2011年10月31日月曜日

食事と時間の関係…4 最短と最長


食事と時間の関係は「何を満たす」のか、ではないかと思います。
ハルコにとって外食での最短は、駅そばです。かつてどの位でそばが出てくるか、色々な立ち食いそば屋さんで時間を計ったことがあります。
込み具合で違いますが、最短45秒でした。食べるハルコはお馴染み“コロッケそば”ですが、大体1分半から2分。券売機でチケットを買って、オーダーして、食べて出るまで約3分(大変短いですね)。

今度は逆に最長は何だろう、と考えました(うむ)。
広尾に「ひらまつ」が開店した頃(1989年)でしょうか。年に数回「ひらまつ」ガラディナーがあり、男性はブラックタイ着用の、当時としては正餐という感覚でした。
夕方の18時受付19時からディナーが始まり、最後のデザートが23時くらいで、その後メインバーへ場所を移動して、食後酒とシガータイム(その頃ハルコは喫煙してました、今は吸いません)で、店を出たのが3時過ぎ。つまり、1回のディナーで約8時間費やしたのです。
さすがに笑えますが、終わる頃にはもうお腹が空いてきました。何でも某グルメエッセストMさんは、その後にタキシードのままで24時間営業の立ち食いそば屋に入り、奥さんが外で呆れて泣いていたとか(笑)。彼は1日のうちに最短と最長の食事を体験した希有な人になりました。

次は連続での食事の最長時間の話です。
フランス料理を制覇(?)しようとしていた若き日のハルコ。その当時のノートを見ると、1992年の大晦日にパリでレヴェィヨンして、翌日(元旦)にパリリヨン駅からアヴァイニヨン行きに乗り、途中で乗り換えてアバロン駅まで行き、そこからタクシー(駅に1台のみ)に乗り、ヴェズレイの「マルク・ムノー・レスペランス(Marc Meneau)に食事しに行きました(三つ星でしたが、現在はありません)。ちなみにヴェズレイの丘から十字軍が最初に集結してエルサレムを目指した場所で有名です。
この店はオーベルジュも兼ねているので、荷物を部屋に置き、ダイニング見学に、夕方17時なのにまだ、昼の客がコーヒーを飲んでいるじゃありませんか!
そして、ディナータイムにダイニングに行くと、さきほどのコーヒーを飲んでいた客が、食事をしているじゃ有りませんか。あぁ、2度ビックリです。
深夜まで食事を楽しみ、翌朝同じテーブルで朝食を取り、本体なら、昼はソーリューの「ベルナール・ロワゾー(Bernad Loiseau)(ロワゾーさんは2003年に自殺)で昼夜食べるのを変更して、昼を「マルク・ムノー」で食べることにしました。
前日からトータルすると同じ場所で約9時間ご飯を食べていたことになります。

結論・ご飯を食べるには、ご飯を食べないといけない?

●ハルコアーカイブ
上の写真は「ひらまつ」ガラディナーメニュー。所々に落書きがしてあります。
本2冊はマルク・ムノーベルナール・ロワゾーの著作本にサインをいただいきました(ハルコ、結構ミーハー)。

2011年10月29日土曜日

食事と時間の関係…3 休日のお家ご飯

実際に今、このブログを書いている時間は19時過ぎです。さて、そろそろ20時が近づいてきましたが、今夜はどうするやら(自宅でご飯食べることも結構あります)。連続で重たいものを食べると、シンプルでかつ、体に良さそうなものを欲しますね。

ハルコの食事時間帯は、遅いばかりではありません。新潟のセカンドハウスでは、夜は早いので15時くらいから夕ご飯を始めます。また、先日は17時に蕎麦屋さんへ行き、なんと20時には就寝していました。
休日は夕ご飯は早いですね。もう、16時頃にはビールを飲みつつ、晩ご飯の用意を始めます。最近はオクサマが自分で料理を作りたがるので大変です。
そんなオクサマの様子を見ながら、食卓の用意をします。お膳を出して器や箸、グラスなどを並べます。わが家はともかく料理の品数が多いのです。作り置きの保存食を小皿や豆皿に盛り付けたりしますが、多い時は二人で30個くらいの器を使います。
また、これを洗うのがひと仕事です。結構な骨董品に盛り付けているので慎重に洗っていますが、どうしてもチップは避けられないですね。

