2011年9月7日水曜日

混ぜて食べる。混ぜないで食べる。……深い溝の話 その2

ビビムパプに代表されるように、韓国(朝鮮半島)ではず~っと混ぜるのが普遍的だと思っていたのです。
が、以前紹介した『韓国食生活史』(姜仁姫著)の中の、18世紀後半の『青荘館業書』のシリーズ『土小節条』(イ・ドクム1741-1793)という本の中に“両斑(ヤンバン)”(朝鮮王朝での特権階級)のマナーとして、してはいけないことを多くしたためております。
その中で「濁った汁をご飯にかけてはならない。雑多に混ぜ合わすのはよくないからだ」と書いてありますが、逆に言うと雑多に混ぜ合わせて食べる人が多い、ということではないでしょうか。
両斑階級は厳しい儒教の教えを根底としているので、礼儀作法や習慣の規律が強いのです。
その当時の身分制度は、簡単には説明しにくいのですが、王侯貴族の下に両斑・中人・常民とあり、最下層の賤民に奴隷と奴婢がおりました。

韓国の時代劇ドラマで『斉衆院(チェジュンウォン)というのがあります。
朝鮮王朝末期に、先ほどの身分制度の最下層奴婢の中で“白丁(ペクチョン)”(動物の屠殺従事者)が、身分制度を乗り越えて医者になるという感動的なドラマです。
その主人公が医者となって病院で食事する際に、汁の中にご飯を入れて食べようとすると、他の両斑階級から「白丁は食べ方の作法も知らないのか!」となじられるシーンがあります。
確かに身分制度の中で、食べる作法というのは判りやすいですね。
飢饉が頻繁に起きていた時代には、食べること自体が大変なわけで、最下層の人々の食事は、自ずから汁で増量した穀類や山菜などに、可能な限りの食材を混ぜ合わせて食べていたのだろうと想像出来ますね。
しかし、ビビン=混ぜる食文化にはもっと深い理由があるのです。

ビビンパプ自体は文献では1800年代に出てきたのですが、当然それ以前から存在していたものと思います。
日本の“ハレ”“ケ”と同じ様に朝鮮半島でも祭祀に伴う食事と、普段の日常の食事は別のものでした。
先祖を奉る祭祀に供物を供えて、祭祀が終わった後にその供物を一つ残らず皆で食べました。
その際に、ご飯にありとあらゆるおかずを混ぜて食べ、食を神と分かち合う「飲福(ウムボツ)と言う習慣が、ビビンパプとして変化したのではないかと考えられます。
そすると、前出の両斑のマナーは形骸化したつまらないものにハルコは思うのですが。えっ、自分のきたない食べ方を無理やり正統化しようとしている?
ハハハ! その通りでございます。
では、日本の混ぜる食文化はというと……。
(つづく)

●六義園
週末の2日間は早朝散歩を実行しました。珍しくオクサマも一緒でございます。ご近所ではまだ朝顔が咲いていますね~。
足を伸ばし、駒込の「六義園(りくぎえん)まで散歩です。


「六義園」徳川五代将軍綱吉の側用人柳沢吉保の下屋敷ですよ。
名称の「六義(むしこ)歌人紀貫之の『古今和歌集』の序にある言葉で、庭園全体が和歌で構成されております。ハルコは年に4、5回出かけています。









●日々是甚六。
甚六当日看板メニュー。ほとんど食べていないのはないなぁ。
この頃は裏メニューのペッパーチャーハンも表になりました。


甚六の新メニューでございます。永谷さんチヂミ(700円)です。
新境地でしょうか? 油揚げピッッア抜かれるか。


左/ハルコ曰く、甚六の丸干しは日本一!!
右/ハルコボトル。韓国バージョンでございます。

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