2011年9月24日土曜日

『随園食単』から…その1 袁枚とブリア・サヴァラン

『随園食単』を知ったのはもう大分前のことでした。
とある雑誌の編集者と、雑誌で中国料理の特集を組むための打ち合わせの最中のことです。
雑談の折に、『随園食単』の中ではという話が出たのです。しかし、『随園食単』はその当時は絶版状態でした。
古書店で単行本を見つけたのですが、とても高い値段で買えませんでした。
ハルコがよく利用する古書店は神田神保町の「悠久堂書店」です。
相当数の料理や食関係の本が多数有るので、まず悠久堂、その次に三省堂と廻ります。
その悠久堂で捜していた『随園食単』があったのです。
ただ、やはり、文庫本でも元値の10倍くらい高かったことを覚えてます。
帯には「西のサヴァラン、東の随園、中国は清代のこの食通詩人がものにした“垂涎の書”……」と、コピーが入っております。

この『随園食単』は中国料理のバイブルとまで言われている本なのです。
作者は中国清王朝の初期、康煕54年(1715年)杭州に産まれた袁枚(えんばい)
82歳で没したので、日本では徳川家継、吉宗、家重、家治、家斎の時代を生きた人です。
清王朝の康煕帝(1722年まで)と次の皇帝の時代は非常に平和で安定した時代でした。
皇帝の康煕帝は清国を作った満州族の皇帝の中でも傑出した人物なのです。
康煕帝の父は満州族ですが、母は漢軍八旗の出身、祖母はモンゴル人で、康煕帝には満、漢、蒙の3つの血が流れている上に、満州語、漢語、蒙古語が自由自在に操れたのです。
そんな時代の中で、袁枚は官吏を辞めて南京の土地(地方官時代に購入)で「随園」という庭園を営み、詩人・流行作家として名声を高め、晩年70歳を超えてから著した本が『随園食単』なのです。
やはり、読んでいていてもゆとりの無い時代には書けない本だと思います。

『随園食単』の内容は、当然中国料理が中心ですが、食材の特性やレシピに該当するものの他に、料理と食材の取り合わせの可否から料理人たるものの心得まで、幅広く書かれております。
『随園食単』ブリア・サヴァランの『美味礼賛(味覚の生理学)』とよく比較されます。
袁枚が70歳で『随園食単』を著した時に、ブリア・サヴァランは31歳。この二人は東西を隔てて同時代に生きた人達でですね。そして、『美味礼賛』はブリア・サヴァランの没する前年、1825年の刊行です。
文明の中で、同時代人が別の場所で同様なことを考えてシンクロするというのは、偶然ではなく必然なのでしょうか。
文明のシンクロに関しては『南蛮幻想ーユリシーズ伝説と安土城』(文藝春秋1998年)を著した井上章一教授の説があります。非常に想像をかき立てられる面白い著作です(食の本ではないのですがご興味ある方はご一読を)。
袁枚とブリア・サヴァランから約200年後にこの二つの偉大な書物を継ぐ現代版『随園食単・美味礼賛』が、エルヴェ・ティスによって新たな時代の食のバイブルになるのです。
(次回につづく)

●面白い恋人
このゴーフルはハルコブログ担当(管理者)の峯岸嬢のお土産です。ありがとう!
オクサマも笑っておりました。昨年から有名な商品だったそうですが、ハルコは知りませんでした。販売元は吉本ですが、本家北海道の「白い恋人」九州土産の「赤い恋人」…もう、商魂逞しいですね。大阪じゃないと出来ない商品ですね。
ゴーフルの中のクリームはみたらし味!! いや、脱帽でございます。

●今週も「乃池」
またまた、乃池さんにお邪魔してます。気温が下がって来た方が、すし飯は断然よくなるようですね。

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