2011年8月31日水曜日

程の良さ考 その1

8月8日にブログ「日々是ハルコ哉。」開店から21回目、明日から9月ですね。
今年の夏はなんとか乗り切ったのでしょうか。
この所頭の中に「程(ほど)」という言葉が浮かんでは消え、浮かんでは消えと繰り返しています。
「程」にも色々な意味はありますが、ハルコの意識としては“塩梅(あんばい)”“具合(ぐあい)”“釣り合い(つりあい)”的な意味です。

なぜこの言葉が気になるのかというと、やはり食絡みなのです。
毎月1回通っていた鮨「はしぐち」が移転のために11月までお休みになります。
ハルコとオクサマは、実は二人とも鮨が大好きなのです。
確かにフレンチ、イタリアン、日本料理、中華……何でもいただいておりますが、鮨は別格なのです。
色々な素材を各種調理法で順番にいただく。これは料理の流れで一番多いですね。
前菜や突き出しから始まり、メインに行き着き、食後のデザートで締めくくる。
当然それは料理を提供するする側が工夫を凝らして、味が重ならない様に、飽きないように考えてますね。
鮨は鮨飯を握って魚介をのせて食べるだけ。なんとシンプルな料理でしょうか。
天ぷらも「油で揚げる」という1つの行程で調理されることを考えると、鮨に近い部分もありますが鮨よりも幅はありますね。
客は食べたいものを、食べたい量だけ食べる。これが他のジャンルだと難しいですね。
ちなみにハルコは、最初にかんぴょう巻きを食べるのが大好きで、時には最初・中締め・終いと3回食べては、オクサマやお店の方が呆れかえっております。はい。

さてさて、また長くなりそうな気がしますが、本題「程(ほど)」のことでございます。
フランス料理には、料理の質と価格のバランスが程良くなっているのを表現する言葉で「Qualite Et Prix(カリテ・エ・プリ)」という言葉があります。
これは、非常に重要な食の方程式です。

高くて旨いは当たり前(じゃ無い店もありますが)、高くて不味い(論外)この辺は理解しやすいです。
では逆に安くて不味い(お好みで)、安くて旨い(皆の望む所ですが)。
そして、高くも安くも無く味は程々。これが、実は一番難しいとハルコは考えてます。
高価な食材を安くして、旨さを売り物にする店は多いですが、存外、本当にそうかどうかは当たり外れのあることです。
天の邪鬼なハルコは、はなから疑ってしまいます。こんな材料がこの値段…何かあるのでは?
それでも、多くの人がそれに釣られて押し寄せますね。
何だか、良くても(相当努力していると思いますが)どこかで歪んでしまっているのではないかと思ってしまうのです。程が良くないと感じる次第ですね。
(つづく)

●日々是甚六。時々、ゆめき
場所は巣鴨駅から程(また、ほどですよ)近い場所に、京風和洋菜「ゆめき」があります。
甚六の強敵です。
なにせ、「甚六」はハルコの事務所の近く、「ゆめき」は自宅の近くと、地の利があります。
ご主人は京都出身で、お姉さんは京都で(と、言うより京都が本店!)でおばんざい「ろここ」という店を、四条通りから少し入った綾小路で営んでおります。
京風から洋風の総菜まで幅広くあり、ハルコは結構お気に入りです。
ボトルキープは3ヶ月までですが、まだハルコのボトルがあったんですね。
〆の目玉焼き入りの焼きそばが大好きです。

2011年8月30日火曜日

ジャン・ドラヴェーヌ 三題話 その3

フランスから帰ってきた日曜日に、横浜中華街でランチを食べておりました。
選んだ料理の一つが“冬瓜と蛙の炒め物”でした。
一口、口に入れた瞬間あっ、と思いしたのです。「この食感、味…。うむ、最近どこかで食べたような気がする」
はた、と思い出したのは、1週間前にパリの「レガン」で食べた“Tête de Veau(仔牛の頭肉)"でした。
確かにどちらもゼラチン質が多く、似たような感じではあります。
が、どうも腑に落ちない。なんだろう、この不思議な胸騒ぎは……。
判らない思いを抱きつつ、ドラヴェーヌさんのことも味のことも忘れておりました。

さて、ここで食関係の方に読んで欲しい1冊のコーナです。
まぁ、これも古い本ですね。初版は1982年でハルコの持っているのは1984年(五版)です。
『食の味、人生の味 辻嘉一 小野正吉』(柴田書店)という対談集です。
ご両人とも故人になりましたが、辻嘉一さん(1988年没)は京都の懐石料理店「辻留」のご主人。小野正吉さん(1997年没)は、ホテルオークラの名総料理長。非常に面白く含蓄のある本です。
『食の味、人生の味 』入手可能なら一読お薦めの本です。背筋がぴしっ、と伸びる対談です。特に料理人を目指す人には大変参考になると思います。

そ、そして……見つけたのです!! ジャン・ドラヴェーヌさんの話を。
小野正吉さんがジャン・ドラヴェーヌさんををオークラに招いた時の話です。
NHKの「今月の顔」という番組にジャン・ドラヴェーヌさんが“味の大使”というキャッチフレーズで出演していたのが、1984年9月のこと。
ということは、ドラヴェーヌさんが来日していたのは1982年以前ということですね。

さて、その対談に小野正吉さんが「ドラヴェーヌさんが、オークラに来たときにね、中国料理の「桃花林」で、二日でも三日でも働かせてくれって、白い服持って来て調理場に入ったんですよ。彼らは香港・中国にも行っているようですしね」
この部分で、何だか判らなかった輪が完結したのです。

アルザスの“牛の頭肉”から始まり、ドラヴェーヌさんの“仔牛の頭肉”に行き、そして、横浜で食べた“冬瓜と蛙”がフランス料理から中国料理へとヌーヴェル・キュイジーヌで融合したのでした。
それというのも、この『食の味 食の人生』に巡り会えたからですね。

