2012年1月24日火曜日

佐伯義勝


日本の料理写真界を築かれた写真家佐伯義勝先生が1月20日にお亡くなりになりました。
1927年明治大学カメラクラブ出身で、仏像を撮る前の社会派カメラマンだった土門拳、木村伊兵衛に師事し、1952年に料理カメラマンとして独立しました。
佐伯先生無しでは日本の料理写真の世界は存在しません。
料理の世界に、辻静雄さん佐伯義勝さんのお二人が居なかったらこの世界はどうなっていたのか、と、ハルコは前から考えておりました。

10年ほど家庭画報の巻頭の料理特集のデザイン担当しておりました。毎回3~40ページの撮影用のコンテを描くのですが、それらは佐伯先生によって撮影されました。
その当時、副編集長に佐々木和子さん(故人。家庭画報を退いてから『レタスクラブ』の創刊編集長に)が料理担当で、若輩のハルコに厳しく指導してもらっていました。
現在では当たり前ですが、その当時の料理写真は“料理の出来上がりが大きく、プロセス写真は小さくが常識でした。
ある時に佐々木和子さんが、「料理の仕上がりよりも、途中のプロセスカットを大きくして」と仰るので、「えっ、良いのですか?」と聞き返してしまいまた。

その号が上がって、佐伯先生の写真で“シズル感”のあるページなりました。
今では“シズル感”は日常用語になりましたが、本来“sizzel"肉などが”ジュージュー”焼ける擬音だったのです。
もう、写真を撮る時は“シズル感”ね。で済ます事が多くなりましたが、それが難しい。
それも一発写真で表現する、今考えると写真撮影は忍耐のいる現場でした。
決まると「やった!」と気持ちが良かったのですが、今は「後でフォトショップで画像処理しておいてね」で済むんですもの。
コダックが倒産して、最後までフィルム撮影をしていた佐伯先生が亡くなり、アナログの時代は完全に終焉してしまったのでしょうか。
でも、難しい事に挑戦していた頃の気概は、いつまでも持っていたいですね。

1 件のコメント:

  1. 39名のアシスタントがおりながら誰もコメント無しでは寂しいので16番目のアシスタントが一言。
    辻 静雄先生もですが、辻留の旦那様もお忘れなく。
    お願い申しあげます。
    老いて尚、伝統的或は革新的料理を伝えたいと言うその姿勢は凄みのある姿勢でした。

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