2012年3月30日金曜日

名刺


ハルコのブログの名刺を作成中です。

初めての人のお会いする時に、名刺を出しますね。
何だか料理屋さんで「取りあえずビール」と言ってるようなもんで。昔も今もですが、この名刺交換が苦手なのです。

どうも名刺の出し方と頂き方には、マナーやルールがあります。
最大のマナー違反は“名刺を切らすこと”“名刺を忘れること”だそうです。そりゃそうですね。名刺を出さなきゃ、同じ土俵に上がれませんからね。
一緒に打ち合わせに行くメンバーで、名刺を忘れて行く人がいますが、「んもう!」と思いますね。仕事をなめている、と感じます。ハルコは名刺を忘れてしまっても困らないように、必ずお財布の中に数枚入れておきます。
ただ、普段使わないので、いざ出す段で汚れや端が切れていたりして、それはそれでよろしくないですね。

一番苦手なのは、大きな企業の方々とお会いした時に、一度に大人数の名刺交換で相手の顔と名前を覚えきれないことです。よく顔写真付きの名刺もありますが、そんなことを防ぐためにあるのでしょうか。

自分自身の名刺も過去にどのくらい作ってきたのでしょうか。数えた事はありませんが、30回以上は作っているはずです。
移転して住所や電話番号の変更、名刺が切れてしまいそうなので新しいデザインにする、仕事単位で別の名刺が必要になる……。
また、いただいた名刺の整理も気が重いですよね。何回か不必要なものは整理して捨てますが、気が付くと机の上の仮名刺箱が満杯になってしまいます(現在、やりかけの仕事の資料で満杯、早く片付けたい!)。

名刺を出して自己紹介する時がまた面倒です。あまりにやっている仕事が多岐に渡り過ぎて、説明が一言では尽きません。
最近は「みなさまのお手伝いをしています」と言うと、何だかみなさん納得してくださるのですが……本当のところはどうなんでしょうね。

2012年3月29日木曜日

伊勢丹Kitchen Stage

新宿伊勢丹本店地下の食品売場「Kitchen Stage」があるのをご存知の方は多いかと思います。
食品フロアのランドマーク的な場所で、2週間毎に多彩なシェフや料理人のオリジナルレシピを楽しめるイートインコーナーです。

今まではここの運営は伊藤ハムだったのですが、3月28日より貝印のカイハウスの運営に変わりました。
昨年からハルコにもお手伝いせよとの事で、プロジェクトに参加して参りました。
単なるイートインだけの場所ではなく、ここで美味しいと思った料理は家庭でも再現出来る、という基準を設けています。
貝印の商品開発のお手伝いもして参りましたが、これから真に家庭での料理作りや食育、伝統食の文化など伊勢丹と貝印のコラボで発信していきたいと思っております。
現在は、江戸時代の「豆腐百珍」を現代に復活アレンジした楽しいメニューです。

<MINOSUKE>
■3月28日(水)~4月17日(火) 
10時30分~8時(ラストオーダー7時)/座席:15席
選りすぐりの国産大豆100%と伊豆大島産海水にがりを原料にした手づくり製法で知られる<MINOSUKE>
自慢の豆腐を使い、江戸時代の料理書『豆腐百珍』の料理をアレンジした豆腐懐石をご提案します。
お持ち帰りいただけるレシピもご用意しておりますので、ご家庭でも<MINOSUKE>流の豆腐百珍をお楽しみいただけます。




○メインと副菜
(紗金豆腐とミニがんもの治部煮風・味噌漬豆腐赤と白 温野菜 胡麻ドレッシング添え・鰆の唐揚げと只管豆腐の揚げ流し) 
○ごはん ○汁物:摺り流しふわふわ豆腐の味噌汁 ○香の物:近江蕪丸漬け(1人前)2,310円



黒ハルコとタキガワ君がタッグを組んでハルコを働かせます。

2012年3月28日水曜日

ユッケ


韓国時代劇を見ていると、当然食事や酒を飲むシーンが沢山出てきます。
最初の「大長今 チャングムの誓い」で、チャングムが女医官になる前は、宮廷の中の水刺間(スラッカン)で料理を作っていたので興味を持ってハマったのですが、段々韓国(朝鮮)料理自体の歴史や文化への興味が湧いてきたのです。

昨年はユッケが社会問題化しましたね。そういえば、ユッケはもう1年以上食べていません。以前は週一くらいでユッケを(焼肉屋さんで)食べていたのですが。
話は変わって、「膾(なます)という料理がありますね。正月に食べる紅白なますは大根と人参を甘酢で漬けたものですが、酸っぱいので子どもの頃は嫌いでした。
本来の「膾」は、魚介や獣の肉を細かく切ったものです。「肉」“しし”と読み、生肉を切ったものが膾なので“ナマシシ”と読んだのです。このナマシシがなますになりました。

話はユッケに戻ります。ユッケを漢字にすると「肉膾」になるのです。
『韓国料理文化史』のユッケの項目には、「脂肪のない軟らかい牛肉を薄切りにし、水に浸けて血抜きをしたから細く切る。葱とニンニクをみじん切りにして胡椒・すりゴマ・油・蜂蜜を混ぜ合わせ、よくもみこんでから松の実のみじん切りをたくさん加える」とあります(是議全書)。
焼肉屋さんでよく出されていたもの(現在は厳しい規制がありますが)には、ユッケには生卵が付き物ですね。
生卵を食べる日本の習慣が、かつて朝鮮半島や台湾を植民地化していた頃の名残りで残ったのでしょうね。中国大陸では決して生卵や生肉は食べません。

