が誕生し、韓国では朴正煕前大統領が暗殺され、ソ連はアフガンに進行する……と結構派手な年ですね。
また、この年は歌謡曲の黄金期のようで、数々の大ヒットが生まれています。まだ、人々が歌を共有出来ていた時代ですね。
「魅せられて」も「北国の春」も「いとしのエリー」も「おもいで酒」「関白宣言」「セクシャルバイオレットNO.1」「YOUNG MAN」「舟唄」「愛の水中花」「異邦人」「燃えろいい女」「窓」「虹とスニーカーの頃」「カサブランカ・ダンディー」……。書ききれませんね。ハルコがカラオケで歌える歌ばかりです(それに引き換えきょう日の歌は……)。
この年にソニーから“ウォークマン”が発売になりました。と言っても、もうウォークマンでカセットテープを聞いていたなんて知らない世代も……。

団塊の世代は、33年前には32~35歳と社会の中心を担う年齢に達して、まさにその後のバブルの準備期間に『ジャパン・アズ・ナンバー・ワン』が出版されたのです。
何だかわけも無く、「日本って凄いんだ!」と皆が思っていた時代ですね。
その団塊の世代が33年を経て、経済を担うボリューム層が定年を迎えてから、社会が停滞した時代に入ってしましまいました。
日々の仕事ではいかに、この厚い層に向けて消費の活性化を試みる事を考えていますが、中々難しいのが実情です。

2012年のクリスマスにハルコは33年前のベストセラー『ジャパン・アズ・ナンバー・ワン』の時代を振返ってました。
もう、その頃には戻る術はありませんが、来年こそは良くなる事を祈るばかりです。
明日から神戸へ出張で、年内のブログは短信のみをお送りします。
よいお年を!
ハルコ

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2012年12月21日金曜日

コレステロール値が3倍だ!

今朝は、今年最後の日赤での定期検診の日でした。
早朝8時から血液検査をして、9時から主治医の先生の問診です。
一応前日は酒も飲まずにおとなしくしていますが、さすがに一晩飲まないくらいじゃ
数値は下がりませんね。
17年前に救急車で日赤に運ばれてから、数えると定期的な検診通院は有に三桁を越してますね。
毎日、朝晩決められた薬を飲んでいますが、本当は食生活をキチンと見直す必要があります。しかし、運動でウォーキングしている途中に、とりすき屋さんでたらふく食べてお酒を飲んでいるようじゃダメですね。


「一病息災」という言葉がありますが、字句通り「ひとつ位病気があるくらいが、健康に気をつける」と言った意味でしょう。
また、“息災”“仏の力で衆生に降りかかる災難から逃れる”という仏教用語でもあるのです。
まぁ、検査の結果は相も変わらず、ハルコの“H"が沢山付くハイレベルでした。ふぅ~~。
ちなみに“H"が付いたのは、
γーGTP:上限の2倍(当然酒の飲み過ぎ)
K(カリウム):ちょい上限越し、
LDL-C(悪玉コレステロール):これも、ちょい高
総コレステロール:上限から38ポイント上
血糖:前回はセーフでしたが、今回は上がっている
そして、TG(中性脂肪)が400で上限から246ポイントも上!
平均値から見ると3倍!
しかし、現時点では薬で「痛風」も押さえ込み、昼から“ビールクズ”をしているダメハルコですが、もう少し考えねばと思うのです。

これは「喰い改める」必要大ですね。
酒の飲み過ぎ、食べ過ぎ、脂肪の多い食事、高カロリーの摂取…… 
そして、運動不足!

