2011年12月22日木曜日

調味料は進化しているのか?…4 エスニックブームの影響


言葉というものは間違った使われ方をしても、それが一般的になってしまうと、元々の意味とは違った使い方が広まりますね。

そういう意味で「エスニック(ethnic)は、日本では違う使い方をされている典型ですね。
本来は「民族的な」という意味なので、「エスニック料理=民族的な料理」で、フランス、イタリア料理も日本料理もエスニックなのです。
それが、いつのまにか東南アジアからインド、中近東の料理を指すようになってしまいました。

他民族からなるアメリカ合衆国で、60年代頃からそれぞれの民族が特定の街で生活して、そこだけで食べられる「エスニック料理」が広まり、70年代になるとニューヨークで「エスニックブーム」が産まれたわけです。
日本では80年代後半からタイ、カンボジア、インド、ベトナム等「エスニック料理店」が続々登場してマスコミに取り上げられ、一大ブームになりました。
流行物に弱いハルコさんもそれ行けと、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイ、インドネシア、ベトナム……と、エスニック料理探訪に東南アジアに出向いておりました。
タイに行った際は、タイ語が全然判らないので手製のタイ語の料理名を書いたカードを作成して、現地で見せながら食事をしたりしておりました。
和洋中という日本の料理ジャンルにエスニックが加わり、ある意味で味覚の底辺を押し広げる効果はあったと思います。


左/1983年2月シンガポールのインド人街(市場)でハルコが撮影したものですが、翌年に行ったら無くなってました。急速にアジアが変わりはじめた時代です。
右/市場で売られているドリアン。

この辺から、日本人の味覚に新たに登場したのが「辛み」です。四川料理など、先行していた辛い料理との違いは、「料理を食べたら辛かった」から「辛い料理を食べる」と、能動的になったことでしょうか。
東南アジアへ出かけて、本場の辛さを味わいに本でも同様の味を求める。ただ、この時代は韓国料理は焼肉のイメージで、現在のようなコーリャンブームは「冬ソナ」から「チャングム」の登場を待つまで出番はありません(これはそのうち書きます)。

ニョクマムやナンプラーなどの発酵性の魚醤の味に慣れ、辛い料理に親しむのに平行して、スパイスを使うことが料理研究家の間でも流行になってきたのでした。
それには、塩分過多の日本人の食生活から塩分を減らし、その代わりに「辛い」「酸っぱい」塩の代替として使うことにより、ヘルシーな料理を目指す動きと連動していったのです。
これは、料理の世界でのグローバル化の走りです。料理自体がフュージョン化されボーダレスな動きになって来て、あげくは「無国籍料理」というジャンルまで出現するのです。
この後は、1985年「激辛」ブームへと続き、その流れから「食べるラー油」が出てきたとハルコは想定しるのです(写真はハルコのお友だちよしこちゃんの「よっちゃんラー油」です)。

●再び夏目亭へ
小旦那さまと夏目亭へ出かけました。前回は食べられなかった牡蠣を堪能。イワシのリエット(フタ替わりにオリーブオイル)と、また面白いものも。
熟達の料理人ムッシュ夏目の技はクラシックにしてモダン! 若い料理人は勉強になるかもしれませんね。
「温故知新」という言葉を噛み締めながらいただきました。

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