また、ユッケとタルタルステーキと卵の関係も気になりますね。
元々のユッケには卵は入れないので、戦後日本の焼肉屋さんがユッケはタルタルステーキと同じと考え、卵を入れたと推測するのですが、いかがでしょうか。

2012年3月27日火曜日

さらに、深みにハマる韓国時代劇

最初は韓国時代劇の衣装や髪型に目を見張りました。
今では衣装や髪型を見ただけで、どの時代の話か判る様になったので進歩ですね(オクサマからすれば、そんな無駄な努力は違う方へ使って欲しいと思っているようですが)。


まず、韓国の歴史の全体像を計ろうと「世界の教科書シリーズ(明石社)」国定韓国中学校国史教科書『韓国の歴史入門』を買いました。
ご存知の様に朝鮮半島、中国、日本にロシアを加えると、過去に遡って歴史的認識の大きな相違点が多々あります。
教科書は、自国にとって他の国はどうなっているかを知る上では参考になりますが、鵜呑みにする訳にはいかないですよね。
ただ、言えるのは歴史を知らないで、一方的な解釈の元に論ずるのは大いなる間違いだということです。

当然ながら国定教科書では不十分なので、色々な歴史の本を集めました。しかし、地政学的に朝鮮半島と中国の関係は深いので、今度はサイド的に中国の歴史の本も必要になります。 そうすると今度は中国の歴史ドラマも気になってしまい、「三国志」や「孫子」などのドラマまで観ることになり、気がついたら首までズブズブに深みにハマっていたのでした。

それに、韓国時代劇といっても時代時代で違うので、相互関係の歴史を知る必要もあります。王朝で区分けしても、〈高句麗(高氏)〉〈百済(扶余氏)〉〈新羅(朴氏・黄氏・金氏)〉〈南伽倻(金官伽倻)〉〈大伽倻(高雲伽倻)〉〈勃海(大氏)〉〈高麗(王氏)〉〈朝鮮(李氏)〉と、こんなにあるのです。
日本の歴史なら大和朝廷以降、権力構造は変っていてもそれぞれ単一(戦国時代でも)のストーリで理解出来ますが、〈李氏朝鮮〉以前はそれぞれの国でドラマがあるのです。
まだまだ、続くのだ!

2012年3月26日月曜日

韓国時代劇の愉悦


なぜ韓国時代劇にハマってしまったのでしょうか。何を観ていたかを並べてみると、「イ・サン」「快刀ホン・ギルドン」「太王四神記」「大王世宗」「王の女」「王と私」「宮廷女官チャングムの誓い」「グッキ(※)」「商道サンド」「ソウル1945(※)」「薯童謡ソドンヨ」「第5共和国(※)」「チェオクの剣」「チャン・ヒビン」「朱蒙チュモン」「テ・ジョヨン」「海神ヘシン」「ホジュン」「ホンギルトン」「女人天下」「王と妃」「龍の涙」「鉄の王、キム・スロ」「善徳女王」「ヨンゲソム」「太祖王建ワンゴン」「飛天舞」「ファン・ジニ」「美賊イルジメ伝」「イルジメ一枝梅」「名家ミョンガ」「英雄時代(※)」巨商キム・マンドク」「風の絵師」「チャン・ヤギョン」「斉衆院」「トンイ」「チャミョンゴ」「成均館スキャンダル」「千秋太后」……。

うむ、50本近くも観ていたのか!
(※)印は韓国の戦後のドラマですが、ある意味もう時代劇の延長でも良いかと入れてみました。
そして、現在観ているのが「王女の男」「広開土大王クァンケテワン」この2本は、ケーブルテレビで「衛星劇場」「KBSWORLD」で鑑賞しております。
この辺になると韓国で放映されている日にちと半年くらい遅れ(まだ本国で終わっていない場合も)で観られるのです。それも、週2本立てです。
これらをトータルすると、先週はだいたい16時間も観ているのです(これにさらに中国時代劇も観ています。困ったもんだ。三国志も最終回観たし)。

韓国時代劇の特長のひとつは、とても話が長~いのです。
ちなみに李王朝三大悪女のひとり、チョン・ナンジョが主人公の「女人天下」は全150話もあります。ほぼ1時間(韓国ドラマは微妙に長さが違う)で150時間。24時間寝ないで観ても1週間近くかかります。

知らない方(ご興味の無い方も)のために書くと、李王朝三大悪女(妖婦)の一人、文定王后(ムンジョンワンフ)に仕えていた「チョン・ナンジョ」の物語です。
ついでに言うと、三大悪女は、このチョン・ナンジョに、キーセンから燕山君(ヨンサングン)の側室に成り上がった「チャン・ノスク」と、悪女中の悪女で粛宗(スクション)の寵愛を受けた「チャン・ヒビン」です。

なぜハマったかというと、ハルコは元々歴史好きなのですが、日本の時代劇物は(歴史ものでも)ほぼ背景が判ってしまうので、観ていて「ドキドキ」「ハラハラ」感が少ない。
それに対して、韓国時代劇は元々の歴史を知らな過ぎる。人間、知っていることと知らないことでは、興味の動悸付けとしては後者の方が強くなりますね。
しかし、知らない事やドラマの約束事(アレゴリー)が判らないと、ドラマが半分くらいしか理解出来ない。そこで、もつとドラマをより良く観るために、韓国の歴史の勉強を始めるのです。

次回に続く。

2012年3月23日金曜日

韓国時代劇がチョッタ(好き)!