わが家で最長の夕ご飯記録があります。日曜日の夕方17時から夕食を始めて、深夜24時半までかかってご飯まで辿りつけなかったのです。7時間半のお家ご飯というのも我ながら凄いですね。
料理を作り過ぎて、ビール、日本酒、ワイン……と飲み食い続けたのですが、普通の家庭だとそんなに晩ご飯は長くはないですね。
最近はわが家の平均晩ご飯時間は3時間くらいでしょうか。えっ、それでも長いって?
ご飯を食べ終わり、大量の食器を洗って、ゴミの分別をしてゴミ置き場(マンションです)に持って行き、やれやれです。
それから、第2弾が始まります。食後酒(ウィスキーやらオー・ド・ヴィ)を用意して、チーズを切ったり、チョコレートに大好きなカキピーで、韓国時代劇ドラマを鑑賞しながら夜は更けていくのです。
なんて書いていると、オクサマから電話が。
「えっ、今日は千駄木の乃池」
と、いうわけで出かけます。何だか、まだ、続く予感が……。
※写真は自宅(東京)と新潟でのある日の食卓です。

●今年の新米
毎年新潟・ほしの酒造さまから、新米をいただいております。ほしの酒造はみなさまご存知のように「鄙願」の蔵元です。一番好きな日本酒を選べといわれたら文句無しに「鄙願」にします。お酒の鄙願は夏バージョンもあり年2回楽しめますね。
一升瓶に入っておりますが、中身は新米です。新潟は中越小栗山のハザ掛米です。ハザ掛は借り取った稲穂を逆さにして「ハザ」に掛けて、天日でゆっくりと乾燥させる方法で、今では少なくなってますね。逆さまにることで、茎に残ったうま味が米に行き渡ります。
我が家では「神の米」と呼んで、最初に炊く(土鍋で炊きます)日は今年の恵みを感謝する日にしております。今年は大変な年ですが、来年は何とか被災地の田畑でも豊作になりますよう祈念します。
お米と一緒に「鄙願」の酒粕と、お餅もいただきました。
今晩は「鄙願」で……「ハルコ、鄙願はどこ?」
あぁ、忘れてました。昨日全部夜中に飲んでしまいました!

2011年10月28日金曜日

食事と時間の関係…2 もうラストオーダー!?

20時からその日のご飯を食べることを決めるのですが、すっと決まらないと大変です。
まず、食べたいものが違う場合は、もう大もめ!!
また、胃腸のと懐具合も重要ですね。同じジャンルでも松竹梅があります。前にも書きましたが“程の良さ”が大切になります。
20時は飲食業で、普通は一番客がいる黄金の時間帯です。今年は、東日本大震災以降は企業の終業時間が繰り上がった影響で、料理屋さんも1時間ほど開店を早めた所もあるようですね。

話は戻って20時に相談しても、店が混んでいて開いてない場合が多々あります。
「ハルコさん。22時なら空きそうですが……」
これから2時間空腹をなだめながら、仕事でもしますか(するわきゃないですが)。
まだ22時に空けば良いのですが、空かないケースもあります。
仕事場から電話して「はい。今デザートが出ているのですが、22時には大丈夫です」
と、言われてその気になって、店の近くから電話すると「今、お茶をお出ししてます」
「じゃ、終わったら携帯に電話して」と、近所のBARでビールでも飲んでいると、中々電話がない。
また電話すると、「今お勘定に入りました」
何だか、お店の中継ですかね。結局生ビール2杯におつまみで、入店したのは23時近く、トホホな感じです。まだ、このような店は融通が効くので、ラストオーダーで追い出される心配はないのです。
22時に入ってもうラストオーダー、というケースもあります。45分1本勝負のプロレスみたいですね。幸いにして、ハルコは食べるのが早いのですが、慌ただしいこと。
まぁ、遅く入ったハルコが悪いのですが…。