それに、一番いけないのは“ストレス”だと思うのですが、こればっかりはね。
なんせ、オクサマの前だと緊張して……。
えっ、本当かって? いや、ジョークですよ(たぶん)。ホホホ。

2012年12月20日木曜日

月イチ鮨「はしぐち」

いよいよ今年もあと10日ちょっととなりました。
いや、早いものですね。
今年も色々な料理に出会い、楽しみました。例年ならハルコ今年の通った店ランキングをブログで書くのですが、どうも今年は書いても面白くないようです。
何故なら、今年はかなりばらけているのです。ばらけるというのは、初めての店が多いかったからなのです。

昨夜も行きましたが、行くたびに次回の予約をしている鮨の「はしぐち」は、月イチで通っているので、今年は年12回制覇(たぶん)しました。
最近「はしぐち」に行くたびに、中国系のお客さんが必ずいます。
橋口さんに話を聞くと、どうも中国人の口コミで、日本に行って鮨を食べるなら「はしぐち」で、と流行ってるらしいのです。
昨夜は3人の中国人兄弟でしたが、本当は4人兄弟だそうで、皆顔が香港映画のホイ兄弟そっくりで笑ってしまいました。
鮨はすでにインターナショナルな料理になっているので、判りやすいかもしれませんが、海外に行くと「これって鮨!?」と思うものに出会い、びっくりしますね。

ちょっと意地悪ですが、他のお客さんが頼んでいるのを観察するのも、鮨の楽しみのひとつです。
普段「はしぐち」には19時の予約で、だいたい21時くらいには食べ終わって、橋口さんとよしなごとを話していると、遅いお客さんが入ってきました。
どうも、初めての方のよでうでした。
そう言えば、紀尾井町に「はしぐち」があった頃、初めて行った時のことを思い出しました。
「おまかせするので、どんどん握ってください」とハルコが言うと、「お客様の好みが判らないので、言っていただいた方がいいのですが」と言われ、昨夜もその話をすると、橋口さんは「そんな失礼なこと言いましたか?」

初めて「はしぐち」に来た若い(たぶん)カップルは、つまみで少し切っていただき、握りになりましたが、カウンターの上の小さな籠に入っている布巾を見て「これで、手を拭くのですか?」と聞いていました。
ツッコミたくなりましたが、がまん、がまん。

1月の予約もして、「はしぐち」がまた、来年の生活の区切り、句読点になります。
鮨も今年の食べ納めでしょうね。

2012年12月19日水曜日

シュークリーム

今日は、神保町でお世話になった事務所へ、お土産に柏水堂のシュークリームを持って行きました。
何でも毎月19日は「シュークリームの日」だとか。
“じゅーく”“シューク”でシュークリーム、としたらしいですね。
個人的な感想ですが(えっ、ハルコのは全部そうだろうって?)、有名パティシェさんがお作りになった複雑なスィーツよりも、ハルコはシンプルなシュークリームが好きなんです。シンプルなシュー生地とクリームは、あんぱんや大福もちに繋がる共通点がありますね(えっ、全然違うだろ!って)。

フランス語では“シュー・ア・ラ・クレーム”、英語では“クリーム・パフ”と言われるこのシュークリームの起源は定かではないのですが、1533年にイタリアのメディチ家のカトリーヌが、フランスのオルレアン公(後のアンリ2世)に輿入れの際に一緒に同道したパステレッリ(製菓人)が、“ポプラン”というシュークリームの先祖の様な菓子を創造したのが始まりのようです。
1775年頃にテイロロワが生地の配合を変え、「火にかざした“パテ・ショー(熱い生地)”」と呼び、さらに1798年にアヴァィスが生地を改良し、丸いキャベツ(シュー)に似ているので“シュー生地”と命名したそうな(資料を当たっていたら年代に関して記述がマチマチで、アヴァイス1960年説もありますが、経緯を考えて1798年説を選択しました)。さらにさらに、これをアヴァィスの弟子のカレームが仕上げたと言われています。

おぉ、ここにフランス料理の大物アントナン・カレームさんが登場ですね。
カレームさんは近代フランス料理の最大の巨匠です。
ちなみに死後刊行された『19世紀フランス料理術(全5巻)』の他に、『王国の菓子職人』や『絵入り菓子職人』なども刊行されており、現在に繋がるレシピ(ルセット)本を随分出された方ですね。

現在は、シュークリームもコンビニでも買えるようなお手軽なものになっていますが、先人が長年、改良に改良を重ねて出来たということを念頭に、今日のおやつはシュークリームにしよう。

2012年12月18日火曜日

ステマ問題

昨日は朝から、撮影、イベント参加、打合せと、終日動きっ放しでした。最後の伊勢丹での撮影が終了したには夜の10時30分!
1日14時間働いて、食べたのは途中サンドイッチ1個だけ、全部料理に関係していたのに、終日ランチ難民でした。
で、日曜日に人生最大の体重になったの今朝量ってみると、マイナス3,5キログラム。ハルコどんだけ喰ってるんだ!