ブログに書いて良いものかどうか悩んだテーマです。
別に秘密にしていたわけでもないですし、普段からハルコの韓国時代劇好きは知れ渡っております。毎日、録画撮りしたものを早朝に早送りで観ております。なんせ録画している本数が多く、ノーマルだと見切れないのです。
ハルコこれを「朝韓(アサカン)と呼んでおります。
早送りしても字幕が出るので大丈夫ですが、吹き替えだと無理なのでノーマルで観ます。日本語を早送りすると、韓国語に聞こえてくるのですが、それは同じ文法で膠着語なのだからでしょうかね。

この韓国時代劇にハマったのは、お馴染み「宮廷女官チャングムの誓い」からなのですが、テレビを観てからではなく、仕事で「宮廷女官チャングム」のドラマのシナリオブックの制作に関わってからなのです。
完全版シナリオには、全てのセリフから細かい風俗の解説まで入っているのです。
シナリオを読んで本編を観る、これが病みつきなるきっかけでした。

この仕事はキネマ旬報社ですが、その後幾つかの韓国テレビドラマの本を制作する機会があり、段々のめり込んでいきました。
これについては来週に続く。

2012年3月22日木曜日

「みをつくし料理帖」と料理番付


待望の高田郁さん『みをつくし料理帖』文庫新刊「夏天の虹」が出ました。以前にもブログに書いたので、2度目の登場ですね。

第1作の『八朔の雪』から『花散らしの雨』『想い雲』『今朝の春』『小夜しぐれ』『心星ひとつ』で今回で7冊目。年2回の発行が著者が次回は1回休みと。えっ、今年はこの1冊しか読めないの!? 殺生ですね。
「つる家」の料理人、が人間しても料理人としても成長していく過程を読んでいると、江戸で生活している登場人物たちがまるで、親戚のように感じられるのです。
まだ未読の方は、ぜひご一読を。

小説の展開でも江戸時代の料理番付が出てきます。
『みをつくし料理帖』の舞台は文化12年(1816年)。お馴染み九段坂は俎橋。
師走には江戸の「料理番付」が発表になるのです。
大関位は「日本橋登龍楼」で、主人公の凛の「つる家」は関脇位でしたが、この年の関脇位には凛が料理人として誘われた「吉原江戸町登龍楼」が。そして、「つる家」は番付外に!
この後どうなるかは、ぜひ本を買って読んでください。

さてこの料理番付が始まったのは、明和6年(1769年)に「通」という言葉が使われ始めて以降です。
いわゆる「通人」たちが自分の目や舌で料理店のランキングを付けるのですが、凛の時代の明和年間に盛んになります。
その後、安永・天明と料理番付は栄え、田沼意次の失脚で下火になり、文化・文政年間(1804~1829)が次の料理バブルになるのです。写真は幕末の文久元年版の番付です。現在でも食べログなどのランキングからミシュランの星まで、ランキングだらけですね。

以前、ブルゴーニュのソーリューにある「ラ・コート・ドール」に行きました。
食事をしていると、ドアの脇からオーナシェフのベルナール・ロワゾー氏がこちらのテーブルを見ているのです。
顔は厳ついのですが、相当神経質で繊細な心の持ち主なのだと感じました。
2003年の2月24日に自殺をしてしまうのですが、レストラン評価の「ゴー・ミヨ」から20点満点の19から17への降格が原因といわれています。
その死をニュースで知りびっくりしました。ミシュランでは三つ星のままだったのに。
料理番付に翻弄されないで、客に愛される料理を作ることこそ本道だと思うのですが、それにしても早く次の巻が読みたい!

2012年3月21日水曜日

深夜食堂


この所仕事を遅までしているせいか、真っ当な時間帯に食事をしておりません。
22時半まで仕事をして、いざこれからご飯となると、移動まで含めると23時くらいになってしまいます。「日々是甚六」も良いのですが、さすがに連日となると食傷気味。

じゃ、どこでも良いかというと難しい。
つまらないご飯は嫌なので、適度にお酒が呑めて、適度にそれなりにの美味しい料理がある所。そして、移動した先で放浪の民になってしまうのです。

良いかな、と思って入った店も
「ラストオーダー終わりました。またのご来店を!」
あぁ……とため息を付きながら、確かにあそこなら空いてるはずと、何回か行った「深夜食堂」へ。
ここで言う深夜食堂とは、ジャンルを問わず、24時過ぎでもご飯を食べることの出来る店です。外食の大手チェーン店にには行かないし、また、焼肉屋さん、ラーメン屋さんでもないし、それに、遠くでそのために深夜タクシーも使いたくないし……となると、結構難しいものです。

先日、神楽坂で流浪の民になりそうになり、路地に飛び込んだ店が結構イケテました。
知らない店で、尚かつ深夜。どうしようかと迷いましたが、これが当り!
実はラストオーダー時間が過ぎておりましたが、入れてもらえました。
これからも、深夜食堂を捜そう。
えっ、それより早く仕事をして終わればいいのにって? はい、ごもっともです。

