2012年10月5日金曜日

トリュフ


神楽坂梅香の料理で、中国産でしたがトリュフが出てきたのにはビックリしました。
初めてトリュフを食べたのは一体いつだつたんだろうと記憶をまさぐりますが、思い出せません。
当然日本のフレンチレストランだったと思いますが、多分渋谷にあった酒井一之さんの「ヴァンセーヌ」で30年も前だったと思います。

イタリアンでの白トリュフとの出会いは、山田宏巳さんが西麻布の地下のリストランテ「ヴィノッキオ」の時でしょうか。
ここの店には、元々現在のHIRAMATUグループの発祥地「ひらまつ亭」があった場所で、平松博利さんが1982年に創業した頃から通っておりました。「ヴィノッキオ」は「ひらまつ亭」と同じ会社だったのです。

手元に一葉のメニューがあります。
「ひらまつ亭」が1988年にグランメゾンとして現在の広尾に本店を構えた時に、その当時としては珍しいブラックタイ着用の会食会が開かれました。
そのひとつに、1991年2月22日にトリュフ尽くしという催しがあったのです。
ハルコの人生でこれ以上のトリュフの数を観た記憶がありません。メインダイニングの大テーブルに山積みされたトリュフの量といったら壮絶な景色でした。
メニューも、……フォアグラとリードヴォーのトリュフのパート包みレンズ豆のクリームソース添え、帆立貝とオマール海老のシャルロット トリュフ風味オマール海老のコンソメスープ仕立て、トリュフを詰めたブレス産若鶏のキュイスのロースト、……トリュフのヌイユとトリュフのアイスクリーム……
トリュフの入った料理しか書いてませんが、これでもかと言わんばかりのトリュフ攻撃でした。
今見ると、シャンパンもCRISTAL1985GRANDS ECHÉZEAUX1983なんかを飲んでいたんですね。

その頃友人が、フランスと日本のレストランへ交互に食材の輸入輸出をする会社を、東京とパリで立ち上げたのをお手伝いしていました。
パリの友人は、ペリゴールでトリュフを買い付けて日本に送る仕事をしていましたが、トリュフ業者から買う時に、1個のトリュフを「お前に」と貰ったそうです。
しかし、パリのアパルトマンで、彼は何と、トリュフを全部スライスしてインスタンラーメンに投入して食べたそうです。
えっ、味は…………。
そのトリュフの彼は、山田宏巳さんがイタリアにいた頃、同じ店で焼鳥を焼いていたのです。

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