●イノサンク
ハルコのお友達の料理研究家・木村伸子先生のスタジオで食事会をしました。先生は武者小路実篤さんのお孫さんのお嫁さんです。
当日はフィレンツェの池田夫妻、中国茶の秦さん、家庭画報のFさん、ネスレのSさん、三越伊勢丹研究所Sさん、それにオクサマ、ハルコで大変楽しく過ごさせていただきました(食べ過ぎた)。
先生の料理の幅と奥行きは凄いですよ。是非先生に料理を教わりたい方はイノサンクまでご連絡ください。

2011年8月29日月曜日

ジャン・ドラヴェーヌ 三題話 その2

ムッシュ坂田幹靖とパリは左岸アンヴァリット近くで待ち合わせし、ランチをしに「Regin(レガン)」に向かいました。
このオーナこそ、今回の表題となったジャン・ドラヴェーヌ(Jean Delavene)その人でございます。

ドラヴェーヌさんは、1957年にパリ郊外にブージバルに「カメリア(Cameiia)」を構え、「シンプルな料理」の提唱をし、元祖ヌーヴェル・キュィジーヌとも呼ばれていた料理人です。
1963年ミシュラン1つ星、1972年には2つ星で「ゴーミヨ(GAULTMILLAU)」でも高く評価されていました。
そして、1985年に現役を引退していましたが、1991年にパリのアンヴァリットの近くにレストランをオープンしたのです。
また、ドラヴェーヌさんはジョエル・ロビションを導いた、魂の父とも呼ばれていました。
ムッシュ坂田が「レガン」開店の情報を得て一緒にとのお誘いでした。

昼時なのに客は老人二人とハルコ達のテーブルのみで、ちょっと寂しい感じ。
オードブルは“温かなジャガイモとタラのエストラゴン和え”で、アントレはアルザスでえらい目にあった牛の頭の肉をまたまた見つけ、“Tête de Veau"(こちらは仔牛)を懲りずにオーダーしました。
この頃は胃袋も元気でなるべく同じ素材の食べ比べをしておりました。
アルザスの料理に比すると繊細な味わいで、旨い(が、この時ある事に気が付いておりませんでした)!
デセールにも非常に満足したのでした。

ムッシュ坂田がメートル・ド・テールにドラヴェーヌさんはいないのかと聞くと……な、なんと、二人の老人の一人がご本人だったのです。
いや、びっくりしました。

ドラヴェーヌさんと一緒に記念撮影をして、当日のカルト(メニュー)にサインまでしていただいたのです(写真:これはハルコの宝でございます)。
なにせ、レガンはわずか半年で閉めてしまい、ドラヴェーヌさんはお会いした4年後(1996年)、77歳でお亡くなりになりました。
ここから、話は東京に戻った日曜日の横浜中華街に飛びます。
(つづく)

●ドラヴェーヌさんのサイン
この額の写真はドラヴェーヌさんから当日のカルト(メニュー)にサインしていただいたもので、記念撮影もお願いしました。



●オクサマのポテサラ
先日料理写真家渡辺七菜さんからいただいたジャガイモを、オクサマがポテサラにしました。オクサマ曰く「料理させたらオクサマの方が上手なのよ。ブログに載せなさい!」ハイ。




2011年8月27日土曜日

ジャン・ドラヴェーヌ 三題話 その1

世の中には不思議な”縁(えにし)”があるもんですね。
今回はそんなお話です。

話は1992年の1月のことです(すみません。年を取ると昔話しかしません)。
年末年始にフランスで過ごし、アルザスの「Auberge  de  l'll」で食事をするためにパリからストラスブールに来ました。
コールマールという街で、アルザスワインのジャン・メイヤーさんに迎えに来てもらい(アルザスを代表するジョス・マイヤーのシャトーオーナで当時はアルザスワイン協会の会長)、シャトー(ヴェンセントハイム村)を案内してもいらいました。
コールマールで昼食をして、ヴィンターリンデン美術館で、一度は観たかったグリューネヴァルトの「イーゼンハイムの祭壇画」を鑑賞してブラブラしておりました。

夜は地元の居酒屋レストラン「Au pont du Corbeau(オー・ポン・デュ・コルボー)」(これも、ジャン・メイヤーさんに予約してもらいました)がダブルブッキングしてしまい、しかたなくカテドラルの前のホテルのバーで待って再度訪れると、他の客を入れていて再々待たされること30分。
隣の客同士の肩がぶつかるくらいの狭い店で、ハルコはメインに”Tête de Bouf(牛の頭肉)"をオーダーしました。これは地元の人気料理で、厚さが1cmもある”トクホン大判サイズ”が4枚分もあり、付け合わせのジャガイモはタマネギや香草のたっぷり入った酸っぱいソースで食べたのでした。
最初は、舌の上で熱々のゼラチンが質が溶けだし、この上もない美味でした。が、段々冷めてくると、こんな不味い料理が有るのかと思ってしまう味でございました。
はっきり言ってトクホン大判4枚を5分で食べないとこの味の真価は判らないのです。神様はハルコに少しの後悔と胃もたれを与えたのでした。

さて、アルザスからパリに戻り、友人のフランス料理シェフ(ムッシュ坂田幹靖さん)と待ち合わせて3日連続連夜飽食をすることになっておりました(いや、若いって素晴らしいですね。今、こんなに食べれませんがなぁ)。
そして、今回の話のパリでムッシュと行った二つ目のレストランが中心になるのでございます。
(長い前振りですみません。つづく)

●クールにて
ハルコの大好きなブラッスリー・クールでございます。
菊地シェフ、毎度ありがとうございます。ジビエのシーズンが楽しみですね。



2011年8月26日金曜日

姜 仁姫『韓国食生活史』を読む

ハルコが読んだ、あるいは資料として重宝している食関連の本を取り上げます。
第1回目は北大路魯山人『料理王国』でした。
どの食らい続けれるかは不明ですが、100冊くらいは取り上げたいと考えています。

2冊目は姜 仁姫(カン・インヒ)著『韓国食生活史』(藤原書店)です。もう10年以上前に発行されたものなので、もしかしたら絶版かもしれませんが…。
韓国(この場合は朝鮮半島ですが)の原始から現代までの食生活通史です。
食にまつわる仕事をしていて、食の歴史を知るということは重要だと考えています。
現在に繋がる”今”のルーツはどこから来ているのか。そして、どこへ行くのか、その答えは歴史の中に隠されています。