●神楽坂しふく

懐石料理 神楽坂しふく
<一軒家レストラン・個室・会食・接待・歓送迎会・慶事(お祝い)・法事>

2012年3月19日月曜日

『青春の終焉』

ハルコブログは基本的には食に関して書いてますが、今日は先週の吉本隆明に引き続き、食に関係のない話です。


批評家の三浦雅士さんが日本芸術院賞(恩賜賞も)を受賞されました。
おっ、という感じで新聞の記事を読んでおりました。
受賞対象の一冊が『青春の終焉』という本でしたが、確か随分前に読んでいたなぁと思い出しました。2001年ですから、もうひと昔前ですね。
内容は難しいのですが、「青春」という概念があっと言う間に文化を通して世界に蔓延していき、やがてそれが終焉する過程を描いているのです。

青春も青年も英語では“youth(ユース)となりますが、昔の日本にはそんな言葉は無かったのです。1880年(明治13年)に東京基督教徒青年会が発足し、「ヤング・メン」の訳語で登場するに及び、日本全国に「青春」という概念が広まったのです。
明治になり、日本自体が欧米に追い越せ追いつけの熱気で時代も青春であり、その青春がどこから来てどこへ行くのかが全体の構成です。

また、日本の戦後も、ある意味で熱狂的な青春時代だったという展開です。
ヨーロッパ・イタリアのルネッサンスから出発して、ルソーを媒介にゲーテ、シラー、そして、シェイクスピアへ移行し、ロマン派が生まれ、ロシアで、プーシキン、ツルゲーネフ、ドストエフスキー、トルストイ、チェホーフ……。18世紀に発生した青春という病が、イギリス、フランス、ドイツ、ドイツからロシアへ。今度はロシアから日本へ、日本から中国へ……。ほぼ全世界に青春が席巻したと言うのを論証した本です。

三浦雅士さん青土社の創立から関わり、1972年「ユリイカ」編集長、1975年から「現代思想」の創刊編集長でしたが、その頃青春の(?)ハルコも「現代思想」にかぶれて、創刊号から10数年購読しておりました(実際には判りませんでしたが)。
レヴィ・ストロース、ジャック・ラカン、ミッシェル・フーコ、ロラン・バルト……。と構造主義が華やかな時代でした。それも、「現代思想」で出会ったのです。
特に先駆者のレヴィ・ストロースの「料理の三面体」(その内書きます)の考え方には影響され、その後仕事の論理付けに役立っていきました。
ハルコはいつか、「レシピの考古学」をやりたいと思っています。
この本が出た10年前はバブル崩壊後の疲弊した時代でしたが、今はさらに日本自体が縮小して老年になったのでしょうか。
もうちょっとがんばりたいと、この本を再読して思ったハルコでした。

2012年3月16日金曜日

吉本隆明……緊急の中にある永遠の課題


吉本隆明さんがお亡くなりなりました。享年87歳でした。
ハルコも、若い頃は吉本隆明やら埴谷雄高を買い込んで(読まない、読めない、読んでもわからない)積ん読でしたが……。

先月2月23日の朝日新聞で、作家で明治学院大学教授の高橋源一郎さんの寄稿がずっと気になっておりました。
1月に『吉本隆明が語る親鸞』が刊行されて、その内容が非常に含蓄のあるものだったのです。
記事から抜粋すると、

……なぜ、いま親鸞なのか。
飢饉や震災の多発した危機の時代に生きた人であったこと。
だが、もっと大きな理由は、彼が、
その時代の「現実」に提出した回答にある。
……親鸞は「眼前にある切実な問題や事件、あるいは社会的な現象が
次々に起こっている場合に、それを〈緊急の課題
と考える、
あるいはこれは
永遠の課題なのだと考える。
どちちの考え方をとっても、駄目なのではないか」と考えていた。……

ここから、はハルコの解釈
美味しいもの、好きなものは得てして食べ過ぎてしまう。
体重が増えて、コレステロール値も上がり、
習慣病になる確立が高く、寿命も短いかもしれない、
おまけにお金のたくさん使うだから、

辞めよう、と考えるのが緊急の課題

……(ここから抜粋)
その解き方では
「人間性のなかには、生理的に悪いとわかっていることでも
嗜まざる得ない精神状態があるという」
永遠の課題を解くことはできない。
……親鸞は
緊急の課題と見えるものの中に永遠の課題を見つけ、
また逆に
永遠の課題と信じられるものの中に
緊急の課題を発見したのである。……
……二者択一ではない。その、どちらを捨てても、
ぼくたちは現実を失うのだ。……

うむ。どうですか、考える価値がありますね。
毎日美味しい好きなものを食べも、〈太らず、健康で、長生き、元気
いかがでしょうか。

2012年3月15日木曜日

「うなぎ」の漫画「う」ラズウェル細木

ハルコは土日を除く毎日ブログを書いてますが、皆さんから「暇なんですか?」と、よく聞かれます。猛烈に忙しいわけではありませんが、この3週間ほどは、土日も事務所に出て仕事をしています。

それよりも、今日何を書くかというのが問題です。
書きたいテーマは一杯あるのですが、それなりの内容だと調べたりしていると、ブログだけで1日が過ぎてしまします。
テヌキで過去に書いたものを再利用するインチキもたまにしてます(お恥ずかしい)。


自宅から事務所まで、地下鉄を乗り継いで大体30分くらいですが、木曜日は『週刊モーニング』(講談社)の発売で車内で漫画を読みながら通勤します。
その中でも好きな漫画があります。
「う(U)というタイトルの漫画です。主人公が毎回うなぎを食べ歩く漫画で、作者はラズウェル細木さんです。
ハルコはまた、金曜日に『漫画ゴラク』(日本文芸社)も読みながら来ますが、これにも、ラズウェル細木さんの『酒のほそ道』という、ひたすら酒とつまみの漫画も愛読しています。