でも、まだ食べられだけマシ!! 最悪は23時を廻り、次々に暖簾は無くなるは、CLOSEの看板は出ているはで、哀しい思いです。食べられればどこでも良いというわけではないのです。
基本的にファミレス系や深夜も営業しているチェーン店には行かないで、あくまでも食べたいものを食べるというスタンスで、ここまでなら許せる、許せないという境があるのです。
そこで、ラストオーダが遅い店をチェックする様になります。ただ、朝4時ラストオーダなんて店には行きませんが。24時ラストオーダで27時閉店なんて素敵ですね(実際にあります)。
あぁ、終わらない。また、続くのだ。

●PIATTI CASTELLINA
この所オクサマのご指導(?)で、今年に開店した料理店に行く事が多いのです。
オクサマの仕事が一段落して、束の間の時間があるので、“22時”の入店でございます。
場所は東西線神楽坂か有楽町線江戸川橋の中間くらいの天神町の“CASTELLINA”で、西麻布に姉妹店があります。
オーナシェフの大原易裕さん大阪「ポンテベッキオ」山根大助さんの元からイタリアや国内で修行されたとか。
コースにワインも料理に合わせて出していただくものをチョイス。インボルティニは旨かった!


それにしても、東京のイタリアンは奥行きがありますね。この店も20年前にあったら申し分なく名店の仲間入りしてますね。あぁ、みんなレベルが高いです。パスタはメインの後に好みの分量を伝えてオーダーするシステムでございました。ちなみにオクサマもハルコも60gを選択。

2011年10月27日木曜日

食事と時間の関係…1 あぁ、悩ましい!

YAHOO!知恵袋を見ていたら、“20時のデートに食事を済ませて行くのは非常識なのでしょうか?(30歳女性)”というのがあり、回答が2000にせまる勢いでした。
かいつまむと、初デート(お見合いして逢うのは2回目)で20時に繁華街で待ち合わせした女性が、家で食事(母親が作った)を食べて行った所、男性は和食の店でコースを予約していた……。
男性は仕事が19時過ぎに終わり、食事は当然一緒にするもんだと思っていて行き違いが起こってしまったそうです。
女性は、20時というのはすでに食事が終わっている時間との認識でしたが、まぁ驚くほどの人の賛否両論の量にビックリしたハルコでした。

ハルコ的には事の是非は論じませんが、この20時の境というのがハルコにとって“ウム!”と考えてしまうことなのでございます。
お腹が空いたら食べる。こんなシンプルなことが中々難しいのです。
食事を時間通りに規則正しく、食べることの可能な人か、まったく不規則なのか、みなさんはどうでしょうか? わが家では“規則正しく、不規則”という感じですね。
オクサマ・ハルコ双方が、まず定刻に仕事が終わらない(まぁ、定刻というのは世間一般で17~18時検討)。
自宅で食べる日と外で食べる日を比較すると圧倒的に外食が多い(仕事がらみも多いので)。
事前に(相当前もって)予定をする場合は万難を排して行きますが、当日当夜、直前というケースがほとんどです。
わが家では、20時がその日何を食べるか・食べられるかの境界点になるのです。
1ヶ月前から●●の予約をしてもその日にはたして食べたいか。大きな問題です。それで、ギリギリ20時に「今日どうする?」と、メールか電話が入ります。当然朝に本日のおおよその予定はお互いに伝えていますが、仕事がスムーズに行くとは限らないし、予定外の打合せやトラブルも出てきます。
電話で「どうする? あぁだ、こうだ…」でスムーズにいかず、時間は過ぎて行くばかり……。
うむ、長くなりそうなので続きは明日。