朝鮮半島と日本の料理は非常に似ている部分と、何だかパラレルワールドの様に似て非なる部分と、まったく接点の無い部分があります。
ハルコが特に関心のあるのは、似通っているけれどズレ(差異)のある部分です。
毎週CSの番組で「KBS WORLD」という韓国の国際放送の「韓国人の食卓」という番組があります。韓国より2ヶ月くらい遅れての放送ですが、これは非常に面白いのです。

韓国の渋い名優チェ・ブラムさんがレポート案内役です。韓国のそれぞれの地域に根付く料理の歴史と、現在の実情を判りやすく紹介しております。
ある意味、韓国版スローフード的な内容もありますが、祭司だったり行事や季節、また民間伝承など、視聴している時はおのずと、日本の食文化とも比較してしまいます。
奥深い山里に自生している山菜を採取したり、逆に海の近くでの古来からの生活等々。食文化の相違と類似点を興味深く見ております。
その際、もっと詳しい背景を調べたい時に活用しているのが、『韓国食生活史』なのです。
その他に李 盛雨(イ・ソンウ)著『韓国料理文化史』(平凡社)も役立ちます。
ご興味有る方は捜してみてください。

●ハルコ・マトリョーシカ
数年前にロシアに旅行に行った際に、マトリョーシカを作っている村へ行き、体験絵付けしたものです。
片方はオクサマ作です。

2011年8月25日木曜日

だしに始まり、だしに終わる……長~~いお話。その7

だしポットから始まった野崎洋光企画は、貝印商品として、電子レンジ対応の「電子レンジ磁気鍋」「一合炊飯鍋」「一膳炊飯碗」「かんたん漬け物ポット」を作りました。
すべて白地のシンプルな磁器製品です。百貨店で野崎さんがデモンストレーションする時に野崎さんのお手伝いも何回かいたしました。

とんでもない失敗もありました。
新宿伊勢丹本店で「電子レンジ磁気鍋」のデモンストレーションの際に電子レンジに入れて料理を作り取り出す際に手が滑り、磁器を落としてつまみの部分を壊してしまいした(あぁ、恥ずかしい~~)。

また、福泉窯の「野崎洋光くらしの料理器シリーズ」では、「蒸鍋」「納豆鉢」「鮨千代口」「水だしポット:「オリーブオイル器」「味見千代口」等の商品化を行いました。
ビッグサイトでの展示会出展や東京、名古屋、大阪へのバイヤー・問屋への売込み営業にも同行したのでした。
手探りで商品化しながら、顧客に沿うモノ作りの大変さは身にしみました。
でも、その根底にあるのは野崎さんの家庭料理と食育運動の一貫で、よりよく家庭で料理してもらうという姿勢は現在でも変わっておりません。
その根底は”だしを取る”という基本からの出発で、まただしに帰って来て循環するテーマだったのです。
そして、またこの”だし”は別なステージで第2章が始まるのでした。

今度は昆布を中心とした調味料開発が始まったのですが、これは、また機会をあらためて書く事にしましょう。

●また、また鮨
春日の鮨や「一文」はじめての入りました。”カリテ・エ・プリ”のバランスの良い店でした。
次回に期待しつつ……。

2011年8月24日水曜日

だしに始まり、だしに終わる……長~~いお話。その6

「万能だしポット」は製造福泉窯で発売は貝印です。
ちょっとややこしいのですが、この時期に福泉窯商品と貝印商品を、野崎洋光ブランドで並行して企画していたのでした。
有田焼の磁器商品と家庭調理商品と似ている様な、似ていない様な微妙な区分です。
大きな違いは白い商品(貝印)か染付け(福泉窯)があるかどうか……。

福泉窯の「くらしの料理器」はその後、納豆鉢を考えました。有田の方々は納豆を食べないので、その存在理由を説明するだけで大仕事。
本当は命名をある方にお願いしたく、人づてに連絡を取っていただきました。
それは、東京農業大学の小泉武夫先生です。2006年10月24日に先生の研究室へ、お馴染みKさんと訪問いたしました。
小泉先生の著作は『世界・香食・大博覧会』からで、それは世界中の臭い食べ物100種類を集めた本なのです。NHKのテレビで小泉先生が韓国へ渡り、エイヒレの醗酵したものをクンクンと臭いを嗅ぎながら、”クサい、クサい。”と、とっても嬉しそうな笑い顔を見て、いっぺんに大ファンになりました。凄い人ですよ、本当に。
その先生に、山ほどの納豆をお土産に持って行ったのですが、残念ながら商品名の名付け親にはなっていただけませんでした。
色々な団体の役職をしているので、特定のメーカの名前付けは出来ないとのことでした。
そのかわりに、持参した『納豆の快楽』にサインをしてもらい、その著作物の中からパンフレットに引用してもよいと許可をいただきました。

「納豆食って納得人生……醗酵仮面小泉武夫」(写真参照)

(まだまだ、つづく)

●はしぐち
ハルコもオクサマも、鮨が大好きでなのです。
鮨を食するということは、長年の修行(?)が必要なのです。
鮨やほど食べながら緊張する場所はないと思っています。なんたって、カウンターの向うには包丁を持った……ハハハ、冗談ですが。

紀尾井町の「はしぐち」は、ハルコとオクサマの大好きな鮨やさんなのです。
行くたびに、次回の予約を入れておきます。ただ、今年の3月11日は予約を入れていたのですが、大震災のために行けませんでしたが。
はしぐちは、ほとんどマスコミにも出ない店ですが、気が付いたらミシュランで星1つになってました。
その橋口がが今月いっぱい(2011年8月31日)で移転のためにお休みします。
11月には赤坂の豊川稲荷の下り坂を下りた所に新店舗が出来ます。
橋口敏郎さん喜美子さんご夫妻の、小さいけれど落ち着きのある店です。
ラストはオクサマとフィレンツェの池田・戸田夫婦4人で名残りの鮨を堪能しました。
これからハルコは11月まで鮨放浪に入ります。
開店する日を指折り数えて待ってますよ。橋口さん。