「う」は、最初はうなぎだけで続くのかと心配しておりましたが、どうしたものか1年以上も続いております。
呉服屋の若旦那・椒太郎が東京のみならず、博多や名古屋、台湾などにも出張り、うなぎを食べつくすのですが、日本料理としてのうなぎの他、フランス料理での外国の料理法やうなぎとワインの相性など蘊蓄満載です。
ハルコは「鮨、天麩羅、鰻、蕎麦は別格」と思ってますが、うなぎは嫌いではないがさほど興味のある料理だと思ってませんでした。
が、歳と共にうなぎが好物に変化してきたのです。
そんな中で、このラズウェル細木さんの「う」は面白いのです。

2012年3月14日水曜日

1年前の3月14日

3月11日に大震災が起きたのは金曜日。
土日は自宅で連絡がつかない郷里のことが心配で、閉じこもっていました。

明けて3月14日は月曜日で、当日はまだ、災害の規模も福島の原発の状況も判らない状態でした。
ただ、月曜日には朝から夕方まで撮影と取材が決まっており、前日に明日は出来るかどうか、連絡を取り合ってました。
鉄道や道路の交通関係も大変な状態でスタッフ自体が来れるかどうかも不明でしたが、取りあえず集合しようということになりました。
場所は日本橋三越の屋上で、植木盆栽の撮影でしたが、良く晴れ渡り金曜日の大震災がウソのような天気でした。放射能も心配でしたが、花粉症もありマスク装着での撮影をしておりました。
百貨店の中も出て来られないスタッフもいたようですが、客は本当にまばらでした。


屋上の撮影を終えて、次に日銀のそばにある老舗鰻店での撮影と取材。
大皿で焼き方を変えた鰻を撮ろうと、お店の方に大皿はありませんか?と尋ねると、はい。と、言って中々戻ってこない。
30分ほどして大皿を持ってきて下さったのですが、どうやら器を収納している部屋ひとつが、地震で中がぐちゃぐちゃになってしまったそうで、皿を捜すのに手間取ったとのことでした。それに、大皿の一部も少し欠けておりました。他は割れてしまって、これのみがまだ使えるとの話。
大変な中で撮影に協力していただいて感謝しました。

帰り道、夕方の5時にシャッターの下りた三越を見て、これからどうなるんだろうと不安に思いました。
郷里の実家や仙台の義理弟夫婦にも連絡がつかず、3月は外食もせず(出来ず)、毎日自宅でテレビの情報を見ながら、繋がらない電話にもどかしさを感じていました。

1年経ちましたが、この1年は前の1年とはまったく違う1年でした。
豊かな生活が一瞬に崩れ落ちてしまい、未来の展望自体も見えない状態。
そんな中、ブログやFaceBookを始めて新たな繋がりで少し明るさも見えてきました。
1年経っての178回目の雑感でした。

2012年3月13日火曜日

マメなハルコの豆話


ハルコはよく「まめだね」と言われています。
さて、この場合の“まめ”“忠実(まめ)”のことで、まごころがある、まじめ、誠実、本気といった意味で、「まめに働く」や「まめに暮らす」など本物の豆と同じように非常に地味な感じです。

ハルコの周囲の人に「豆は好き?」と聞いてみると、ほぼ一様に「さほど好きではない」「あまり興味がない」など、あまり評価は高くないのです。まして煮豆などは、本当に家庭では作られなくなった料理の代表ではなでいしょうか。
豆は「豆粒」など、小さなものを表現する時にも使います。そう言う意味ではハルコはまさに「豆男」なのですが、もう少し豆を見直してもらいたいとも思うのです。

豆類は、世界中で農耕が始まった時期には栽培されていました。
その種類は非常に多く、マメ科植物はおよそ650属で、1万8千種(すごいですね)。そのうち、食用として流通しているのは日本でも70種くらいあります。
ササゲ属のあずき、ササゲ。インゲン属のインゲンマメ(金時、うずらまめ)ベニバナインゲン(白花豆)。ソラマメ属の空豆。エンドウ属の豌豆。ダイズ属の大豆。ラッカセイ属の落花生などがあります。
ハルコは、煮豆にインゲン属の金時豆と紫花豆にエンドウ属のうぐいす豆を使いますが、うぐいす豆というのは青エンドウのことです。

は滋養に富み、生豆から乾燥豆まで幅広く料理に使える価値がある食材です。
ハルコの料理の原点も、亡き母の作ってくれた煮豆にあります。その味を再現したいために料理をしている、といっても過言ではありません。
寒い冬に一晩中弱火の練炭火鉢でコトコト煮ていた煮豆の旨さは、今でも覚えています。いつか満足のいく味にしたいと精進していますが、まだまだ道のりは遠いですね。

ハルコ流煮豆です(クリックすると大きくなります)。

2012年3月12日月曜日

チーズの伝道師・本間るみ子


3月9日「フェルミエ」創立26周年「タスカンナイト」パーティに出席しました。
フェルミエと言えば、チーズチーズと言えば、本間るみ子さん。
本間るみ子さんがお持ちの称号は、
「フランスチーズ鑑評騎士の会-オフィシエ(将校)称号」
「サントモール・ドゥ・トゥレーヌ‐シュヴァリエ称号」
「ラングル‐シュヴァリエ称号」
「マンステール‐シュヴァリエ称号」
「フランス政府より、農事功労章シュヴァリエ受章」
「ブリー・ド・ムラン‐シュヴァリエ称号」
「フランスチーズ同業者組合‐ギルド・デ・フロマージュ称号」
「フランスチーズ鑑評騎士の会‐グランオフィシエ(大将校)称号」
「フランスチーズ鑑評騎士の会‐アフィヌール(チーズ熟成士)称号」
「ボルドーワイン最高評議会‐コマンドール・ド・ボルドー騎士称号」
「新潟清酒達人検定協会『名誉達人』を任命」
すごいですね!