●日々是甚六。日伊交流
甚六なのです(また!)。今回はなんと事前に前日に予約しましたよ!
フィレンッエの友人ご夫妻が日本に来ているので、色々と二転三転して甚六へ。
雨宮さんとご主人のルイジさんのお二人ですが、お互い家族同士の長い付き合いです。
フィレンッエでもご自宅にお伺いしたり、レストランで食事をしたりしておりました。
今まで、日本では「石かわ」「トルッキオ」などへお連れしました。
甚六ではハルコはかなりの掟破りを! 今回は事前にお造り用の刺身を持ち込んでしまいました。マグロは大間です(ルイジさんは旨いと喜んでおりました)。
まぁ、なんだかんだで、日本酒の受け皿の使い方や、角ハイボールのスクラッチ(はずれ)で、盛り上がり、翌日は(当然)二日酔いの日伊交流の一夜でした。

2011年10月26日水曜日

ハリー忌

10月26日はわが家で長年生活を共にしていた飼猫の命日です。
以前住んでいた白金のほうで怪我(血だらけでした)をした猫を拾い仙台坂下の動物病院にオクサマが連れて行きました。
病院から電話があり、「今日手術しないと助からない」とのことで手術を了解しました。
それからしばらくして(忘れていました)、動物病院から「元気で餌を食べているので引き取りに来て下さい」
手術料を聞いてびっくり! え~~っ、血統書付の猫が何匹飼えるの~~~~!?
と、いうわけで病院へ行き手術代(皆さんから温かな寄付をいただきましたよ)を支払い、猫の名前は?と聞かれ、「はて、この猫飼わないといけないんだ!」と、その時に認識した次第。
名前はハルコの本名、ハルヒコからと、ヒッチコック監督の映画『ハリーの災難』から取り“ハリー”と命名したのです。
ハリーこと正式名“ハリー・サンタ・ドミンゴ・ドン・ジョバンニ” 茶トラの雄です(拾った時にはすでに去勢済でした)。その当時の推定年齢(動物病院調べ)は4歳。2005年で推定26歳で天寿を全うしたのでございます(人間だと百数十歳)。まぁ、こんなに長生きするとは思いもよりませんでした。
ハリーの好物は“イカ刺し”“まぐろ”“ウニ”でした(まぁ、何て贅沢な!)。
ブログのハルコが魚の干物を与えている後ろ姿の猫こそが“ハリー”なのです。
人世の中でただ一度きりの猫との出会いです。「生涯一猫」

●猫の置物
ハリーを飼い始めてから、旅行へ行くたびに記念に猫の置物を買って来るようになりました。
日本国内はもとより海外まで……どこの町でも猫の置物は売ってますね。
でも、ハリーが居なくなってからは買っておりません。

2011年10月25日火曜日

カップヌードル1971

今年の9月は、日清の「カップヌードル」が発売されて40周年でした。
だいぶ旧聞ですが広告露出も多く、横浜みなとみらいにカップヌードル記念館(安藤百福発明記念館)もオープンと、大々的でしたね。
今頃、とお思いかもしれませんが、近所のコンビニで「カップヌードル40周年記念・カップガンブラ」を買ってしまったのです。別にガンダムも興味は無いのですが(世代じゃないし)、発売された1971年という特別な年に興味を引かれたのです。

『栄養と料理』という雑誌の、創刊50周年記念特集(1985年)で「食生活50年と“栄養と料理”の歩み」で50年の食生活の年表を、ハルコが編集構成しておりました。
その中の年表で、1日一人当たりの米の摂取量と動物性食品の摂取量の変化グラフを組み込みました。ちょっと判りにくい説明ですね。簡単に言うと、ご飯に対しておかずの割合がどの程度かという比較です。
ちなみに、の1939年(昭和14年)は米400gに対して、動物性食品が70gです。大雑把に計算するとご飯5~6杯に対して、魚や肉は70gというのは、塩鮭の切身が140gくらいで、何と半分ですね。それも1日の摂取量ですよ。
このデータは戦争中(昭和15~20年)はありません。戦後は米自体が不足してましたが、1951年(昭和25年)に戦前並に復活してピークを迎え、段々消費量が落ちてきた反面動物性食品が増加を始めます。
そして、問題の1971年この年に米と動物性食品の摂取量が逆転するのです。
まさにカップヌードルの誕生した年なのです。マクドナルドの1号店もこの年に開店しました。
この40年に日本人の食生活は大きく変化し、極端な飽食へのベクトルの揺り戻しで、食の安心・安全が問われるようになりました。その文脈では論じられませんが、カップヌードルは日本(安藤百福)が産んだ、20世紀の凄い発明品ではありますね。