さて、この所話題の“ステマ”です。
えっ、ステマって何だ? 念のためにご存じない方のために。
“ステマ”とは「ステルスマーケティング(Stealth Maketing)のことで、テレビやネットなどを通じて、消費者に商品宣伝と判らないように宣伝することです。
一部のタレントさんが、ネットオークションに参加もしていないのに、ブログ上でさも、自分が参加したようにニセの情報を出して、その報酬として金銭を授受したことも記憶に新しいですね。
「ステルスマーケティング」は別名「アンダーカバーマーケティング」ともいい、ネットの普及で多くなって来ましたね。
以前はテレビや新聞の大媒体で宣伝していたのが、個別の媒体で有効な宣伝を一番ピンポイントでメッセージを伝達する手法で、企業等は大変注目している手段です。

普段商品開発やコンテンツ開発をしていて、その後に販促活動も合わせて仕事としておりますが、他人事ではないのですよ。
ハルコも表の販促活動とは違う形で個人的に、ブログやFBを通じて、商品宣伝に近いこともしています。
しかし、それは自分で商品開発に関与した物や、この商品ならお勧めしたいという自分の責任での紹介です。

拡大解釈をすれば、レストランを薦めるという行為も同じですね。
★付きや評価付きのガイドブックから、食べログのようなコンテンツ紹介も、本当はそれを発信した人の信頼の問題ですが、たまに(いや、しばしば、か)えっ!と思う時もあります。これから、ちゃんと考えなくてはいけない問題ですね。
見る側の「ネットリテラシー」「ネットリーダビリティ」を鍛えるということでもありますね。

2012年12月17日月曜日

体重が落ちない!

昨日は選挙でしたが、早々と結果が出たのでテレビの速報も見る気もせず、早寝しました。

今日は今日とて、早朝から夜まで何だかスケジュールが立て込んでいます。
終日外で撮影が朝と夜で2つ、打合せがひとつ、イベント参加がひとつと、ハルコとしては久しぶりにハードな1日です(このブログは8時台に書いてます)。
この所さすがに年末でもあり(うむ、普段から変わらないか)、食べる機会が多いのですが、相当飽食気味でした。


金曜日は、昼に大きな海老フライをビールで流し込み、夜からはボリュームのある高カロリーな忘年会で痛飲し、その後〆にラーメン屋さんで叉焼麺と餃子という暴挙!
自宅に帰ってきて、体重計に乗ったら「が~~ん!」今までの人生で最高値の体重に!!
翌日は土曜日ですが雨降りで寒いので、おでんの仕込みをしながらぐだぐだ、またおでんを食べ過ぎて、体重計にのったら「が~~ん!」
1日で最高体重記録を更新!

こりゃまずいですよ。体重が大台に(※個人の感想です)乗ってしまいました。
この所、休日は寒い上に天気もあまり良くなく運動不足だし……と思っていたら、先週の土曜日はウォーキングの途中で“とりすき”まで食べていたのでした。
このままお正月に突入すると、さらに飲み食いでますます……。
ハルコ、自制心で何とか体重を前に戻さねば!
と、言っても今週も会食も多いのです。
まずいぞハルコ! どうする!

2012年12月14日金曜日

動かざるもの喰うべからず

12月は忘年会シーズンですね。連日宴会でお忙しい方も多いと思います。
料理屋さんは1年中で一番の稼ぎ時で、他の月とは数倍も違うようです。
と、いうわけで、呑み食べする気満々の方々が、夜な夜な徘徊している季節です。


昔から、なぜ12月になると「忘年会」で人が集うのか、イマイチ理解していないハルコなのです。
と言いながらも若い頃は、忘年会とクリスマスシーズンを楽しんでいた時期もあります。一晩で3つ忘年会を掛けもち、なんてこともありました。
歳とともに集団で飲み食いするのが、段々辛くなりますね。
普段よりも飲む量・食べる量が多くなり、寒いので体も動かさずに、体重が増える傾向にあります。
すると、体は相当ストレスを感じています。
動かないと、「動かざるもの喰うべからず」です。
年末の忙しい時期の忘年会ゆえ、そのエネルギーは大変なものですね。