2011年8月23日火曜日

だしに始まり、だしに終わる……長~~いお話。その5

「だしポット」は急須と同じ様にお湯を注ぎます。これをIH台で加熱する方法はないか、と幾つか考えました。
だしポットの底面は約78mmですが、これをIHの上に乗せるためには底面が120mm必要です
ということは、非常に底の広い形状になってしまいます。これでは、あまりデザイン性もよくないですね。
また、磁器なのでIHに反応させるたには底部に発熱用の金属が必要です。磁器自体では熱伝導しません。
いや、弱りました。有田の福泉窯で何回となく素材を変えて、色々と試験しましたが、どれもイマイチで商品にはなりません。

半年過ぎた頃でしょうか。季節も夏が過ぎ秋です。
自宅で料理をしておりました。電子レンジで素材の下ごしらえをしていたい時に、”チ~ン”と電子レンジの音がした時に、ハッと思いました。
IH台のある家庭より、電子レンジの普及率の方が高いはずだ!
IH台に乗せるのをあきらめて、直接電子レンジで加熱する方法はどうだろうか?
その時にだしを取るばかりではなく、それで、つゆも作れるのでは……。
しかし、酒や味醂を電子レンジで加熱しても大丈夫なのだろうか?

幾つかの疑問は有りましたが、大まかなデザインをしてから福泉窯にプロトタイプの作製を依頼しました。
電子レンジの庫内で加熱しても空気自体は加熱されません。
そこで、ポットの持ち手を空洞にして熱くならない構造にしました。

こうして、誕生したのが「だしポット改良型……万能だしポット」です。
昆布と鰹節に酒、醤油を入れて、ふたを外して電子レンジで6分加熱するとあっと言う間にそばつゆが出来るのです。
(つづく)

●だしポット

だしポットオリジナル



万能だしポツト電子レンジ用

2011年8月22日月曜日

だしに始まり、だしに終わる……長~~いお話。その4

九州は肥前、佐賀県、有田は皆さんご存知だと思いますが、日本の磁器の発祥地です。
豊臣秀吉の朝鮮出兵(1592-1603)で、鍋島藩に連行されて来た李参平(三平)(イ・チャムピン)が始祖といわれております。
李参平を祀っている陶山神社や陶石の出ていた泉山を見学したり、九州陶磁文化館で柴田コレクションを鑑賞したりして、長い有田焼の文化に触れたのでした。

元々は、野崎さん発案でKさんと企画した「だしポット」がすごく売れたことを実積として始まったプロジェクトなので、野崎洋光さんの名前を冠した商品開発が中心事業になります。
有田の福泉窯さんに何度も足を運び、また、東京でも会議を相当行いました。

商品群は「くらしの料理器」という名称にしました。
「くらしの料理器」というのは、単に食器としての機能の他に調理器具としての役割を果たしたいと考えたからです。
急須は中に茶葉を入れて熱湯を注ぐ事により、お茶という完成された飲み物になります。「だしポット」も原理は同じですが、それでだしを取ろうという発想は、それまで誰もしませんでした。
野崎さんはその盲点に気が付かれてたのですね。さすがです!

だしポットの次を狙う商品群をつくるために、呻吟の思いをすることになりました。
それは、IHと食器の相性をテーマにした時から始まりました。
(つづく)


●陶箱
福泉窯専務Sさんと商社のKさんがお見えになりました。
いや、本当にSさんとは久しぶりでした。一時は毎日連絡取り合っておりましたが、ご無沙汰しておりました。その時に、お土産でいただいた可愛い陶箱にカワイイ(えっ、キモイ?)ハルコ人形を入れて撮影してみました。



●日々是甚六哉。
お馴染み甚六です。オクサマとフィレンツェ在住のジャーナリスト池田さんと一緒に。最近お気に入りの油揚げのピッッアにハルコが(お行儀悪い!)。
池田さんのブログ(イタリアからのブログです)も。

2011年8月20日土曜日

だしに始まり、だしに終わる……長~~いお話。その3

貝印のマーケティングプロジェクトが終了し、”だしポット”のことは頭の隅から消えておりました。
ところが、災難とKさんの電話は突然やってくる(そんなんもないですよね)。
またまた、有田の商社(産地問屋で有田焼の和食店向けの企画販売)Kさんご登場です。

Kさん曰く、有田で行政から支援事業の認定を受けたので、商品開発から販促までの手伝いをしてくれとのこと。
「だしポット」の製造をしている有田の窯元「福泉窯」さんが中心になってプロジェクトを行うので、参加してくれとの依頼でした。
なにせ、本業はお手伝いハルコでございます。
はるばる、佐賀県は有田までお手伝いに行きました。いゃ、文化の違いって面白ですね。

ハルコは、オクサマから、口跡が悪い、滑舌がダメ、訳の判らないことばかり言う…、といつも叱られておりますが、九州の言葉は違いますね。豪快というか、うるさいというか……。
直接これから一緒に仕事をする方々は判りやすく話してくださるのですが、地元の業界組織のエライ方と話していると、耳元で太鼓が炸裂してるような、「ドガギャンも、コギャンも、ドゲナァもんば、……と、タイトね」
それに、ハッキリモノを言うので、一瞬ケンカしてるの?という気分になります。
こりゃ大変だ。三角巾(ハルコのトレードマーク)をしっかり結び直して取り組まなくては、と決心したのでございました。

ここからが、足掛け3年に渡る有田詣での始まりでした。
その間、台風に翻弄され、大雪で山で遭難しかかり、チャンポンを沢山食べ、佐世保のバーで、酔い潰れ……。お話はまだまだ、続くのでございます。
(つづく)

●ジャガイモが届きました。
長~~いお話の続編あり、商社のKさんと、窯元さんSさんがハルコの事務所にいらっしゃいました。
その時に、料理写真家の渡辺七菜さんがジャガイモを届けてくださいました。
七菜さんは、日本の料理写真界の頂点、佐伯義勝先生の門下で素晴らしい写真を撮っております。
彼女は以前から米作りや野菜作りにも励んでおります。
その農園でご自分で作ったジャガイモを、何と、何と…16種類もいっぺんに持ってきてくれました。七菜さん、ありがとうございます。

種類は、男爵、スタールビー、キタムラサキ、ドロシー、シェリー、シャドークィーン、アンデスレッド、ベニアカリ、コガネマル、サヤアカネ、トカチコガネ、北アカリ、ノーザンルビー、はるか、インカのめざめ、ジャガキッズパープル……。壮観ですね。
果たしてハルコのジャガイモレシピは幾つ出来るのでしょうかね。挑戦です!

