2012年5月24日木曜日

神楽坂3連ちゃん


今週は月火水と、3日連続で晩ご飯は神楽坂でした。
週に3回行くというのはたまにありますが、3日連続は暫くありませんでしたね。

このブログのテーマに神楽坂を書こうと思ったのは、昨夜フレンチ前菜食堂「ボン・グゥ神楽坂」に向かう途中でした。
そこで、思ったのは自分の生活の変化で、ご飯を食べに行く場所が変化してきたことです。 ミシュランじゃないけれど、「そこに行くだけのために行く」的な店は事前に予約して、万難を排して行くのですが、「さて、どこで晩ご飯を食べる?」(自宅で晩ご飯は主に週末)と、いう選択でオクサマから聞かれます。
まず、今日は何が一番食べたいか。
次に当日の時間(わが家の食事タイムは遅め)。
そして当日の天気、これが意外に重要です。雨など天気が悪い時は自宅から遠い場所へ行きたくないですね。
そして、最後が場所なのです。

20年以上前(まぁ、バブルが弾ける前頃)は、西麻布・六本木が主戦場でした。ハルコを捜すなら西麻布で、という伝説(?)があるくらい、週に5日はこの周辺で遊んでました。
元々、最初で最後の勤めたデザイン事務所が西麻布にあり、独立してフリーランスになっても馴染み深かったのです。
西麻布の交差点から広尾方面の通りは「地中海通り」(外苑通り)と言われ、東京のイタリアンの発祥地でした。
イタリアンの「マリーエ」がその名前の元になり、その周辺には「カピトリーノ」「アルポルト」や「ヴィノッキオ」「リストランテ山崎」「ダノイ」……と枚挙に暇がありませんでしたね。

ただ、ハルコが最初に勤めていた時代は、六本木(材木町)の隣の霞町(かすみちょう)が西麻布だったのです。
寂れた場所で、現在「アルポルト」のある場所は旧麻布近衛連隊があった所でした。夜になると飲食店も少なく、交通の便も悪い所だったのです。
その奥には広尾など高級住宅地があり、静かな場所でした。
現在の西麻布の交差点の渋谷寄りの角に「アマンド」がありますが、この通りには昔からの鮨屋さんや、古本屋に失業対策事業の食堂があり、今のように飲食店やブティックが軒を並べるというのは信じられない風景ですね。

この通りにフランス料理「勝沼亭」(現在はありません)が出来たのが38年前でのことで、ハルコが始めて出会った本場の料理だったのです。
あれ? 神楽坂のことを書こうと思ったのに。
(何だか続くと、思う)

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