なぜ「年を忘れたい」のでしょうか。
この1年よほど辛いことがあり、その年の事は忘れてしまいたい、ということでいいのか?と最近は思います。
忘年会とは、どうも東アジアに根付いている文化のようで、中国の「年夜飯」台湾の「尾牙」韓国の「送年会」と、似た風習があります。
忘年会とは、「リセット」したいと考える国民性の共同体幻想のような感じがします。
昨年の大震災以降、その年の事は記憶にしっかりと留めておきたい、と考えるようになりました。
そんな気持ちの忘年会ならいいのですが、忘れてしまい学習能力が欠如してしまわないよう、反省や悔い改める12月にしたいとハルコは思います。

今日は元禄15年に赤穂浪士が吉良美央を討ち取った日です。
ある意味、吉良邸は忘年会疲れの不意をつかれたようなものですね。
油断大敵です。
あぁ、今晩は「油断大敵教会」の忘年会だ!

2012年12月13日木曜日

七輪で家庭科!

今年の冬は寒いですね。
手炙り火鉢が欲しい、なんて年寄りじみた事を考えていたら、はるか記憶の彼方に封印していた小学生の時の家庭科の授業を思い出したのです。
ハルコが初めて自分で作った料理は、家庭科で習った“ほうれん草のバター炒め”でした。家で作って食卓に出したら母から褒められたのですが、これがハルコの原点かもしれません。


さてその家庭科ですが、この話をすると「信じられない!」と笑われてしまうのです。
何故なら家庭科実習室の熱源が足りなくて、七輪で料理をしたのですよ!
そして、その七輪が足りなくて、学校の近くに住んでいる生徒の家から何台か七輪を調達していたのです。
何だか凄いでしょう。家庭科実習室で小学生が七輪で並んで料理しているのです。
現在なら、進んでいる所はIHクッキングでしょうが、ハルコの時は七輪で燃料は練炭なのです。
時代もそうだし、田舎なので都市ガスはまだ普及してなかったと思います。普段はプロパンガスですね。
大きな製鉄所がある町で、製鉄の過程で沢山の副産物が出来るのです。
溶鉱炉を高熱にするためにコークスを使うのですが、まず石炭を乾留(蒸し焼き)にします。この段階でガスが発生するのですが、液化天然ガスが主流になる前は、これが都市ガスになり、プロパンガスにもなっていました。また、その過程でコールタールや練炭の材料も出来るのです。

あぁ、話がそれました。
長い間封印していた記憶とは、家庭科の授業が終わったあとのことです。
片付ける時に、ハルコが七輪を落として割ってしまったのです!!
それも、学校が近いのでと七論を持ってきたS君の七輪です。
おろおろするハルコの前でS君は泣き出し、教室の外へ出ていきました。
今思うと、家で叱られる!と思ったんでしょうね。その後の記憶は定かではありませんが、担任の先生がS君の家に謝りに行ったはずです。
何だかほろ苦い思い出ですね。

2012年12月12日水曜日

料理店のお見送り作法

昨日の「東京焼鳥屋事始」を引き続き書こうとしてましたが、早朝から打合せわせが長引き資料にも当たれず……というわけで、また日を改めて。


料理屋さんから帰る時に、よくお店の方が見送ってくださることは多いですね。
でも、それが苦痛になるハルコなのです。
接待の基本なんかを見ると、「お客様が見えなくなるまで見送る。タクシーに乗せて車が出るまで見送る」と、あります。
まぁ、タクシーなら直ぐに店の前からいなくなりますが、徒歩で店を離れる時が問題なのです。
店を出て直ぐ角を曲がる様な場所なら良いのですが、路地奥で表通りまでかなりの距離がある場合は本当に困ってしまいます。
お店の人がいつまでも立つて見送っているのですよ。それも、3人ほど。
何だか悪い様な気がするので時々後ろを振り返ると、まだ見送っているのでお辞儀を返しますが、いや、困ったもんです。