2011年8月19日金曜日

だしに始まり、だしに終わる……長~~いお話。その2

だしを簡単に取るという発想は、野崎洋光さんの料理教室で生徒の女性が言った「だしを家庭で取るには面倒ですね」という言葉からでした。
そこで野崎さんは考えました。簡単にだしを取る方法があれば……。

急須に昆布と鰹節を入れて熱湯を注ぐと、温度が85℃くらいになり、丁度だしが良く取れるのです。
しかし、こんなモノは果たして作っても売れるのでしょうか?
貝印のタッキーさんに相談をし、企画を提出していただきました。

いやはや、後で話を聞くと大変だったようです。
やはり、こんなモノどうしたら売れるのか、絶対売れへん!と、いう意見が大半でした。
後年大阪の有力問屋さんを仕事で訪れた際に、営業の方がこの商品を売り込むのに大変な苦心をされてと聞いて、多くの方々の支えで売って来たんだと思いました。

そして4ヶ月かかってサンプルが完成し、「だしポット」と名付けました。
さて、サンプルは出来ましたが、どう見てもお茶を入れる急須です(困ったもんです)。
野崎さんと、このだしポットにサンプルの昆布と鰹節を付けようと話し合い、最終的に札幌の佐吉屋さんの昆布になりました。
価格設定が一番の難関で、ハルコ価格は1万2千円。皆さんは5千円くらい。最終的には8千円半ばで落ち着きましたが、こんな高いものを誰が買うのか、と非難されることしきり。

まだサンプルが1個しかない時に、野崎さんが雑誌『ミセス』で紹介し、そのまま通販ページに掲載されました。いやはや、本当に見切り発車です。
そのだしポットが、ミセスの通販で限定400個が売れ切れてしまいました。
ひょうたんから駒、いやだしポットからだし。

次にカタログハウスで掲載が決まり、分とく山(昔西麻布の)で撮影に立会い、取扱い説明書向けに「だし生活」レシピを書き上げて終了。
そして、3年におよぶ貝印のマーケティングプロジェクトへの置き土産で、こちらも終了しました。
ところが、この話にはまだ、続きが……。
(つづく)

●タンドリーインチキ
大阪松前屋謹製「ウマミナチュレカリー」で、なんちゃってインド風(?)タンドリーインチキは、スパイスと昆布の旨味でめちゃうまい、のでございます。
作り方は簡単。鶏肉を全体にフォークで刺し、少しの岩塩とプレーンヨーグルトに「ウマミナチュレカリー」を振りかけて、味が馴染む様に揉み混んで冷蔵庫で30分。そして、取り出したらフライパンにオリーブオイルを引き熱して、鶏肉を入れて焼き付けて、火が通ったら完成。
命名の「タンドリーインチキ」オクサマが名付け親でございます。

今日も暑い1日。ビールで乾杯のハルコでした。


大阪松前屋謹製「ウマミナチュレ」

2011年8月18日木曜日

だしに始まり、だしに終わる……長~~いお話。その1

先週、有田の商社(問屋)Kさんと久しぶりにお会いしました。
Kさんの取りあつかっている商品を、某通販雑誌にご紹介をしました。
あいも変わらず、お元気そう(本人曰くぼう~~っとしてます)でしたが。
10年前にKさんから突然「分とく山の野崎さんの紹介で……」と、電話があった頃のことを思いだしました。
ちょっと長い話になりますので、何回かに分けてお話ししましょう。

Kさんは元々、野崎さんの所に業務用の食器をオリジナルで作り、納める仕事をしておりました。
野崎さんがあるアイディアを思いついて、Kさんに是非作るように勧めたのですが、Kさんはそんなの作ってもどこで売るのですか?と悩みました。
そこで、野崎さんは「そう言うことならハルコさんに電話してみれば……」と、話はハルコのところにやってきたのです。

事務所でKさんにお会いして、早速野崎さんに二人で会いに行きました。
野崎さんは目の前で、急須に昆布と鰹節を入れて、熱湯を注いで1分。
「飲んでみて」
「…………。ぐびぃ」
「美味しいでしょう」
確かに、しっかりとだしが取れていたのです。
野崎さんは、これを商品化して出したら売れるよ!と、ご宣託!
これが、長い話の発端でございます。

その当時ハルコは貝印の家庭用品を活性化させるプロジェクトのお手伝いをしておりました。
ほぼ、プロジェクトも最終にかかって来ており、野崎さんのアイディアが、
実際の商品作りに仮説をどう活かすか、というテーマで企画書に取り組み、
その後、「だしポット」という名前で商品化されたお話の発端でございます。
(つづく)

●本マグロの腹身
新潟市は新津(現在の秋葉区)で、年2~3回ほど食べに行っている「鮨処 次郎長」の一品です。
大トロの腹身で一番脂肪が多い部分ですが、この脂肪の濃さは好みの分かれるところですね。
オクサマはあまりお好みではありませんでしたが、ハルコはこれでお酒を飲み過ぎてしまいました。

2011年8月17日水曜日

北大路魯山人『料理王国』を読む

短いお盆休みも終わり仕事に復帰しました(と、言ってもお手伝いに休みはございません)。
毎日、早寝早起きにお昼寝をしていたせいか、仕事机の前に座ると”ぼ~~っと”(いつもですが)してしまいますね(起きるんだハルコ!)。