●晴山
幕末に活躍した僧“月性(げっせい)『清狂遺稿』の中に、有名な“人間至処青山(じんかんいたるところせいざんあり)”という句の一節がありますね。
青山というのは“墳墓”という意味で、故郷を離れていてもどこでも死ねる場所があることです。まぁ、だからがんばりなさい的な解釈ですね。
さて、同じ音読みの“せいざん”ですが、字句は「晴山」の日本料理店が港区三田にあります。料理人は山本晴彦さん。岐阜の「たか田八祥」で12年修行をして、今年の6月23日にオープン。並びには中国料理「桃の木」もありますが、桃の木の前店「菱沼」には随分通いました。
歳とともに複雑な料理を食べると面倒、と思う心持ちですが、晴山のシンプルな味わいには疲れを癒す効果有り(?)
「ハルコ至る処に晴山(うまいもん)有り」
なんたって、同じ名前の料理人だもん、応援しなくては!



2011年10月24日月曜日

サントリー『洋酒マメ天国』

日々是甚六でのこと。
最近はビールを飲んで、銀盤(富山)から、がんぼう(広島)を飲むコースの間に“角ハイボール”を飲むことが多くなりました(えっ、飲み過ぎだって?)。「角ハイボールね」とお願いすると、永谷jr.がすかさず、「今なら、角ハイボールにもれなく菅野美穂のポスターを付けますよ」と。
「そんなの要りまへんがなぁ。小雪なら考えても……」と言いつつ、角ハイボールで菅野美穂と乾杯!!
ふと、そう言えば昔古書市で入手した“アレ”があるはず、と、思いだしました。

アレというのは『洋酒マメ天国』ですが、ご存知の方も多いかと思います。
サントリーがまだ寿屋という社名の時代に、全国の“トリスバー”の常連客へのサービスで配布していた『洋酒天国』というPR誌から抜粋したのが『洋酒マメ天国』というのが有るのです。

本分は9cm×6cmですが、外観は角背みぞ付(フォーロバック)で本体表紙は樹脂印刷で特金箔押しの寿屋の獅子マーク入り(すみません。専門用語が多くて…)。カバーは全て柳原良平の挿画で、本体は各巻で若干の違いはありますが、98~148のページ構成。
第1巻が創刊発行されたのは、1967年(昭和42年)で、最終刊は1970年(昭和45年)で合計36巻。各3巻ごとにケース入りに「月報洋酒マメ天国」新聞付
サイズは可愛い、いわゆる“マメ本”です(本当は36巻納まるマメ書架があるらしいのですが、ハルコは持っていません)。その当時の頒布価格は1巻300円(10,800円)ですが、ハルコは古書市で18,000円で購入しました(値札がまだ残っていた)。

「洋酒天国」初代編集長は開高健二代目は山口瞳で芥川、直木賞作家が編集してますが、その当時にお二人も寿屋宣伝部員ですね。
また、執筆陣が凄いのです。開高、山口を始めとして、柴田錬三郎、石津健介、秋山庄太郎、戸板康二、池島信平、古波蔵保好、草野心平、澁澤龍彦、植草甚一、池田弥三郎、高橋義孝、野坂昭如、江國滋、楠本憲吉、種村季弘、杉浦幸雄、永六輔、和田誠……。凄いですね!
刊構成は第1巻のウィスキーから色々な酒にちなんだ知識やエッセイが満載です。
制作はサントリー宣伝部から会社になったサン・アドが担当していました。
しかし、今回蔵出しをして全然中身を読んでいないことに気が付きました。なんせ、開くとページがバリバリと割れてくるので読めませんでした。