昔、とある日本料理店での話です。
そのお店はビルの3階にあり、客は乗り込むエレベーターに正面から見送られ1階に着くと、お店の人が先に着いていて、そこからさらに見送ってくださるのです。いや、忍者の子孫でしょうか。
一度裏をかいて、エレベーターに乗ったふりをしてエレベーターから下りて、階段で後から降りて、待っているお店の人の後ろにまわったことがあります。まるで幼稚園児ですね、
なので、ハルコは見送られるのが苦手で、店を出ると早足になり、途中何度か振り返り挨拶をしながら帰るのです。
かと思うと、見送りに出ていたはずなのに、振り返ってみたらもう店に引っ込んでいると、ちょっと残念な……。微妙な感じです。

誠意と真心のお見送りも、ハルコのような小心者には負担になる、という事をお店の方々も知ってほしいのです。

2012年12月11日火曜日

東京焼鳥屋事始め……その1

この所、“とり”づいております。
昨夜も新宿「とり辰」で美味しく焼鳥をぱくついてました。
いや、焼鳥ってお酒の種類を選びませんね。つい、飲み過ぎてしまいました。
朝起きて、昨夜の焼鳥の味を反芻しておりましたが(ハルコは牛か!)、「はて、『焼鳥屋』って、いつからあったのだろう?と、考えてしまいました。

今まで料理屋さんの起源は色々と調べており、鰻屋、鮨屋、蕎麦屋、天麩羅屋などはそこそこ知っていますが、「焼鳥屋」のことはほとんど知らなかったのです。
資料棚に『明治・大正・昭和・平成家庭史年表・上下巻(河出書房新社)(とっても役に立っております。索引が充実しているので調べ易い)を引いてみると、1894年(明治27年)東京市中に焼き鳥(焼き豚)が流行。1串3厘、上等は8厘とあるではないですか! うむ、焼鳥と言いながら実際は「焼豚」だったらしいのです。
ちなみに明治27年の物価を調べると(現在とは比較しにくいですが)、卵7厘(1個)、日本酒11銭(1升)とあります。焼鳥の上等と卵1個はほぼ同じ値段ですが、やはり判るようで判らないのが、焼豚ですね。
数年前に、東京の一部地域で焼豚ブームがありましたが、こちらが元祖焼鳥屋さんのような気がします。

また北海道の室蘭では、焼鳥=焼豚らしく、この地域では「焼豚を焼鳥」として売っているらしいのです(日テレのケンミンショーで見たので、不確かな情報)。
さらに年表を見ると、1923年(大正12年)9月、東京・日本橋室町に焼鳥専門店「髭の平野」開店。それまで東京には焼豚しかなかった………と、いう事は東京の焼鳥屋史は、まだ90年もないのですね。

知らなかった! のですが、何となく焼鳥屋さんはそんなに古くはないような気がしておりました。
ちょっと調べてみるようと思うので、この項は続く!

2012年12月10日月曜日

下流へたどり着いたフレンチ

土曜日は久しぶりに本郷からお茶の水、神保町まで、途中で昼食を挟んでウォーキングをしました。
神保町で、料理書を多く扱っている古書店「悠久堂」へも途中で寄りました。
定期的にこの古書店は覗くのですが、事務所にある現在入手出来ない、料理関係の書籍はここで買っているものが多いですね。
 

見つけたのは秋山徳蔵の『料理のコツ』と『味と舌』
たぶん文庫でも読んでいるとは思いましたが、現在はすべて廃刊ゆえに購入しました。
秋山徳蔵は“天皇の料理番”として有名で、宮内省大膳職主厨長を長らく勤めた大料理人ですね。
写真には以前に悠久堂で購入した『秋山徳蔵メニューコレクション』も有りますが、これは、宮中晩餐会で饗された数々の貴重なメニューなのです。
ふと思ったのは、現在自分たちが外食で食している料理の数々は、元々ある身分制度の元に、一般庶民の伺い知る由もないところから、ある事情で“上から下に料理が流れて”来ているのではないかということです。