20数年食に関心を持ちながら仕事をしてまいりましたが、ずっと良い食の本の紹介をしたいと考えていました。
これから、随時是非読んで欲しい、食関連の本のご紹介をいたします。


北大路魯山人『魯山人の料理王国』(文化出版局版)

第1回に選んだのは、北大路魯山人『料理王国』です。
魯山人は言うまでもなく、食の世界の巨人ですね。魯山人は今年没後51年(1961年逝去)ですが、この半世紀日本の食文化は著しく変化しました。
貧しい時代を経て、豊かな時代に変り飽食やグルメブームに浮かれ、そのあげくメタボ人間を多数製造し、食への不安が渦巻く日本に。
本書は、昭和35年2月25日発行の『春夏秋冬料理王国』を定本にしたものが幾つか文庫本等で出ております(興味ある人は捜してみてください)。
盛名の割に魯山人の生前に発行された料理の本は、この本のみです。
『美味しんぼ」の海原雄山のモデルとして有名で、魯山人を主人公にしたドラマもあり、何となく聞いた事がある程度でしょうか。
ほとんどの方々は実際に「美食倶楽部」「星岡茶寮」でご飯を食べたり、魯山人の器や書、篆刻を所有していなくても、食に関係するのであれば、気にして、一度は読んでおくべきだとハルコは思うのです。
その中で”美味論語……まずいものいはなんとしてもうまくならぬ”という一節があります。
魯山人は「まずいものをうまくする」ことは、どんな料理の名人といえども、なし得るものではない。と、看破しております。まぁ、当然ですね。
ところが最近は、どんなまずいものでも、調味料で誤摩化して食べさせる傾向にありますね。
ハルコのお師匠さんの野﨑洋光さんも、同様のことをおっしゃっていました。
なぜ、今魯山人が読まれなくてはいけないのか? それは時代に要求されているのだと思います。
現在、あの食文化研究家の魚柄仁之助さんと、新しい魯山人と現代日本の食文化を読み解く本の製作中です(この段階でまだ、出版社は決まっておりませんが…。ハハハ。大丈夫かなぁ)。

2011年8月16日火曜日

忙中の閑 その2

セカンドハウスがなぜG市にあるかというと、話せば長くなるので省略しますが、オクサマの親戚の敷地の一角に建っています。
親戚の母屋はちょっとした旅館くらいあり、セカンドハウスはまるで、離れのような存在です。

さて、その隣にはハルコの最大の強敵がおります。
今年、小学校1年生になった二卵性双生児がおります。
最近はだいぶおとな(?)になったのですが、油断すると大変なことになります。
女の子は”HARU”ちゃん。男の子は”DAI”くん。

滞在中はわが家の狭いリビングがお絵描き教室に変身します。
長年仕事で作成した雑誌や書籍の「束見本(本の背の厚さを調べるために実際に1部製本した本)」を大量に送っていました。
ちびっ子二人に落書き帳として、これに自由に絵を描かせてました。
まだ、幼い頃は何だか判らないものでしたが、段々と絵が上達してくるのがはっきりします。
単に絵を描くという行為から、物語の創造的展開になってきました。
今回写真で取り上げたのは、二人の新作です。
”DAI”くんは現在ポプラ社の『かいけつゾロリ』がお気に入りのようで、自分でストリー作りに励んでます。
ついこの間までは”何とかレンジャー~~”と言っていたのに……。

"DAI"くん

"HARU"ちゃん

そうそう、なぜ最強の天敵かというと、油断していると、後ろから「ハルコさ~~ん。カンチョウ!!」と攻撃してくるのです
ハルコは”ジモチ”ですが、将来の”地主さま”には勝てません…。

2011年8月15日月曜日

忙中の閑 その1

世間様は"お盆休み"ですね。
ハルコは普段あまり休みに関係なく仕事しているせいか、
お盆休みという感覚はないですね。
今年は珍しくお盆休み(と言っても土日ですが)最中です。
思えばこの1ヶ月土日も仕事をしておりました。本業のお手伝いもおろそかに……。
新潟県のG市で休みを取っております。
G市にセカンドハウスが出来たのは、丁度リーマンショックの起こった年でかれこれ4年になります。
先日の福島・新潟の大雨でG市も相当河川が氾濫して、セカンドハウス近くも相当冠水したようです。

早朝のG市
滞在中は、毎朝近所のコンビニに新聞を買いに行きますが、散歩を兼ねているので知らない道をどんどん入って行き、迷子になりつつ1時間ほど廻っています。
日が高くなると暑いので、散歩は早朝5時前後です。
当然オクサマは就寝中です。東京の自宅の方でも土日は早朝散歩してますが、無理に一度オクサマを散歩に連れ出した時に、通りかかった公園で丁度ラジオ体操をしておりました。その町内会(らしい)一団と混じってラジオ体操1、2をしたら、オクサマは「今日の体力は使いきった」と、その後散歩にはお誘いしておりません。

氾濫した小さな用水路沿いに散歩すると、確かに草などが水でなぎ倒された跡が随所に見られました。
ソローの「森の生活」に憧れはありますが、中々来れないですね。良い場所です。先日もご紹介した「甚六」の永谷さんの釣りの師匠がG市に居られて、よく釣りに来ていたようです。
河も氾濫すると大変ですね。
季節に関係なく早朝は新聞を買うついでに散歩ですが、今年の正月は大雪で、膝まである長靴を履いての散歩はそれ自体が重労働で、その後雪かきで汗をかき風邪を引いてしまいました。

庭の花梨



小さな庭に3本の木があるのですが、その1本は花梨の木で、まだ緑ですが実がついていました。それをオオオクサマが採り込み毎年花梨酒を作ってます。

2011年8月12日金曜日

不便って美味しい 由来 その3

元祖「料理男子」の称号を冠された(?)料理通信2010年3月号より

お手伝いハルコとして主夫を名乗ってみると、楽になった部分と大変な部分がありますね。
楽になったには”オトコ”という意思がどんどん希薄になったこと(えっ、それってオバサン化)。
大変なのは”真実と虚実”の境界線が不明になったことでしょうか。
雑誌の連載を読んだ方がオクサマヘ「毎日美味しいごはん作ってもらって良いですね……」と多々話しかけられました。
その度にオクサマは「ハルコの料理は本当は……」と冷や汗ものです。はい。