敬愛する植草甚一(第18巻)「蒐集家の散歩道」の第1章「ボタンと天皇陛下」を読んでいたら、あぁ気が付かなかった! 推理作家レックス・スタウトのことを書いているじゃあ~りませんか!
レックス・スタウトと言えば、私立探偵ネロ・ウルフの作者でございます。
そして、ネロ・ウルフこそハルコあこがれのライフスタイル!!
『グルメ探偵ネロ・ウルフ』シリーズが、CSのMysteryチャンネルあり、ハルコは楽しんでいるのです。
好きなもの、美食と蘭。嫌いなもの、仕事と外出。がネロ・ウルフのモットー!
美食家で料理にうるさく専属の料理人フリッツ・ブレナーを雇っているのですが、毎回食事シーンやお酒を飲む場面が旨そうなのです。
いや、たまには虫干ししてみるもんですね。今日はネロ・ウルフをお供にスコッチで!

●と、言いつつやはりハルコは「日々是甚六」
名物「玉子の稲荷揚げ」日本一(ハルコの個人的感想)丸干しがんぼう!

2011年10月22日土曜日

肉が好き…4 肉食への禁忌(下)

ハルコが雑誌(日経おとなのOFF誌上)で料理修行をしていた時に、肉を素材として使用した順を調べてみました。鶏肉4、豚3、牛、羊、各1回の登場でした。
鶏肉が多いのは、和洋中まんべんなく使われていたのと、扱いやすい食材だということですね。
実は、この順は家庭でよく登場する食肉、という順にもなります。ところが食べたい肉の順番だと、牛肉がトップになります。
日本はあまり宗教的なタブーもなく、“自由気ままな肉食文化”を享受しています。世界の地域によっては、もっと沢山の種類の畜肉や獣肉が食されていますが、ハルコの修業では一般に入手可能な肉を選んでいるので、鶏、豚、牛、羊といったものが主流でした。
豚肉は、もう庶民の料理では定番的なポジションですが、時代や地域でどう扱われてきたのでしょうか。中国宗代の書物に「豚肉は猫の餌」と言うのがあります。
上等な肉は羊肉で、豚肉は下等な肉と見られていたのです。これには、遊牧民族である匈奴族の南下が影響されているという説があります。しかし、下等と言われようと庶民は安価な豚肉を食べ続けていたのです。
また、近東を中心としてユダヤ教やイスラム教が色々な理由で豚肉を禁忌食として、食物自体から排除されているのは現在も続いているのはご承知のとおりです。
「太った豚より、痩せた狼になれ!」と言った大先生もおりましたが、食材なのに豚くらい迫害を受けた動物は他にあるのでしょうか?
牛は神の遣いと言って尊敬される地域があるのに、豚はその形状のみで疎まれていたのです。肉世界のいじめと格差社会ですか。
しかし一時期BSE問題で牛肉、鶏インフルエンザで鶏肉が敬遠され、一挙に豚肉の地位が向上してきましたね。
ブランド豚なども色々と開発改良され、スペイン産イベリコ豚が輸入されるようになると、日本では豚肉が上等な食材としても大変認知されました。
豚肉好きのハルコとしては、豚の社会的地位の向上は嬉しいのですが、はたして食べられる運命の彼らは何と思うのでしょうか。

●18年ぶりのRossi
オクサマから誘われて、9月18日に六番町にオープンした「Rossiロッシ」に出かけました。今から18年前(1993年)に六本木で同名の店がありました。
オーナシェフの岡谷文雄さんとは18年ぶりの邂逅です。岡谷さんはあまり変わっておりませんでした。その当時の六本木の「Rossi」は客にも料理人やワイン関係者の多い独特の店でした。
ちなみに1993年にオープンしたレストランは、「ル・マエストロ(ボキューズ)」「アラジン(川崎誠也)」「アンフォール(五十嵐安雄)」「オ・コション・ローズ(井上知城)」「ラ・ビーナス(大淵康文)」らの店が立て続けにオープンした年でもあります。毎週どこかに新規のレストランが出来て東京を駆け巡っておりました(あぁ、バブルやねぇ)。ちなみに翌年は恵比寿に「タユバン・ロブション」が開店してます。

