2011年9月8日木曜日

混ぜて食べる。混ぜないで食べる。……深い溝の話 その3

周りの知り合いを見ていると(年齢が高いせいか)、混ぜて食べることに抵抗のある方が多いような気がします。
たいがい小さな時の躾が、そのまま現在の食生活へ反映されていますね。
ご飯を食べる時に白い部分を汚さずにきれいに食べる。うむ、潔癖ですね。
日本の食のマナーは、13世紀に道元禅師が著した『赴粥飯法(ふくしゅはんぽう)が基本となり、その後、小笠原礼法などへ発展したものです。
“赴粥飯法”はそのまま“粥の食べ方”なわけですが、曹洞宗では食事作法は大変厳しいものです。
『威儀即仏法 作法是宗旨(いいぎそくぶっぽう さほうぜしゅし)と何だか厳めしい表現ですが、つまり“威儀”が大切なことなのです。えっ、威儀を正してご飯を食べても美味しくはないだろうって?
まぁ、禅宗では食作法自体が修行なのですね。その中で簡単に書くと「かき混ぜない、具とご飯は交互に」……とあります。
これを原点に武家の作法等が発達して、長い間に日本人の食の常識になるわけですね。

話は少しそれますが、混ぜる、混ぜないという行為は、ヒンズー教徒やイスラム教徒ではないので、通常は指ではなく、箸や匙を使いますね。
道元禅師の食作法には“応量器”という入れ子の器に箸と匙が付いています。ご飯とは違って粥は箸では食べにくいので匙で食べるわけです。
また、食べる際の食器が膝の位置にあるので、当然器を持って口に運ぶようになりますね。これが、朝鮮や中国になると食器自体を持って食べるという行為は“路上で食べる”のと等しい意味になります。
それに、日本食は匙を常用しませんね。必然的に汁ものは器を口に付けて飲むのですが、国が違えば超無作法な行為ですね。

元々箸は、ピンセットのような形状でつまむことを主体としており、それ自体で食物を口に運ぶことはなく匙で食べていたのが、現在の箸が主体の食文化になりました。
箸では、混ぜるという行為は難しいですね。その点、匙は汁も具も簡単に掬えて混ぜやすいので、そのまま口に運ぶのにも便利です。
しかし、日本の食卓は箸が主体になり、匙は特別な時のみの登場になってしまいました。その分箸使いの精度を高めたことで、混ぜるという行為が否定されてきたのは、あながち間違いではない様な気がします。

●ハルココレクション


銅に革張りの蒙古刀

今を去ること20数年前に、タイに旅行に出かけた際に購入したものです。タイの北部・ミャンマーの国境近くでしたね。
鞘に蒙古刀と箸の組み合わせです。これに、ピンセットと火打石の付いたセットもあるようで、腰にぶら下げて携行出来る様になってます。箸という文化も、国によって随分違いがありますね。

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