2011年10月15日土曜日

おでんの原型「田楽」と「関東煮」

ハルコが寒くなると無性に食べたくなるものに、おでんがあります。
熱燗をグビッ、としながら熱々の大根をぱくっと……。
ハルコが好きなおでん屋さんは東京だと銀座の「やす幸」、京都なら「おいと」でございます。
まぁ、今回はそんな季節のおでんのお話です。

落語の『首堤灯』では江戸っ子の職人が田舎侍に向かって啖呵を切ります。
「~二本差しが怖くっちゃ焼き豆腐もうかつに喰えねえ! 田楽だって一本差してらい。気のきいた鰻は四本も五本も差してら~」という箇所があります。もちろん二本差しとは侍のシンボル・刀の大小です。

田楽とは「田楽豆腐」「田楽焼」の略で、豆腐に味噌を塗って焼いた物です。田楽法師が白い袴をはき、一本の高足(竹馬)に乗って歌い踊る様が、白豆腐に串を刺した姿に似ているので、田楽と名前がついたそうです。この豆腐田楽がおでんの原型で、宮中の女房言葉「お田楽」の「楽」が取れ「お田」「おでん」となったのです。

そうすると、落語の『首堤灯』の焼き豆腐の二本串(田楽は一本串)とおでんの一本串は、逆のように思えます。嘉永6年の『守貞漫稿』(もりさだまんこう・当時の風俗を江戸と大坂の比較で触れている文献)からさらに調べてみると、「京阪の田楽串は股ある二本を用う、江戸にては無股を一本貫く也」とあります。

東西の習慣の違いでしょうか。こんな話もあります。
「関東煮」と書いて“かんとだき”と呼ぶのは関西での関東風おでんのことで、汁の濃いおでんです。とはいえ現在の東京では、汁の色の薄い関西風のおでんが多いようです。
この逆転現象が起こった最大のきっかけは、大正12年の関東大震災のようです。東京の料理屋は壊滅状態になり、関西から料理人が上京し、混乱期にも手軽に食べられるおでんが普及して、薄味のものが主流になりました。そして、関東のおでんが西に行き濃い関東煮になりました。というのが一般的ですが、大阪では堺の出島にやって来た中国人が、大鍋で煮て食べていた「広東人炊」“かんとんだき”と呼び、関東煮とはルーツが違うという説もあります。
庶民の食べ物の本当の起源を探るのは難しいのです。おでんは鍋物なのか煮物なのか、汁で食べるのか、たれをつけて食べるのか。タネも地域によって無数にあります。おでんを見ていると、何でも貪欲に食べ尽くす日本の食文化を連想させるのは考え過ぎでしょうか。

●メッシタ(mescita)
目黒の元競馬場のイタリアンです。もう事情通(?)の間では有名ですね。アモーレの澤口さんの元で修行をした鈴木美樹さんのお店です。イタリアの酒場という感じの小さなお店ですが、中々予約困難になってますね。
このお店をこよなく愛して、必ず水曜日には夕方から飲んでいるという、mercoledi kaoriさんとacqua pannaきょうこさんに、オクサマとハルコの4人組です。
ハルコ思うに料理が美味しいとか雰囲気が良い、という店は沢山ありますが、楽しい店というのは存外少ないものです。
メッシタは楽しく面白い店です。で、このメンバーで水曜日に遊ぶ会が結成されました。
さて、次回は何処へ行く!


0 件のコメント:

コメントを投稿