ハルコのことを知らない人に、どんな仕事をしてますか?と聞かれ、「はい、お手伝いです」と答えると、「あぁ、それなら今度の土曜日に庭師掃除に来てもらる……」真顔で聞かれたこともありました(やれやれ)。
元々、ハルコにお手伝いという冠を付けたのは、自分の仕事を振り返って何だろうと、自問自答した時に「あぁ、色々な人の仕事のお手伝いするのが自分の仕事なのだ」と感じました。
それと、同時に家事、特に料理は色々な面での応用が効くのではないかと。

仕事の手順と料理自体の手順は大変似通っていることに気が付きました。
これで、仕事ばかりして家事(料理)を顧みない男子が、もっと積極的に料理を通して成長(?)出来るのではないかと。

名付けて「料理ができない男は仕事もできない!」いささか男子に挑戦的ですが、ハルコはそう思っています。ただ、「料理ができる男は仕事もできる!」と逆は保証の限りではございません(よ)。
献立て(企画立案)、食べる人のこと(市場調査)、冷蔵庫の中身(在庫管理)、買い物(仕入れ)、調理(製造)、食卓(納期)、喜ぶ笑顔(顧客満足度)、片付け(管理)……。
決められた時間と少ない予算で最大の効果を上げる。まさに、料理と仕事のプロセスは類似しているのです。
その内『男のダンドリ料理術』的な本を書きたいと思っております。


週末から月曜にかけて、新潟のセカンドハウスで過ごします。
その顛末はまた、来週に。

2011年8月11日木曜日

不便って美味しい 由来 その2

ハルコは、食に関する仕事を多く手がけていますが、一番関心のあるのは家庭料理のあり方です。
その中で、手作りはどの程度の度合いなのかということに関心を持っていました。

いつからか、外食・中食・内食と3つの食の形態に分けられていますよね。
昔の日本は外食(ハレ)・内食(ケ・元々家で食事をするのでこんな言葉は無かったですよね)の様に思われていますが、江戸時代には実際に多くの総菜屋さんが存在していました。
これは江戸という町には、圧倒的に男性の数が多かったということが、その理由ですね。

10数年前から調理器具の開発のお手伝いをしていて、調理器具が売れなくなった理由を色々な方に取材しました。
その時に聞いた印象的な言葉で、「女が料理しないようになったから、道具(調理)が売れなくなった!」という意見がありました。
現在はそのようなことは無いと思いますが、この言葉をそのまま、ある有名中食産業のオーナー(デパ地下の三ツ星総菜と一時言われていた)に話しました。
オーナ-氏は手を打って喜びこう言いました。「私の仕事は総菜を売って、主婦を家事(料理)から解放することにある。そして、家でやっていた家事を外で行うことにより報酬を得られると、いう経済性もある」
まぁ一理はありますが、どうでしょうかね。
そして、家庭内では主婦が料理の主たる担当者になるかもしれないが、家庭料理という視点では、誰もが料理人になれる、という考えに達しました。
その頃に雑誌の連載が始まり『お手伝いハルコと学ぶ中高年からの家庭科』と名付けました。
男=主夫(ハウスハズバンド)が料理を始め家事を積極的に行うと、いうスタンスの誕生です。
(つづく)

●ダイエット
今週末は2ヶ月に一回の定期検診です。去年の夏は暑く、あまり動かない状態で体重が増加してしまいました。
この所、土日は1時間程度のウォーキングしてます。
さて、数値(血液検査)はいかがでしょうか?

2011年8月10日水曜日

不便って美味しい 由来 その1

お手伝いハルコのキャッチフレーズは「不便って美味しい」です。

長年出版関連の編集やデザイン製作に携わり、中でも料理の雑誌からムック、書籍と多くを手がけました。
同じ様な内容の同じ様なタイトルがあることに気付きました。
その多くは「スピード」「手早く」「簡単に」「あっと言う間に」「ぱぱっと」的な冠が付いた物ばかりです。
そんな仕事に”屈託”を覚えていました。

その時にふと、10代後半に読んだ本を思い出しました。
H・D・ソローの『ウォールデン・森の生活』です。読んだことがある方も多いかと思います。
ソローは1817年アメリカ合衆国北東部、マサチューセッツ州のコンコードに生まれました。コンコードの近くのウォールデン湖の畔に小屋を建てて、2年2ヶ月住みついて湖とその周辺を観察した手記を、1854年に出版されました。
この通称『森の生活』はその後ハルコの座右の書となりました。
その中の一節の、「何も無しで暮らせる生活が一番豊かな生活である」が信条となりましたが(えっ、ハルコは人一倍物欲が強いだろうって?)、現実はそうは行きませんね。
「何でもある=便利」が「何も無しで=不便」でも、手間や工夫することにより「美味しい」と結びつけたのでした。

しかし、右手で便利を唱え、左手で不便を礼賛するという自己矛盾に陥るのでした。
極端に全てを自分で作ることも、あるいは逆に全てを第三者に委ねることもどちらも嫌ですね。
そうなるとソローの精神とハルコの精神をどこで折り合わせるか…それが問題だ!