宮中での晩餐会は、基本的にフランス料理が中心になっています。
これは、元々は18~19世紀の外交の基本用語がフランス語で、晩餐は同じくフランス料理であったわけです。
フランス料理自体は、フランス革命によってルイ王朝や貴族の料理人達が大量に失業し、新興勢力の裕福な層に専属料理人として雇われて、“ブルジョワ料理”が誕生しましたが、これはまだ庶民まで流れて来ません。
さらに、そこから出て来た料理人達が“レストラン”という名前のスープを元にして、現在に繋がる“レストラン文化”が出現するのですが、それは今度はロシアのロマノフ王朝の崩壊によって、大量のロシア貴族や裕福な階層がフランスに亡命して来て、フランス料理の最盛期に突入し、フランス料理が世界の料理の中心に座することになるわけです。

1909年に秋山徳蔵は、フランス料理の修業のためにパリへ旅立ちます。
日本でも相当フランス料理や西洋料理は、大都会では食べられるようになったわけですが、一般庶民にはまだ高嶺の花ですね。
しかし徐々に上から水が流れるようにして、文化がジワジワと浸透していくものですね。いつの時代でも旨いものを食べたいという層の欲求があるわです。
また、戦後になって高松宮家がゲストハウスにしていた「光輪閣」がなくなり、そこにいた人々で起こされたイタリアレストランが「キャンティ」となるように、上流から下流への「食文化の流れ」が必要だったのです。

40年近く、フレンチを中心にした東京の“12月クリスマスシーズン”を見てきましたが、高級フレンチの地位は年々下がってきているような気がします。
それは、川下までこの数十年で達したということでしょうか。
その先は……?

2012年12月7日金曜日

焼餃子か水餃子か、それが問題だ!

昨夜は遅くまで田町で打合せをして22時近くになり、あやうく晩ご飯難民になるところでした。
どこか適当な店を捜していたのですが、遅いのでラーメンでも食べようかと入った店が「上海餃子りょう華」
生ビールに餃子(王道ですね)にしようと思い、メニューを見て暫し悩んでしまいました。普段なら速攻で“焼餃子”派なのですが、昨夜はなぜか普段は頼まない“水餃子”を頼んでしまったのです。

まぁ、これが大正解ホームラン!
凄く旨かったのですよ。
料理のおばちゃんが、半冷凍しているのを水で軽く解凍して、ラーメンを茹でている鍋に、振りザルの中に入れた餃子を入れ、ラーメンと同じ様に湯を切り皿盛りにします。
「この水餃子は、醤油ダメね。豆板醤と酢だけで食べて」
豆板醤も手作りということで、具材が多めのもので、酢は多めでちょっと水餃子を付けて食べたら、つるりんと胃袋に。

今までは焼餃子に比すると、水餃子を頼む度合いは非常に低かったのです。中国料理店でたまに頼む程度で、それも焼餃子がないからという理由でした。
そして「うむ、やはり焼餃子が好き!」と毎度思うのでしたが、昨夜の「りょう華」の水餃子には、本当に目からウロコでした。
感覚的にいうと、白玉だんごをつるつる食べているイメージです。あっという間に食べてしまい、速攻でおかわりしました。

水餃子をパクつきながら「何で茹でているのに水餃子なんだろう?」と考えていました。
そういえば、ハルコの雑誌連載でも点心修業(重慶飯店麻布賓館)で、点心師の黄さんに習ったことがありました。
日本人が好きな焼餃子「鍋貼(グオティエ)餃子」と呼ばれます。
水餃子とスープ餃子は混同されがちですが、水餃子はやはり茹でるので、中国語的には「熱水餃」スープ餃子は「湯餃」(湯(タン)はスープのことで、昔日本人が中国のホテルで“お湯”を頼もうとして、“湯”と書いて出たきたのが“スープ”だった、という伝説があります)。
どこかで“熱水”の“熱”が取れて、「水餃子」になってしまったのですね。
ちなみに、日本で最初に餃子を食したのは、水戸黄門さまだとか。
やはり黄門さまは侮れないですね。

