2012年3月8日木曜日

孟宗竹侵略

今年は大変寒くなかなか春が来ませんが、そろそろたけのこの時期ですね。
たけのこの季節と言えば、平均的に3〜6月ですが、ここ10年くらい年末に新たけのこが出回っています。
新たけのこは、主に鹿児島産です。最初は単純に暖かい地域のたけのこの流通が良くなったために、食べられるんだと考えていました。
しかし、その鹿児島のたけのこが実は日本で現在一番食べられている孟宗竹の元祖だと知っていましたか?

もともとたけのこは、八代将軍吉宗の時代に中国(清朝)中部の「江南竹」が、琉球を経て薩摩藩に到来したのです。
竹子、笋、竹芽菜とも書きます。「筍」という字はおいしく食べることの出来る旬が10日間で、10日過ぎると竹になるという意味もあります。
そのたけのこが、薩摩の藩主の島津家別邸・磯庭園に2株が移植された時から日本全土へ孟宗竹の席巻が始ります。それが、島津家から京都の縁戚の近衛家に伝えられ、京都の山科がたけのこの名産地になったと言われています。

ところが、手持ちの幾つかの文献には時代の順番がまったく逆に書いてあり、残念ながらその説は定かではありません。
江戸へは、1978年(寛政元年)に薩摩藩邸に出入りしていた海運業者・山路次朗衛勝考が薩摩屋敷より孟宗竹を持ち帰り、現在の目黒辺りの隠居所に移植したという記録もあります。
享保年間前後に京都に孟宗竹が移植されたとして、約280年、江戸には約200年。
日本で自生していたたけのこを別にすれば、日本人の食卓に登場したのは、思ったより昔ではないですね。

…と書いていたら、竹取物語の“竹”は何だろうと思い調べてみると、諸説ありますが「淡竹(はちく)」だろうというのが、大方の見方だそうです。孟宗から妄想してしまいました。

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