2011年10月25日火曜日

カップヌードル1971

今年の9月は、日清の「カップヌードル」が発売されて40周年でした。
だいぶ旧聞ですが広告露出も多く、横浜みなとみらいにカップヌードル記念館(安藤百福発明記念館)もオープンと、大々的でしたね。
今頃、とお思いかもしれませんが、近所のコンビニで「カップヌードル40周年記念・カップガンブラ」を買ってしまったのです。別にガンダムも興味は無いのですが(世代じゃないし)、発売された1971年という特別な年に興味を引かれたのです。

『栄養と料理』という雑誌の、創刊50周年記念特集(1985年)で「食生活50年と“栄養と料理”の歩み」で50年の食生活の年表を、ハルコが編集構成しておりました。
その中の年表で、1日一人当たりの米の摂取量と動物性食品の摂取量の変化グラフを組み込みました。ちょっと判りにくい説明ですね。簡単に言うと、ご飯に対しておかずの割合がどの程度かという比較です。
ちなみに、の1939年(昭和14年)は米400gに対して、動物性食品が70gです。大雑把に計算するとご飯5~6杯に対して、魚や肉は70gというのは、塩鮭の切身が140gくらいで、何と半分ですね。それも1日の摂取量ですよ。
このデータは戦争中(昭和15~20年)はありません。戦後は米自体が不足してましたが、1951年(昭和25年)に戦前並に復活してピークを迎え、段々消費量が落ちてきた反面動物性食品が増加を始めます。
そして、問題の1971年この年に米と動物性食品の摂取量が逆転するのです。
まさにカップヌードルの誕生した年なのです。マクドナルドの1号店もこの年に開店しました。
この40年に日本人の食生活は大きく変化し、極端な飽食へのベクトルの揺り戻しで、食の安心・安全が問われるようになりました。その文脈では論じられませんが、カップヌードルは日本(安藤百福)が産んだ、20世紀の凄い発明品ではありますね。

●晴山
幕末に活躍した僧“月性(げっせい)『清狂遺稿』の中に、有名な“人間至処青山(じんかんいたるところせいざんあり)”という句の一節がありますね。
青山というのは“墳墓”という意味で、故郷を離れていてもどこでも死ねる場所があることです。まぁ、だからがんばりなさい的な解釈ですね。
さて、同じ音読みの“せいざん”ですが、字句は「晴山」の日本料理店が港区三田にあります。料理人は山本晴彦さん。岐阜の「たか田八祥」で12年修行をして、今年の6月23日にオープン。並びには中国料理「桃の木」もありますが、桃の木の前店「菱沼」には随分通いました。
歳とともに複雑な料理を食べると面倒、と思う心持ちですが、晴山のシンプルな味わいには疲れを癒す効果有り(?)
「ハルコ至る処に晴山(うまいもん)有り」
なんたって、同じ名前の料理人だもん、応援しなくては!



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