2012年12月6日木曜日

グルメな黄門さま

「控え~おろ~、頭が高~い! ここにおわすお方は先の中納言、水戸光圀公で~あらせられる」と、お馴染みの水戸黄門、水戸光圀さんですが、今日12月6日がご命日なんですね。
えっ、なぜ、黄門様を取り上げたかって?
実は黄門様は、実は稀代のグルメさんだったのです。


ここに20年前に出た1冊の新書があります。
小菅圭子著『水戸黄門の食卓(中公新書)という本で、出た当時は話題になった力作です。実際に、昔の人々がどんな食生活をしていたかいうと、これが中々資料で残っていないので難しいですね。
現在なら食文化の資料は、それこそ履いて捨てるくらい有り過ぎますが、もし未来の誰かが、現在の我々の食生活を見たらどう思うか、という思考するのも楽しいものです。

小菅圭子さんの『水戸黄門の食卓』から、黄門さんのグルメぶりを拝見すると、探究心旺盛な美食家の姿が見えてきます。
その中でも「日本ではじめてラーメンを食べた人」が黄門様なのです。
江戸といえば蕎麦、と思うかもしれませんが、江戸初期には現在の蕎麦はなく、うどんが全盛でした。
江戸に出て来た若き日の黄門様、その当時のグルメブック片手にうどん屋さん巡り。そしてお気に入りのうどん屋さんへ通い詰め、さらには親方からうどん作りの指南を受けたそうです。
そして、日本外史の編纂をしている家来達にふるまい「黄門うどん」という名前まで付けられたそうです。
ラーメンを元禄時代に食べて(当然現代のものとは違いますが)、その当時の最高の食を追求していたのです。

そして肉食ですが、江戸時代は獣肉食を禁止してましたが(平安時代が最初ですが)、黄門様は肉大好き、ジビエ大好きな方だったんですね。
生類哀れみの令が公布されていた時代でも、黄門さまは鹿、牛、馬、野兎、狸、猪などを堪能していたのですね。それは、水戸藩の屋敷跡のゴミ捨て場から、調理した後の獣骨が大量に発見されていたことからもわかります。
黄門さまが現代に生きていたら、きっと食詳論をしていたでしょうね。

2012年12月5日水曜日

奇妙な仕事……7


ヘビ園にやってきたハルコ一行。
ヘビ園の入口には、金網に囲まれた大蛇がウジャウジャいるのです。
また、何故か猿の檻も! どうも、これは食用らしい!?

「やばく、ない?」と思いつつも、仕事だからと思い直し、ヘビ料理を注文。
ヘビは直径12㎝くらいの筒切りで、おまけにウロコ付きで厚さが4㎝もあるのです。
中国でヘビ鍋も食べたし、マムシの黒焼きも食べたことのあるハルコですが、バームクーヘン状のヘビの筒切り焼きとは……。
しかし、意外にこれが旨かったのです。
「蛇酒・コブラトニック」と書かれた瓶の酒を飲みながら、蛇の丸かじり。まるで東海林さだお的世界ですが、その実は、ヘビ肉をほぐして“バイチャン(ライスペーパー)”に巻いて食べるのです。あっさりした鶏肉のような味ですね。

もう、どうにでもなれ!という気分で、ホーチミン市内を食べ歩きしたのですが、伝統的なベトナム料理、モダンなベトナム料理、中国(越南)料理、フォー、市場で買い食い、さらにはフランスの植民地だということで、一晩でフランスレストランを2軒はしごしたりと、まぁ、ハルコ元気でしたね。
おまけに、別な媒体で友人のフードライターとカメラマンが、“なべや”の福田浩さんとホーチミン市に来るというので合流して宴会までしたのです。


左からフジテレビT嬢、道場さん、有名料理編集者Nさん、ハルコ、“なべや”福田さん。

結局、その当時は治安もイマイチで、まず150人収容出来るレストランも見つからずに、この企画は無しにしようとなったのです。
ブログでは書けない、もっと面白話もありますが、道場さんから「ハルコさんは、サービスの鉄人」という称号をいただき旅は終わりました。
取り合えず「奇妙な仕事」これにて終了!