市ヶ谷駅から日テレ通りを上がり、少し横丁に入った地下のレストランです。
カウンターも合わせて22席の小さな店です。カウンター好きなハルコとオクサマは、「うん、京都の町屋の店みたいね」。沼津の地ビール(独特の苦みとコク)からスタートして、ワインは自然派のデギスタシオンで数種類。12種類のアンティパスティ(お見事)冷製パスタはハルコの大好物トリッパのジェノベーゼと温かいラグーのパスタ、イチボのステーキにドルチェ。そして、グラッパ。
フェリチタ(2000年)には行っていないので、本当に18年ぶりの料理でした。実直までに手抜きをしない姿勢は、現在の若い料理人には学んで欲しいと思うのです(まぁ、ハルコ偉そうに!)。
がんばれ、岡谷文雄さん


2011年10月21日金曜日

肉が好き…3 肉食への禁忌(上)

ハルコは長年疑問に思って、スッキリしないことがあります。それは、肉食に対する人の考え方の違いです。
神の使いだからとか、けがれれているからとか、食ったり食わなかったりと、もういや、わかんなーい、と夜も眠れません。色々と事情はあるでしょうが、最初に「ダメ」と言った人の好き嫌いじゃないのかと、ハルコは勝手に思っています。

日本でも、江戸時代が一番肉食に対する禁忌があったようなイメージがありますが、正確には天武天皇による「畜生の殺生禁断令」天武3年(674年)に発せられ、驚くなかれ、明治5年1月24日明治天皇が「自ら膳宰に命じて」牛肉を試食するまで、1200年間も、肉食をしてはいけなかったのです。知ってました?
「肉食はダメ」という仏教的思想の考え方から、やがて日本民族の多くは、「けがれ」という意識が広がり、肉食を否定する国になってしまいました。と、言っても本音と建前の民族性でけっこう肉食をしていた人々もいたようです。
例えば、あの水戸黄門も、肉食をしていたとの記録があり、徳川御三家の紀伊藩藩邸跡から、大量の獣肉の骨が発掘されています。発見されたのはごみ捨て場から鹿、牛、馬、野兎などの骨です。どんな理由で食べていたかと言うと、表向きは薬の一つとして食べていたのですね。それらを買い付けていたのは、「獣店(けだものだな)」「ももんじ屋」と言われる種類の店です。ちなみに「ももんじ」とは、バケモノと言うような意味があります。
最も古くから食べられていたのは「猪肉」です。古代では肉の総呼は「しし」と言っていたのですが、区別が付きにくいので「いのしし」とか「かのしし(鹿肉)」と称したのです。猪肉は別名で「山鯨」とも言います。鯨は魚の種類と思われていて、猪肉の味が鯨に似ていて、「やまくじら」と隠語で表されています。また、「牡丹」と植物の名前で呼ばれているのはご存じだと思います。馬肉は「桜」、鶏は「柏」、鹿肉は「紅葉」などで現在も名前として残っています。

●柴又で撃沈!の巻その2
柴又山本亭での撮影が意外にスムーズに行き、予定時間より早めに終了!(やった!)
で、考えることはただひとつ。ビールがハルコを待っている!