本間るみ子さんはアメリカ留学後、チーズ輸入専門商社チェスコに入社後、ご自身で1986年にチーズ専門店「フェルミエ」を設立した日本のチーズ界の第1人者で、まさに、「チーズの伝道師」です。
「フェルミエ」はフランス語で「手作りの」「農家製の」という意味です。

チーズと人類の歴史は1万年前からとも言われています。
日本のチーズの歴史も、結構古くまで遡ることができます。 「正蘇」という乳製品に関する記録が、650年頃の『涅槃経』や『右官史記』という古文書、奈良の平城京宮遺跡、長屋親王邸跡から発見されています。
日本での本格的なチーズ作りは、明治8年に北海道開拓庁・七重勧業試験場で、練乳とチーズを試作したのが始まりと言われています。
次いで、明治37年には函館のトラピスチヌ修道院がチーズを製造してます。

話はまた、「フェルミエ」の創業1986年当時です。
フランスから帰国したフランス料理のシェフ達が、続々と街場にレストランを開店させた一大グルメブームの始まりと重なりますね。
少し前後する店を列挙すると、クィーンアリス、ひらまつ亭、アピシュウス、シェ・イノ、トゥール・ダルジャン、オテル・ド・ミクニ、オーミラドー、キハチ、ラ・ロッシェル、コート・ドール……。
そして、フレンチばかりではなく、イタリアン……とチーズの幅を広げて行くのですが、「フェルミエ26」ではフレンチのシェフがイタリアンを作るという趣旨で、珍しい沢山のチーズに出会い、幸福な一夜でした。
最後に「本間るみ子・電子書籍チーズ図鑑」の企画を立ち上げたいと、本間るみ子さんにラブコールをお送りします。

2012年3月9日金曜日

“さしすせそ”の謎


調味料を入れる順番の、“さしすせそ”はお馴染みの言葉だと思います。
“さ”は砂糖、“し”は塩、“す”は酢、“せ”は醤油(しょうゆの古い仮名遣いは“せうゆ”)、“そ”は味噌のことです。
和食のレシピ本を見ると、ほとんど“さしすせそ”の順番に入れると書かれています。
なぜこの順番なのか、あるいは違うのか、というのが今回のお話です。調理科学、または理科の実験でもあります。

最初の理屈は、濃度の違う液体が混じり始めると濃度の濃い方から薄い方へ、また薄い方から濃い方へと液体は移動します。これを「拡散」と言います。味付けはこの拡散と「浸透」の組み合わせだ、と言っても過言ではありません。

次の理屈は、“さしすせそ”で一番大切な部分は“さ”の砂糖“し”の塩の順番です。砂糖と塩の分子量を比べると、塩は砂糖より分子量が1/6と小さいので、素材に浸透しやすい上に、素材から水分を引き出して組織を引き締めるため、後からの調味料が入りにくくなります。それゆえ、塩の6倍の分子量を持つ砂糖から先に入れるのです。
次に“す”の酢は野菜の変色を防いだり、魚や肉の臭みを取る時は最初に入れ、酸味をつけたり、塩辛さをやわらげる時には、最後に使います。何が何でも3番目というわけではありませんからね。
“せ”の醤油“そ”の味噌はいずれも香りを大切にする調味料なので、火からおろす直前に加えるものです。しかし、煮物で塩を使わずに醤油だけで煮込む場合は、何回かに分けて醤油で味を染込ませ、最後の香り付けに、もう一回醤油を加えます。
味噌も最後に加えて、香りを残すようにしますが、さばの味噌煮などの臭みを取るためには最初から加える場合もあります。
煮魚の場合は、魚自体に味を染込ませるわけではないので、最初から合わせ調味料としていっぺんに入れてしまいます。

それぞれの調味料の役割と使い方次第で料理の旨さに差が出てきます。しっかりと会得しましょうね、ハルコさん!

2012年3月8日木曜日

孟宗竹侵略

今年は大変寒くなかなか春が来ませんが、そろそろたけのこの時期ですね。
たけのこの季節と言えば、平均的に3〜6月ですが、ここ10年くらい年末に新たけのこが出回っています。
新たけのこは、主に鹿児島産です。最初は単純に暖かい地域のたけのこの流通が良くなったために、食べられるんだと考えていました。
しかし、その鹿児島のたけのこが実は日本で現在一番食べられている孟宗竹の元祖だと知っていましたか?

