2012年6月13日水曜日

本の始末

今日13日は太宰治の「桜桃忌」ですが、まったく関係のない話です。 長い間出版関係の仕事に従事してきて、制作に関わった雑誌や書籍・ムックは大変な量になりますが、この話も関係なく、長年買い続けて来た雑誌や書籍の問題の話です。


わが家はオクサマ・ハルコともに編集やデザインに非常に隣接している職業ゆえに、本を沢山購入して所有しております。
本を置いている場所は、自宅・事務所・新潟のセカンドハウスの3個所です。
 自宅は非常に個人的な趣味性の高い本や小説・全集等、事務所は仕事に必要な書籍と食・料理関係の資料(雑誌、書籍、料理本多数)に、雑誌の創刊号コレクションが1000冊くらい。新潟は読み終えた時代劇小説文庫やいつか見ようと思っている美術書からコミックまで多数。
自宅には、造り付けの本棚2カ所にワードローブの中まで、書籍、雑誌、展覧会カタログ、映画、演劇、オペラ、バレエのパンフレット……。
と、全体分量は不明です。現在の自宅に引っ越してきた際に、4トントラックが全部本の段ボールで埋まっておりました。

読まなくなった本は、定期的に地下鉄三田線巣鴨駅構内の「地蔵文庫」に寄贈していたのですが、いつの間にかコーナーが消滅!
自宅と事務所で溢れた本は、ここ数年セカンドハウスへ送っていたのですが、そちらも満杯になり、昨年整理してBOOKOFFへ出しました。
最近は極力無駄な本は買わないようにしていますが、それでもジワジワと本が浸食してきます。油断すると、一山、二山と本の山があっちこっちに。

物心ついた時から本は常に自分の側に寄り添っていました。それこそ、朝から夜寝るまで、旅行にも病床の枕の側にも。
ハルコはある意味で趣味が仕事になったので、本当の趣味というものは無い様な気がします。言葉の絢ではなく、趣味は仕事なのです。そして、唯一趣味と言えば読書なのでしょう。
 ご飯を食べる様に読書をして、ちょっと出かける時にも読む本が無いと心の安定が保たれません。活字中毒だと自負してます。

問題は増え続ける本をどうするか。
本というのはそれを読む個人の、一見無関係な関係の体系です。第3者からみれば秩序も何もないのですが、本人には大切な世界です。
けれど自分がこの世から去った後には、単に紙を束ねた物質にしか過ぎません。
徐々に本の始末を真剣に考える必要がありますね。

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