30年も前の家庭雑誌の中に、各国の主婦による座談会のコーナがありました。インドから来た女性は「日本人は恵まれている(この話は30年も前のことです。念のため)」日本の主婦は例えば、鶏肉を買う時にきれいにパックされているのを買って来るが、インドでは生きている鶏を買って自分で処理する……」まさにこれはソローのテーマだと思うのです(つづく)。

トリッパ
オクサマの仕事が片付かず、晩ご飯が10時(夜ですよ)過ぎになってしまいました。まぁ、よくあることですが……。 この晩は西麻布の「OSTERIA GATTO NERO」へ出かけました。 アンティパストミスト、ポルティーニのパスタ、仔羊のミラネーゼ・ケツカソースをいただきましたが、「トリッパ」は大丈夫ですか?と聞かれました。
何を隠そう(まぁ、隠すほどのことではないですが)トリッパは大大大好物なのでございます。ホホホ!
「トリッパは大好きです。特にアラビアータにしたのが」とオーダーし、アンティパストミストの中に熱々の器に入ったトリッパを美味しくいただいたのでございますよ。
よく考えるとメニューにトリッパがあればほとんど迷う事なく頼んでますね。何でしょうか。その内どこかにトリッパ塚を建立せねば祟られるやも。
ハルコは何でトリッパが好きなのでしょうかね。
トリッパはご存知の様に牛(羊なども)の胃のことで、イタリア語で「TRIPPA」フランス語では「TRIPES」(トリップ)といいます。
今まで、食べたトリッパ(トリップ)で強烈に覚えているのは、パリで一番のトリップ料理店「PHARAMOND(フェラモン)」で食べた「Tripes à la de Caen(カン風トリップの煮込み)」カンフウと言っても格闘技ではありませんよ。ノルマンディ県の県庁のあるカン市のことです。ノリマンディの特産シードルで煮込んだトリップのなんて大きく、量のたっぷりの料理でした。


2011年8月9日火曜日

日々是 甚六 哉


昨夜はハルコの事務所の近くの「甚六」へ、久しぶりに出かけました。
甚六は青山で1974年から営業している老舗(?)の居酒屋さん。
エッセイストの平松洋子さんも大好きと言っていたお店です。

取材でも何回もハルコはお世話になっており、現在は永谷さん親子二人で切り盛りしております。
以前、ANAの海外機内誌の日本特集(英語版)の見開き扉で右ページに浅草雷門、そして左に我らの「甚六」が掲載されました。
「日本へ行くなら、甚六へ!」……でも、甚六で外人さんは見た事がありませんが…。
以前から、甚六の料理本を作りたいと考えておりましたが、中々(ハルコの怠慢で)実現にいたっておりません。
オーナの永谷敏行さんは、料理人にして釣師。日々料理の工夫に精進しておられます。
わが家のオクサマも甚六の料理の大ファンで、ハルコはうろ覚えの甚六レシピを食卓へ供することも多々あります(ちゃんと覚えてねハルコ。:オクサマ談)。

甚六を代表する一品と言うと(永谷さんに確認済)、やはり「玉子のいなり揚げ」でしょうか。
初めて甚六へご案内する時の絶対メニューです。
昨夜も貝印のKさんをご案内。
現在貝印(ハルコここでもお手伝いしております)で、SELECT100というキッチンブランドの、ボウル・ザルの新開発をしており、その担当者がKさんです。SELECT100については、いずれご案内します。

当然、玉子のいなり揚げ攻撃! いや、やはり甚六名物は旨い!
この店の隠れメニューで「ペッパーチャーハン」と言うのがありますが、これは黒板メニューに書いていないだけで大定番。
本当の隠れメニューは、スパゲッティナポリタン!!
永谷さんは元々、イタリアン黎明期のニコラスで修行した料理人。永谷さんが作るナポリタンは絶品でございます。
ただ、そのために最初は材料のパスタ(マ・マースパゲッティ1.7mm)、タマネギ、マッシュルーム、ピーマン、ハム、トマトケチャップ、粉チーズ、タバスコとすべて持ち込みました(良い子のみなさんは絶対まねしないようにね!)。
日本で生まれたナポリタンに一番近いのが「スパゲッティ・アマトリチャーナ」ですが、スパゲッティからラグー(具の部分)を取り除いたものが「スパゲッティ・ナポリターノ(ナポリ風)」ということになります。

今度、また作ってもらおう!(よだれ、ジュル、ジュル)



左:「お手伝いハルコと学ぶ 中高年からの家庭科/ペッパーライス(甚六)」(料理王国/2003年6月号)
右:「4人のヘビーユーザーが厳選 最強のレストランガイド/プライベート編」(料理通信/2008年4月号)




2011年8月8日月曜日

日々是ハルコ哉。開店です。

8月8日はハルコブログの開店です。
実は8月8日は、ハルコの会社(二つあるうちの一つ)の創立(実際には登記)記念日なのです(どうでもいいですが)。
思えばホームページやブログを立ち上げようとして苦節10年!
あつと言う間に世間様に取り残されてしまいました(やれやれ)。
オクサマから「ハルコ。ブログくらいしなさいよ!」と、お小言で、背中を思い切り押されて、遅れてきたブロガーデビューでございます。

以前、ハルコが「フードジャーナリスト会議」でゲスト講座をした時のことです。
飲食に関してブロガーさんに対して失礼なことが多いと苦言を呈しました。
「店の了承無しに、ブログアップして悪口を書きこむことは、卑怯者のやることである!」と、偉そうに述べたところ、最後にブロガーさんに取り囲まれて、デジカメでハルコが撮影したレストランの料理写真を撮られ、ブログに掲載されました。
いや、恐ろしい時代ですね(えっ、世の中はもっと進んでいる。はい、スミマセン)
長年出版の仕事で世過ぎ身過ぎしてきたハルコとしては、いささか、ペーパーとネットの間で悩む事しきり。
まぁ、職業柄レストランや料理の事は書く機会が増えると思いますが、単なる店の情報や旨い、不味いの類いはやらないつもりでございます。

大阪の昆布加工食品メーカで「松前屋」さんという会社があります。< あまり、関東方面での知名度は”もう一つ”ですが、来年は創業100年の老舗です。 ご縁がありまして、ハルコは松前屋さんのお手伝いをしております。 これからちょくちょく登場しますので、皆様お見知りおき願います。 さて、その松前屋さんは”とこわか”という塩昆布など沢山の商品を出してますが、今イチオシなのは「ウマミナチュレ」という美味しい昆布のふりかけタイプの調味料がです。
現在発売中の『料理通信9月号』で、ハルコがウマミナチュレを使った酒の肴に挑戦してます。
ぜひご覧くださいませ。




上段左:料理王国/2011年9月号