と、いうわけでマッコリOさんと一緒に、柴又帝釈天「かなん亭」へ繰り出し、生ビールでGO!(グビツ! ゴクゴク!)
ハルコは生ビール、升酒二杯、ラムネサワーでご機嫌! マッコリOさんは生ビールの後はサワー専門(サワー片手に焼き鳥をぱくつくマッコリOさん。ちなみにマッコリマニア)。残念ながらマッコリはありません。焼き鳥、モツ煮込みがうんまい!! へろへろで帰りましたが、いや、まいりました。ハルコ帰りの電車で寝てしまい、ここは、どこ!? 夜中に小腹が空いて“小旦那”様にいただいた「高木屋」の草だんごで1日の〆でした。あぁ、長い1日だった。

2011年10月20日木曜日

肉が好き…2 フランス料理と羊

一時羊肉がブームになったのを覚えてますか? お肉の中でも、羊肉はヘルシーで太らないという理由で、随分流行したかと思いますが、それは何だか年伝説めいてますね。
肉の脂身にはそれぞれ違う融解温度があるのです。融解温度というのは、ある一定条件で熱を加えて脂肪が溶け出す温度のことですね。
豚肉の脂身は28℃なので口に入れるだけで溶け出します。まぁ、お弁当に冷めて入っていても食べると溶けて具合が良いですね。
同様に、鶏肉の脂身は30℃牛肉は40℃で溶けますが、羊肉の脂身は44℃以上にならないと溶解しないのです。つまり、羊肉はいくら食べても体内の脂肪は溶けずに体外へ排出されるので、太らないと思っていたのですね。
25年以上前に、仕事でオーストラリアとニュージーランドへ行きました。飛行場の近くの丘に白い花が一面に咲いているのかと思ったら、それが全部でびっくりしました。
羊の牧場に行き取材しましたが、真冬に牧場で羊毛が刈られ、丸裸になって、こんどは中近東に肉として売られると聞いて哀れを覚えました。ところが、そのくせ夜になると羊の脳みそまで食べて、旨いなどと罰当たりなことを言っていたのです。

今回は、そんな羊のフランス料理での名前のお話です。
まず、動物の羊は英語で「シープ」、仏語では「ムトン」。それが、羊肉(生後300日以上の去勢雄羊)になると英語で「マトン」、仏語では「ムトン」。スペルが少し違いますが、読み方は似ています。
仏語では、仔羊も仔羊肉も「アニョー」と呼び、英語では「ランプ」といいます。最近は、仔羊肉をすべて「ラム」と言ったりしますが、本来は間違いで、「ランプ」が正しい表記なのです。
そもそも、ラムとは雄羊のこと。雌羊は脂肪の多い肉質で匂いが強く、食用としては好まれません。仏語のラムに該当する名称は「ベリエ」といいます。雄羊のベリエは、「ムトンマール」という別称もあります。
羊料理に使う肉は、基本的には雄だけです。その中でも最高の評価を受けているのは、生後100日までの仔羊。モーゼに導かれたヘブライの民がエジプト脱出に成功したのを祝って、復活祭に仔羊を神への生け贄にしたのことでも有名です。
ちょうどこの復活祭がある時期は、離乳前の仔羊の生育とに重なります。これを乳のみ仔羊「アニョード・レ」として最大の賛辞を受ける肉料理になります。
その中でも、ブルターニュ地方とノルマンディー地方境界部の浜辺の牧草地(プレ)に、塩気(サレ)の付いた牧草を食べた雌羊の母乳を飲んだ、「アニョード・プレ・サレ」は珍重中の珍重です。
羊は料理や名称の多さだけでなく、西洋文化の中でも奥深い意味を持つ動物なのです。

●柴又で撃沈!の巻 その1
柴又の山本亭へ撮影に行きました。山本亭は、伝統の書院造と洋風建築が和洋折衷し、見事な融合した建物と庭のある建築物で現在は葛飾区が管理公開しております。
良い天気でロケ日和です。いや、寅さんこんにちは。帝釈天様よろしくお願いします。
山本亭はNHKの『美の壷』でも登場した場所ですね。ハルコはつくばいで一休みです。

お庭ではフードスタイリストの城みゆきさんが、楽しくピクニックシーンをスタイリング中です(日々是ハルコ哉。にも城さんブログリンクしてます)。お昼は美味しくちらし寿司をいただきました。いや、ロケは良いですね。でも、その後…明日に続くのだ!!