2011年10月18日火曜日

江戸前って、なに?

ハルコは結構マメな性格でございます。紙の新聞(最近はそうじゃない人も多いので)を丹念に読んで切り抜き(おお、なんとアナログな)をしております。
コピーの保古紙の裏に、切り抜いた新聞をテープで止めます。ある程度溜まると、見直して要らないものは捨てます。今日はその不要な切り抜きの事業仕分け(?)をしておりましたら、随分前の記事が目に入りました。

日経新聞の「わが家の記念日料理」人気ランキングで、2位が「手巻きずし」、4位が「ちらし・ばらずし」という調査結果が出ていたという記事です。
まぁ、昔だったら上位のカレーライスやハンバーグはすしに比べて後塵を拝しています。今時の子ども達にとってすしは人気のメニューなんですね。それには回転ずしの活況が影響していのでしょうか。
現在のすし業界は老舗高級店から格安回転ずしと幅広く展開しています。いわゆる江戸前すしはいつ頃から全国を制覇したのでしょうか。

どのすしの歴史の本にも「輿兵衛ずし」が江戸前の元祖だと書かれています。江戸に上方から「こけら鮓、サバ鮓、箱鮓」が入ってきたのは五代将軍綱吉の時代です。それから約130年後、1810年(文化8年)に花屋(華屋)輿兵衛が握りずしを考案したといいます。
それ以前にも握りずしはあったらしいのですが、現在に繋がるルーツで成功したのが 花屋輿兵衛です。それが馴れずしや押しずしに代表される上方ずしが、早ずし(江戸前)にあっという間に取って変わったのでした。

江戸前とはいったい何なのでしょうか? ひと握りのすし飯の上に、タネをのせて握るすしが江戸前の定義なのは当たり前ですが、何故それを江戸前と呼ぶかというのは諸説多々あります。
一般的に流布されてきた説は、東京湾で獲れる魚介類を指しているようで、昔食べにいったすし屋のおやじさんに「ウチは江戸前だから○○は使わねぇんだ!」と言われたことがあります。その当時はそう思っていましたが、実はその江戸前という呼び名を最初に使ったのはうなぎ屋なのです。

家康が江戸に入った当時、日比谷は入江で現在の丸の内界隈は浅瀬でした。そのあたりを埋め立てる大規模な干拓工事をしていた頃、日本橋のあたりは島になっていて、古名が「江戸前島」。周辺の沼地でとれたうなぎをぶつ切りにして縦に串を刺し、焼いて味噌をつけ、干拓人夫に売っていたのです。その形が蒲の穂に似ているところから蒲焼きという呼称になったのです。
江戸前島でとれたうなぎをうなぎ屋により江戸前と呼んでいたのがいつの間にか日本全国ですし屋の代名詞のようになってしまったのでした。

今やどこでもすし屋さんは江戸前が中心です。江戸前握りずしが発明されてまもなく200年。江戸前ずしは世界中に「SUSHI」として日本を代表する食としてグローバルな料理となり、さらに拡大しましたが、これから先はどうなるのでしょうか?
江戸前ではなく、巴里前とか、倫敦前、伯林前、桑港前なんて言うわけないですよね。

●お好み焼き
ハルコとオクサマの食は結構偏っていますね。
二人で神楽坂をブラブラしていて初めて入ったのがお好み焼き屋さん。近くにピザ屋さんもあったのですが、広島のおたふくソースの匂いに誘われました。まぁ、同じ“コナモン”ですね。
二人でお好み焼きを最後に食べたのは、いつだか思い出せないくらい昔。江戸前のお好み焼きは“もんじゃ”かなぁと。もんじゃなら少し前に月島に食べに行きましたね。

カウンターでオランダから来た青年が、お好み焼きにマヨネーズをたっぷりかけてもくもくと食べておりました。どうやら日本滞在3週間で、各地でお好み焼きを食べている由。明日は大阪とは……はてまて、お好み焼きはインターナショナルな食べ物ですね。


神楽坂広島お好み焼き「くるみ」神楽坂を登り毘沙門さまを越えた通りにあります。

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