もともとたけのこは、八代将軍吉宗の時代に中国(清朝)中部の「江南竹」が、琉球を経て薩摩藩に到来したのです。
竹子、笋、竹芽菜とも書きます。「筍」という字はおいしく食べることの出来る旬が10日間で、10日過ぎると竹になるという意味もあります。
そのたけのこが、薩摩の藩主の島津家別邸・磯庭園に2株が移植された時から日本全土へ孟宗竹の席巻が始ります。それが、島津家から京都の縁戚の近衛家に伝えられ、京都の山科がたけのこの名産地になったと言われています。

ところが、手持ちの幾つかの文献には時代の順番がまったく逆に書いてあり、残念ながらその説は定かではありません。
江戸へは、1978年(寛政元年)に薩摩藩邸に出入りしていた海運業者・山路次朗衛勝考が薩摩屋敷より孟宗竹を持ち帰り、現在の目黒辺りの隠居所に移植したという記録もあります。
享保年間前後に京都に孟宗竹が移植されたとして、約280年、江戸には約200年。
日本で自生していたたけのこを別にすれば、日本人の食卓に登場したのは、思ったより昔ではないですね。

…と書いていたら、竹取物語の“竹”は何だろうと思い調べてみると、諸説ありますが「淡竹(はちく)」だろうというのが、大方の見方だそうです。孟宗から妄想してしまいました。

2012年3月7日水曜日

かため派・やわらかめ派、どっちが好き!?

わが家でも、ご飯が炊き上がった時に「う〜ん、今日はちょっと固いかもしれない」「いや、この位が良い」などと食べながら会話をします。皆さんも同じではありませんか? 確かに固い、柔らかいの好みは個人差が出ますね。


ある有名イタリアンのシェフから聞いた話です(ハルコも修業したシェフですよ)。
彼が主催する、イタリア食べ歩きツアーを行った時のことです。その参加者というのが、これがまた料理研究家のオバサン達だったそうです。
昼食でリゾットが出て来た時に、オバサン達は口々に「固い!こんなの食べられない!」「煮えていないんじゃないの!」と罵詈雑言だったそうです。
シェフ曰く、「イタリアでは少し芯がある(アルデンテ)のが普通で、旨いんだ!」
これだけなら話はお終いですが、後日このツアーに参加した料理研究家のオバサンに、当時の話を聞く機会がありました。
「固かったわよ!固かった物は固かったの! ▲★●×〜」ともう大変。やはり食べ物の恨みは恐ろしいですね……と、いうくらいご飯の固さはの好みは難しいのです。

ご飯が炊き上がった時、普通は充分蒸らしますが、懐石料理では蒸らさずにそのまま、べちゃべちゃのご飯を一文字なんて名前で出します。ですが、これは茶の湯の心のもてなしで、今あなたのために炊き上げたのですよ、という意味があるのです。

朝ご飯の定番のおかずを考えると、梅干しには適度な柔らかさが欲しいけど、鮭はある程度固めで、納豆は固からず柔らかからず、が個人的には好きなのですが皆さんどうですか?
逆に言えば、どんなおかずにするのかによって、ご飯の固さは調整出来るのです。

2012年3月6日火曜日

辛さの単位、その名はスコヴィル辛い


今回の参考文献「トウガラシの文化誌」アマール・ナージ著/晶文社

カレー屋さんのメニューやカレーのレトルト食品等に、よく3倍とか10倍辛いという表示を見かけます。いったいどんな基準によって表示しているのでしょうか? ハルコは気になります。
まぁ、通常の香辛料を1として、それをどんどん量を増やしているのですが、これはもう人が食べられる味の限界点を越しているものも多々あります。本当にあんなの食べて平気なんでしょうかね、まったく。

塩分や糖分アルコールには厳密に濃度を計る基準がありますが、辛さにはあるのでしょうか?
はい、しっかりあるのですが、一般にはあまり知られていませんね。
辛さを計るにはまず、対象になる辛い素材を水で希釈します。それが、水に対して何倍まで辛み成分を「感じる」か、が辛さの基準になります。
えっ、何で「感じる」のかって!? そりゃ「舌」ですよ。
そうなんです、人間の舌が測定基準なのです。

アメリカの農業研究所のウィルバー・スコヴィル氏が最初に開発(?)しました。
そんなことができるのかって? 人間の舌には、辛み成分カプサイシンを100万倍に希釈しても感じる能力があるのです。
ちなみに一番辛いのはハバネーロで30万スコヴィル、日本の熊鷹唐辛子で12〜15万スコヴィル。かなりのもんです。基準が分かりにくいかもしれませんが、タバスコが3万〜5万なのでこれを基準にすると良いかもしれません。

ちなみに、現在はアメリカの香辛料協会(ASTA)が、高圧液体クロマトグラフという測定器を開発してコンピュータで科学的な測定を行なっています。
最初は、協会の名称であるASTAという単位を使用していたのですが、やはり馴染みのあるスコヴィルに戻ったそうです。

皆さんも、これから辛いものを食べる時には、「これは○○万スコヴィルだ!」と知ったかぶりしましょう。

2012年3月5日月曜日

酢の仕事


ハルコは実は、関係が大の苦手なのです。酢が苦手だという人にとっても、調理を助ける優れた効果があるのはご存じだと思います。

まず第一に、酢には殺菌作用があります。
うむ。ハルコが酢に弱いのは、口に入れると殺菌されるから? てことは、ハルコって菌の塊!?
酢漬けにしておくと魚や野菜が腐敗しないのは、食酢はPHが2〜3(酸度4〜4.5)と強い酸性だからです。マヨネーズが長期保存が可能なのは食酢の効果で細菌が生育出来ないのです。
生魚を使う鮨も、同様にすし飯の殺菌効果によって大腸菌がほとんど無くなります。

次に魚の生臭さを消し、たんぱく質を凝固させる役割を果たします。
鮮度の良いアジなどに含まれている、トリメチルアミンオキシドという成分が細菌作用により、トリメチアルアミンに変化して生臭くなります。トリメチアルアミンはアルカリ性の物質で、食酢で処理すると食酢の酸で中和され、塩(えん)になり生臭さが中和されます。