2012年12月4日火曜日

奇妙な仕事……6

そうなんです、「アルマジロ!」なのです。
フジテレビの指示書には「アルマジロ料理を出す店を捜す」と、あったのです。


関空からホーチミン市に到着したのは夕刻で、ホテルに荷物を置いてまずはレストランへ。
現地のガイド通訳が何故だかレストランの入口で帰ってしまい、道場さん、T嬢、JTB課長とハルコはレストランで放置されたのです。
まぁ、困りましたね。言葉は判らない、メニューのベトナム語は読めないのです。
何とか食事を済ませ、レストランのメニューをもらって帰り、ホテルでベトナム語会話の本を読みながら、一人で“ターヘルアナトミア”です。

元々ベトナムは中国語文化圏で、フランス、アメリカと植民地化されてベトナム語になったのですが、料理名は中国と同じ構成だったんですね。
ということは、主材+調理法+副材料(あるいは味付け)。この順番で見れば、簡単な料理は理解出来るはず。
例えば、「ティット・コー・ヌッイ・ズア」=「肉・煮付ける・ヌックマムとココナッツジュース」でこれで、“豚の角煮”になるのです。

17年も前のことなので情報も少なく、ベトナム自体のことすらよく知らない時代でしたが、ベチナムが“ドイモイ政策”で海外に門戸を広げて、日本からもビジネスマンが押し寄せはじめていました。
それでも、当時はベトナム戦争が終結して20年は経っていますが、まだ戦争の傷跡が残っていました。
最初の晩のレストランでホテルに帰る時に、車の中にいると、窓に顔が半分飛ばされた人が中を見ていたり、街角で有名なココナッツアイスを食べさせる店に行ったら、靴磨きが来るのですが、その人の両足が無い!
まるで、ブラックジョークの様な世界ですが、あいにく革靴を履いていたのは道場さんだけで、靴を磨いてもらいながら大丈夫かと心配でした。

そして、「アルマジロ」です。
通訳のベトナム人はハノイから来ているのですが、ハルコがアルマジロと言っても知らないと言うのです。
ハルコ得意の絵で「普段は、こう(絵を指しながら)。キケン! アルマジロ丸くなる」と説明をしたところ……。
一体テレビ屋さんはどこでこんな情報を仕入れたんだ! ベトナムでアルマジロ料理なんかどこにも無いじゃないか!

通訳さん「あぁ、ヘビなら食べられるよ。大きなヘビね」
というわけで、ヘビが食べられる「ヘビ園」に向かう話は明日につづく!

2012年12月3日月曜日

奇妙な仕事……5

今年ももう残り少なくなってきましたね。
どうしても12月は実質可動日数が足りません。

さて、先週からの続きです。
やっと『街場の新・料理の鉄人』が刊行されて、やれやれと思っていたら、フジテレビ事業部のプロデュサーT嬢から電話があったのです(ちなみにT嬢は元オールナイターズの一員で、女子大生時代に深夜番組でブイブイ言わせてました)。
 「今度、事業部で「料理の鉄人と行く東南アジアの旅」を企画しようと考えているのだけど、現地視察に同行してくれない?」
 「えっ!?」ですよ。うむ、と思う間もなく、「ヨロシクネ」。
T嬢はオールナイターズからフジに入社したくらい抜け目がないのです。


話の内容は道場、坂井、陳の三鉄人のうち陳さんが香港、坂井さんがシンガポール、そして道場さんがベトナムと、それぞれ50名づつお客さんを引率しながら、最後はベトナムのホーチミン市で150人の食事会をする、というものでした。
道場さんだけは最初からベトナムなので、ご本人が視察するのということで、T嬢はハルコに協力を求めてきたのです。

さらにこの企画運営はJTBが行うので、道場、フジT嬢、JTB課長にハルコの4人での珍道中が始まるのです。
その調査内容は「150人収容可能なレストランを捜す」「市場でイベントに使用出来そうな珍しい食材を捜す」「その他ベトナム料理の名店を探す」「ガイドブックになるか調査する」という内容でしたが、その素材の一項目に「アルマジロ」というのがあったのです。
えっ? ベトナムとアルマジロ……。
風雲急を告げるお話は明日につづく!