2011年9月29日木曜日

食の本とエスプリ…3 古川緑波(中編)

ロッパは華族の家に生まれましたが、父親の加藤照麿男爵の「嫡男以外は養子に出す」という方針で養子に出されました。やはり一般庶民とは違う食生活をしていたようです。
随筆の中に、ロッパが早稲田大学1年の時菊池寛に誘われて、銀座の“エーワン”というレストランで食事をする話があります。1922~3年の頃でしょうか。この頃は大正デモクラシーの最後の時代で、日本はおだやかな時期でした。「一粒300m」のグリコが発売、週刊朝日が創刊され、丸ビルが完成した頃でした。
その時代の三大洋食は、ライスカレー・コロッケ・トンカツでした。

菊池寛が“エーワン”で選んだメニューは「スープ、カツレツ、ライスカレー」 ロッパもそれにならって同じ物を食べていました。
まさに、当時の人気メニューを食していたのですね。ロッパはその後に、ババロワとソーダ水を飲み、「ああ何と美味というもの、ここにつきるのではないか!」と書き記し、「その後数日間、何を食っても不味かった。」とまで言い切っています。よほど、美味しかったのですね(想像していたらお腹が空いてきました)。
ただ、“エーワン”の料理は1人前五円以上。現在の価値観と比較するには非常に難しいですね。
当時の1円を5000~10000円で計算して、一人当たり4~5万円弱相当でしょうか。
ロッパは到底自前では食べに行く事が出来ない、月に1000円の月収が無いとダメだと考えました。現在だと月収500~1000万円の高給取りですね。

その後、ロッパは菊池寛の元を離れて役者になり、月収が1000円になり、再び文芸春秋社に菊池寛を尋ねて来たのが10数年後のこと。戦争も始まり、段々大変な時代に突入しました。
ロッパ曰く「僕は、ああいう美味いものを毎日食いたいと思って。努力を続け、暫く、それ位のことが出来るような身分になりました。ところが、何でしょう先生(菊池寛)、食うものが世の中から消えてしまいました」……。
ロッパの飽食の後の哀しくも面白い『悲食記』ですね。

あらためて『ロッパの昭和日記』にパラパラ目を通してみました。なんせ、全部で3500ページ以上の大作です。ロッパはかなりハルコと食の嗜好が似ているような気がします。
特に肉が好き、カツレツ、シチュー、叉焼、角煮、ローストビーフ、ステーキ、すき焼き、串揚げ……。
こってりした味が好き、ウィスキーが好き(ただしロッパは蕎麦が嫌い、ハルコは蕎麦好き)、人の倍は食べる!あぁ、どんどんお腹が空いてきました(こんなブログを書いている場合ではありません)。
では、ご飯を食べに行くので話は明日へ続く。

●ノリピーさんの写真
この写真はノリピーさんこと、武田倫子さんから送られてきたものです。ノリピーさんはウィーン在住で、取材などのアテンドをしております。ウィーンに行くたびに、ノリピーさんには大変お世話になっております。
多趣味な方で山登りと写真もそのひとつです。写真はダッハシュタイン連峰(標高2985m。撮影は8月だそうです。
この山の向こう側は、世界遺産で有名な、美しい湖のあるハルシュタットです。

『王妃マリーアントワネット 美の肖像』(家庭画報篇・世界文化社)
ノリピーさんが編集協力と執筆された本です。書店でお見かけの際はお手にとってください。

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