また、同時に酢はアジの身を引き締めます。これは「酢〆」という調理技術で、魚肉のたんぱく質を固める作用があります。酢で締めると表面が白っぽくなりますが、これを「酸凝固」といい、表面だけが凝固され、中までは酢が入りません。
こうした技を使うことで、旨味が増すうえ、外が固く中が柔らかいので、身が崩れにくくなります。でも、ぶよぶよのお腹に酢を塗っても効果はありませんので止めましょう。

その他にも野菜類の変色を防ぎます。ごぼうを切った後、放置しておくと黒ずんできますが、酢水につけると、酸化酵素の働きを弱めて白くします。
しかし、緑色野菜などは長時間酢に漬けておくと、葉緑素がフェオフィチンという褐色の物質に変わり、変色してしまうので気を付けましょう。

2012年3月2日金曜日

てんぷらの“名”は?


今や、てんぷらは海外でも「スシ、テンプラ、スキヤキ」と日本料理の代表になっています。しかし、ご存じの方も多いと思いますが、日本が発祥ではありません。
「江戸前を名乗っているにも関わらず、鮨、鰻、蕎麦は落語のネタになっているのに、てんぷらが登場する噺はありません」
 (春風亭小朝師匠)

油を使う揚物料理自体は、中国から留学僧などを通して、日本に伝来した禅林料理であることは確かなのですが、てんぷらの語源の名称は、諸説有り過ぎてどれが本当なのか判りません。
さて、てんぷらって一体何なんでしょうか?

その一、ポルトガル語「テンペロ(料理)」説。
似たようなものに、「テンポラ(金曜日の祭)」「テンポラ(スペイン語の四季の斎日)」があります。あぁ、ややこしい。
また、「テンプル(寺の精進料理)」や、イタリアの絵画の技法「テンペラ」と、すべて種子島にポルトガル船が漂着した以降の説なのだけは確かなのです。

その二、南蛮料理「テンフラリ」説。
これは、いろいろな料理が合体したてんぷらの原型みたいなもので、小麦粉をまぶして豚の油で揚げた、ヨーロッパのフリッターに近い料理ですね。

その三、関西の魚のすり身を揚げた「てんぷら」説。
これはてんぷらというよりも、関東で言う「薩摩揚げ」なので、名称はてんぷらでも、違う料理になり、またよく判らなくなってしまいます。この呼び方は、現在でも地方によっては用いられているそうです。

その四、てんぷらが「天麩羅」に。
今まで、ず〜っと、ひらがなの「てんぷら」で通してきましたが、ご存じの漢字の「天麩羅」です。
文化3年山東京伝『蜘蛛の糸巻』に、天竺の「天」にぷらり「麩羅」とあらわれる「天麩羅」の当て字を用いています。また、てんぷらの名付け親は、平賀源内という説もあります。

どうです、増々わかりにくくなりましたね。実は、このてんぷら語源論争は、江戸時代から二百年以上に渡って続けられているのです。
一つの説だけで、知ったかぶりするのは自戒しましょう。はい。

2012年3月1日木曜日

スープその名は “レストラン”


まだ寒い日が続いていますね。今日は体を温めるスープのお話です。
私達が日常で使っている「レストラン」という言葉が実は料理名だったと知ったらびっくりしますか?
16世紀末の料理書には、(料理名の)レストランは牛肉・羊肉などのたくさんの種類の肉と、タマネギなどの野菜の“ごった煮”とあります。フランス革命後の1765年に、パリの飲食店主ブーランジュが、羊の足肉を入れたソースブランの煮込の料理を作り、「レストラン」と命名して大評判となり、店が繁昌したとあります。

では、レストランとは何かと言うと、レスト(rest)休息する・元気を回復させるという意味の、ラテン語の“resutaurer”から命名されているのです。「レストラン」という言葉はよく出来ている言葉です。

さて、どうも私達は“スープ”“ポタージュ”を取り混ぜて使っているようです。
日本での区分は、ポタージュは“濃いスープ”、コンソメは“澄んだスープ”と思っているのが一般的でしょうか。
昔はパンを頻繁に作れないので、保存のために思いっきり固い状態にして、この固いパンを煮汁やワインに浸し、柔らかくして食べていました。現在でもスープに入れる、揚げて賽の目状にした“クルトン”がありますが、実はこの時代の固いパンの名残りなのです。面白いでしょう。

そこで、ポタージュとスープはどう違うのかを調べてみました。辻調理師専門学校の『西洋料理便覧』の区分に従うと以下のようになります。
「澄んでいるポタージュ群。
 この中には、温かいコンソメ、冷たいコンソメ、ゼリー状のコンソメがあります。

 次にトロミのあるポタージュ群には、
 濾したもの、クリームを加えたもの、つなぎのしてあるコンソメ、そしてスープ。
 ビスクでお馴染みの甲殻類のポタージュは、材料の形をそろえて切ったもの」

何だか判りそうで判りにくいですね。
つまり、フランス料理の体系の中では、ほとんどのスープはポタージュ群の中の一部門なのです。
しかし、ポタージュやスープも「分子調理法」などの新しい考え方で、ムース状だけれどスープの味になる、といった進化を続けているのです。
※写真のスープは「ブラッスリークール(菊池憲一郎さん)」のクラムチャウダーです。